第六章

第六章 天秤にかけられる運命その一

 やはりバイクは良い。停車した車や暴徒、障害物を巧みに躱し、一速ギアから二速ギアへ。更に三速にシフトアップしながら、私は思う。

 車と違って、小回りが利く。だから、歩道だろうと車道だろうと、邪魔な者や物を避けながら前へ前へと進むことが可能だ。

 前方を私と響子が相乗りするバイクが走り、後方からは真奈美ちゃんが駆るバイクが追ってきている。


「邪魔だ、邪魔だっ。どいてなよ、暴徒さん達っ!」


 私達は、歩道や車道を行き来し、二台のバイクで疾走していく。

 一時間以上のドライブの末、さっきからすでにオフィス街に入っている。父が署長を務める警察署は、この街の一等地だ。

 私達は神経を研ぎ澄まし、休むことなく目的地までの危険な道を走行していた。

 日が暮れ始めるまでは、まだ間がある。空が明るい内に到着できればと考えていたが、そんな時、響子が抱えていた黒猫が鳴き声を上げた。にゃあにゃあ、と。


「あらら、この子……甘えてるのかしら? 貴方にずいぶん懐いてるみたいね」


「そりゃあ、私とその子は出会って間もないけど、餌付けしてるからかな。猫ってそういうもんだろ」


 私の背中と黒猫の柔らかく小柄な身体が、触れあっている。今は和める状況じゃないが、ほんの少しだけ気分が安らぐ。

 この黒猫がただの猫じゃないのは、薄々気付いている。しかし、私に危害を加えようとしている様子もないため、正体を探ってみるのは後回しになっていた。

 が、懐いてくれているこの子を調べるなんて、無粋な話。今はこの災厄が終わったら、もっとスキンシップをしてみるのも悪くないかもしれないなと、ただそう思った。


「そのためにも、生き延びなきゃな。三人と一匹、誰一人欠けることなく」


 交差点の近くに見える、ガードレール。私は二百キログラムを優に越えていそうなバイクを走行中にジャンプさせ、それを軽々と飛び越えていった。

 教習所で試しにやったら成功し、修得した技術だ。道路から歩道に移った後も、速度を落とさずに暴徒達の群れを抜けていく。

 勿論、私は本気でバイクのテクニックを駆使しているつもりだ。しかし、恐るべきことに後ろを走る真奈美ちゃんも、同様のテクを披露。易々とついてきている。

 彼女は私に出来ることなら何でもできるのかと、素直に感嘆した。


「さすがだな、真奈美ちゃんは。なら、このままスピードを上げていっても問題なさそうか。飛ばすから、掴まっててくれ、響子っ」


「私なら心配ないわ。それよりも張り合うなら、あの子には絶対に負けちゃ駄目だからね、恵ちゃん。それだけ約束してくれればいいわ」


「ああ、勿論だっ。じゃあ、かっ飛ばすから!」


 私はバイクを、より加速させた。そして前方から押し迫ってくる暴徒達を、ジグザグの動きで、掻き分け進んでいく。

 今度は歩道から幅の狭い脇道に入っていくと、道を塞いでいた暴徒を飛び越える。

 そこからひたすらに前進していくそんな私のすぐ真後ろを、真奈美ちゃんはぴったりと追い縋ってきていた。

 張り合い甲斐がある。そう思えた私も、やはり負けず嫌いな性格だなと自嘲する。


「お姉さんさぁっ。受けて立つよ、その挑戦!」


「来るか、真奈美ちゃんっ」


 今度は真奈美ちゃんが、勝負を仕掛けてきた。狭い脇道を飛ばす私の真横を、真奈美ちゃんが駆るバイクが並び、スピードを競い合う。

 抜かれ、抜き返されながら、やがて走り続けていた脇道を飛び出す、私達。その先で待っていたのは、暴徒達……などではなかった。

 地面から吹き出す、闇色の感情。それらが勢いを持ち、竜巻となって猛威を振るっていたのだ。咄嗟に私達は急ブレーキをかけ、バイクを停車させる。

 さながら自然災害だ。しかし、あれを突破しないと警察署まで辿り着けない。

