第三幕:わたしのお父さん

「ふむ、これは使えるかもしれん」


 お父様は蝶の形をした金のブローチを手にしながら考え込んでいる。


 それは細いひも状の金を細工したもので、羽根の部分は細長い輪っかを幾重に巻いて作られていた。

 黙ってお父様を見ていると、おもむろにその羽根をバラし始めたのだ。


 ぐぬぬぬぬ。

 あたしのお気に入りの一品だけど、今の状況では仕方がない。


 そう、今あたしたち二人は決して親子二人で水入らずの時間を、過ごしているのではない。

 この城の主である淫蕩な公爵と、その叔父である卑劣で傲慢な枢機卿の二人によって、拉致監禁という不本意な状況に置かれているのだ。

 きっと遠からず、我ら親子は今よりも悲惨な目に合うだろう。特に乙女的な危機が目前に迫っている。


 あたしもちょっとしたお茶目らんぼうろうぜきで、死亡フラグを立てているから注意が必要だ。


 そして、そんな絶望的な状況を抜け出すため、今必死で知恵を捻っている所よ。主にあたしのお父様が。

 大丈夫、あたしは自分のスカートの内側に隠しておいた品物を取り出す、という大事な役目を既に果たしたから。


 ちなみに他には、あたしの天蓋付きベッドの天井から剥がしてきた小さな魔石もあったけど、それはココで使えないと判断された。

 ただ相克属性、対立属性を持つ魔石同士をまとめておくと、そこにちょっと衝撃を加えるだけで爆発する危険があるので、幾つかの子袋に魔石を分けるように言われてしまった。


 この小粒の魔石でも指の一、二本が軽く吹き飛ぶらしい。わぁ、怖い、怖い。

 だから今は、お父様の指示通りに分けてから、スカートの内側の小さなポッケに収めておいた。


「うむ、これで良い」


 可愛らしい蝶の羽は、細い金のひも状の束となってしまった。


「こんなにしてどうするの?金は柔らかいから、鍵代わりにするのは難しいでしょ?」

「そうだね、ジルダや。だが見ていなさい」


 お父様はそう言うと、先ほどの金のひも束を手にしながら、古代語で魔法歌を詠い始めた。


「おきなさい おきなさい きんのたまご

 おもいだせ おもいだせ もとのすがた


 えいえんのひかりは だれのもの

 えいえんのすがたは われのもの」


 その歌を二度繰り返し、金のひも束に力強く息を吹きかける。

 すると驚いたことに、金のひも束は見る見る間にドロドロに溶けだす。


 続けてまた先ほどの歌を二度繰り返して詠い、再び力強く息を吹きかけると、今度は細い棒状に成形された。

 そして手にするそれに、息を吹きかけ続けながら、扉に向かって近づいてい行く。


 最後に一息大きく吹きかけると、扉の鍵穴にそれを一気に差し込む。


 それからお父様はそれを持つ手を、ゆっくりと……右に……回す。


 カチャッ。


「!?」


 扉の鍵は開いたのかしら?


 お父様は私を見ながら、空いている手の人差し指を立てて、唇に当てる。

 静かにしなさい、って事ね。 理解したあたしは黙って頷き返す。


 それから扉を少しだけ開き、外の様子を伺っている。


 再び私を見て、親指を立ててみせる。 大丈夫って事よね。


「これからどうするの?」と小声で訊ねる。


「ここを無事に出られたら、近くの茂みに身を隠すのだよ。そして騒ぎが起きたら、機を見て城門を走り抜けて新市街まで逃げなさい。いつも礼拝で行く川辺の小さな教会で落ち合うとしよう。夜明けの鐘がなるまでに」

