第56話 カルマ/因果応報、或いはパラダイムシフト



「……」


「……………………瑠璃姫?」


「…………」


「…………おい、瑠璃姫?」


「………………」


「瑠璃姫? どうした?」


 急に黙り込んだ彼女に、敦盛は不吉な何かを感じていた。

 だが今の自分は満足に腕も動かせない、そしてかける言葉も見あたらない。


(え? もしかしてコイツも頭をマジで打ってた? というかコイツの方が重傷なんじゃ?)


 このまま誰かが気づくのを待つしかないのか、叫んで助けを呼ぶか。


(いやでも……頭を打ったって感じじゃなくて。心の問題っぽいような……?)


 愛の言葉と、右肩と両足を中心とした激痛に冷静な思考が保てなくて。

 だから彼女は会話で気を紛らわせていたのか、などと思ったが何も出来ず。


「………………あはっ」


「瑠璃姫? 瑠璃姫さん? おーい瑠璃姫?」


「あはっ、あはははははははっ、はははははははははははははははははっ!!」


「ひぇッ!? 瑠璃姫が壊れたッ!?」


 正しく壊れた様に笑う瑠璃姫に、思わず怯えてしまう敦盛。

 そしてそれは、正鵠を射ていて。


(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼――――なんて、なんてっ、なんて気持ち良いのっ!!)


 彼女は今、快楽に身を震わせていた。

 何年も何年も、半生を捧げて復讐したのに失敗し。

 そして彼が何より大切な事に気づいたのに、その言葉は届かず。


(負けたっ、アタシは負けたっ!! 完膚なきまでに負けたわっ!! 手も足も出ないっ、一生勝てないっ、勝ち逃げされるっ、この敗北感を一生抱えたまま――――アタシは生きるしかないっ!!)


 下腹が疼く、なんて生易しい表現だ。

 人として間違った、決して得てはいけない快楽、エクスタシー、絶頂。

 脳を直接鷲掴みにされた様な衝撃、人生観が狂う、もう二度と普通の生活が出来ない悦楽。

 こんなにも、こんなにも、こんなにも。


(負けるのが気持ち良いっ、あっくんに負けるのがこんなにも気持ちいいなんてっ!!)


 神が居るのならば、これから毎日、今この瞬間にも感謝せねばならない。

 彼が好んだこの顔も、赤い目、声、大きな胸も、白い肌も、腰も、臀部も、白い髪の一本からつま先の爪の先端まで。

 それだけではない。


(この世界を変える事が出来るこの頭脳すらっ!! ――――――嗚呼っ、全部あっくんに負ける為にっ、高みから手も足も出せずに叩きのめされる快楽の為にあったのねっ!!)


 理解した、己の人生の意味を完全に理解した。

 溝隠瑠璃姫は、早乙女敦盛に敗北する為に存在しているのだ。

 早乙女敦盛は、溝隠瑠璃姫が叩きのめされ地に落ちて人生最大の悦楽を得るために存在する、――神様のプレゼントなのだと。


「…………あっくんはね、あっくんはね」


「おいマジで大丈夫か? 顔が赤いし息が荒いぞ? それに汗びっしょりじゃねぇか」


「あっくんはね、――――アタシのあっくんなの」


「おい変な事を言ってないで正気に戻れって、テメェが助けを呼ぶなり、俺に止めを刺すなりしてくれねぇと何にもならないだろうが」


「ふふっ、助けてあげる。……いいえ違うわ、助けさせてよあっくん。アタシにアンタを助けさせて」


「やっぱ頭打ったかテメェ? いや助けてくれるんならそうしてくれよ」


「ありがとう、あっくん。アンタが居てくれるからアタシは生きてる意味があった、そう確信したわ」


「話噛み合ってねぇッ!?」


「助けは呼ぶし、アタシの全てを賭けてアンタを元通りの生活に戻すわ。――でも、今この場で約束して欲しいの」


「何言い出すかスッゲー怖いんだけどッ!?」


 どうでもいいから、病院に行くなら救急車なりタクシー呼ぶなりして欲しい、保険室の養護教諭でも可。

 そんな彼の気持ちを見抜き、瑠璃姫は更に悦に入る。


「嗚呼、良いわぁ……良いわあっくん! そのどうでも良いから早くしろよって目がすっごくイイっ!!」


「くねくねすんな怖ッ!?」


「怖がられてるっ、今アタシはあっくんに怖がられてるっ、そうやって突き落とすのよねっ! アタシなんか怖くないって、また敗北を味合わせる気ねっ!!」


「本格的に怖くなってきたぜッ!? マジでテメェ何なんだよ、何考えてんだよッ!? さっきから言ってる事が支離滅裂で理解できねぇんだよッ!!」


 明らかに発情している幼馴染みに、体の痛みを越えた精神的な怖さを覚える。

 本当に、瑠璃姫にどんな心境の変化があったのだろうか。

 仮に本気で彼女が敦盛の事を心配していたとして、しかして目の前で発情して笑っている。

 ――――まったくもって、意味が分からない。


「ごめんねあっくん、ちょっと気持ち良すぎてちゃんと言葉に出来ないんだけど……」


「気持ち良いってなんだよッ!?」


「あら、絶頂してるて言い換えた方が良い?」


「悪化してるぞバカ野郎ッ!!」


「女としても見られてないっ!? ――――嗚呼、嗚呼、アタシは――――」


「そこで何で体を震わすッ!? 涎をまき散らすッ!? もはやホラーじゃねぇか!」


「――――…………ふぅ。まったくダメじゃないあっくん、もう少し冷静に返してくれない?」


「何で俺が文句言われてるんだ……?」


 非常に納得いかなかったが、今はそういう状況ではない。

 敦盛も瑠璃姫も、今は病院に行って治療してもらうべきである。


「取り敢えず、死ぬのはまた今度にすっから。頼むから今は誰かに連絡するなりしてくれ、な?」


「そのつもりよ、でもあっくんは治った途端。いえ入院中に死んじゃう気でしょ?」


「……………………いやまぁ、そう言われるとそうかもしれんが。――――俺が死ぬならお前も憎しみが消えて、幸せになれるだろ?」


 溜息混じりの言葉、彼への説得難易度は変わらず高く。

 だからこそやりがいがある。例え失敗したとしても彼女には最高の敗北が待っていて。


(アンタと居ると愉しいのよあっくん……、だから全力で行かせて貰うっ!!)


 彼が死ねば、きっと絶望という快楽で瑠璃姫は死んでしまうだろう。

 彼が一緒に生きてくれれば、敗北という快楽の中で人生楽しいだろう。

 だから。


「――――アタシをアンタのペットにして、あっくん」


 瑠璃姫はねっとりした息を吐きかけながら、澱みきって澄んだ瞳で頼み込んだのであった。


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