受動的資格の時代

塩塩塩

受動的資格の時代

 風邪を引いた私は、近くの内科の待合室で診察を待っていた。

 すると、向かいの席にいた70代と思しき男が立ち上がり叫んだ。

「嗚呼、苦しい。看護婦さん、助けてくれ…。」

 慌てて私もつい立ち上がった。


 男が宙を掻き苦しんでいるのを横目に、受付の女は冷静に私に言った。

「彼は看護師です。」

 私は熱で頭がボーっとしており、よく聴き取れなかった。

「看…看護師?」

 受付の女は説明した。

「彼は看護師の資格取得後の育成を目的に創設された、受動的な国家資格であるところの看護師なのです。言うなれば、上から目線のプロの患者です。」


 男の声を聴いた看護師の女が、診察室から飛び出してきた。

 右隣の大学生風の男が私に言った。

「まぁ、見ていてください。彼女の方が一枚上手うわてですから。」

 看護師が看護師の男の手を握り言った。

「どうなさいましたか。」

 看護師の男は、看護師の顔を見てハッとした表情を浮かべた。

 まさに、男は蛇に睨まれた蛙だった。


 診察室から医師も出てきて、私に説明した。

「彼女は看護師でもあり、看護師でもあるのです。」

 私は椅子にへたり込んだ。

「看…看護師?」

 医師は説明した。

「看護師とは、看護師の資格取得後の育成を目的に創設された、更に受動的な国家資格なのです。看護師が看護に来るのを、受容し更に上から目線で育成するのです。」

 ようやく看護師の男は、参ったとばかりに床に膝を付き項垂うなだれた。そして尻尾を巻いて帰っていった。


 左隣の40代と思しき男が私に言った。

「憐れな事だな。まぁ、が一つでも多い方が格上だから、彼女の方がマウントをとれるという訳だよ。現代はマウントこそが価値だからね。ありゃ恥辱だよ。」

 私は言った。

「ははは、皆さん本当によくご存知ですね…。」


 民間資格ではあるが、私は会話師の有資格者なので、周囲の人間から遠慮なく話し掛けられるのだ。

 しかし、『もしかすると皆の方が格上かもしれないぞ』と思った途端、私は急激で強い疑心暗鬼に囚われた。

 それと同時に、待合室にいた人間全てが同じ思いに囚われたのが分かった。

 受付の女は会話師かもしれないし、右隣の男は会話師かもしれないのだ。

 皆が息を呑んだ。

 受動的資格の時代を生きる皆の頭には、『生きてマウントのはずかしめを受けず、死して足らずの汚名を残すことなかれ』という戦陣訓が巡っていた。

 ここで今会話を続けるのは非常にリスキーなのだ。

 それだけが紛う事なき真実だった。



 それからもう2時間、誰も喋らず虚ろに眼ばかりを動かし、私達はお互いの顔色を伺って膠着こうちゃく状態が続いていた。

 そして、私の風邪は兎に角とにかく悪化していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

受動的資格の時代 塩塩塩 @s-d-i-t

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