「分かったわ、でも婆やも助けないと……」

「ジョヴァンナはわしで何とかしよう。ジルダは先にお逃げなさい」

「……うん、任せるね。あたしの大好きなお父様」


 そう言うと、あたしはお父様の両頬それぞれに軽くキスをした。


「あぁ、わしの可愛いジルダよ。無茶はするでないよ。お前は昔から怒りで我を忘れるからな」


 お父様はあたしを抱きしめ、いつものようにそっと優しく背中を撫でてくれる。

 大好きよ、お父様。


 危機的な状況の中でも、その時のあたしはほんのちょっぴりだけ、幸せをかみしめていた。



 お父様と二手に別れた後、あたしは途中で見つけた侍女部屋でメイド服を拝借し、それを着てから堂々と振舞うように食堂を通って、裏口から外に出る事ができた。


 時刻は深夜らしく、途中ですれ違う衛兵たちみな一様に、眠そうにあくびをしながら見回りをしているようだ。

 これは意外といけるかもしれないと思いつつ、こっそり隠れながら城門近くの茂みまで無事に辿り着いた。


 城門ではかがり火が焚かれており、そのすぐ横に四人の衛兵がたむろし、見張りをしている。

 さてと、城門を走り抜ける機会が訪れるまでは、ココに隠れておきましょうか。


 ・

 ・

 ・


 寒い……。ただひたすらに……寒い。


 秋も終わりに近い深夜の寒空の下で、こうして茂みに潜んでいると寒さで自然と体が震えてくるのだ。

 メイド服の下に、元々身に着けていた自分の衣服を着こんでいるけど、それでも寒い。


 城門のかがり火にあたりたくなる衛兵の気持ちも理解できる。今すぐにでもお隣で一緒に暖まりたいくらいだ。

 もちろんそういう訳にはいかないので、両手で自分を抱え込むようにして腕をさすり、少しでも寒さを紛らわせる。


 そうだ。魔石が使えないかと思い、スカートの内側の隠しポケットから全て取り出して確認する。

 しかし、暗くてイマイチどれが火属性の魔石か判断がつかない。

 これは火かな、光かな?


 そうこうしていると、辺りが騒がしくなってきた。


 そして少し遠くで、角笛を吹く音が聞こえてくる。


 お父様は上手くやってくれたのかしら?


 茂みの中から城門の様子を伺う。隙があれば、一気に駆け出して城門を走り抜けるために。

 取り出した魔石はスカートの隠しポケットに戻すが手間なので、右手と左手それぞれに、適当に魔石を分けて持った。


 ・

 ・


 チャンスが巡ってきた。

 今、城門を見張るのは一人だけ、後の三人は角笛の方に向かって走っていったのだ。

 あたしは茂みを抜け出すと、見張りに見つからないよう城壁沿いに城門へと近づいて行く。


 そして見張りが城門の外側に向いた瞬間、あたしは一気に駆け出した。



 見張りの横を走り抜け、そのまま全力疾走で坂道を駆け降りる。


 あたしのはるか後方で、深夜に城を抜け出すメイド姿のあたしを咎める声がした。

 でもそんなものは無視よ、無視!


 その後、あたしはお父様との約束通り、いつも通った川辺の小さな教会まで行き、顔見知りの司祭様に訳を話して、朝まで教会で匿って貰う事にしたのだ。


 あとはお父様と婆やが無事に逃げ出してくれると祈ろう。


 ・

 ・

 ・


 ────ハッ!?

 いつの間にか寝入っていたらしい。明け方になる教会の鐘の音で、あたしは目が覚めた。

 自分が今いる場所は、川辺の小さな教会の中の一室、香部屋だった。


 ここは礼拝の準備用品が置いてあり、もちろん教会の関係者しか入れない大切な場所である。

 あたしから事情を聴き及んだ司祭様が、念のためにとこの部屋に匿ってくれたのだ。


 部屋を出て、教会の外を見まわったが、お父様の姿も婆やの姿も見当たらない。

 二人に何かあったのかしら?


 あたしは教会の入り口前にある短い石段に座り、朝陽が登ってくるのを見ながら、二人が来るのを待っていた。


 でもいくら待っても、二人は来ない。

 (ああ、きっと二人は……)


 駄目よ、もう待ってられないわ。

 あたしは今しばらくここで待つよう引き留める司祭様の言葉を振り切り、川沿いを走って旧市街へと向かった。


 そしてアッサリと捕まったのだ。

 新市街と旧市街を結ぶ石橋のたもとで、あの四角い顔の老人とごろつきどもに……。


 ・

 ・


 彼らに捕まったあたしは、汚れた布切れでさるぐつわをされ、手首と足首を目の荒い麻縄で縛りあげられていた。

 そして頭から大きな麻袋を被せられて、下卑た表情をする野獣のような男たちに、あたしは担がれ連れ去られる。


 しかも事もあろうか、その男たちは担ぎ上げて運びながら、清らかなあたしの体の至る所をまるで嘗め回すかのように、汚らしい手で欲望の赴くままに弄ぶのだ。


 コラ……、さわ……、痛い……やめて。

 なんで……よ、もう……。


 そのような乱雑で酷い扱われように、あたしの心と体は痛み、混乱し、涙した。


 おい! 

 今、あたしの少しばかり薄いけんきょな胸を力いっぱい揉んだ後に、期待外れと言った奴はどいつよ!? 

 あとで必ず成敗してやるからな!!


