第2章 彼女はなぜそこにいたのか? -学級混沌-

 1 そして彼らはいなくなった。




 胸騒ぎがしている――



 天知あまち学園高等部――その二階、女子更衣室。

 次の授業は体育で、そのため2年A組の女子生徒たちは制服から体操着に着替えている。


 その中で一人だけ、ロッカー前で着替える他のクラスメイトたちから離れ、窓際に佇んでいる少女がいた。

 遠目に見た後ろ姿はこけしのようで、限りなくおかっぱに近い髪型をしているが、最近は少し伸ばしているようだ。黒髪がブレザーの肩にかすかに触れている。周りが衣替えをほぼ終えているというのに未だに一人だけブレザーを着ているが、それがクラスで一番小柄で華奢な彼女に人並みの「厚み」を加えていた。

 ブレザーもそうだが、周りが次々と着替えを済ませ雑談に興じている中、彼女は制服姿のまま着替える素振りを見せない。


綿雨わたあめちゃん、どうしたの? 着替えないの?」


 と、それに気づいたクラス委員の過本すぎもと憂君ゆきみが声をかけると、彼女――雲居くもい綿雨はぴくりと肩を震わせ姿勢を正し、それからぎこちない動きで振り返った。


「え、あ、うん……。着てきた……から」


 そう言って、綿雨ちゃんはスカートの端を軽くめくってみせる。下には体操着のショートパンツ。肉付きの薄い太ももが垣間見えた。


 本人にその気はないのだろうが――わずかに頬を赤くして、微かな恥じらいを感じさせながらスカートをめくるその所作には同性である憂君も少しどきりとさせられ、思わず目を逸らしてしまう。


 これが天然だから、恐ろしい。魔性の魅力とでも言えばいいのか、不意打ちのように時折見せる仕草が人を惹き付けるのだ。見た目は小柄で可愛らしく、女性的な色気には程遠いのだが、代わりに健全な色気とも呼ぶべき一面を垣間見せる。


 それでいて、人が多い場所ではおどおどし、普段からどこか頼りない印象で、そのため見ているとつい手を貸してあげたくなるような、守ってあげたくなる雰囲気がある。当然男子からの人気もあるが、心配だったり構ってあげたくなったりと同性の心をも掴む――雲居綿雨は、そういう女の子だ。


(綿雨ちゃんは今日も可愛いな……)


 と、過本憂君もほっこりする。


 それにしても、本日は五月の最終日――もう肌寒さもない季節なのだが、ブレザーにブラウスに、その下に体操着まで身に着けているとは、いったいどれだけ厚着をしているのだろう。


(寒いのかな? 体温高そうだし……)


