第三章 広がりゆく、呪いの負債その三

 真奈美ちゃんの自宅がある、M市のベッドタウン。黒猫に案内されて辿り着いた一軒家もまた、その街並みの中にあった。

 日本風の瓦屋根をした、和のイメージが強い古びた平屋。庭はないが、純和風の住まいの雰囲気には威厳があり、上品な雰囲気を醸し出している。

 そんな印象を受ける家だった。しかし、家の玄関に張られた表札に書かれた名前を見た途端、私は思わず目を見開く。

 なぜなら、そこに記されていたのは――鷹羽真彦。響子の父親の名前だったのだから。


「家主の名前が、鷹羽真彦ってことは……もしかすると、響子の実家か?」


 黒猫は、そんな鷹羽家玄関の扉前で鳴き続けている。まるで中に入って調べろとでも、訴えているかのように。

 一連の事件の手掛かりを求めて辿り着いた場所が、響子の実家。この家に事件解決の取っ掛かりがあるとしたら、響子達が関わっている可能性を示唆している。

 だとしたら、私はこのまま真相を突き止めていいのだろうか。ほんの数十秒の間、躊躇したが、やがて意を決した私は、玄関の扉に手をかけた。

 不用心にも、鍵はかかっていなかった。いや、よく見れば壊された形跡がある。不審に思いながらも私は横開き扉を開き、玄関内へと立ち入った。

 それを見計らって、黒猫も一緒に家の中に入ってきて、またも案内役として私の先頭を歩き出す。


「ふみゃ~~……っ!」


「お前、私をどこに連れて行きたいんだい?」


 闇色を身に纏う黒猫は、一本道の廊下を走り抜ける。そして一階最奥のふすまで仕切られた部屋の前で立ち止まった。開けろと催促しているのは、明らかだ。

 私はその求めに応じて、ふすまを開いてやる。だが、そこにあった光景を見た瞬間、私の身体は反射的に硬直し、はっと息を呑んだ。

 一見すると、大きな木製本棚が三つ壁に並んだ何の変哲もない生活空間。しかし、確かにこの部屋は、以前に見た覚えがある。私の脳裏を、その記憶がフラッシュバックした。


「そうだ……確かこの部屋は、最近、夢で見た。父が私に暴力を振るい、儀式をしていた場所で間違いない。でも、どうして……」


 この家の主である鷹羽真彦は、警察に嫌疑をかけられ逃走中だ。でも、なぜ父が彼の家の中で私に執拗な暴行をして、怪しげな儀式を行っていたのか。

 ただの夢で済ませていい問題ではないように思える。父が事件に関与している可能性もあるのだろうか。あの警察の仕事に人生を捧げている父が……?

 確かめてみる必要がある。すぐに父に電話をかけて事の真実を問い質さなくては……そう判断し、スマートフォンを取り出した時。

 黒猫が口に何か紙の束を咥えて、私の足元にすり寄っていた。咥えているのは、破り取られた本の十数ページ程の用紙のように見える。

 私はその用紙を手に取ってさらっと見てみると、最初の一枚目には本の題名が書かれているようだった。

 オカルト稀覯本初刊というのが、この用紙がついていた本の名称らしい。私はすぐに他の用紙にも、目を通していく。

 確実なのは、これがオカルト本から破り取られたページの一部だということ。それだけは描かれた不気味な図案を見ただけで、一目瞭然だった。


「題名が、オカルト稀覯本だって? もしかしたら、これが由奈ちゃんの言っていた県立図書館で借りたっていう本の……」


 だとしたら、大きな収穫だ。しかし、私はもっとよく調べたい気持ちを抑えながら、家出をしてから一度もかけていなかった父の電話番号をスマートフォンで入力する。

 正直な所、電話とはいえ、父と話をするのはあまり乗り気にはなれない。

 だが、どうしても真っ先に知っておきたかった、父の真意を。ただの女の勘だが、父がチェーンメール事件と何らかの形で繋がっているのではないか。私の中で、そんな疑念が大きくなっていたのだから。

