第21話 龍の世話 やり直し



 翌朝、葵は扇山競龍場に戻ってきた。



「好きにしろ」



 重連はそれだけを言い、三砂はメッセージで自分もサボった事があると言ってきた。そして、葵はキングフィッシャーを競龍場に連れて行き、調教を付ける予定の親次に会う。



「今度は本気でするから」



 親次の眼を見て、葵は誓う。



「付きっ切りでキングフィッシャーの世話をして、どんな小さな事も見逃さないようにして、万全の状態でチカにキングフィッシャーを託すから」



 親次は、葵を見ようともしなかった。



「取り戻せる失敗ばかりと思うなよ」



 分かっている。今回の事は一生忘れない。葵は、親次の言葉を胸に刻み込んだ。親次はキングフィッシャーの背中に乗り、颯爽と空に飛んでいく。



 毛引き症の影響を調べる為の軽い調教で、気晴らしの軽い運動のような飛翔だ。同じような緩いペースで何度か飛び回り、合間に地上に降りて重連と話し合う。そうして調教が終わると、親次の手から葵に、キングフィッシャーの手綱が渡された。



「お疲れ様」



 キングフィッシャーに声を掛け、その首筋を撫でる。夏の暑さもどこへやら、鱗毛は不思議とひんやりとしていた。相変わらずキングフィッシャーはちらと葵を見るだけで大きな反応もなく、三砂を過労で倒れさせたとは思えないほど大人しい。



 三砂に相談すると、人見知りみたいなものだというメッセージが返ってきて、鬱陶しいと思われるぐらい積極的に関われという助言をくれた。



 葵はキングフィッシャーを連れて帰ると、厩舎の前に繋いで声を掛けながら龍体の点検を始める。



「大きいね」「疲れてない?」「ここ触っても大丈夫?」



 思いつく限りの言葉を口にし、時間一杯までスキンスップを取って龍房に戻す。それから重連が龍たちに食餌を出すのに合わせて、葵もキングフィッシャーに食餌を与えた。



 キングフィッシャーは桶に嘴を突っ込み、底を突くようにして肉を食べる。どこか犬みたいな食べ方だ。他の龍を見ると、桶から肉を取って肢で押さえてから啄んでいる。



 これがハンドレアードとペアレントレアードの違いなのか。



 葵はずっと、キングフィッシャーの食餌を見ていた。キングフィッシャーは時折葵に目を向け、じっと見つめる。また食餌に戻り、やっぱり葵を見る。



「何もしないよ」



 キングフィッシャーが「クァー」と、低いカモメのような声で鳴く。それきりキングフィッシャーは葵を見る事無く食餌を終えた。



「分かったって意味だったのかな」



 空になった桶を洗いながら、葵は呟いた。



 食餌が終わると早朝からの仕事は一旦止まり、長い昼休憩に入る。葵は重連の家で手早く昼食を摂ると、遊び道具を手にキングフィッシャーの龍房の前に行った。



「遊ぼう」



 紐の付いたネズミの人形をぷらぷら揺らす。龍房の奥に横たわっていたキングフィッシャーは、頭を持ち上げて葵を見やった。



「ほらほら、楽しいよ」



 ネズミを揺らし、龍房に投げ入れる。キングフィッシャーの鋭くもどこかつぶらな瞳がネズミに集中する。バウンドに合わせて小刻みに頭が動き、ネズミが止まると頭を前後させて眼を細める。



 そして、立ち上がった。



「やった」



 葵が言ったと同時、キングフィッシャーは龍房の隅の水浴び場に向かった。豪快に水浴び場に飛び込んで、頭や翼を勢い良く動かし周囲に水をまき散らす。



 葵にも水が掛かったが、気にする気にもなれなかった。勘違いでぬか喜びした分、落胆は大きい。



 だが、諦めない。羽繕いを始めたキングフィッシャーを見据え、葵は改めて決意した。



 それからも、葵は毎日積極的にキングフィッシャーに声をかけた。触れる時はできるだけ触り、何度も遊びに誘う。休憩は勿論、夜も毛布を引っ張って来てキングフィッシャーの龍房の前で寝た。



