第六章 天秤にかけられる運命その二

 私達が警察署内に入ると、集まってきた警察職員達が手当てを申し出てきた。特に銃で右肩を撃たれた真奈美ちゃんの負傷が一番酷い。

 私は背負っていた彼女を警察官に渡すと、私と響子も案内されて、その足で彼の後を追っていく。

 初めて入ったが、警察署内は二階まで吹き抜けの構造になっていた。一階のメインホールだけでも結構な広さがあり、部屋数もかなりありそうな建物だ。

 私の隣を歩く響子の腕には、私達より遅れて入ってきた、あの黒猫が大事に抱き抱えられている。この黒猫には、本当に感謝しかない。

 さっきも助けられたし、もしかしたら守り神なのかもしれないなと、私は心の中で思った。


「鳳来恵さん、急ごしらえで改装した仮の医務室ですが、どうぞこちらに入ってください。警察病院から急遽お呼びした、医師の方達が傷を診てくださってます。署長もすぐにやって来られるでしょう」


 メインホールの右脇にあった通路を通って、やがて辿り着いたその部屋。

 扉を開けて中に入ってみると、確かに説明されたように、そこは事務室を無理やり改装したと思われる、さほど広くない簡素な室内だった。

 そこでは若い男性医師と初老の男性医師の二人が、ベッドに横たわる負傷した警察官達を忙しく手当てしている。

 警察官達の傷の具合は、誰もが酷く見える。ギプスで固定されている、腕や足の骨折。中には頭から流血し、巻かれた包帯を赤く染めている者までいる程だ。


「ありがとう。けど、先に真奈美ちゃんを診てあげて欲しい。出血が止まらないし、私よりもずっと重傷だ」


 真奈美ちゃんを背負っていた警察官は、一つだけ空いていたベッドに彼女を下ろすと、そそくさと退室していく。

 慌ただしい態度だが、警察署の外は、まだ予断を許さない状況だ。彼にも仕事がある以上、あまり長居は出来ないに違いない。

 銃撃された真奈美ちゃんの負傷は、医務室内の負傷者の誰よりも重傷だ。二人の医者の先生達もそれは分かっているようで、さっそく年配の医師の方が彼女の上着を脱がせ、手当てを始めてくれた。


「いだぁっ! いだだだぁっ!!」


 消毒液が傷口に染みるのか、顔を苦痛に歪める、真奈美ちゃん。私の方はというと疲労こそ蓄積しているものの、目立った外傷はない。せいぜい打撲程度だ。

 だから、室内の丸椅子に腰を下ろし、父がやって来るのを待った。響子と一緒に。


「いよいよ対面できるわね、鳳来丈一と。あの男は父を陥れた元凶、言ってやりたいことは多いわ。けど、娘である貴方の前だものね、節度は弁えるつもりよ」


「いいや、私に遠慮はしないで欲しい、響子。あいつが本当に君の言った通り、君の父親に冤罪を被せたっていうなら、許されない権力の乱用だ。むしろ、私の方がぶん殴ってやりたいくらいだよ」


 響子がこちらを見て、優しげに微笑む。そして私に言った。


「あの男に復讐を果たすのは、私のずっと悲願だった。けど、今は優先順位が違うの。私は何があっても、貴方の利益と幸せを優先する。そのためだったら、きっとこの恨みを忘れることも出来ると思うわ。だから、貴方も信じて、私を」


「響子……。ああ、約束する。絶対に信じるよ、君を」


 私達は、しばしの間、見つめ合う。こんな状況……いや、こんな時だからこそ、響子のことが、いつも以上に愛おしく思えた。

 周りに人が大勢いなければ、このまま抱き締めたい所だ。そんな時、医務室の扉が開き、視線を向けると、待ちに待ったあの男が姿を現した。

 警察の制服に身を包み、セットされた髪には白髪が混ざり始めている。そして久しぶりの娘との対面だというのに、表情は相変わらずの仏頂面だ。


「さっきは手間を取らせてすまなかったな、恵。しかし、今は非常時だと言っていい。そのせいで部下達も気が立っているんだ。彼女へのあの誤射も仕方がないといえば、仕方がなかったかもしれん」