 それならそれでジャージにでも着替えればいいのに、と多少不思議に思いながらも、それ以上追及せず、憂君も着替えに戻る。


「…………」


 カーテンの隙間から、窓の外に目を向ける綿雨ちゃん――


 事件は、そんなクラスのマスコット系女子を中心に巻き起こる。




                   ■




 同刻――天知学園高等部三階、階段。


「なあ、『インラインスケート』ってさ、『淫乱いんらんですけど』って聞こえない?」


「いんらいんすけーと、いんらいんですけーと……淫乱ですけーど?」


「なんだよそれ、かたことの外国人じゃあるまいし」


 思春期真っ盛りの男子高校生の思考回路は下半身と同期していて、本日も数名の男子生徒が猥談に花を咲かせていた。

 さすがに人目がはばかられるような話題のため、彼らはこそこそと言葉を交わしながら階段を上がっていく。


 屋上へと続く扉の前で、一人の男子生徒が後続の彼らを振り返った。


「最後に確認する。……みんな、装備は万全か?」


「大丈夫。自研ジケンで開発した特殊装備は全員に配布した……」


 ジャージ姿の男子生徒たちがそれぞれ上着やポケットに隠した――双眼鏡やスマートフォン、スマホ用の望遠レンズなどを取り出す。


「……でもタカシ、屋上はカギかかってるぜ」


「そうだよ高葦たかあしくん……それでボクら自研がどれだけ苦労してきたことか……」


「そこで、陽木ようぎの登場だ」


「おれだ」


 陽木蒼詩そうたはジャージのポケットから鍵を取り出してみせる。


「陽木には互助会ごじょかいの権限を使って屋上の鍵を調達してもらっている」


「ばっちりだぜ」


 鍵を掲げる蒼詩。周囲が静かに、しかし低い声で「おお」とどよめく。


「なるほど、どうして陽木くんがいるのかと思ったが……互助会員であり生徒会にも顔が利く陽木くんならもはや顔パスで鍵を入手できる」


「だからこのリア充いたのか」

「毎朝幼馴染みと登校しやがって」

「人間のクズめ」


「ちょっと酷くないか!?」


「まあそう言うな、みんな。陽木はこの計画に必要なピースの一つだ」


「高葦くん……」


 彼は高葦いづみ。2年A組男子のリーダー的存在だ。女子たちと張り合う際には常にみなを率い、時には矢面に立って仲間たちを庇う、男気溢れると評判の少年である。


「では、行くぞ――」


 高葦の号令を合図に、まず蒼詩が屋上の扉に飛びついた。鍵を――


「……?」


 扉には南京錠があり、蒼詩はその鍵を調達してきたのだが、その南京錠が外れている。扉自体の鍵は内側から開けられるので、蒼詩の調達してきた鍵の出番はない。


(これは……。まあ、黙っといた方がいいか。おれいらねえとか言われてもあれだし……)


 見なかったことにして、蒼詩は「開けたぞ」とさも活躍したかのように後続の男子たちに告げた。


「よし――」


 蒼詩が屋上の扉を開けると、高葦を筆頭に男子たちが屋上へとなだれ込む。その様はまさに訓練された特殊部隊――先ほどまでの慎重さが嘘のように足音を立て、檻から解き放たれた猛獣のような勢いで駆けぬけた。


「なっ!?」


 まるで弾丸でも喰らったかのように先頭の高葦から声が上がる。



「残念だったわね、ここで行き止まりよ!」



 屋上だから当然では? と蒼詩は扉の陰で一人思った。

 すると、


「死ぬ気でないなら当然行き止まりだな」


 よく聞き慣れた声がした。


(げ……しぐせんもいる……)


 その突っ込みに、高くて良く響く声がうろたえながら応える。


「それは、その……彼らの野望へのロードにウェイトをかける的なもので……」


 生徒会長・天路あまじ夕珠ゆずだ。


「かたことの外国人だ……噂をすればなんとやら」


「いや、会話に英語使いたい系ハーフでは?」


「金髪は地毛なんだろうけど、なんか陽キャっぽいよな、生徒会長って」


「そういえばさ……陽キャってよく『うぇいうぇい』言ってるけど、あれって翻訳すると『止まれ止まれ』ってことなのか?」


「洋画の真似じゃね? ウェイウェイウェイって。あぁ、吹き替え版しか観てないやつらには伝わらないか」


「いやあいつらは自家中毒的にテンション上げてるんだから、自ら制止するのはおかしくないか? というか原語版観てるからってマウントとるなよ」


「嫌よ嫌よも好きの内ってやつだろ。嫌だ嫌だ言いながら本当は望んでるんだ」


「そういえばあの映画って今週公開じゃね?」


「洋画と陽キャって似てるよな」


 さすがによく訓練された男子たちである。屋上に計画外の人物がいるとみるや、ただちに頭がよさそうなトークを展開し何事もなかった風を装ってその場をやり過ごそうとする。


 しかし――


「あなたたちがここに来た目的は把握済みよ。――そしてそこ! 隠れていないで出てきなさい、生徒相互補助会の陽木蒼詩!」


 名指しされてしまっては――既に前に出ている男子たちもこちらを振り返ったので、仕方ない。蒼詩は両手を上げながら大人しく白日の下に歩みを進めた。


 真昼の屋上、その日射しを受けてきらめく金色の長髪と、影法師のような小柄なシルエット――


「この、裏切り者――」


 隠れていたことを仲間たちに非難されたのかと思いきや、こちらに蔑みの眼差しを向けているのは生徒会長だ。


(……まだ根に持ってんだ……。生徒会辞めただけじゃないすか……。どんだけ互助会のこと嫌いなんだ、この人)