 そしてある日、葵は目覚めた瞬間、胸が高鳴るのを感じた。



 キングフィッシャーが、直ぐ傍で眠っている。間に鉄格子を挟んでいるが、葵に寄り添うようにキングフィッシャーが眠っている。



 洩れそうになる喜びの悲鳴を、寸前で堪えた。両手で口を押えて物理的に声を押さえ、しかし持ち上がる口角は抑えきれずに葵の顔には満面の笑みが浮かぶ。



 キングフィッシャーが目を覚ました。



「おはよう」



 キングフィッシャーは葵を見るや何事もなかったように欠伸をして、気怠い動きで翼を伸ばして躰を解す。しかし葵にも進展の余裕があった。重連の家に戻って軽い朝食を済ませ、頭絡と手綱を持ってキングフィッシャーの龍房に入る。



 触るのが楽しかった。声を掛けながらキングフィッシャーの躰に触れ、撫でたり抱き着いたりする。不意に、毛引き症によって禿げた部分が目に入った。



 浮かれるな。



 葵は俄かに気を引き締める。浮かれて仕事が疎かになれば、また同じような失敗を繰り返してしまう。葵はキングフィッシャーとのコミュニケーションを忘れずに、しっかり頭絡と手綱を装着して龍房から連れ出した。



「待っててね」



 キングフィッシャーを繋ぎ、龍房の掃除に移る。手早く丁寧に済ませ、ボディタッチと声掛けをしながらキングフィッシャーを調教に連れていく。



 昨日と同じような軽い調教が終わり、キングフィッシャーを連れて帰った。それから食餌を出して午前中の仕事が終わり、休憩時間もとい遊びの時間がやってくる。



「追いかけてみよう、楽しいからさ」



 葵はネズミの人形を投げ入れる。引っ張って小刻みに動かし、時には緩急を入れて大きく動かしてみる。キングフィッシャーの目はしっかりネズミを捕らえているが、中々動こうとしない。



「なるほどね」



 今度は葵も左右に動き、ネズミを縦横無尽に動かした。息が上がり、汗が散る。葵は何度もネズミを操って、キングフィッシャーの気を引こうとする。



「……あっ」



 キングフィッシャーが、ネズミの人形を咥えた。



 足元にあったものを拾うような緩慢な動きだが、確かにネズミの人形を咥えた。それから一度落とし、丁度良い具合を探すように何度も咥え直し、そのまま葵に歩み寄ってくる。



 眼が合う。キングフィッシャーがクィと短く鳴く。葵が手を伸ばすと、キングフィッシャーがそこにネズミの人形を置いた。



 全身が粟立った。



 思わずキングフィッシャーに抱き着こうとして、鉄格子にぶつかって我に返る。僅かな痛みが、これが現実だと優しく教えてくれた。



「も、もう一度」



 キングフィッシャーの目の前でネズミを振り、龍房の奥に投げ入れる。キングフィッシャーの頭は正確にネズミを追尾した。葵が引っ張るネズミに合わせて頭が動き、のっそり歩いてネズミを踏みつける。



「……やった!」



 キングフィッシャーがネズミを咥えて持ってくる。葵はまた龍房に投げ入れる。たどたどしいキャッチボールだったが、葵は確かな充実感に満たされた。



 その夜も龍房の前で寝て、朝は隣り合って起床する。声をかけながら頭絡と手綱を付けて外に繋ぎ、龍房を掃除して調教に連れていく。戻ってくると龍房に戻して食餌を出す。



 その時、キングフィッシャーが後ろ向きになって翼で餌を隠した。



 羽衾を隠す、だ。



 葵は三砂に聞いた話を思い出した。餌を取られまいと、葵に見えないように翼で餌を隠し、葵を伺うようにしながら食餌する。それは、普通の龍が別種の人間には見せない行動だ。人間を仲間だと思っているハンドレアードのキングフィッシャーだからこその行動だ。



「認められたらしいな」



 いつの間にか隣に立っていた重連が、静かに言った。



「これからが大変だぞ」



「はい」



 分かっている。これこそがキングフィッシャー本来の姿、三砂を過労で寝込ませるほど苦労させた厄介な本性だ。



「頑張ります」



 それ以上は言えなかった。それ以外も言えなかった。一度失敗した以上、行動で取り返すしかいない。



「それと、毛引き症の影響は思ったより小さかった」



「本当ですか!?」



 重連は頷いた。



「今週のレースに出すぞ」

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