第4話 神道夢想流

 太宰府は朝が暗い。

太宰府の東の方には三郡山地が迫っていて、朝日が差し込む時刻が遅くなる。

だからどうしても冬場は冷えるし、福岡市と比較しても2~3℃程度気温が低い。


 太宰府天満宮から見てちょうど北東の方に、宝満山という山がある。

古くは修験道の修行も行われていた山だ。

今でも竈門神社という神社がある。

その竈門神社の境内で訓練に勤しむ久里の姿があった。


 時刻は午前五時半。

この季節、まだ陽も登っていない時刻だ。

そんな薄明かりの中で久里は一心に棍を振っている。

どれくらい振り続けているのか、額には汗が流れ、寒気の中に身体から立ち上る湯気が溶けていく。

久里が素振りをしているのは、正確には棍ではなく、杖だ。


 神道夢想流杖術。

江戸初期に夢想権之助という武芸者が興した武術の流派だ。

その杖術は現代でも警察で使われている警杖術の母体となっている。

また、夢想権之助は剣豪宮本武蔵とも立ち会ったとされ、武蔵に勝ったとも言われている。

ここ、宝満山は夢想権之助が神託を受け、剣ではなく杖を使った武術を編み出した場所でもある。


 180cmもある長尺の杖を振る久里の側で、稽古をつけているのは庄司だ。

庄司は神道夢想流の師範でもある。

つまり、庄司は久里にとって商売だけでなく、武術の師匠でもあった。

素振りをじっと見ていた庄司がパンと手を叩く。


「五月雨、微塵、裏」


 庄司の言葉に合わせて、久里が杖の構えを解き、右手でつかんだ杖を右肩に担いだ。

そのまま三歩ほどすり足で進み、裂帛の気合とともに杖がイメージした相手の籠手に振り下ろされる。

一歩下がり、身体の右側に沿わせるように杖を立てて剣戟を受ける。

杖の上下を切り返して思いっきり振り下ろす。

そのまま下段に構えて切り上げ、相手の刀を弾き、踏み込んで右袈裟に振り下ろす。


「はい。それじゃぁ、最後に乱取りを」


 植え込みの柵に座っていた庄司がひょいと立ち上がる。

左手に持った木刀を抜き、久里の前に立った。

無造作に青眼に構える。

久里は左手を逆手にし、杖の長さを隠すようにして身体の左下へと杖を構えた。


 お互いの呼吸を読み合う。

距離感を狂わせるよう、上体を反らしながらじりじりと距離を詰めた庄司が一気に前に出る。

久里の左に構えたままの杖が、何の予備動作もなく逆手に握った左手に押し出される。

右袈裟に振りかぶった庄司の木刀の柄頭を久里の突きが捉える直前、庄司の右手が木刀の柄を弾き、振りかぶった木刀の軌道が変化した。

久里の突きは狙った柄頭ではなく、庄司の右手が弾いた木刀の柄の横面に当たった。


 刀身が翻る。

庄司は左の手首を返し、右手を木刀の柄頭に当てて、踏み込んだ勢いのまま肩から突っ込む体当たりのような突きを放った。

久里は杖を一旦引き、再度庄司の顔と右腕の僅かな隙間に杖をねじ込む。

そのまま右腕を右腋に引き付け、左腕を開いた。


 庄司の突きの軌道は右手に逸れ、身体は大きく左側に押しやられたが、庄司はそのままの勢いで突っ込んでくる。

木刀の刀身を右側に弾かれて大きく体勢を崩した庄司は、左足を軸にして回転し、勢いをつけて右の肘を久里の側頭部へと叩き込む。

久里は右側に杖を立てて庄司の肘を受けた。

杖がミシッと嫌な音を立ててたわむ。


 回転を止めない右肘を追いかけるようにして、庄司の左手に握られた木刀の切っ先が久里の脇腹へと迫る。

久里は身体の右に立てた杖を翻して、下段から上方へと薙ぎ払った。

杖は寸分違わず庄司の木刀を打ち、上へ跳ね上げた。


 庄司は肘を止められた右手で柄を握り込み、そのまま担ぎ込むようにして全体重を預けながらコンパクトに木刀を斜め上から振り降ろした。

久里が頭上に掲げた杖でその一撃を受けた瞬間、乾いた音が境内に鳴り響いた。


「ひっでぇ。杖が折れちゃったじゃないですか」


 久里が杖の様子を調べながら立ち上がる。

庄司はにこにこと笑いながらそれを見ている。


「なんなんですか、あの技は」


 久里は服についた土を手で払いながら杖を拾い上げた。


