競龍―ドラゴンジョッキー

@heyheyhey

第1話 幼馴染の帰郷



 競龍はウイルスだ。



 競龍に憑りつかれた者は、かつて猛威を振るったペストやスペイン風邪よりも深刻に身心を冒される。



 その舞台は山だ。全長は四~六メートル、翼開長は優に十メートルを超える一トンの巨体が、隼よりも速く飛翔する。スタートからいきなり激しい先行争いが始まり、コーナーに入ると水平、あるいは上昇、下降旋回し、一気に龍群がばらける。それから山の上りに差し掛かり、騎手が鞭を振るって龍を急き立て力強く上昇し、少しでも良い位置を取ろうと鎬を削る。そして山頂に達した瞬間、龍たちは凄まじい勢いで下降する。その光景は流星群にも例えられ、龍たちは一斉にゴールを目指して降っていく。



 その筈だった。



 強引に隙間を縫って前に出ようとした一騎の龍が他龍に接触した。接触された龍はすぐに態勢を整えたが、接触した龍は錐もみ回転しながら落下した。



 墜落する、その瞬間、乗っていた騎手が落下する龍から振り落とされ、一足先に地面に叩きつけられた。それで軽くなったのか、龍は墜落寸前でなんとか態勢を整える。



 競龍場は騒然としっ放しだった。医師や関係者が急いで集まり、墜落した騎手が人垣に隠れる。そこで、動画は終了した。



「講義サボって何見てるの?」



 友人に声を掛けられ、志賀葵はスマートフォンから顔を上げた。友人が画面を覗き込んでくる。



「競龍? 葵ってそんなのに興味あるの?」



 微笑み、葵はもう一度動画を再生した。



「違うって。この墜落した騎手、幼馴染なんだ」



「嘘!?」



 友人がスマホにかじりつく。墜落したシーンに差し掛かると、友人はさっと眼をそむけた。



「うわ……大丈夫なの?」



「リハビリすれば日常生活に支障はなくなるけど、一番ダメージのあった右腕は駄目みたい。動かせる見込みはないって」



 友人は表情を強張らせて動画に眼を戻す。



「幼馴染って事は、二十か二十一だよね? それでそんな大怪我するなんて……」



 墜落した騎手の戸次親次はまだデビューして三年目、今年でニ十一歳になる若手騎手だ。田舎の大学に通う葵とは違い、かつては最前線で活躍していた。



「今日、リハビリの為に帰ってくるからさ、それで気になって。今まで見たくなかったけど、やっぱり見ておこうかと思って」



 なるほどね、友人はそう呟き、下げていたバッグからノートを取り出した。



「はい、さっきの講義のやつ。幼馴染が心配なのは分かるけど、講義はちゃんと出ないと後々大変だよ。ただでさえ最近休みがちだって言うのに」



「分かってる。ありがと」



 ノートを受け取る。友人は手を振り、校舎に戻っていった。



「……私、何してるんだろ」



 ノートを捲るが、抗議の内容は頭に入らない。気に止まるといえば友人のノートの取り方だ。板書自体は手早く済ませ、講師の漏らした言葉など後で確認しにくいものを重点的に書いている。ノートの良い取り方は分からないが、勉強熱心なのが一目で伝わってくる。



「本当、何してるんだろ……」



 溜息を吐き、ぼんやり空を仰いだ。



 灰色の雲がどこまで続いている。梅雨入りしたのに雨が降りそうで降らない中途半端な空模様だ。今更になって傘を持ってきていない事を思い出す。



「何してるんだろ……」



 講義はサボり、アルバイトに汗を流しているわけでもない。高校までなら良かったが、大学三年ともなれば流石にまずい。しかし危機感はあっても、それが何一つ原動力になってくれない。



 葵は何度目か分からない溜息を吐き、もう一度、親次の墜落動画を再生した。



 競龍は危険だ。



 親次は瀬戸際で命を拾ったが、死んでもおかしくなかった。現に競龍界では毎年のように死者が出ている。それを分かった上で親次は競龍騎手になり、墜落した。



 片や葵は田舎の大学で自堕落に過ごしてる。同じ歳でありながらあまりにも違う。何が親次にそこまでさせるのか。



 知りたい。



 ふと、葵は思った。同じように育ってきた親次が、死と隣り合わせの危険な競龍騎手になった理由が知りたい。知ればこの自堕落な生活に活が入り、何かが変わるのではないか。



「……行って、みようかな」



 良い機会かもしれない。葵は真昼間の大学を後にして、早々に帰宅した。



 空の駐車場の門扉を開けて自宅に入る。不在通知票が一通届いていた。単身赴任中の父からだ。冷凍とあるから食べ物だろうか。不在通知票はそのままにしてシャワーを浴びる。それから着替え、ちゃんと傘を持って親次が下車する駅に向かった。



 田舎であっても市一番の駅ともなれば、平日の昼間でも賑わっている。構内には土産物屋がいくつも並び、野菜なども売られている。清潔ながらも土臭い感じが、いかにもこの街を象徴していた。



 葵はベンチに空きを見つけて腰を下ろし、深く息を吐く。



 親次には会うのは二年ぶりだ。親次が競龍学校を卒業して一旦地元に戻ってきたのが最後になる。連絡はそれなりに取っていたから依然と同じように話せる自信はある。それでも競龍学校時代の空白の三年間を思い出し、また急変化していたらどうしようという不安と期待が入り混じった妙な緊張が胃を締め付けた。



