第30話 死にざま

 悔いが残らぬよう、母と私は毎日のように祖母を見舞った。

 いつ見舞っても横たわったきり、祖母は浅い呼吸をくり返すだけだったが、枕元に花や菓子を飾って話しかけた。

 なにより、祖母の好きな◯ツ矢サイダーを欠かさなかった。

「お婆ちゃん!」

 呼ぶと、ギョロリと目玉を向けてくる。

「お婆ちゃん!」

 手を握ると、わずかな力で握りかえしてくる。

 清貧で神経質で心配性だった祖母は、人生の活動範囲が非常に狭い人だった。

 私は祖母の生きざまを見た覚えがない。

 だが、今こうして死にざまを、まざまざ見せつけられているのだった。

 祖母からは“亡くなっていく人の匂い”がした。

 私は、それをしっかり覚えていようと思った。

「なんか臭い……」

 個室に入るなり、無邪気な母がつぶやいた。

 祖母の目玉がギョロリと動く。

「しっ!聞こえてるんだよ!」

 私は静かに母をとがめた。


「そろそろご葬儀の準備をされたほうがよろしいかと……」

 面談したホーム施設長が、口幅ったそうに言った。

「そうですよね……」

 私は祖母が加入していた互助会を訪ねた。

 Nと母に資産のいっさいがっさいを窃取されてしまった祖母だったが、互助会だけは“生きて”いた。

「祖母が老衰で亡くなりそうなんです……」

「お亡くなりになりましたらご連絡ください」

 エンディングプランナーは粛々と頭を下げた。

『そりゃあ、そうなんだけど、さ……』

 不慣れなことなので、事前にプラン説明を受け、名刺を貰っただけでも安心したのだ。

 そのあと、母のずんぐりむっくり体型に合う礼服を探しにいった。

「持ってない!」

と言うので、法事用の鞄や靴なども買いあたえた。


 数日前、居室の蛍光灯がじりじり鳴った。

『そろそろだな……』

 私は覚悟した。

 我が親族の死はエネルギーの断絶によって知らされるのが常だった。

 その日の午前二時前、当直の職員から連絡が入った。

「先ほど見まわったときにはもう息をされていませんでした……」

「わかりました。ご連絡ありがとうございます。これから向かいます」

 私は母に連絡を入れた。

「『亡くなった』って。タクシーでこられる?」


 ちょうど、夜間通用口の前で母とぶつかった。

 守衛に鍵を解除してもらっていっしょに入館する。

「お婆ちゃん!」

 祖母が蝋人形のように横たわっていた。

 顎関節の死後硬直が始まっている。

 私はまるくなめらかな祖母の額を撫でた。

 母はただ、立ちつくしていた。

 病院で死亡診断書を発行してもらうため、母と私はバンの運転をする職員が出勤してくるのを待った。


 朝になり、コンビニで調達したおにぎりやサンドウィッチを食べながら

『こんなときでも、おなかは空くんだな……』

と不思議に思った。

 職員が出勤してきては祖母の前で手を合わせて泣いた。

「自分がやります!」

 ヤンキー上がりの青年が先輩職員を遮り、祖母をベッドからストレッチャーに移した。

 目から大粒の涙が溢れていた。

「ありがとう」

「お疲れ様でした」

「ありがとう……」 

 職員が口々に祖母を送りだした。

『皆に慕われて幸せな晩年だったよね?』 

 残された者の勝手な解釈かもしれないが、私はそう思いたかった。


 




 

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