終章

 明け方まで職場の忘年会だった。

 大晦日の夕刻、母が住む街の駅前で待ちあわせる。

 寝不足の二日酔いでプラットホームに降りたつと、吹きっさらしが身に凍みた。

 都の外れで、駅近でも家賃は安いが、お世辞にもガラのいい街ではない。

 随所に“ひったくり注意!”の看板が立ち、飲み屋の前の歩道は掃ききよめられずにチラシが舞っていた。

 高架下の老舗のそば屋で海老天そばを食べ、商店街で年始の買いだしをして、母のアパートまで歩く。

 こうして、母と迎える正月は何十年ぶりだろう?

 いつだって、母は家族より他人を大事にしてきた。

「老いぼれて誰にも相手にされなくなったって絶対かまってやらないからな!」

 子どものころ、よく母に吐きすてていたのを思いだす(笑)。

 年寄りには難儀な高い段差の玄関を上がり、手を洗ってうがいをすると、私は買ってきた食品を冷蔵庫に詰めた。

 流し台の三角コーナーに母の吸わない煙草の吸い殻が捨ててある。

 六畳ひと間の居間兼寝室には、カラーボックスを横倒しにした上に“他宗教”の簡易仏壇が鎮座している。

“事件性のないことは極力看過する”。

 今後、私が母とかかわるうえで、大切なテーマになるだろう。


 母がテレビの年末特番に合わせて鼻歌を歌っている。

 酒が弱く、かつ、好まない母の声帯は痛みを知らずに若い。

 だからこそ、ほかの飲み屋のママたちが肝硬変や脳梗塞で倒れるなか、トータルで四十年も水商売を続けてこられたのだ。

「◯◯(私の元彼の名前)さんは元気なの?」

 お茶を入れながら母が訊く。

 こたつのテーブルには、食べるのだか捨てるのだかわからない、なますやふかし芋が乗っていた。

「元気だよ」

 彼と別れたことは知らせなかった。

 今後、新しい恋人ができたとしても、母に紹介することはないだろう。


 新年を迎える前に風呂に入って今年の酒を抜く。

 背の小さな母が届かない天井付近の壁の汚れを素っぱだかで掃除した。

 ひと仕事終え、持参したパジャマに着替え、熱冷ましに外に出る。

 単身者向けのアパートが数棟並んでいるが恐ろしく静かだ。

 台所の換気窓からは明かりが漏れていて、小さな箱に身を潜めた人たちが新年を待つともなく待っているようだった。

「生かされたな……」

 ふと、口をついた。

「生きたかった、のか」

 空気が澄んで星の綺麗な夜だった。


 



 

 

 

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Go Od Ch EmIs Tr Y ハシビロコウ @hasihasibirokou

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