 内心苦笑していると、


「我が教え子ながら本当に呆れるな……、すぐに授業だぞ? どうしてお前たちはここにいるんだ。ほら、大人しく言ってみろ」


 担任・朝見あさみしぐれが無表情で――いやこころなしか瞳に嗜虐的な色を湛え、男子一同を見回した。



「あなたたちの目的、それは――女子更衣室の『覗き』ね!」



 う。と明らかな動揺を見せるもの多数。全力で目を逸らしながらも言い訳を試みようとしどろもどろになるもの少数。蒼詩は高葦ともども黙して語らず。沈黙は金、である。


「言い訳しても無駄よ。あなたたちの計画はこう――先日、中庭の植木が移植されたのをいいことに、これまで植木が邪魔で覗くことの出来なかった女子更衣室を盗撮すること。その証拠に、あなたたちが手にしているものは何? 首から下げているそれは双眼鏡でしょう!」


「そのレンズみたいなものはあれか、スマホに繋ぐ望遠レンズか。それで何を写そうとしていたんだ? うん? 言ってみろ」


「そもそもあなたたち、校内でのスマホの使用は禁止されているわ!」


 細かいことにも気が付く生徒会長である。もはや言い訳のしようもない。ドラマでよく見る、警察が任意聴取に応じない容疑者を連行するため自らぶつかって公務執行妨害を訴えるように、仮に言い逃れが出来てもスマホの使用を理由に男子一同を捕縛するつもりだろう。本日は周りに部下がいないため、逃げようと思えば可能だが……生憎と、担任教師にばっちり顔を見られている。


「お前たちはそれで何を覗くつもりだったんだ? 同じクラスの女子の下着姿か? その泣きっ面に叩きつけてやりたい事実があるんだが、この屋上から望遠レンズなりでむこうの更衣室を覗こうとしてもだな、まず何も見えないぞ」


「は……?」


 そんな馬鹿な、と男子たちはこぞって屋上のフェンスに駆け寄る。見下ろす先には中庭があって、それを挟んだ向かいの校舎の二階、そこに女子更衣室が――


「カーテンがあるからな。一応男子更衣室にもあるぞ。気付かなかったのか? 一縷の望みにかけてたのなら、ついでに告げておく。窓際で着替えているヤツでもいない限り、角度的に室内を目視することは不可能だ。つまりお前たちはなんの成果も得られない」


「そ、そんな……」


「やるならせめてこの下の階だったな。……どこも授業中だが」


 くっくっく、と悪役のように喉を鳴らして笑う教師である。


 そんな魔女に、一人毅然と立ち向かうものがいた。

 高葦いづみである。


「せ、先生……俺たちはそんな下心からことに臨んだのではありません」


「どの口が言ってるのよ」


「この口であります。我々は、男としての度胸を試すため……男なら誰もが試みるであろう『覗き』にチャレンジしたのでありますッ」


「そうか。なら誰が最後まで屋上の縁でつま先立ちできるかやってみるか? いい度胸試しになるだろう。落ちれば案外、望みのものが見られるかもしれないぞ?」


 鬼だ、悪魔だ。いや魔王だ――


「生徒が非行に走らないよう、イケナイことには相応の報いが待っていることを教えてやるんだ。……もちろん、当然リスクは承知の上で臨んだんだろ?」




                   ■




 四時間目――体育の時間だ。


「……あれ?」


「どうしたの綿雨ちゃん?」


「なんか……男子が少ない気がするんだけど……」


「言われてみれば。……まあ、どこかでパシリでもやってるんでしょ。このあいだ、中庭で移植作業とかやってたし、その関係で」


 力仕事でもしているのだろう――と。


 彼らの身に何があったのか――それは決して語られることのない物語である。



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