「久しぶりに直接、会っていう言葉がそれかよ、父さん。仕方がないだってっ? 一般人相手に銃を発砲しておいて何なんだよ、その言い草はっ!?」


 言い訳がましい父の弁解に私はむかっ腹が立って、丸椅子から立ち上がる。気付けば、父の胸倉を掴み上げて思わず怒鳴っていた。

 そのまま殴りかかろうとしたが、記憶にある父より老けた姿を見て躊躇する。

 しかし、そんな父に右腕を掴まれた途端、私の身体は足元からバランスを崩す。次の瞬間には、膝を突いて床に転倒していた。


「あっ……うぁっ!」


 合気道。父が十八番としている武道だ。それも凄まじく熟練している。

 どちらかというと力押しで戦うことを好む私とは、すこぶる相性が悪い技術。思えば、私は一度としてこの男に勝ったことがないのを改めて思い出す。

 しかし、それでも私は精一杯の反抗の意思を込めた目で、床に尻をつけたまま父の顔を見上げた。


「まだまだだな、恵。そのままでいい、聞け。鷹羽真彦のことを嗅ぎ回っていたようだが、あいつのことは忘れろ。そこにいる奴の娘とも金輪際、関わるな」


「……響子のことまで侮辱するのかっ? あんたに何が分かるっていうんだ!? 彼女はな、私に探偵という道を指し示してくれた恩人なんだ。今じゃ血の繋がりがあるだけのあんたの言葉なんかよりも、彼女の方がずっと信用できるんだよ!」


 どこまでも私の神経を逆なでする言葉を吐く父に、私の怒りは収まらなかった。しかし、力ならまだしも技では、私では父には遠く及ばない。

 ここで戦いを挑んだとしても、返り討ちにあうが関の山だろう。だからといって、こんな無礼な男に屈するのは許せなかった。

 身を起こし、私は父の顔を真正面から睨み付ける。しばしの間、緊迫した睨み合いが続いたが、先に折れたのは父の方だった。


「今はお前と喧嘩をしている暇はない。医師の先生に手当てをしてもらって、ここで安静にしていろ。私には部下達の音頭をとって、この事態に対処する職務がある」


 そう言って踵を返し、父は部屋から出ていこうとする。


「ふざけるなっ、まだ話は終わってないぞ。こっちを向けよっ!」


 すぐにその肩へ掴みかかろうとしたが、そんな私の行動は遮られた。抱かれていた響子の腕から飛び出し、立ちはだかるようにこちらを睨む、黒猫によって。

 黒猫は今まで私に懐いていたのが嘘のように、全身の毛を逆立たせている。


「……お、お前まで、そんな奴の肩を持つのか?」


 狼狽える私。父はそんな私を、見下げ果てた者であるかのように見ている。

 わなわなと肩を震わせて立ち尽くしていた、そんな私に手を差し伸べてくれたのは、いつものように響子だった。

 丸椅子から腰を上げた彼女は、私と父の間に割って入ってくれたのだ。私が荒事以外で困った時、助け舟を出してくれたのは、これで何度目だろう。


「鳳来丈一。貴方と直接、会うのは今日が初めてよね。すでにご存じみたいだけど、私が鷹羽響子。貴方がでっち上げた冤罪で指名手配した、鷹羽真彦の娘よ。ずっと貴方と面と向かって話せる機会を待っていたわ」


「ああ、私に言いたい恨みつらみはあるんだろうな。だがな、お前は自分の父親が何を仕出かしたか、分かっているのか。外の様子を見てみろ、この大惨事を引き起こした元凶はあの男なんだぞ」


「だったら、貴方は自分に一切の非がないとでも言うつもりかしらね?」


 父の言い分を聞いても、響子は譲らない。ここぞとばかりに、言い返す。その声色からは、余裕すら感じられた。

 彼女は、ポケットから何かを取り出す。それは数枚のしわくちゃになった、見覚えのある数枚の用紙だ。私にはそれが何なのか、すぐに分かった。


「貴方もこれのことは、よくご存じよね。貴方や父が呪術の本場、アフリカで呪術師から教わった呪術を綴ったオカルト稀覯本から破り取られたページよ。父が密かに県立図書館に寄贈していたこれが、巡り巡って私の手元にやってきた。いえ、きっと父がそう導いてくれたんでしょうね」


「……まだそんな物が残っていたのかっ。思えば始まりは、真彦の奴がよからぬことにその呪術を使い始めたのが発端だった。そんな物があるから、過去の亡霊は蘇ったのだっ……。それを私に渡せ! すぐにでも、この手で焼却処分にしてやる!」


