第一幕第二場:これは恋かしら?それとも死亡フラグ?


 夕食後、あたしは毎日夜遅くに帰宅するお父様を一人で待っていた。


 ミランダは夕食の準備が終わると、いつものようにいそいそと帰っていったのだ。彼女には幼い一人息子がいるのだから、当然のことだと思う。ちなみに朝の早い婆やは、いつものように一足先に自室で眠りについたようである。

 

 そしてあたしは玄関広間にある暖炉の前で、長椅子に座わって詩集を読んでいた。

 暖炉の火にあたりながら、長椅子の上で寝転がっていると、すご~く眠くなる。

 何よりも心に響かない詩を読んでいると、眠気は増すばかりで、私のまぶたも店じまいを始めたようだ。


 そんな夢うつつ状態の時。



 ギイッ……ガチャ。


 ……何やら遠くで音がする。扉が開閉したのかな……。


 ギッシ、ズズッ。   

  ギッシ、ズズッ。

   ギッシ、ズズッ。


 そして足を引きずるような音が、ゆっくりと私の方に向かってくる……。


 バサッ。


 うつぶせの状態で、寝入っているかに見えただろうあたしの背中に、誰かが外套らしきものをかけてくれた。


 おそらく、お父様だろう……。


「ジルダや、わしの可愛いジルダ。ここでは風邪をひいてしまう。さぁ、お前のお気に入りベッドに行こう」


 そう優しく、あたしにささやくのは、私のお父様だけだ。


「うん、行くわ……」と半ば寝ぼけながら立ち上がると、あたしはお父様の左腕に抱き着きながら、ノソノソと二人で自分の部屋に向かった。


 ・

 ・


 あたしがお気に入りの天蓋付きベッドに潜り込むと、お父様は私の頬に軽くキスをしてから立ち去ろうとした。


 だがしかし、あたしがお父様の手を掴んで離さなかったので、その試みは完遂する事ができなかった。


「どうしたジルダや、何かあったのかい?」


 やはりお父様はいつものように優しく訊ねてくれる。これはお願いチャンスタイムだ。

 それを見越していたので、あたしは眠気に負けそうになりながらも、必死な面持ちで昼間の件を訴えた。


 つまりこういう言い分だ。


 教会の礼拝時に、怪しい男に言い寄られた。とても恐ろしくて、身の危険を感じる。ひょっとすると強盗の一味かもしれない。だからこの街を引き払って、治安が良い王都にでも引っ越しましょうと。


 黙って話を聞いていたお父様は、この渾身の訴えに思う所があるのか。


「分かった。では近日中に旅立てるように、明日から必要な荷物をまとめておきなさい」と私の希望を汲んでくれた。


 よっし、これで死亡ルートは回避よ。

 と心の中でガッツポーズを取りながら、あたしはお父様の左手にお休みなさいのキスをした。


「おやすみ、わしの可愛いジルダ」


 そう言うと、あたしの頭をそっと優しく撫でてくれた……。


 ・

 ・

 ・


 ……様、お嬢様と遠くで呼ぶ声がする。


 いずこかのお嬢様ぁ……。お呼ばれしていますよぉ……。


 あたしの方はまだ眠いので、もう少しだけ寝かせて頂きますよぉ……。


 ・

 ・

 ・


 ドンドンドンッ。


「お嬢様、起きてください! お客様がお越しですよ!」


 部屋の外から扉を叩く音と共に婆やの呼び声がした。


 あぁ、あたしの事なのね……。お嬢様と呼ばれている方は……。


「もうちょっ……」


 ギイイイィ。 と扉を開く音。


 そして慌ただしく部屋に入ってきた婆やの足音は、窓際に向かい、部屋のカーテンというカーテンを全て開けてしまったのだ。


 あぁ、暖かい陽光が私を照らしてくれる。

 どうやらさらなる眠りにいざなってくれるらしい……ぐぅ。


「お嬢様! 駄目ですよ! 起きなさい!!」


 珍しく婆やの厳しい声が飛んできた。

 ねぇ婆や、この前、あたしがオヤツをつまみ食いした時よりも、口調が厳しくない?


