二人の思いは沈黙を超えて

 有紗が新しい赴任先で働くようになってから、五年の歳月が経過した。


 抜き打ちに大林から好意を伝えられて以来、有紗の頭の片隅には常に大林との思い出が残っていた。

 それでも有紗は、大林君は私のことなんて忘れたに違いないと自分に言い聞かせて、それを仕方ないことだと納得もしていた。


 ――大林君は今頃、私なんかよりずっと可愛い子と付き合ってるんだろうな。


 春休みで次年度の準備のために職員室に出てきていた有紗は、窓の外で舞い散る桜を諦めに似た思いで眺めている。

 その時、職員室のドアが開いた。


「土本先生」


 同じく準備のために出勤していた初老の男性教諭が、職員室に戻ってくるなり有紗を呼んだ。

 は、はい! とびっくりしながら有紗は振り返る。


「来客用の入り口で土本先生に用事のある方がおられますよ」


 誰だろ、と有紗は内心で首をかしげる。


「忙しいようでしたらお待ちいただきますけど」

「ああ、大丈夫です。応対します」


 自分に用がありそうな人物を思い浮かべる暇もなく、有紗は初老教諭に返事をして席から立ち上がり職員室を出た。

 来客用の門へと歩きながら思い当たる人物を記憶から探してみるが、昨年担当クラスだった生徒かその親ぐらいしか出てこない。


 ――生徒の忘れ物とかは全部片づけが済んだし、何か失礼なことでもしたかな?


 歩を進めていくごとに有紗の思考は段々と悪い方向へ傾いていき、訪問者に対応するのが不安になってくる。

 表情を曇らせた有紗が来客用の門に辿り着くと、入り口すぐの事務所前で事務員と話をしている新任教師のような清潔感のあるスーツの若い男性がいた。

 男性の横顔を見ると、有紗はあまりの予想外に立ち止まってしまった。


「大林君……」


 名を呟くと、男性が声に気が付いて振り向いた。

 男性は有紗を認識した途端、懐かしそうに頬を綻ばせる。


「先生、約束通り来ましたよ。大林です」


 黒い短髪を整え、きちっとしたスーツを着て、高校生の頃より大分雰囲気が明るくなった大林が五年越しに有紗の前に現れて微笑んだ。



 大林は有紗の仕事が終わるのを待ち、近くのファミレスへ連れていった。


「大林君、何をしに来たの?」


 五年も経てば私のことなんて忘れてるだろう、と思っていた有紗はテーブル席に就くなり大林に尋ねた。

 大林は気軽い笑みを浮かべる。


「そりゃ先生に告白しに来たんですよ」


 躊躇いもなくそう答えられ、有紗は気恥ずかしくなって頬を赤らめる。


「約束は五年も昔のことだよ」

「五年昔だろうと約束は約束ですから破ったりはしません」

「私のことなんて忘れてると思ってたのに」

「忘れませんよ。むしろ俺の方が先生に忘れられていないか心配でした」

 

 言って、はははと苦笑する。

 有紗はムッと唇を突き出した。


「忘れるわけないよ。あんな別れ方したら」

「今考えるとあの時の俺ってすごい自分勝手でしたよね」

「そうだよ。言いたいことだけ言って私の返事を聞かずに帰っちゃうんだもん」

「……なんて返事してくれるつもりだったんですか?」


 急に真剣なトーンで大林が問いかけた。

 え、と有紗は言葉に詰まる。


「俺の告白になんて返すつもりだったんですか?」

「それは、どうだろう?」


 五年前の当時を思い出しながら有紗は首を捻る。

 しかし、自分がどう答えようとしたのか記憶がない。


「うー、覚えてないよ」

「覚えてないんですか。まあ、今こうして先生と再会できたなら関係ないですけど」


 少しがっかりとしつつも気にしていない口調で言った


「関係ないの?」

「はい。だって俺は今から改めて先生に告白して返事を聞くんですから」

「……私が断ったらどうするの?」


 ちょっと意地悪な気持ちで有紗は訊いた。

 屁の河童、という顔でニンマリと口元に笑みを浮かべる。


「そうなったらそれまでですよ。失恋を引きずるほどメンタル男じゃないですから」

「えー、結構あっさりしてる」


 熱い思いでもぶつけてくれるのかと期待した有紗は、大林の意外な軽薄さに苦い顔になった。


「俺は自信がありますから」

「どうして?」

「根拠はないですけど、五年間自分を磨いてきましたから」


 胸でも張りそうな具合に答えると、大林は唐突に表情から気安さを消して、真面目な顔つきになる。


「先生」

「は、はい?」


 急な大林の変わり様に有紗は戸惑い交じりに応じる。


「告白していいですか?」

「え、それって、事前に許可を得るものなの?」


 相手に承諾を得てからする告白なんて聞いたことない、と内心で困惑する。


「驚くかもしれないから、不意打ちは悪いと思って」



 有紗の困惑を察して大林が理由を告げた。


「なるほど。大林君らしいね。大丈夫、覚悟はできてるから」

「……それじゃ、いきます」


 大林は一度目を閉じ、大きく息を吐いた。

 しばしして目を開け、真っすぐに有紗を見つめる。


「先生のことが好きです。俺と付き合ってください!」


 告白の言葉が有紗の胸にさざ波のように伝わった。

 答えを準備していても、何故だか心が揺れる。

 心地の良い窒息を感じているかのような、そんな気分。


「いいよ……」


 この次に継ぐべき言葉がある。

 有紗は息遣いのような間を置いてから、はにかんでゆっくりと本心を告げる。


「私も大林君のことが好き」


 互いの心に手を触れあうような沈黙が二人の間に降りた。

 二人は何をするでもなく微笑み合う。

 初めて、沈黙を気持ちのいいものだと感じた。




~了~

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記憶力日本一の陰キャ、ポンコツ美人教師に記憶術を教える 青キング(Aoking) @112428

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