 響子が手にしたオカルト稀覯本のページの一部。それを見て、父が何かを思い出したように、静かに激昂しているのが分かった。

 あの本が父にとって、触れられたくない過去の遺物であるのは明らかだ。

 父を倒すのは、私では無理かもしれない。だが、もしかしたらあの用紙があれば、父の企みを打ち崩す切り札になるのでは。私の中で、そんな淡い期待が湧いた。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、響子は強気の姿勢で話し続ける。


「いいえ、貴方にとってもこの数枚のページは価値のあるものよ。恵ちゃんから受け取った用紙十数枚の大部分は、ただ最後の数枚に書かれた呪術の効果と仕組みを説明しているものだったわ。真に意味のあるものは、この最後の数枚。これにはこのパンデミックの状況を止める力を秘めているのよ」


「何だと、まさか……っ。解呪の法を記したものか!? だが、お前はそれを都合の良いものだと勘違いしているのかもしれんが、そんな単純なものではない。早く渡せ、それを! その解呪の法は私が正しく使ってやらなくては、何の解決にもならんのだっ!」


 痺れを切らした父が、いよいよ響子に手を伸ばして掴みかかる。それを目の当たりにした私も、ついに理性が吹っ飛んだ。

 父の服の袖だけを掴み、単純な膂力で以って背負い、投げつける。驚くほど、すんなり上手くいった……と思った、矢先。

 投げられる最中において、父の掌打が私の右肩を打ちつけていた。骨が軋んだ音が聞こえた程の激痛。

 痛みのあまり私は顔を歪め、掴んでいた袖を手放す。父が床で受け身を取る中、私の右腕はだらりと垂れ下がった。

 骨にダメージがいった、感触だ。しかし、恐らくこれでも手加減されている。

 そんな力の差を見せつけられても、私の闘志は消えていなかった。私は叫び、叫んだことで痛みを誤魔化し、父に猛攻を仕掛けていった。


「落ち着け、恵! 今はお前と争っている場合ではないっ!」


「黙れよっ……! あんたが父親だろうと! 響子に手を上げる奴はなっ、誰だろうと私が倒してやるって決めてるんだっ!」


 私はポケットからスタンガンを、一つだけ取り出す。僅かにでも命中すれば、電撃で身体を硬直させることができる。

 しかし、当然父のことだ。余裕で防いでくるだろうが、私が二つ目のスタンガンを隠し持っていることは知らないはず。そこに勝機を見出す二段構えの作戦だ。

 だから、このまま真っ直ぐに飛びかかり、まずは一撃目を仕掛ける。

 室内では医師や負傷した警察官達が、私達の突然の親子喧嘩に面食らっていた。ただし、唯一、真奈美ちゃんだけがこちらに向かって声援を送ってくれている。


「やっちゃいなよ、お姉さんっ。私も応援するからさぁ!」


「お、おおおあああっ!!」


 私の右手での攻撃を、父はやはり軽々と左腕で捌いてきた。このまま父の虚をつき、二つ目のスタンガンを喰らわせる。

 そう思ってポケットに左手を突っ込んだ時、私は動きを止めた。

 響子の姿が、医務室のどこにも見当たらなかったからだ。私はきょろきょろと周りを見回したものの、やはりどこにもいなかった。

 父との戦いに気を取られている内に、どこかに出て行ったのだろうか。だが、何のために……?


「響子……? どこだ、どこへ行ったんだ?」


 心配のあまりしばしの間、戦意を挫かれ、放心状態で私は立ち尽くす。そこへ一人の警察官が慌てた様子で医務室に駆け込んできた。


「署長、大変です! さっきの一般人の女性が正面玄関のバリケードを破壊して、暴徒達の署内への侵入の手引きを!」


「何だとっ!? 侵入を許したのか? 被害はどれくらいだっ!?」


「せ、堰を切ったように雪崩れ込まれ、現在、署内で防戦対応の最中です! しかし、とにかく数が多く、被害は拡大しつつあります。ここにも暴徒達が、いつやって来るか分かりません!」


 報告を聞くなり、父はがくりと肩を落とす。今の報告が確かなら、この警察署ももう安全地帯ではなくなったのだから、当然か。

 だが、父もそう易々と白旗を上げる気はないようだった。私の腕を掴み、強引に医務室の外に連れ出そうとする。


「来い、恵っ。この危機的状況を覆すには、あの女が持ってるページに書かれた解呪の法を使う以外にない。不本意だが、やむを得ないようだからな……。だから、まずはあの女を捜す。お前も手伝うんだ」