 そうこうしている内に、目的の電車が到着した。



 二、三十人が順々にホームから降りてくる。葵はベンチから立ち上がり、親次の姿を探した。競龍騎手は競馬騎手とは違い、大柄な躰が好まれる。親次は百八十センチを超え、鍛えられた肉体もあって遠くからでも一目で分かる。



 しかし、いつまで経っても親次の姿は見えなかった。



 スマホを確認するが、到着時間は合っている。心配になって改札口に眼を戻すと、それらしい体格の青年が改札口奥にある階段を降りてきた。



 その青年は杖を突いていた。右足を引きづり、左足と杖だけを使って階段を降りてくる。慎重に一段一段足元を確認して、分単位の時間を掛けて二十段程度の短い階段を降りると、しっかり二本足で立っているのに、左足と杖で這うように改札口から出てきた。



 眼があった。青年は子供っぽさの残る笑みを浮かべる。



「よう葵、久しぶり」



 葵の胸に、懐かしさが込み上げてきた。



「……え?」



 心が青年を受け入れている事実に、葵は驚いた。



 その青年は、間違いなく幼馴染の戸次親次だ。しかし記憶にある親次と目の前にいる親次が同一人物だとは、どうしても頭で理解できない。



 親次は運動神経抜群で活発に動き回り、気が付けばどこかに消えている、そんな印象が強かった。それが今や、杖を突き右足を引きづっている。いや、良く見れば動いていないのは右足だけではない。右半身全てが石のように固まり、杖と左足で強引に歩いている。



 運動神経、活発、そんな言葉は一つ足りとも当てはまらない。首から上が少し精悍になったぐらいでほとんど姿が変わらないだけに、余計に頭が混乱して目の前の現実が受け入れられない。



「ん、どうした?」



 我に返る。葵は気まずさを誤魔化すように、愛想笑いを浮かべた。



「包帯とかは……ないんだなと思って」



 親次は小さく笑った。



「入院中に取れたよ。後はリハビリだけだ。それよりなんでいるんだよ?」



「き、気まぐれ?」



 会話に身が入らない。親次の右半身が石のように固まっている。それが元通りになるのか。そう思っていると、疑問が顔に出たのか親次が口を開いた。



「前に言ったろ? 右腕以外は大丈夫だ。一か月前なんてまともに移動するのも一苦労だったんだから、半年もあれば走れるようになるって」



 親次の表情に不自然な点はない。強がりでもなければ、悲観しているわけでもない。極めて自然体に現実を受け入れている。



 やっぱり、自分と親次は違う。聞くなら今しかない。



「……チカは、なんで競龍騎手になったの?」



「なんだよ急に?」



「競龍って、F1とかよりも危険なんだよね? なんでそんな危険な」



 その時、女の元気な声が響いた。



「ごめん遅れた! 親次君怒ってない!?」



 若い女が走り寄ってきた。年は葵たちと同じぐらいだろう。180センチを超える親次より頭一つ小さい程度の長身だ。スタイルも良くボーイッシュな髪形で、シンプルなシャツにジーンズ姿が様になっている。



「大丈夫ですよ、三砂さん」



「そう、ほんとごめんね。一人なかなかご飯食べてくれなくって」



 さん付けと君付け、妙に親しい口調だ。親次にこんなモデルみたいな知り合いがいた記憶はない。競龍騎手になってからの関係だろうか。二人はどんな関係なのか、葵は無性に気になった。



「それで、その子は知り合い?」



「幼馴染です。葵、こっちは」



「始めまして、葵ちゃん。私は一萬田三砂。親次君が所属する厩舎の厩務員してます。よろしくね」



 握手を求めてくる。葵は反射的に応え、冷静になってぱっと手を離した。



「所属する厩舎って?」



 三砂が親次を見やった。



「言ってないの? 親次君はここの地方競龍で龍に乗るんだよ」



 龍に乗る。その右半身がほとんど動かせない躰で、隼よりも速く飛翔する龍に乗る。素人でも分かる。明らかな自殺行為だ。



「本気!?」



「リハビリするって言ったろ。ここの地方競龍場でリハビリして、中央競龍に戻るんだよ」



 親次は、金輪際龍に乗らないのだと思っていた。いや、乗れないと思っていた。あのレース中の墜落はそれほどまでの大事故で、大怪我だった。だから地元に帰ってゆっくりリハビリをして、第二の人生を歩もうとしているのだと思っていた。



「……死にかけたんだよ?」



「生きてるだろ」



 分からない。家が隣同士で、親次が競龍学校に入る中学卒業までの十五年間、一緒に育ってきた。だから自暴自棄になっていれば分かる。しかし、今の親次はどこからどう見ても自然体だ。死にかけてなお、当然のように龍に乗ろうとしている。



「三砂さん、行きましょう。タクシー待たせてるんですよね?」



「うん、まあそうだけど……」



 三砂が心配そうな顔をしている。親次は葵から躰を背けて駅を出ようとする。



「葵、言いたい事があるなら後でな。今日はテキ、調教師と話したい」



 親次は変わった。



 競龍騎手を目指した時か、競龍騎手になった後か、それは分からない。でも、同じ歳でも自堕落な大学生活を送る葵とは違い、親次は競龍に命を懸けている。



「待って」



 同じように育ってきた親次を、猛烈に動かしているのは何なのか。知りたい。これからの人生の為に、絶対に知りたい。



「チカは、なんでそこまでするの?」



「お前には関係ない」



 親次は振り返らなかった。モデルみたいな美女を急き立て、右脚を引きづり杖を突き、葵から離れていく。



 二年ぶりに会った幼馴染の戸次親次は、何もかもが変わっていた。

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