第3話 小学校2年生から3年生

 6月の日曜日に剣道の全日本選手権の県予選大会が県立武道館で行われた。

 この大会は、現役を退いた三人の男が出場するということで話題を集めた。

 一人は全日本選手権大会で優勝経験のある俺の父親と、全日本選手権大会でも争った事のある突きの斎藤新次郎、それにもう一人、孤高の天才と謳われた鳥飼要一郎という男だ。

 俺は親父の応援のために武道館の最上部で戦いを観戦していた。

『ドーン』『ドーン』

と独特のリズムを持った太鼓の音が武道館の剣道場に響き渡る。

 選手権の県予選大会の試合が開始された。

 親父や斎藤新次郎、鳥飼要一郎は順当に勝ち上がった。


 昼の休息を挟んで準決勝、そして決勝戦だ。

 親父はお茶を一口含み飲み干すと道場の片隅で座禅を組んだ。

 よく見ると斎藤さんも鳥飼さんも同様に座禅を組んでいる。

 観客がそれを見て少しどよめいたが、そのうち静かになり時が過ぎていった。

 係員が準備を始める。

 準決勝の俺の親父の相手は後輩の県警剣道特練のキャプテンで柊幸雄五段だ。

 隣の試合場は斎藤さんと鳥飼さんだ。

 両方の試合場の主審が

「はじめ」

と宣告する。

「イヤー」

という大声が響き渡る。

 俺の親父と後輩の柊さんは相中段、斎藤さんは中段、鳥飼さんは上段で闘いが開始された。

 しばらく両方の試合場で静かな攻防が行われた。


 親父と柊さんの試合も斎藤さんと鳥飼さんの試合も延長寸前の一瞬で終わった。

 親父と柊さんの試合は、柊さんが無理に面に来ようとしたところを出小手で切っておとし、斎藤さんと鵜飼さんの試合は鵜飼さんの一瞬の隙をついた斎藤さんの片手突きが炸裂したのだ。

 戦いを終えた二人が挨拶をする。

 決勝戦は俺の親父と斎藤さんの闘いになった。


 決勝戦、主審が

「正面に、礼」

俺の親父も斎藤さんも正面に礼をする。

 相互の礼をしてお互いに帯刀したまま開始戦までスルスルと進む。

 両雄が蹲踞をする。

 主審の

「はじめ」

という宣言と共にお互いがせり上がるように立ち上がり、竹刀の剣先と剣先が触れあうとお互いが

「イーヤ」

と大きな気合が道場を圧する。

 その後は竹刀が    

『カチカチカチ』

と触れあう小さな音が静まり返る道場内に響く。

 斎藤さんが強引に攻め込む、親父はそれに合わせて下がるように見せて小手を打つ、薄い、一人の審判の旗が上がるが二人の審判が両旗を前下で激しく左右に振って認めない。


 また大きな気合の後に、静かな攻防が始まった。

 斎藤さんが小手面の二段打ちを放つ、親父は小手を受けて合い面に返す。

『パーン』

というお互いの面が同時に決まる。

 審判も同時と見て旗がピクリとも動かない。


 何度か攻防が行われる、膠着状態が続く

『チッチッチッ』

道場の大時計の針の動く音がやけに大きく聞こえる。

 時間がない、いきなり斎藤さんが突きを出す、親父は体を開いて片手面で返す。

『スパーン』

と小気味よい音が響く、審判の三本の旗が同時に上がる。

 主審の

「面あり」

の声が響く、どよめきとパチパチという拍手が観衆から起こる。

 主審が

「二本目」

と宣告したとたん係員が時間のホイッスルを鳴らし、黄色い時計係旗が上がる。


 俺の親父の一本勝ちだ!