 数回のコール音の後、向こうは電話を取ってくれた。そして久しぶりに聞く、父の声が返ってくる。相変わらず、私を責めるような厳しい声音だ。


『恵か。お前、今までどこをほつき歩いていた? 高校までやめてしまって、将来はどうするつもりなんだ』


「ええと、父さん。実は私、私立探偵を始めたんだ。客はまだあまり来ないけど、何とかやっていけてるよ。助けてくれる恩人もいることだしね」


『探偵? 自分で納得しているなら、お前の好きにすればいいがな。それで今日はどんな用件で連絡してきた? 家出したお前がわざわざかけてくるくらいだから、抜き差しならない事情を抱えているんじゃないのか?』


 さすが父だ、鋭いと思った。だが、父の方から理由を聞いてきてくれたのは、手間が省けて都合がいい。私は前置きをすることなく、本題を切り出した。


「私は今、鷹羽真彦の自宅にいるんだ。もしかしたら、父さんもこの家に来たことがあるんじゃないかな? たとえば怪しげな儀式を行っていた、とか」


『……っ!? 知らんな、そもそもあの男は指名手配犯だ! 警察官としての守秘義務があるから何も教えることは出来ん。探偵となったお前なら分かるだろう!』


 声の調子から、父が動揺しているのは明らかだった。

 かまをかけてみたが、やはりあれはただの夢ではなく、現実に起きた出来事。父はこの家のこの部屋で、何らかの目的から儀式を行った過去があるのだ。

 ただし、目的は今の所、不明。それに私は父に殴られた記憶はない。そこだけが、妙に引っかかったが。


「ちなみにさっき言った、私が世話になっている恩人っていうのはね。鷹羽真彦の娘、響子なんだ。探偵事務所を開く際の保証人になってくれたのも彼女でね」


『今、鷹羽真彦の自宅にいるんだな、恵? いいか、そこから動くなよ。お前を巻き込むつもりはなかった。今、部下をそちらに向かわせる。そこにいろ、いいな!?』


「生憎と、向かわなきゃいけない場所があってね。あんたの命令は聞けない。じゃあね、切るよ、父さん」


 私はそこまで言い切ってから、電話を切ってやった。父のあの焦りようは、やはり父のこの事件への関与を示す証拠だ。犯罪者の検挙に熱意を燃やしている、正義感の強い父が黒幕とまでは思っていないが、今はそれだけ分かれば上出来だろう。

 私は破り取られた本のページを大事に脇に抱えると、部屋を出た。

 真奈美ちゃんと合流し、鷹羽探偵事務所に向かう。この十数ページ分はある用紙の内容は、後でじっくりと確かめさせてもらえばいい。

 今度こそ響子の安全を確認するのが、最優先だ。そう考えて家を出ようと廊下を歩いていた時、私の後をあの黒猫が走って追ってきていた。

 見れば、黒猫の身体を覆っていた闇色の靄は、すでに消え去っている。


「みゃ~~……」


「お前、鳴き声が……っ」


 足元で私に甘えてくる黒猫の声は先ほどまでとは、異なっていた。顔の見分けはつかないが、声の違いぐらいなら分かる。

 間違いない。この子はうちの探偵事務所で飼っている、あの黒猫だ。でも、どうしてこの子が私の行く先々で、どす黒い悪意と一緒に現れるのだろうか。

 この子は何者で何をしたいのか、考える程に疑問は次々と湧いてくる。しかし、今のこの子からは悪意など微塵も感じられないし、共感覚にもどす黒さは映らない。

 私は戸惑い、そして迷いながらも、この子を両腕に抱き抱えた。


「お前が何者なのか分からないけど、今回はお手柄だったな。お前から直接、危害を受けたことはないし、多少、疑惑があるってだけだ。今の所、嫌疑は保留かな」


「みぃ~~」


 私は甘えるような猫なで声を出す黒猫を抱いたまま、鷹羽真彦の家を出た。

 気の短そうな真奈美ちゃんを、もうずいぶん私の車で待たせてあるんだ。これ以上、ここに長居はしない方がいいだろう。

 最後に鷹羽家の玄関口を振り返ると、改めて夢の内容を思い出す。

 父がこの家の部屋で、私に覚えのない暴力を振るい、怪しげな儀式を行っていた光景を。そしてそれがただの夢ではなく、現実に起きたかもしれないのだと。

 それらの真相を突き止めなくてはという思いのもと、やがて私は踵を返し、そそくさと帰路についた。

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