 ・

 ・

 ・


 それから石橋を渡ったのか、川の水音は聞こえなくなり。

 しばらくすると、いずこかの邸宅にあたしは運び込まれた。


 そして麻袋の中から出された後、後ろ首を掴まれ、そのまま地面にひざまずかされる。


 周りの大きく立派な建物を見るかぎり、ここは貴族が住まう屋敷であり、その中庭らしい。

 そして直ぐ近くには、大きな井戸がある。


 正面を見ると、あの憎々しげな四角い顔がある。

 確か、枢機卿のイグナチオとかいう老人だ。


「ようやく捕まったようじゃな。小娘如きが我が輩を手間取らせよって」と吐き捨てるように言う。


 あたしも言いたい事が山ほどあったけど、さるぐつわをされていては、モゴモゴ喚くのが精一杯だ。

 そんなあたしを横目にしながら、老人は言葉を続ける。


「ふん、あの道化も老婆も今頃は処刑場で縛り首になっておろうな。公爵暗殺の罪で」


 な、なんですって!? 

 それってどういう事よ!!


 あたしは立ち上がろうと暴れるが、文字通り首根っこを掴まれていては、それも叶わない。


「我が輩の可愛い甥が、この小娘に執心しなければ、もう一人縛り首にできたが残念じゃよ。

 まぁよい、所詮は平民の小娘じゃ。飽きるまで弄び、その後は娼館にでも送り込めばよいわ。フハハハハ」


 しかしあたしは顔を真っ赤にして、にひざまずいたままモゴモゴと喚くだけだ。


 そんな哀れな私の顔をよく見ようと、老人が顔を近づけた瞬間、あたしは一矢を放つ。

 あたしはそれまでしっかりと握りこんでいた右拳の手のひらの中にある物を、四角い老人の顔に全力で叩きつけた。


 それは捕まる直前に、右手に握りこんでおいた小さな魔石の粒だった。


 お父様の話では、小粒の魔石は精々その属性の発光色を放つていどの魔力しかないが、相克と対立関係にある魔石をまとめ、そこに衝撃を加えると爆発するのだ。


 例え小さな魔石でも、ちょっとした火傷怪我を負うくらいの爆発力はあるらしい。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 あたしの手は前で縛られていたので、ある程度の自由は利く。油断した方が悪いのよ!

 その不運で憎たらしい被害者は、両手で顔を覆い、地面を転がり回っている。


 これはお父様の仇の、前金代わりね。


 だがその後、逆上した老人によって私は、すぐ近くにある井戸に突き落とされた。



 井戸は──────とても深い。



 そこに落ちたあたしは手も足も縛られており、もちろん泳ぐ事はできない。


 そもそもカナヅチなので、もし手足が自由でも無理。


 さるぐつわをされた口の中にも、喉の奥にも次々と水が浸入してくる。


 ・

 ・

 苦しい。息ができない。

 ・

 ・

 それ以上に。 悲しくて、苦しくて、恨みがましくて。

 ・

 ・

 つらかった。


「ごめん、お父様」


 ・

 ・

 ・


「ごめん……、お母さん……」



 あたしの命の灯火は、ココで消えたのだ。


 **********************


 わたしは一人でピアノを弾いていた。そして歌い始める。


 ・

 ・


 『ああ、私の大好きなお父さん


  彼が好きなの、とても素敵なの


  ポルタ・ロッサ通りへ行きたいの


  指輪を買うために 』

 


 『そう、そうなの


  どうしても私は行きたいのよ


  もし、私の愛が報われないなら


  ヴェッキオ橋へ行くわ


  アルノ河へ身を投げるために』



 『私はとても切なく、苦しんでいるの


  ああ、神様


  いっそ私を死なせてほしい


  お父さん、どうかお願い、お願いです』


 ・

 ・


<ジャコモ・プッチーニ作、オペラ【ジャンニ・スキッキ】より、アリア『私のお父さん』/訳:Principe>



 いつものように、わたしのすぐそばには母がいた。

 今日も微笑みながら黙って聴いてくれた大好きなお母さん。


 わたしは父の顔を知らない。


 母子家庭の私には、大好きなお母さんだけがこの世界で唯一の存在、全てだった。

 だから二人三脚で、私の夢に向かって一緒に頑張ったのだ


 でも……。


 その夢も失われてしまった。 


 永遠に……。


 悲しい。 

 大好きなお母さんと夢を失ったから。


 悔しい。 

 大好きなお父さんと平穏な日々を失ったから


 ・

 ・

 ・


『あかねの信じる道を、お行きなさい』


 あたしの目の前にいるお母さんがそう言ってくれた。


『うん、分かったわ。お母さん』


 次こそは、大好きなお父様を救ってみせるから。


 ・

 ・

 ・


 そしてあたしは、また歌い始めるのだ。

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