 俺は小さく

「よし。」

と言うと前に座っていた、俺と同年齢の子が振り返る。

 アーモンドの形の少しつり上がった目をした子だ。

 小学校1年生の決勝で戦い、時々県の武道館で稽古もしている武田真だ。・・・いつもは見慣れた剣道着姿ではない、半ズボンを穿いてショートカットの武田真を見てチョット・・・(嫉妬かいけないな凄い美男子で)女の子にもてる男の子だと思っていた。

 突きの斎藤新次郎は武田真の指導者だ。

 武田真は

「今度、突きには貴方のお父様のように対処すれば良いのね。」

と形の良い真赤な口を上げてニヤリと笑った。


 俺の親父が県予選を優勝で飾り、なんと11月の文化の日に東京都の日本武道館で開催される全日本選手権大会に出場することになった。

 それでも俺は警察署の道場では剣道をしないで柔道の稽古を続けた。


 夏休みになった。

 俺の親父も刑事なのに五日程も夏休みをとって鹿児島の親父の実家に里帰りをした。・・・仕事大丈夫か親父!

 親父は次男坊で、上の兄貴は大学の教授様で鹿児島市内に住んでいるそうだ。

 教授様の娘が高校2年生になった沙織さんと大学1年生の大輔さんと大学院に進学した幸人さんだ。

 3人とも剣道の有段者だ。・・・幸人さんは大学選手権で優勝した事もある猛者だ。大輔さんも幸人さんもでかい!背も高ければ、肩幅も広い!


 鹿児島の実家は立派な道場がある。

 そこで朝から晩までその3人も泊まり込みで剣道の稽古をしていた。

 沙織さんは俺の親父が来た日から5日間薙刀の稽古をお休みして親父の稽古につきあってくれているのだ。

 赤いリボンで髪を縛り、赤胴に白い剣道着を着て道場に入ってくると凛とした空気が漂う。・・・そう言えば武田真も同じような空気を纏っている。いかん可愛い顔をしていても武田真は男だ!

 この家の主の爺さんも祖母も剣道をする。・・・するどころではない、県警師範の爺さん以上の気迫と腕前だ。あとから良く聞いたら元県の剣道の会長先生だったそうだ。祖父と祖母は剣道で知り合ったらしい。


 親父が帰宅する前日に親父の兄貴の教授様が現れた。

 教授様は淳一郎で俺の名前に一文字「郎」をつけるだけで親近感を覚えた。

 本人を見た途端、親近感は吹き飛んだ。

 去年退治したエゾヒグマだな、俺の親父よりもデカイ、180センチ以上ある俺の親父よりも背が高く、筋肉隆々としている。


 お互いが道場で竹刀を構えると迫力がある。

 稽古になればなおさらだ、道場に

『パン』『パン』

と剣道独特な大きな踏み込み音が響く、

『スパーン』『ズバン』『パーン』

と小手や面、胴を抜く重い大きな音が響き渡る。

 音だけ聞いても竹刀で切られているようだ。

 

