第25話 ストックホルム症候群

 そうは言っても、私の人生をズタボロにした張本人だ。

 母を眼前に冷静でいられるだろうか?

 私は何をするかわからない……。

 つき添いが必要だった。


 ここ数年の癖で、何よりも警戒心が先に立った。

 見とおしのよいファミレスを指定し、情報提供者の知人と彼に挟まれ、私は母と再会した。

 母は痩せて小さく衰えていたが、Aちゃんが言ったとおり、目の焦点を取りもどしていた。


 蒸発したNと母はしばらく近隣にとどまり悪さをしていたが、やがて、北関東の某県に居を構えた。

 祖母から窃取した目も眩むような大金を元に、性懲りもなく居酒屋を開いた。

 人あたりのいい母はすぐに地域と馴染んで顧客を得た。

 だが、その努力も、でしゃばりなマスターがふいにした。

 東京の居酒屋の二の舞だった。

 主役は客だ。

 それを忘れて客商売はできない。

 おとなしく裏方に徹していればいいものを、狂信的な自己愛をさらし続けるNには学習心のかけらもなかった。

 住居も兼ねていた店舗を一年ほどで閉め、各地を転々とし、やがて、車上生活に身を落とした。

 経済観念のない二人が、やりたい放題やったので、資金が底をつくのは早かった。

 Nが借金取りに追われていたのかもしれない。

 自立心のないNは母を道連れにした。

 窮屈で不衛生な車上生活は一年ほど続いた。

 頻繁だったNの不在時も、なぜか?母は車中に留まった。


 母の歯は白く美しかった。

 私とは違い、四角く発達した顎の歯並びは完璧で、虫歯もなく、学生時代には表彰されたほどだった。

 その母の上歯が、今ではすべて、ない。

 精神性の脱歯だった。

 母の入れ歯は調整が必要らしく、話をするたびにカパカパした。

 その、あっけらかんとした様子が、自閉スペクトラム症の功罪を物語っていた。


 Nは自己破産させた母を棄てなかった。

 なぜだ?

“リサイクル”できると踏んだからか?

 だが、母はようやくNから逃げた。

 逃げて頼ったのは、ほかでもない“鴨葱仲間”で母と瓜ふたつの、ガマガエルだった。

 母は皿洗いなどのパートを見つけ、生活費の一部を負担しながら、新生活の軍資金を貯めた。

 だが、ストーカーのNはすぐに母を見つけだした。

 Nがガマガエルの家に転がりこみ、三人の奇妙な共同生活が始まった。

 愛憎渦巻くガマガエルは、Nの生活費を負担しろ!と母に迫った。 

 ほかにいくあてもなく、足元を見られた母は条件を飲んだ。

 だが、そんな生活は、すぐにガマガエルの子どもたちの知るところとなった。

『『『この期におよんで!!!』』』

 将来、自分たちが受けとるかもしれなかった母親の資産を、あかの他人に貪りつくされた子どもたちは、いつ誰がNを殺傷してもおかしくないほど張りつめていた。

 Nはガマガエルの家への出いりを禁じられ、子どもたちはガマガエルがNに接触しないよう激しく監視した。

 ガマガエルのNへの未練を知って危惧したのだ。

 母は周囲の協力を得て離婚届を提出した。

 金策つきたのか?

 Nは“差し戻し”をしなかった。



 



 

 

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