第46話 喪われていく尊厳



(まだ足りなかった、あっくんに勝つためには――もっと捨てないと……)


 ベランダには行かせないと取っ組み合いをする中、瑠璃姫もまた更に覚悟を決めた。

 敦盛が精神、体とも衰弱している今だからこそ、体格的に劣る瑠璃姫でもダメージの抜け切れぬ体で押さえされている。

 だが、それも長くは続かない。


(長引かせれば体力的にアタシが有利だけど……あっくんは追いつめれば追いつめる程ヤバくなるっ!)


 だから、ここで決着を付けなければならない。

 彼女のその様子は敦盛にも伝わっており、焦燥感が体を突き動かす。


(どうするッ、捕まってあの部屋に戻れば今度こそ心が折れるぞおいッ!! 今のコイツだと全力で殴っても――チッ、手足は痛いし鎖が邪魔くさいッ!!)


(…………これ、利用出来そうね。それから――)


(そうか鎖ッ、もっかい締め落とす? ……いや、これで縛った後で足を折ればッ)


(足りなかったのは暴力という覚悟だけじゃない、それを理解させてあげるっ)


 全裸の男女が相撲を取るように組み合って、突き飛ばし突き飛ばされて。

 その瞬間であった、瑠璃姫は敦盛の首輪から延びる鎖を掴み。


「――――動くな。動くと悲惨な事になるわよあっくん」


「はんッ、それで形勢逆転したつもりか? 力で俺に勝てるとでも? ここにはお前の発明品も無いぞ?」


「挑発しても無駄よ、抵抗するなら…………ウンコを漏らすわっ!!」


「やれるもんならやってみろよッ!! ウンコだろうと何だろうと――――いや待てテメェ今なんて言った?」


 思わず静止してしまう敦盛、聞き間違いだろうか。

 どうもとんでもない事を聞いた気がするのだが、その中身を脳味噌が理解を拒む。


「繰り返すわ、――――抵抗するなら今この場でウンコ漏らして投げつけるわよっ!!」


「どうしてそうなったんだッ!? は? マジ? マジかテメェッ!? そ、そそそそそ、そんな嘘に俺が騙されると思ってんのかッ!?」


「マジもマジ、大マジよ。……アタシは理解したの、アンタに勝つのに尊厳すら捨てる必要があるって」


「それ女の子として捨てちゃ駄目なヤツッ!?」


「いいえ捨てるわっ!! アタシに目の前でウンコをされたくなければっ! そのウンコを投げられたくなければ投降しなさいっ!!」


 次の瞬間、ぶふぅ、と臭く大きな音が敦盛に届いて。


(うわああああああああああッ!? こいつマジな屁をこいたぞッ!?)


 当然慌てる、どうして予想出来ようか冷静でいられるだろうか。

 何が何でも捨て身過ぎる、彼女は美少女で敦盛の愛する存在で。

 そんな女の子が目の前でウンコを恥ずかしげも無く漏らすと、そしてそれを己に投げると。


「………………う、嘘だ出来っこ無い」


 ギュルルル、ブホッ、と汚い音が。

 もう駄目だ、敦盛は自分自身ですら騙せない。

 彼女がウンコを漏らさないという前提で、思考を組み立てる事が出来ない。

 何より彼を見つめるその赤い瞳が、――彼女の覚悟を伝えて。


(あ、ああ……これは、いや。これがコイツが感じてた思い)


 こんな状況で理解したくなかったが、理解してしまった。

 全身全霊をかけて、全てを投げ捨てても相手が己を求める快楽というものを。

 瑠璃姫が、敦盛に求めていた、感じていた想いを。


(――――恥だ)


 彼女を愛するが故に、今この場で引き下がるのは恥だ。

 暴力でも、逃亡でも無い。

 第三の手段で、瑠璃姫を倒して脱出しなければならない。

 だから。


「お前の覚悟は分かった、――――なら俺もウンコを漏らすッ!!」


「口だけのあっくんに出来るの?」


「これが俺の覚悟ッ!!」


 次の瞬間、敦盛は額に青筋をたててキバる。

 腹筋に力を全集中、そして。

 ――ぶぅ~~~~。


「うわ臭っ!? アンタのおなら臭っ!?」


「どうだ、感じてくれたか俺の想い……」


「いやウンコ臭さしか感じないわよっ!?」


「さっきの言葉をお前に返そう――――抵抗するなら今この場でウンコを漏らしてテメェに投げるッ!!」


「出来るものならやってみなさいよっ!!」


「瑠璃姫ェ!!」「あっくんっ!!」


 二人はプルプルといきみながら睨み合う、迂闊には動けない。

 共に決壊寸前、だが安易に漏らす訳にはいかないからだ。


(ウンコを放出し、拾って投げる。――駄目だそれでは三行程ッ、受け止めてそのまま投げるッ、これで短縮されたッ)


(出して受け止めて投げる、それで心は折れるっ! ――けどそれはブラフよ)


(出す瞬間が一番無防備ッ、そこを狙われてトイレに押し込まれたらピンチだッ)


 幸か不幸か、トイレは真横。

 先ほどの押し合いにより、その場所まで来ていたのだ。

 じわじわと脂汗が額に滲む、ウンコを我慢しているからだ。

 ――決着の時は近い。


(どうするどうでるッ、もう限界だッ!! 投げるかトイレに押し込むかッ!)


(鎖を持っているのはコッチよっ、だから漏らしてでもトイレに押し込む!!)


(………………いや違う、違うッ! 瑠璃姫は俺のウンコを投げても心が折れないッ! トイレに押し込めばその隙に俺がウンコをくらうッ!?)


(はんっ、気づいたわねその顔。そうよアンタとアタシでは前提条件が違うのよっ!!)


 そうだ前に彼女はなんて言っていたか、敦盛を責める為に己を傷つける汚せさせると。

 つまりはノーダメージ。

 怯むだろうが、心は折れない。


(――――待て、怯ませるだけでも良いのか)


 ウンコをくらえば、トイレに押し込まれれば敦盛の再監禁が確定する。

 だが、少しでも隙が出来たのなら話は別だ。

 そしてそれは、このウンコ勝負の勝利にも繋がって。

 肛門が、――――決壊する。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


「ドコにこんな力が――――ってアンタマジっ!? え? は? うええええええええっ!?」


「受け止めて貰うッ、テメェの手でなッ!!」


 ぶりぶりぶりぶり、ぶちゅぶちゅぶちゅ。

 間一髪で敦盛は鎖を引き、瑠璃姫の手を己の肛門に押しつける。

 そしてウンコは彼女の手に落とされ、彼女もそのショックでも漏らす。

 溝隠家の廊下は、ウンコの匂いで充満し。


「い、イヤアアアアアアアアアアアアアアアっ!?」


「ふはははははははははッ!! ケツなんか悠長に拭けるか俺は逃げさせて貰うぜええええええええええええええええッ!!」


「ちょ、ちょまっ!? これ捨てっ、いや投げ――ってもう居ないっ!?」


 ……いくら己のウンコを投げる覚悟があっても。

 己の手に相手のウンコを乗せられた上で、冷静に相手へ投げられるなら瑠璃姫は今日まで敗北していない。


(グッバイ、俺の尊厳……)


 背中に届く罵声を遠く感じながら、敦盛はベランダの非常階段から見事に脱出したのであった。


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