 その上、迂回している時間的猶予があるのかも分からないのだ。あの闇色は他の二人には見えていないだろうが、この暴風は感じ取れているはず。

 私はこのまま突っ切る覚悟を決める。横を走る真奈美ちゃんを見やれば、彼女も同様のようだった。


「最後の障害みたいだね。私は行くけど、準備はいい? だけどさ、私に負ける気なんてないよ、お姉さんっ」


「ああ、私だって同じだ。遅れずについてきなよ、真奈美ちゃん!」


 隣り合う私と真奈美ちゃんのバイクは、一斉にスタートダッシュした。行く手を遮ろうとするように、激しく吹きつける竜巻の中に揃って飛び込む。

 しかし、そこはただ風が強く吹き荒れる、竜巻の内部なんかじゃなかった。負の感情が怨嗟の声となって鼓膜の奥にまで響き、精神をすり減らさせる。

 気を抜けば、すぐにでも意識が飲み込まれて卒倒しかねない。さっきまでの暴徒達による物理的な攻撃の方が、まだ気が楽だったくらいだ。

 バーハンドルを握り締め、自分を強く保つことで抗い、私はバイクを駆り続けた。

 前方、闇色に渦巻く竜巻内部に無数の顔のようなものが見える。更に地面からは、わらわらと無数の漆黒の手が這い出てきていた。


「邪魔をするな、警察署はもう目と鼻の先っ。この最後の障害、お前らさえ乗り越えれば、もう到着できるんだ……っ!」


 ひたすら走り抜けることで、私達はそれらの障害を回避していく。

 そして腕時計を確認すると、襲いくる悪意の渦を進み続けること、数分間。体感時間では時の進みが遅く感じ、数十分は走り続けていた気さえした。

 しかし、やがてそれも終わりを迎え、闇色の竜巻を通り抜けた先。道路を徘徊する暴徒達の向こう側に警察署が目に入った。

 だが、暴徒の群れは私達には目もくれず、警察署に群がっている。それも闇雲に動いているのではなく、統一された意思で行動しているように見えた。

 警察署一階の窓という窓には板でバリケードがされ、入り口の閉じられた両開き扉には暴徒達が押し寄せている。

 更にはここからでも連続して聞こえてくる、拳銃による銃声。今まさにあそこでは防衛戦が行われているようだった。


「父さん、今行くっ。あんたが何を仕出かしたのか、聞かせてもらうからなっ」


「どうやら呪いの親玉は、あの警察署がお目当てってことみたいだねっ。じゃあ、私が先に行くよ、お姉さんっ!」


 目的場所が見えたことで、私はより慎重にバイクを進める。そんな私を嘲笑うように、真奈美ちゃんは私の隣を追い抜いて、バイクを走らせていった。


「先に行くのは構わないが、気を付けるんだぞ、真奈美ちゃんっ。呪いの担い手の目的が警察署だっていうなら、今まで以上に何が起きるか分からないからなっ!」


「あらら、行っちゃったわね、あの子。命知らずだけど、あのナイフみたいな切れ味の鋭い、無鉄砲さが彼女の強さの秘密なんでしょうね」


 響子が、私の後ろから話しかけてくる。真奈美ちゃんに追い越されてしまったが、それを責めるような口調じゃなかった。


「すまない、響子。君との約束は反故だな。彼女に先を行かれちゃったよ」


「いいのよ、恵ちゃん。私達の目的は警察署で、貴方の父親から話を聞き出すことよ。それ以上に優先すべきことはないわ」


 さっきの私の呼びかけが、聞こえたのか聞こえなかったのか。真奈美ちゃんは、返事を返さなかった。癪だが、ここは彼女に勝ちを譲ることに決める。

 みるみる私達の距離差は開いていき、とうとう彼女が乗るバイクは警察署の入り口近くで群がる暴徒達に突っ込んだ。

 あっという間に取り囲まれる、真奈美ちゃん。ここで初めて暴徒は、真奈美ちゃんに意識が向いたようだった。バイクを乗り捨てて、地面に降り立った彼女に、我先にと攻撃対象として襲い掛かっていく。