 30分程の稽古で二人の竹刀がボロボロになった。

 竹刀を取り替えて、その後再度稽古を続けた。

 また二人の竹刀がボロボロになった。

 そこに祖父の道淳が入ってきて、二人に稽古をつける。

 二人とも俺が親父にやられたように、突かれて竹刀で転がされ、二人が使っていた竹刀のようにボロボロにされた。

 沙織さんをはじめ俺達従兄妹が震えあがった。


 親父が帰る最後の夜ということで宴会が開かれた。

 流石に尚武の国で酒が強い。

 鹿児島県と言えば薩摩芋、薩摩芋と言えば芋焼酎、その芋焼酎を飲みまくった。

 酒に酔うと親父の標準語が段々と崩れて行き、鹿児島弁になってきた。

 わあわあいっているだけで、何を言っているのか分からん。

 それでもいつもは謹厳実直で笑顔も見せない親父が楽しそうだ。


 最後には祖父と親父達兄弟で明け方近くまで飲んでいた。

「俺は今回の選手権頑張るからな。迎えは俺が来るからそれまで頑張れ。」

といって酒臭い臭いをさせながら俺の親父は帰っていった。

 俺の伯父さんは酒を控えていた従兄の幸人さんが伯父さんの乗ってきた車を運転して皆で帰った。

 沙織さんは薙刀部のインターハイ出場が決まったが、他県なので今年はここでは部活の泊まり込み練習はしないそうだ。

 静かになった。今日は休みかと思ったら御祖母さんが薙刀を構えて道場で待っていた。・・・御祖母さん祖父や息子ども相手で大変だったろうに⁉

 沙織さんもいないので寂しい夏休みになりそうだ。


 それでも今年の夏休みは乗馬を楽しんだ。・・・農耕馬だけでなくて、競走馬も購入したらしい。好い馬で地方競馬では連戦連勝で祖父もニコニコしている。

 その関係で足の速い競走馬にも乗せてもらっている。

 投擲術の方はナイフでは無くて手裏剣になった。

 祖父は伊賀崎道淳というが戦国時代で同じ読み方の伊賀崎道順と言う名前の伊賀流の忍者がいる。・・・どうもこの人が先祖らしい。

 それでか伊賀流の十字手裏剣を投げる稽古になった。

 鉄製の手裏剣は薄くてかさばらないが、重さが無いので威力がない。


 重さのある山刀を投げていたら祖父が驚いて見ていた。

 山刀を祖父に見せながら

「北海道の祖父からもらった。」

といったら、クナイと棒手裏剣の方が良いかと言って何本もくれた。

 かさばるがとても便利だ。

 御祖母さんとの薙刀の稽古の他に、槍の稽古と杖道の稽古も加わった。

 覚えることが多いので大変だが面白い。

 沙織さんがいなかったが、夏休みはあっという間に終わった。


 迎えは親父のかわりに母親がきた、何でも親父は暴力団の抗争事件による大量殺人事件にかかりきりになって迎えどころか剣道の稽古もできないようだ。

 俺は母親と一緒に帰った。

 帰宅後、何か月も親父は帰ってこなかった。

 大量殺人事件の関係で、警察署の柔剣道場は捜査員の仮眠室になった。

 その間は警察署の柔道教室は休みになった。・・・当然剣道教室もだ。


 親父が帰ってこれたのは選手権大会の三日前だった。・・・それでも事件は終わっていなかった。県代表ということで県警の本部長が許可を与えたのだ。

 捜査で眠れない日々を過ごしていた為にボロボロになった親父は一回戦で敗れてしまった。

 肩を落として帰ってきた親父は憔悴して体が一回りも小さくなっていた。


 暴力団の抗争事件は日増しに激しさを増して、一般人を巻き込んだ大規模な抗争状態になっていった。

 小学生の安全を考えて、早く冬休みが始まり期間も伸びた。

 俺はそれで今年は早いうちに北海道に向かった。・・・母親は仕事で疲れた親父を待つという。それで北海道には行かないで空港まで送ってくれた。

 北海道の千歳空港には祖母が迎えに来てくれていた。

 空港の外は吹雪いており今年も寒かった。

 親父の事を考えたらスキーもあまり楽しめなかった。


 本当は従姉の百合さんがスキーパトロール仲間で世界選手権に出れるほどの男の人をボーイフレンドにしたと言って祖父の家に寄り付かないからだ。・・・祖父の家の側の温泉でエゾヒグマに襲われかけてトラウマになったのも一因である。

 それに大学生が小学生それも当事小学校1年生に助けられたと言って、ひどく落ち込んでいたようだ。・・・俺のせいかよ⁉


 北海道の祖父とカンジキを履いて雪山を駆け巡り、大物のエゾヒグマを狩ったり、キツネやウサギも狩った。

 俺は投擲術を使って、棒手裏剣で逃げるウサギを見事に狩ったのを祖父が見て飽きれていた。

 北海道の家の居間の囲炉裏で祖父がライフル銃の手入れをして、祖母が祖父の狩ってきた得物の鍋をつくる。・・・穏やかな日々が続く。

 

 冬休みも終わり俺は家に帰った。

 抗争は終わっていなかったが、一応平静を装っている。

 それでも今回は母親が迎えに来れなかったので、俺は、行きとは逆の手順で家に帰ったのだった。

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