「散々、響子を侮辱しておいて、私に協力しろっていうのか!? 私はあんたなんか信じられないっ。娘なのに、あんたのことが分からないんだ……。私はチェーンメール事件に、あんたが関わっていることを疑ってる。違うのか? 一体、あんたは何をしようとしているんだよ?」


 父は何も答えない。だが、腕を引っ張るのをやめ、私達は面と向かって立った。

 父の表情には、さっきまでの怒りや動揺はない。そしてややあってから、閉ざしていた口を開いた。


「いいか、恵。お前が聞きたいことは、後ですべて話す。だから、今は何も言わずに従ってくれ。今、解呪の法を使わなければ、ここにも暴徒達はやってくる。そうなれば、負傷したお前の友人も死ぬんだぞ。それを分かって欲しい、恵」


 父の言い分は、確かに理に適っている。反抗心で冷静さを欠いている私にも、それぐらいは理解できた。だから、渋々ながら私は折れる。父に従うことに。


「……くそっ、真奈美ちゃんのことを出すなんて、ズルいじゃないか。それを言われたら、私は従う他ないよ……。ああ、分かった。分かったよっ。今は従ってやる。響子はまだ警察署内にいると思う。外に出ていくのは、自殺行為だからね」


「聞き分けてくれて助かる。では、行くが……くれぐれも気を付けるんだぞ、恵。この医務室の外は、すでに戦場だろうからな。今だけは私を信頼してくれ。切り抜けるには、お前の協力が必要不可欠だ」