 ・

 ・


 あたしは極めて不本意ながらも、婆やに説得されたので、致し方無く階下の応接間に重い足を運んだ。


 しかも私は顔も洗わず、髪に櫛を入れる事もなく、寝間着の上にガウンを羽織っただけだ。

 それもそのはず、訪問客は昨日の礼拝で出会ったコイツなのだから、丁重な対応も不要と言うものでしょう。


「…………………………」


 あたしは挨拶もせず、押し黙ったままで長椅子に座った。


「……」


 すると男は椅子から立ち上がると、大きな深呼吸を一度する。


 そして意を決したのか、勢いよくあたしに向かって頭を深々と下げてからひと言。


「昨日は大変失礼な事を致しました! 本日はその謝罪のために、こうして参上した次第です!」


 昨日見た軽薄そうな男とは思えぬ言動だ。

 確かに見た目は同じだが、その雰囲気はまるで違うように感じる。


 そうか。本日のお召し物が、何故か地味目だからか。

 そう言えば昨日、確か渾身の頭突きを顔に入れたはずだけど、今のコイツの顔はまるで怪我をしていない。 

 治癒魔法で治したのかしら? お金持ちのボンボンならあり得るかしら?

 ならば僅かながらの罪悪感は、ここでチャラにしておきましょう。


「……朝からうるさい」


 だがしかし、心が氷河期を迎えている私は塩対応である。


「申し訳ありません。しかしながら今はもうお昼ですよ」


 ちゃんと声のトーンを落とした上で謝りつつ、キッチリ反論してくるのが何だかしゃくにさわる。


「……昼でもうるさい」

「おっしゃる通りです。先ほどからのご無礼をお許しください」


 また深々と頭を下げる男。


 お、今度は頭を上げずにそのまま維持ですか?

 先ほどから男の言動が面白いので、観察するためあたしの視線はそちらに引き寄せられてしまう。


「で……、どうやってここまで来たの?」と探りを入れる。


「ハッ、自分の愛馬で参りました」と頭を下げたままで答えてくれた。


「ふ~ん、貴方の愛馬は初対面であるあたしの屋敷を知ってたのね……」


 ちょっと嫌味な感じでつっこむ私。


「そう言う意味ではなく、移動手段としての愛馬です。貴女のお屋敷の場所については、家中の者に調べさせました」


 その真面目な返事に、あたしは大変失望しましたわよ?

 (でもわたしはちょっと好きかも?)


「それはどのような家中の方なの? ひょっとして私の好きな食べ物から、下着の色まで調べたとか!?」


 今度はちょっと圧迫気味につっこんでみた。


「いいえ、決してそのような事はしておりません。知り合いの商人経由でお屋敷の場所を伺っただけです! だからお名前も知りません。ただ……花と甘いものが好きとお聞きしたので、お詫びの品としてお持ちしました。お受け取り下さい!」


 そう言うと、薄い紫色のシクラメンの花が植えられている小さな花鉢と、甘いアーモンドの香りがする包みを取り出し、あたしに差し出してきた。


 ほぉ、これは存外からの不意打ち。

 花もいいけど、包みの中が気になってしょうがない。何せ私は昼食どころか、朝食もまだなのだから。


 思わず受け取りそうになったが、私は歯を食いしばってこらえた上で訊ねてみた。


「それは何なの? アーモンドの香りかしら?」

「はい、アーモンド風味のクッキーでチョコレートクリームを挟んだ菓子です」


 おぉ?これは気になる。


「へぇ~、どこのお店で買ったの? まさか王都からのお取り寄せ高級品とか?」


 その香りから推測するに、高級菓子な予感がする。

 ただし包みが絹や綿ではなく、麻の布なのが気になる。

 なぜ? あぁ、通気性を良くするためとか?


「いいえ、これは手作りです。本日伺うために徹夜で用意しました」


 なるほど。


「貴方の家中の者が?」


「いいえ、私が一人で作りました。菓子作りにはいささかながら心得がありまして……」


 お、恥ずかし気な表情もするのね? ちょっと初々しくて、可愛いかも?

