第5話 頑張れ俺の理性


 一緒にお風呂に入る? と聞かれたときはどうしようかと思ったな。

 ものすごく葛藤したし、理性と欲望がせめぎあっていた。

 万が一人間だとばれたときに彼女に嫌われたくないという思いで、なんとか理性が勝利した。

 何事も、日頃の行いが大事だ。

 欲望のままに動くなら獣と同じだ。いや俺は今実際に獣なんだが、心までそうなるわけにはいかない。

 そもそもリナはまだ少女の域を出ていないんだ、そんな女性に対して風呂を風呂を風呂を覗こうなどと。

 記憶はないが、俺は若すぎる女性を特別に好む性癖ではなかった、はず。


 だが。

 風呂上りの彼女は良い香りがして、紅潮した頬がなんだか色っぽい。

 そんなことを考えて悶々としている俺に、彼女が名前をつけてくれた。

 色々とよくわからない名前を提案されたが、最終的に「シル」で落ち着いた。なぜか、その名前が妙にしっくりくる。

 それにしても、彼女の名前はリナというのか。

 可愛い名だな、と思ったら、なんとそれがリナに伝わってしまった。

 もしかしてリナは心を読むのか?

 彼女が色っぽいとか、ただの狼のふりして一緒に風呂に入っとけばよかったとか、そんな邪な感情まで見抜かれてしまったのか!?

 そう思って絶望しかけたが、どうやら彼女に伝えようという意思がある部分しか伝わらないらしい。

 助かった。

 とりあえず、俺は神護の森の神狼という設定にした。

 “神”をつけすぎた感があるが、とっさのことだったので仕方がない。もちろんデタラメだ。

 それにしても、不思議なことがあるものだ。まさか会話できるようになるとは。

 彼女は何か特別な力でも持っているのだろうか。

 もしかして、俺が夜な夜な狼から人間に戻るのも彼女の力なのか?

 会話ができるようになったり、人間でいられる時間が長くなったりと、彼女の側にいるほど人間らしくなっていくなら、俺はなるべく彼女の側にいたほうがいい。

 ただの狼であることをアピールしてまでこれからも一緒に寝ようとするのは、断じて下心ゆえではない。たぶん。


 翌日、リナは町へ出かけて行った。

 その間、俺は小屋周辺で狩りなどをしていた。

 離れていると時間がやけに長く感じられ、二層まで足をのばした。

 この森は亡きオルファの幻術がかかっているらしかったが、俺は特に迷うことはなかった。

 三層で暮らしているから? それともリナといつも一緒にいるせいか?

 あまり町に近づいて猟師に狙われては困るし、三層の近くでウロウロしながらリナを待った。

 そんな中、ふと、狼の耳が遠くの声を拾った。

 この声は、リナ? ……俺を呼んでいる?

 気づけば俺は大地を蹴って駆けだしていた。凄まじいスピードで木々の間を駆け抜けた先で、目にした光景。

 リナが、男に手首をつかまれ迫られていた。

 唸り声をあげながら二人に近づく。

 俺を見て、怯えきっていたリナは涙をこぼした。

 その瞬間、俺のヒトとしての理性がはじけた。

 ――殺シてやル。


「待ってシル! 私は大丈夫だから!」


 リナの声に、俺は理性を取り戻す。

 一瞬、人間ではないただの獣になっていたような気がした。

 だが、理性を取り戻したところで、あの男を許せないと思う気持ちに変わりはない。

 俺の大事な……そう、大事なリナを。

 理性が戻った今でも、さっきの光景を思い出すと殺してやりたいという気持ちがわいてくる。


 その日の夜は、リナはいつも以上に俺にしっかり抱きついて寝た。

 リナの眠りが深くなるころ、俺に全裸タイムが訪れる。

 俺はリナの腕の中をそっと抜け出し、自分に掛布団をかけた。

 それにしても、今日は色々なことを知った。

 リナが別の世界からきたということ。男を嫌う理由。……その旅人、八つ裂きにしてやりたい。

 そんな過去があるから人を避けるように生活していたんだな。

 だが、ここの生活だって安全じゃないだろう。

 幻術をかけたオルファはすでに死んでいるし、ここの幻術もいつまでもつかわからない。

 それに今日は森の浅い部分で男に捕まっていた。

 女の一人暮らしだから、家までついていけばどうにでもできると甘く見られたんだろう。

 心配だ。

 こんなところに可愛いリナを置いていたくない。

 だが、俺はただの記憶喪失の狼もしくは全裸男だ。

 何もできやしない。情けない。


 ――シルならたとえ人間の男性だったとしてもいいかな? なんて


 そんなリナの言葉がよみがえってドキッとする。

 わかっている。俺を狼だと思っているからこその軽口だと。

 隣で眠るリナに視線を移す。

 まさかもうすぐ二十一歳とは。この愛らしい顔立ちで。

 異世界の女というのは皆このように若く見えるんだろうか。

 大人の女、か……。

 まだ少女だと思っていたリナが大人の女だとわかると、急に罪悪感が薄れる気がする。

 思わずリナの顔に手を伸ばす。が、触れる直前で慌ててひっこめた。

 待て待て待て。何を勝手なことを。

 働け、俺の理性! 勝手に薄れるな俺の罪悪感!

 男に恐怖心がある理由を教えてもらったばかりじゃないか。はあ……情けない。

 だが、俺の理性は褒められるべきレベルだと思う。

 自分は素っ裸で、隣には愛らしい女性。

 好き勝手しようと思えばいくらでもできる状況で、多少悶々としながらも何事もなく一緒に夜を過ごしているのだから。

 いや、それ以前に狼のふりをして一緒に寝ている時点でただの身勝手な変態か。

 だが、どうしてもこの夜を手放せない。

 触れられなくても、リナの寝顔を見る幸福を味わっていたい。


 全財産はたいて狼を助けた、お人よし過ぎるとさえ思える優しさも。

 柔らかで澄んだ声も、小鹿のような瞳も。

 全てに心惹かれている。

 俺は……リナに惚れてしまったようだ。

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