 奴らは真奈美ちゃんの肩を、足を掴み、力任せに押し倒そうとする。だが、それらを彼女は、逆に力で押し返していった。頭を掴んで地面に叩き付け、華麗な回し蹴りを放っては側頭部を蹴り飛ばし、邪魔者を蹴散らす。

 そうして彼女は、入り口までの道を切り開いていった。


「さすがだな、真奈美ちゃん。君が一緒だったお陰で、手間が省けたよ」


 遅れて私も警察署前に辿り着き、けたたましい音を立ててバイクを停車させる。そのままそこにバイクは捨て、黒猫を抱えた響子を下がらせる。

 そして私は、先に戦っていた真奈美ちゃんに後ろから駆け寄った。警察署前の暴徒達は、あらかた片付いてきている。

 しかし、振り返れば、背後からはかなりの数の新手が迫ってきていた。警察署内に入れるチャンスは、今しかない。

 私は大声で中に立て籠もっているであろう、警察官達に呼びかけた。


「私の名は鳳来恵っ! この署の警察署長を務める父の鳳来丈一に、話があって会いにやってきた! 頼む、私達を中に入れて欲しいっ!」


 しばしの間。返事は返ってこない。だが、やがて二階の窓が開き、見覚えのある懐かしい人物が顔を出す。

 その男は鳳来丈一、紛れもなく父の姿だった。久しぶりに見る父は、少し老けたように見えるが、過労が祟っているのだろうか。


「やっと来たのか、恵。ずいぶん待ったんだぞ。今、入り口のバリケードをどかしてやるから、早く入ってこい」


 父は眼下の私達に向かって、そう言ってくれた。しかし、父の後ろでは警察署員達が大声で反対しているのが聞こえてくる。

 危険が及ぶから、バリケードはどかす訳にはいかないと。やがて父と警察職員達は言い争いになり、その間にも暴徒達は次々と数を増やして、襲い掛かってくる。

 やむなく私達は身を守るために、警察署の正面入り口を背にして、迎え撃った。

 後ろには、非戦闘員の響子と黒猫がいる。そんな彼女達の元まで、一人たりとも向かわせないように、行く手を遮りながら私達は戦った。


「何やってるんだ、父さんはっ。私達がこいつら同様に暴徒の一員じゃないか疑って、警察署内でも意見が割れてるってことか!」


「このままじゃ埒が明かないね。まあ、売られた喧嘩は全部買うけどさぁ!」


 真奈美ちゃんは護身用として所持していた、ナイフを取り出す。ただ操られてるだけの暴徒達を、いよいよ殺す気かと思ったが、違った。

 急所は避けて、太腿や足の腱を的確に狙い、移動力を低下させている。これまで通り不殺を貫き、無力化させていっているのだ。

 私が倒した連中と、彼女が倒した連中。次第に暴徒達の身体が、地面の上に何体も積み重なっていく。肉の山、生かされたままの奴らは、呻き声を上げ続けている。


「当たり前でしょ、お姉さん。これでも私、警察官を目指してるんだし、無闇やたらと殺すなんてする訳ないじゃん。それも警察官達が見てる前でさぁ!」


 考えていたことが私の顔に出ていたのか、真奈美ちゃんはそう答える。それに対し、私は微笑みを以って返した。


「叶えたい夢のために、ちゃんと筋は通すってことか。君のそういう所は尊敬できるよ、真奈美ちゃん!」


 机などのバリケードで塞がれた警察署の入り口を背に、私達は拳を、スタンガンを、ナイフを一心不乱に振るい続けた。

 しかし、ここ最近、毎日のように激しく戦い続けてきた後遺症だろうか。身体の節々に、鈍い痛みと疲労が蓄積してきている。

 このままだと体力が持たない、それが現実を受け止めた私の正直な感想だった。

 私も真奈美ちゃんも体力が無尽蔵ではない以上、いずれ追い詰められてしまう。そんな未来を予想して、私は戦いながら背後の二階窓を、ちらりと振り返る。


(何やってるんだ、クソ親父。お望み通り来てやったじゃないか。この調子じゃ、私はともかく響子まで犠牲になる……。どかしてくれ、早くバリケードをっ)


