1週間

「え!?やったじゃない、ほたる…!あの月長時雨つきながしぐれと初デートなんて…」

「しっ!声が大きいよ…!」

 その日の終業間近な給湯室。会議の飲み物に出した、お茶の空きペットボトルを片付けながら瑠璃にこっそり打ち明けた。

 時雨くんに誘われてから、当日まで残り3日しかない。今日が月曜日なので火、水、木曜日がきたら金曜日だ。当然のことだけれど。

「にしても、まさか向こうから誘われるなんてねぇ…これってもしかすると」

 ニヨニヨと笑う親友の顔にむっとしながら、冷静に頭を働かせる。

「ん、でもほら、たまたま期限間近だったのかも知れないし…!そんな期待なんて」

「何言ってんのよ、入った時にイケメンが来たって騒がれてたあの子からの誘いなんだから。もっと喜びなさい?」


 期待なんてしてはいけない、と今までの経験が臆病風に拍車を掛ける。

 今まで片思いが成就したことなど一度もなかった。そしてもう、20代も後半に差し掛かっている。まだハタチそこそこの男の子が恋をする相手としてはいささか難があるのではと、既に夢から醒めた気分だった。

「期限間近でも、例え何かの懸賞に当たっただけだとしても理由はあるんじゃないの?ま、頑張りなさいよ。その日はあたし、合コンだから」

「頑張るって…まぁ、楽しみなのは確かだけどね」

 ペットボトルのフィルムを剥がしながら、どんな服を着ようかと考えを巡らせていた。


×   ×   ×

 

「もう相手見つかったんスか!?」

 火曜日の昼、受付窓口。あの美容師がまた来ていた。

 そうは言っても向こうも仕事なのだ、用がすぐに済めば帰るものだと思っていたのに妙にニコニコして、少し珈琲でもと喫茶コーナーに呼ばれる。丁度俺も昼休みの時間に差し掛かる所だったから頷いたが、どうやら先日俺が当たった水族館チケットのことが気になるらしい。仕事に関する話以外のことも稀に会話する仲だから、仕方なしに教えてやった。

「で、相手はどんな人なんスか?」

 缶コーヒーのプルタブを開きながら食い気味に話し掛けられる。

「同じ部署の先輩。色の薄い髪をいつもポニテにしてて…かわいい」

「せっ先輩!?しかも可愛いって、年は?!」

「俺よりも5歳上って言ってたな…」

「それ以外の情報は!?」

「聞いてどうする?」

「あ、いや…実は金曜日、合コンやるんスけど…おたくのとこの瑠璃ちゃんも来るって聞いてて…」

「…ああ。心配すんな、霧島…先輩じゃないから。違う部署だからな」

 どうやらコイツは霧島瑠璃に惚れているらしい。そうでなければ、と勘が働いたのか、奴はニヤリと笑って俺の肩を叩いてくる。

「そっかぁ~!!!月長くんもオトナの魅力を知ったのか!」

 余計なお世話だ。…でも、とふと考える。俺が彼女に惹かれたのはあたたかい言葉遣いと物腰の柔らかさが魅力に思えたから、ってのもあった。年の差だけではない、母性とやらに飢えていたのかも知れない。


×   ×   ×


 水曜日、の昼休み。

 瑠璃から、受け付けの女の子が時雨くんに告白し、断られたらしいと言う噂話を聞いた。別に、私には関係ないし……!だから何、と聞き返したら盛大な溜息をつかれた。もう少し大人になりなさい?もう私は十分すぎるくらい大人よ。

「チャンスじゃない、ほたるにとっては」

「そうは言っても…」

 時雨くんが何故その子を振ったのかも分からないのに、糠喜びはできない。それでも確かに、心の中では一安心していた。

 確かあの受付の子は20代前半だ。金曜日は若い子が好きそうな服は着ないでおこう。

 

×   ×   ×


『月長クンが好きなの』


 木曜日の朝。あいつの声が頭の中で何度も繰り返される。学生時代に告白自体は何度か受けたことはあるが、まさか職場の女子から受けるなんて思わなかった。

 同期入社で同い年、実家は実業家の父親と料理研究家の母がいて、所謂金持ちの家系だった。逆玉だの何だの言われても、それでも、俺には先輩しか…。

「ああ、くそ…」

「どうしたの、時雨くん」

「んあっ」

 まだお客が誰も来ない受付で頭を抱えていたら、雨宮先輩が心配そうな顔で背後から声を掛けてくれた。咄嗟に変な声が出てしまって、一瞬目を丸くした先輩がクスクスと笑う。

「何か悩んでるなら、話し聞くよ?」

「あ、いや、その…そ、そしたら昼休みに…」

「うん。…そうだ、良かったら」

 先輩から、オススメのランチの店に誘われた。それだけで1日やる気が出てくるというものだ。こんなこと初めてで、何から話せばいいのか分からないけど。

 午前中は瞬く間に過ぎ、昼休みに事務所で待ち合わせる。思わずスキップしそうになるのを、必死で堪えた。

「時雨くん、ご機嫌だね?」

 新人研修の初日、自分の苗字が嫌いで下の名前で呼んで欲しいと言った俺の我儘を、雨宮先輩は5年経った今でも覚えてくれている。美味いパスタを食べながら先輩の笑顔を見ていたら、俺の些細な悩みはいつの間にか吹っ飛んでいた。


×   ×   ×


 1週間は早すぎる。

 金曜日、華も盛る週末の夕方。どこか浮き足立った更衣室が私は好きだ。

「今日はどこ行くー?」

「駅前のカラオケ!」

「じゃ、予約しなきゃ!」

 わいわいと賑やかな計画が反対側から聴こえてきて、思わずふふっと笑ってしまう。シンプルな水色のワンピース、派手じゃないけど精一杯のオシャレになりそうなアクセサリー、おろしたてのパンプスに着替え終わると、まるで自分じゃないようだ。

「雨宮先輩、デートですか?」

「ん…そうなの、かな…?」

「いいなぁ!綺麗だし、仕事もできるし……相手は絶対かっこいい人…!」

 きゃっきゃとはしゃぐ後輩たちの後ろを通り過ぎ、更衣室の出入口へ。よし、大丈夫…!もし相手が月長時雨だとバレたら…なんて、少し怖いけど。

「みんなも気をつけてね?」

「それじゃ、お先に失礼します!」

「お疲れ様でしたー!」

「お疲れ様でした!」


 口々に労いの言葉を投げて。

 更衣室のドアノブを捻った。

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