「ああ、強さだけなら、誰よりも信じてるよ。あんたのことは」


 私はこくりと頷き、父と共に医務室を出た。扉には内側から厳重に鍵をかけ、決して開けないよう、中にいる医師達に念を押した上で。

 一歩外に出ると、緊迫した状況が肌で伝わってきた。怒号が聞こえてくる。やがてそれは悲鳴へと変わり、事態は刻一刻と悪化してきているのが分かった。

 足元を見ると、あの黒猫が私にすり寄ってきている。迷ったが、部屋に戻すことはしなかった。この子は自分の守り神だという、これまでの経緯を信じたのだ。

 そんな時、暴徒達の中の三人が私達を視認し、こちらに猛然と走ってくる。私は父と共に迎え撃つべく、構えを取った。


「はあっ!!」「だああっ!!」


 私のローキックが、暴徒一人の足に命中。バランスが崩れて床に頭から転倒した所を、父が右足で頭部を強く踏み付ける。

 ぐしゃりと顔面が潰れる音がした。ただし、殺さないよう手加減をしたのか、まだ辛うじて息はあるようだ。

 だが、仲間がやられても尚、戦意が衰えない残る暴徒の二人。そいつらも歯を剥き出しにして、私達に躍りかかってくる。

 私は一方の暴徒の顔面を鷲掴みにして壁に叩き付け、父はもう一方を右手で腕を掴むと、合気で足元から崩し、顎を蹴り上げて意識を飛ばす。


「走れ、恵! まとまった数の連中が来ない内に、あの女を見つけ出すんだっ!」


「ああ、あんたに言われるまでもないねっ!」


 廊下を全速力で走り抜けていく、私と父。そして黒猫も離れずについてくる。

 廊下には、何人もの警察官達が力尽きて倒れていた。大惨事だ。生き残っている警察官は後、どれだけいるのだろうか。

 そんな不安を頭から押し出し、私は戦いに専念する。奴らと出会い頭に殴り倒し、蹴り倒し、強引に廊下を突っ切っていった。

 さっき私達が入ってきた正面玄関に辿り着くと、そこは更に酷い有様だった。倒れ伏す、血だらけで瀕死、もしくは息絶えた警察官達。

 バリケードとしてあった机や椅子がよけられ、外の景色が見えている。さっき聞いた通り、響子がやったのだろうか。

 けど、何のために彼女は、そんなことをする必要があったのだろう。私がその動機を考えていた時、近くから呻き声が聞こえた。

 その方向に目をやると、警察官がうつ伏せのままこちらに手を伸ばしていた。


「う、あ……しょ、署長。あの女が階段を上がって、上階に……。屋上で……待っているから、そう伝えてくれ、と……」


 父が腰を屈めて、近くに倒れていた警察官に話しかける。まだ息はあるようだが、床に流れているあの出血量。恐らく、そう長くは持たないだろう。


「……そうか。よく戦い、よく報告してくれたな。後は私達に任せて、少し休め。お前が残してくれた情報は、残った私達が有効に活用してみせよう」


「……そう言って……くださると、報われます。……後のことは、頼みました……署、長……」


 そう言い残して、警察官は眠るように目を瞑り、動かなくなった。それを目の当たりにして、父がどこか悲しげな顔をしたのは、気のせいなんかじゃない。

 他人に……いや、実の娘にさえ無関心だと思っていた父が、部下の死に悲しむ素振りを……。それも部下が死に際に遺言を託す程に、信頼関係が築けているのだ。

 私はこれまで知らなかった父の別の一面を、初めて垣間見た気がした。父は彼の最期を看取ってから、立ち上がる。そして吹き抜けになっている、二階を見上げた。


「二階にも奴らが相当、入り込んでいるようだな。ついて来い、恵」


「ああ……。けど、あんたこそ、無理はするなよ。私の気のせいか、顔色が少し悪く見えるぞ。らしくない、もう息が上がったなんて言わないよな?」


「昔、やらかしたせいでな。身体面で大きなハンデを背負うことになった。だが、短時間限定で戦うなら、強さの天井は落としたつもりはない。いらん心配はするな」


 父はそう言うと、私に目配せして正面玄関前のメインホールを奥に走り出す。すぐに私も、その後ろ姿を追った。

 持病があるのか知らないが、万全ではないにもかかわらず、あの強さ。私も鍛錬を欠かしたことはないし、差は縮まったかと思っていたが、とんだ思い上がりだった。

 私が父を超えるのは、どんなに少なく見積もったとしても後、十年はかかるだろう。しかし、不思議と悔しさは感じなかった。

 もし他人なら屈辱だったかもしれないが、これも血の繋がる親子故だろうか。父の鍛え上げられた強さには、素直に尊敬の念を抱けた。


「真彦の娘が屋上で何をやらかす気なのか分からん以上、まごついている訳にはいかん。立ち塞がる連中は、全員速攻で蹴散らしていく。私に遅れるなよ、恵っ!」


「真彦の娘じゃない! 彼女は、鷹羽響子だ! いい加減に名前で呼べよ、父さんっ!」


 言葉を交わしながらも私達は手と足を動かし、襲い来る暴徒を殴り蹴り、メインホール奥の階段から二階へ駆け上がった。

 そんな私達を案内しているかのように、黒猫は前方を先んじて走っている。そしてある地点で立ち止まり、こちらを振り返った。

 屋上まで直通しているこの螺旋階段は、一階からでも見えていた。今上がってきた階段と目と鼻の先にある、この螺旋階段の真上が目指す場所なのだ。

 見上げれば、頭上にガラス張りの扉がもう見えている。そこまで階段を上がりきれば、本当に響子がいるのだろうか。

 私達は時間を惜しんで、螺旋階段を駆け上がっていく。途中にいた邪魔立てする暴徒は、階下に蹴り落とし、ついに私達は屋上への扉を思いっきり、開け放った。

 すると、そこにいたのは、紛れもなく……っ。


「きょ、響子っ!」


 こちらに背を向けていた彼女は、響子だ。私の呼びかけに反応して、振り返る。

 彼女の左手には、あのオカルト稀覯本から破り取られたページ。そしてどこから奪ってきたのか、右手には拳銃が握られていた。

 空には依然変わることなく、漆黒の悪意が渦巻き、黒雪が降り続けている悪天候。

 背後の扉は父が鍵をかけて閉めたが、どんどんと激しく叩かれている。どうやら暴徒達が、破ろうとして押し寄せてきているらしかった。


「あらら、遅かったわね、恵ちゃん。それに鳳来丈一、待っていたわよ」


 私の後ろに立つ、父に向かって拳銃を突き付ける、響子。しかし、黒い感情に支配されている訳じゃない。

 これは彼女自身の意思だ。彼女は明確な殺意を持って、父に銃口を向けていた。この光景を見たことで、私は悟ってしまう。

 今日、この場で父か響子か。いずれかが命を落とすことになるだろう、と。

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