 だめだ、だめだ。いつの間にかコイツのペースに乗せられている気がしてきた。


「じゃあ、こちらも?」


 気を取り直して、ちょっと意地悪気味にシクラメンの花鉢を手に持ってみた。


「はい。いや、その花鉢は私が王都で買い求めた物ですが、シクラメンは私が育てました」


 なんと意外!? 

 菓子作りが出来て、花を育てたりするとは、これは侮れぬ男だわ。


「確かに今の時期がシクラメンの咲き頃よね。ふ~ん……」

「お気に召しませんか?」

「…………………………」


 どう答えるか悩む。謝罪は受け入れず、詫びの品だけ頂けないかしら?


「そうね、悪くは無さそうだわ……」


 するとコイツは一息ついて。


「ありがとうございます! 併せて、受け入れてくださるのであれば幸いです」


 先ほどから、まるで理詰めで迫ってくるチェスの指し手のような会話の流れに、あたしはバツの悪さを感じていた。

 もしこれを断ったならば、あたしの評判に関わりそうだなぁ。


 もっとも気にする評判なんて、自分には――――ないけどね!


「……しょうがないわね。分かったわ、貴方の謝罪を受け入れてもいいわ。でも先ず貴方からこれを食べてみなさい」


 あたしはそう言って、麻布に包まれる一口サイズの丸いクッキーを一つ差し出した。


「私がですか?」キョトンとした表情で答える。


「そうよ、殿方が毒味をするのは当然でしょ?」


 確かにと男はうなずき、差し出されたクッキーを取り、自らの口に放り込んだ。


「それで、これは何という名のお菓子なの?」


「………………。バーチ・ディ・ダーマです」


 ちゃんと口の中のモノが無くなってから答えてくれた。お行儀のよい男みたいね。


「”貴婦人のキス”とは洒落た名前よね。どこで習ったの?」


「王都の王立軍事学院に在籍していた折に、下宿先のパン屋で教わりました。店の主人の話では、二つのクッキーがチョコを挟んでキスをしている様子から名付けたそうです」


「へぇ~、そうなんだ」


 気のない返事をしたが、王立軍事学院と言えば王国軍の幹部候補を育成する凄いところだと、箱入りニート娘でも知っているわ!つまり騎士様の可能性もあるわね。


 でもコイツは本当に、あのオペラの登場人物なのかしら?

 昨日のコイツは確かに、女たらしの公爵のようだった。


 でも今はまるでちがう。 

 ただの良家のお坊ちゃんにしか見えない。


 姿かたち、素敵なテノールの音色は一緒だけど、まるで別人物のように感じる。


 当初の印象とは真逆の情報ばかりで、私の頭は混乱していた。

 ますます分からなくなってしまった。


 そもそもあたしの前世の記憶は、本当にのだろうか?


 単なる勘違い?


 それとも行き遅れの妄想ゆめ


 その後の細かい会話は、あまり記憶に残ってないけど、まぁ悪い奴では無さそうなのは、理解できた気がする。

 結果的に、今回だけは許すというていで、謝罪をしぶしぶ受け入れる事にした。


 うん、詫びの品も気に入ったしね!

 (そうね、本当に素敵な殿方だしね)


 それから婆やとミランダも含めて四人で一緒に午後のティータイムを過ごした。


 その際に、ミランダの爆乳に全く視線が躍ることもなく、終始とても好感度の高い紳士的な言動だったので、いつの間にかあたしは心の中で彼を許していた。


 そしてその後、彼は外せぬ用事があるからと大人しく我が家を退去していったのだ。



 ちなみにその日の夕食の準備中、婆やから言われた次の一言にあたしはひどく動揺した。


「先ほどの殿方を見送る際のお嬢様のお顔は、とても楽しそうな笑顔でしたねぇ」


 なんてことでしょう……。


 確かにあたしは、正体不明の胸の高鳴りを感じていた。


 そして生まれて初めてのそれに戸惑う。



 これはひょっとして、──  なのかしら?


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