 私の心の叫びも空しく、二階では父達の意見が分かれて揉めている様子だ。隣を見れば、真奈美ちゃんもいよいよ肩で息をつき始めている。

 もうあまり猶予がない。そう思っていたのは、私だけじゃなかったようだ。真奈美ちゃんが警察署入り口の両開き扉に走り寄ると、内部に向かって叫び出す。


「ねえ、警察の人達っ! 私達は暴徒なんかじゃないから、そろそろ入れてくんないかなぁ! もし無理だっていうなら、力ずくでも入らせてもらうからさ!」


 言うなり真奈美ちゃんは、地面を強く踏み締め、疾走。そのまま踏み込んだ勢いを乗せた右足で、ガラス製の両扉を蹴り割った。

 耳を劈く音が響き、ガラス片がバラバラと散らばっていく。そして扉の向こうで積まれた執務机や丸椅子などを押し退けようと、彼女は両手を伸ばす。

 ――それとほぼ同時のことだった。一発の銃声が、辺りに木霊したのは……。

 一瞬、警察官が暴徒に対して、発砲したのかと思った。しかし、違っていた。

 飛び散る、血飛沫。その後に私の目の前で、背中から崩れ落ちていくのは、他でもない真奈美ちゃんだったのだから。


「あっ……あうあああっ……うあぁぁっ!」


 仰向けのまま、悲痛な表情で叫び声を上げる真奈美ちゃん。どうやら右肩を撃ち抜かれたらしい。彼女が被弾し、戦闘不能になったことで、この場の均衡が崩れた。

 この機に乗じて畳みかけるように飛びかかってくる、暴徒達。

 途端に、私は防戦一方になった。真奈美ちゃんと響子の二人を守りながら戦うには、相手は数が多すぎたのだ。

 そんな劣勢に陥っていた時、響子が腕に抱き抱えていたあの黒猫が飛び出し、私達の前に躍り出た。

 黒猫は、暴徒達に威嚇するような鳴き声を上げる。すると、信じがたいことに奴らの動きが鈍り、硬直したのだ。


「助かったわね。まるで暴徒達は、あの子を恐れているみたいだわ。それに私達を……いえ、特に貴方のことを助けようとしてるみたいよ、恵ちゃん」


「だとしたら、ありがたい話だね。お陰で今、命拾いしているし、命の恩人だな。けど、そんなことよりも……何やってるんだよ、クソ親父っ! お前らの判断ミスのせいで彼女は撃たれたんだぞっ!」


 私は警察署の二階を見上げて、父に対し、怒鳴り声を上げた。

 それに呼応するように、いよいよ入り口の両開き扉奥に設置されたバリケードはどかされていき、警察職員達が姿を現す。


「彼女を抱えて早く署内に入れ、恵っ! 確かに今の誤射は部下の失態、ひいては署長である私の責任だ。手当てをしなくては命に関わるぞ、暴徒共が怯んでいる今の内にな!」


 二階の窓から顔を覗かせる父の命令で、やっと警察署内に入ることが許された。私は真奈美ちゃんを背負って、響子と共に署内に逃げ込む。

 背後を振り返ってみると、あの黒猫はまだ暴徒達に威嚇をしていた。ことあるごとに現れるあの猫が何なのか、多くの謎がある。

 しかし、今はあの子への感謝と、父への怒り。そして窮地を脱した安堵感で、疑問の数々は頭の片隅へと追い込まれてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る