「牙突からのローリングエルボーからのトペ・コンヒーロです」


 庄司はしれっとそう答えた。


「牙突って……それ漫画じゃないですか」


 久里の顔に困ったような表情が浮かぶ。


「夢想流とは違いますよね」


「もちろん違います」


 説明を求める久里の詰めを、庄司は飄々と受け流す。

商売には真面目な男だが、武術では少々遊びが過ぎる悪い癖がある。

「トペ・コンヒーロはルチャ・リブレですし」


「トペ・コンヒーロでもないですよね?」


「前方宙返りする勢いで体重を乗っけたので、トペ・コンヒーロです」


 そんなトボけた受け答えに、久里は項垂れて深い溜息をついた。


「相変わらず無茶苦茶じゃの」


 植え込みの方から声がした。

久里が顔をあげると錆猫が座って入念にヒゲの手入れをしていた。


「おや、錆翁(しょうおう)殿。いらっしゃってたんですか」


 庄司は座り込み、目線を合わせるようにして錆猫に声をかけた。


「さっきから気付いておったじゃろう。お主は」


 錆翁と呼ばれた古い猫はフンと鼻で息をしてプイッと視線を外した。


「あ、やっぱりバレてましたかね」


 庄司は頭の後ろに手を当ててあっはっはと笑った。


「そんなんだから、お主は夢想流の宗家から嫌われるんじゃよ」


「あ、それは酷い。錆翁殿」


 庄司が憮然とした表情をする。


「何が酷いもんか。僅かばかりも懲りてないくせに」


「いやだなぁ、反省してますよ」


 久里は庄司と錆翁のじゃれ合いのようなやり取りを見ながら不思議に思っていた。

こんな朝早い時間帯に錆翁を見るのは珍しい。

しかも、ここ2ヶ月ほど錆翁の姿を見なかったのだ。


 錆翁は化け猫だった。

現に、庄司とじゃれあっている今でも、座ったお尻の後ろで分かれた尻尾がパタパタと動いている。

そして、この化け猫は猫であるにも関わらず、あまり一定の場所に居着かなかった。

しょちゅうどこかへと出かけ、しばらく姿が見えなくなるのだ。


 話を聞いてみると、日本中を旅しているようだった。

今回は仙台まで行ってきたとか、鹿児島で桜島に登ってきたとか、毎回そういう土産話をしてくれた。

どこのどんな料理が美味かったというグルメリポートのような事も話してくれた。

もちろん、帰ってくる時も唐突に現れてみんなを驚かせるのだが、今回は少しばかり様子が違っていた。

普段は宴の中にいつの間にか紛れ込んでいて、それで帰郷が分かるというのが常だった。


 しかし、今回は違う。


―何があったのだろう。


 久里はそう思っている。


 錆翁は、庄司とのじゃれあいに飽きたのか、久里の方へとことこと歩いてきた。


「錆翁様」


 久里はしゃがんで膝をつき、300年は生きているらしい先達に声をかけた。


「おう、川原のわっぱ」


 錆翁は久里の匂いをくんくんと嗅いで、自分の身体を久里の膝にこすりつけた。

庄司とは違い、久里には親愛の情を抱いていてくれているようだ。


「またなんぞ困りごとにでも巻き込まれておるようだな」


 錆翁が久里の瞳をじっと覗き込む。


「えぇ。まぁ……」


 久里が困ったような表情で目をそらす。


「撫でろ」


 錆翁が久里の膝に前脚をかける。


「えっ?」


「撫でろと言うておる」


 前脚で膝頭をちょいちょいと引っ掻く。


「あぁ、はい……」


 久里は戸惑いながらも錆翁の頭から背中にかけて手のひらを滑らせた。

錆翁があまり猫ではないような口調で喋るため、みんな錆翁が猫だったことを忘れそうになる。


「こうやって撫でられるとな」


「はい」


「お主が何を思い悩んでおるのか、おぼろげながら分かるんじゃよ」


 錆翁は、そういって喉をゴロゴロと鳴らした。

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西の都の朧月 上津 響也 @Noizache

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