第一幕第一場:歌の記憶(第四編)

 

 人というものは、ここぞとばかりに思わぬ力を発揮するものである。


 例えば、火事場において幼い我が子を助けるために、大の大人が三人がかりで持ち上げる重い梁を母親一人で持ち上げたり。

 また時に、暴漢に襲われたいたいけない美少女が、男に目潰しをした上で股間を思いっきり蹴り上げ、教科書詰まった重いカバンで滅多打ちにする事がままある。


 …………ちなみに前半分は前世の私の母の話で、後ろ半分は前世の私の中学生時代の実話だ。


 これがもし前世であれば、女子陸上の中距離走で金メダルを取れたのでは?と思えるほどの快速で、教会から公園通りまで走り抜けた。


 そして我に返り立ち止まる。


 なお今、自分の目の前の屋台で揚げられているアランチーニライスコロッケの美味しそうな香りに惹かれた訳ではない。決して。


「しまった、婆やを置いてきちゃった……」


 ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ~。


 どうやらあたしの胃袋が欲しているものは違うらしい。

 でも幸いにも、いつもの事だけど持ち合わせが全くない。(えっへん


 何せ銀貨はたった一枚でも、そこそこの重さ(約30グラムほど)がある。


 日常の買い物で大金を持ち歩く事は滅多にないけれども、貨幣の詰まった袋で頭を殴ろうものならば、子供でも大人を殺せるかもしれない。だからか弱い私には、そんな重い凶器は持てないのよ?

 そしてその通貨兼ころしの道具は、常日頃から婆やが管理している。


  ・  ・  ──。


 あたしの胃袋に入るべきアランチーニを手にするためには、あの教会で出会った悪漢から婆やを救わなければならないのだ!!


 行くしかない。

 たとえそれが、イバラの道を行くとしてもだ。

 揚げ物屋台の前で、決意を新たにしたあたしは、身を翻し再び教会へと疾走した……かに見えた。


 と言うのも、公園通りの端まで走ると婆やと再会できたのだ。

 婆やは息を切らして、今にも命の灯が絶えそうな雰囲気があった。それには流石にあたしも猛省する。

 そしてあたしは婆やに肩を貸して、近くにある公園のベンチまで連れて行き、座らせしばし休ませた。


 その間にお財布を拝借して、屋台でちょっと食べ物を買い付けたのだ。

 もちろん、婆やのための気付用にと、赤ワインも一杯買ったおいた。

 あとは私の葡萄ジュースとアランチーニライスコロッケ、ザクロくらいか。お気に入りのジェラートについては、夕食の買い出しの際に買う予定である。


「はぁ……、落ち着きましたよ。お嬢様……」


 婆やもワインを飲んで、少しは落ち着いたらしい。


 でも待って欲しい。


 今のあたしは熱々のアランチーニを食しているのだから、手と口が離せないのよ。ごめんね、婆や。

 それを夢中で頬張っていると、婆やがあたしの背中をそっと優しく何度もなでてくれた。


 それがたまらなく好きだった。


 何やら申し訳ない気持ちでいっぱいになったので、三個目のアランチーニを半分こして、黙って婆やに差し出した。

 婆やも分かっているのか、黙って受け取り食べてくれた。


 そしてすかさず、あたしはデザートのザクロを食べ始める。


 あぁ、なんて幸せなひと時だろうか……。


「それにしても、……変な男だったわね」

 

 そんなこんなであたしたちは、公園のベンチでしばしの休息を楽しんだ。

 その後、婆やが馴染みにしている、露天商の店を次々と回って、二人で持ちきれないほどの食材を買い込んだ。

 もちろん、自称か弱いあたしと膝の悪い婆やには、それらの持ちきれないほどの食材を抱えて帰る術はない。

 故に露天商の元で、下働きをしている少年にお小遣いを渡して、一緒に屋敷までに運んでもらう事にしたのだ。

 それでも一人当たり分量は相当なもので、膝の悪い婆や2:か弱いあたし2:下働きの少年6という割合に


 なりそうだったと言うのは、丁度そこに屋敷で働く家政婦のミランダが通りかかったからだ。

 これ幸いと、彼女に少年の担当する荷物の半分を持ってもらう事にした。



 それにしても──、は一体なんなのだ。


 ミランダはの前で、重い野菜の詰まった麻袋を三つ抱え込んでいるのだけれども、その絵面が何やらスゴイ。


 何せ彼女の豊満な胸が、抱える野菜に下から圧迫され、歩くたびに激しい自己主張をするからだ。

 自分はココにいるぞー!! ってことですかね……。


 そう、誰しもが、特に男性諸氏が理解しやすいように正確に伝えよう。


 それは紛れもなく、爆・乳という危険なヤツだ。


 前に一度、床掃除中の彼女の背中に負いかぶさるようにして、その危険なヤツを揉んだ事があるけれども、それはもうスゴイ手応えだったわ……。

 まるでマシュマロのように柔らかいものが、この手のひらからあふれてくるのよ。それもメロンサイズより大きなものが。


 これはもう殿方の目線を、いつだって釘付けにするのも、うなづけますわ。


 こら少年、を見るな。出血死をしたいのか?


 確か以前の彼女は、様々なお屋敷を短期間で転々とするように勤めていたって話だけど、それも当然でしょうね。

 あんな危険なヤツラが屋敷内にあれば、旦那様方をはじめとする殿方は皆鼻の下を伸ばし、奥様方の平穏な生活はかき乱されるに違いない。


 事実、色々あって小さい男の子を抱えるとなったらしい。きっと過去には彼女なりの苦労があったのでしょうね。

 そして今では、お父様と婆やと箱入り娘が住む男子禁制の屋敷に、通いで家政婦として勤めてもらっている。


 ・

 ・

 ・


 そんな訳で、なんとか無事に屋敷まで、運び込むことができました! (パチパチパチ


 ただ残念な事に、ミランダの色香にやられたいたいけない少年は、お役目を終えた後も屋敷の前で、暫くボーッと惚けていたようだ。


 早く帰らないと風邪ひくぞ? 

 それに道を踏み外すなよ、少年?


 それから夕食の準備を始めた二人をよそに、あたしは一人でゆっくり湯船に浸かり、今日一日の疲れを癒す事とした。

 もちろん、さらっと浴槽にお湯を用意してくれたのは、婆やの火魔法のお陰である。


 そして記憶は定かではないけど、いつの間にか(?)入手していたバラの花束を使って、湯船の中に花びらを散らした。


 しばらくすると、お湯で温められたダマスクローズの花びらからは、強くそして麗しい素敵な香りが立ち登る。


 あたしは湯船にしっかり浸かって、足先から太ももの付け根までマッセージをする。


 次は左腕、そして右腕。

 それから脇から胸、両肩と首。

 最後に……顔もだ。


 特に目じりから、こめかみまでは、念入りにしておいた。


 ひと段落したら、湯船の中で体を伸ばしリラックスしてしばし目を閉じる。

 (ああ、この感じは久しぶりね。やっぱりコレが一番だわ……)


 ・

 ・

 ・


 ふわぁ~、っとあくびが思わず出る。


 致し方ない、今日は色々あり過ぎたのだから……。

 それから湯船でまどろみながら、あたしはいつの間にか、夢の旅路へと向かった。


 **********************


 わたしは空の上から、それらの出来事を見ていた。


 あるところに年老いた道化師がいました。

 彼は主君である公爵の悪事に、嬉々として加担していたのです。


 時に若い娘をかどわかしたり、時に人妻を寝取る手引きをしたりした。

 また同僚を貶めたりなどと枚挙にいとまがない。


 そして今、主君のライバルである伯爵を愚弄している。

 伯爵の娘は先日、道化師の手によりたぶらかされ、公爵に傷物にされていたのです。それに激怒した伯爵は、公爵と道化師に抗議をしに来ていました。


 彼は「父親の苦悩を笑うお前は、呪われよ」と不吉な言葉を残し立ち去ります。

 この時、道化師はその言葉に、内心慄おののいていたのです。

 彼にはたった一人の、箱入り娘がいたからです……。


 しかし彼の娘は既に出会っていたのです。

 毎週日曜の礼拝のために訪れる教会で、貧乏学生のふりをした主君の公爵と。

 そして世間知らずの娘は恋に落ち、父親が不在の間に公爵と密会を重ねます。


 一方、いつも他人を嘲笑する道化師は、主君以外の皆から憎まれていました。

 それ故に、彼は騙だまされ、愛娘を誘拐されてしまったのです。


 奇しくも娘の身柄は、主君の公爵に献上されました。

 娘をかどわかされ、手籠めにされた事を知った道化師は怒り狂い、その憎しみを主君に向けます。


 それから彼はとある殺し屋に大金を渡し、公爵の暗殺を依頼しました。


 嵐が吹き荒れる夜、街外れの居酒屋に今宵の女を求めて訪れる公爵。

 その居酒屋を経営する殺し屋は、請け負った殺害の準備をしていました。

 しかしそこに娘が現れたのです。愛する人の身代わりとなるために。


 愚かな道化師は、殺し屋から約束通りの死体が入った袋を受け取ります。

 そして帰り道、遠くから聞こえてくる公爵の歌声に気づきました。

 道化師はまさかと思い、袋の中を確認します。


 そこには、息も絶え絶えな愛娘の姿があったのです。


 こうして伯爵の呪いの言葉は、その身に降りかかりました。


 ・

 ・

 ・


 あぁ、……思い出した。

 これはわたしが初めて観たオペラ、憧れたヴェルディのオペラ『リゴレット』だ。

 しかし何かがおかしい……。


 娘の顔が、わたしにそっくりだ。


 そして道化師の顔は、お父様にそっくり。

 主君の公爵閣下は、教会で出会ったことのある素敵な殿方のようだ。


 これって……。


 わたしは異世界転生した今の人生は、オペラの筋書き通りになる運命なの?

 このまま行けば、わたしは身代わりとなって、最後にはのヒロインなの?


「お母さん、……助けて」


 **********************


 あたしは湯船の中で、溺れかけて目覚めた。


 ダマスクローズの香りは、もう散り去ってしまったようだ。

 それにしても、さっきのは一体何だったのかしら?

 おぼろげだった前世の記憶が、少しだけ鮮明になったように感じる。


 今、あたしは大事な盤面にいるのではと、顔の下半分をぬるくなった湯につけ、ブクブクと音を立てながら考え込む───。


 ──でも、考えがまとまらない。


 そうだ、先ずは婆やの美味しい手料理を食べてからね!


 そうと決まるとあたしの行動は早い。

 直ぐ湯船から出ると、いそいそと着替える。


 そして階下から匂ってくる、その香りの元を突き止めるために、部屋を飛び出るのだ。

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