名付けてヤイト拳

 夏休み終了まで残りわずか。

 実は師匠に言われるまでもなく勉強には力を入れている。

 体力もついてぜんそくの発作も起きない。

 最新の参考書はわかりやすく、師匠も暇な時には付きっきりで勉強を教えてくれる。

 これまでの遅れはすべて取り戻し、中学生の学習範囲まで学んでいる。

 書斎に置いてある本はほとんど目を通した。

 おかげで語彙力が付いた。

 視野が広がった。

 松ぼっくり小学校で今一番頭がいいのは自分だと胸を張って言える自信がある。


 そして次の卒業試験対策だが。

「石松を師匠とし、石松から学べ」

「己の身に付けたすべてをさらけ出せ」

 かつての師匠の助言を聞き流していたことを反省。

 言わんとする意味を改めてよく考え、真正面から受け止める。


 だから石松にもう一度頭を下げた。

 心から。

 あの日の体験でわかった。

 人間が上等でサルが下等なんてことはない。

 生命はすべて等しい。


 スパーリングの相手をしてくれた石松は強かった。

 人間離れした反応速度、予想外の攻撃にはてんてこ舞い。

 野生の動き恐るべし。

 石松の動きを徹底的に観察して、本気でマネした。

 動画サイトで猿拳の使い手の動きを参考にした。


 そして身に付けたすべてをさらけだそう。

 出し惜しみせずに。

 卒業試験の結果がどうなろうと後悔しないように。



 8月最後の週の火曜日。

 道場の中、正座で黙想し精神統一に集中するぼく。

「待たせたな。叔父さんはいつでもいいぞ」

 師匠の声を聞いてぼくは目を開いた。


 今朝は前々から考えていたことを試そう。

 お灸をやってみたらどんな結果になるだろうか。

 特殊体質を戦いに活かすのは初めての試み。

 師匠の許しを得て早速実行。


 左手の甲にある合谷ごうこくというツボにインスタント灸を置く。

 台座がシールになっていてペタンとくっつけられる。

 突起状になっている艾にライターで点火。

 数秒後……。

「ウアッチャぁ~~っ!」

 合谷のお灸を取って灰皿に捨てるやいなや、ぼくは師匠に向かって行った。


 両手を地面につけながら素早く距離を詰める。

 蹴りが飛んでくる。

 高く跳躍して躱す。

 突きが向かってくる。 

 その場でバク宙してやり過ごす。

 あたかもましらごとく。

 孫悟空のように。

 猿飛佐助のように。 


「ウキャーッ!」

 気合いまでサルのようになってしまったが、強くなれるならこのままサルになっても構うもんか。 


「よし、合格だ!」

 師匠の声で我に返った。

 声のする方を向くと師匠が道場の畳の上で大の字になって寝ている。

 これは!?

 ぼくがやったのか、まさか!?

 次の瞬間、激しい疲れが襲ってきてぼくは気を失った。


 目を覚ましたのはお昼前。

 治療院のベッドからむくりと起きてトイレに行った。

 キッチンからはコーヒーの香ばしい匂いがする。

 テーブルにはクロワッサンとベーコンエッグが並んでいた。


「お、起きたか。どこか具合の悪いところはあるか? なければ昼飯にしよう」

 エプロンを外した師匠が椅子に座った。

「えっと、色々と聞きたいことが……」

「わかってる。食いながら話そう」

 師匠が椅子を引いてくれたのでおとなしく座った。


「まずはおめでとう。お灸を据えると超人になる体質。それと変幻自在のサルの動き。組み合わせると凄まじい威力になるもんだ」

「いや、師匠の助言に従ったまでです」

「これはもはやオリジナルの拳法だ。ケン坊が編み出した拳法。名付けて

「ヤイト拳!?」

「まあ、コーヒーを飲んで落ち着こう。興奮しすぎだ」

 言われたとおり、コーヒーを一口飲んだ。

 少しだけ落ち着いた気がした。


「関西ではお灸のことをヤイトと言うらしい。それにケン坊の本名は八井戸やいとけん。どうだ、ピッタリだろう」

「ええ、気に入ったようなそうでないような」

 いくらなんでも師匠のネーミングセンスはあり得ない。

 ヤイト拳!?

 もうちょっとカッコいいのがよかったんだけど……。


「ただしヤイト拳には欠点が二つもある。まず、戦いの前にお灸を据える余裕なんてない。これが問題の第一点。そして、超人でいられる時間は2~3分のわずかな間。しかも効果が切れると動けなくなるか失神する。これが問題の第二点。おそらく、体内の気をほとんど使ってしまうせいだろう」

 すべては師匠の推測が正しいのかもしれない。


「もちろんヤイト拳を使わなくってもケン坊は強い。体力、体格、精神、筋肉、知力、その他もろもろ。ぜんそくの発作だって起こしていないだろう」

「そういえば確かに」

「これは站椿たんとうの効果と石松のおかげだな。山ザルと一緒に野山を駆け回れるなんて普通はムリだ。そのへんの小学生相手だったらまず無敵なんじゃないか。ただしケン坊はまだ小学生。体ができあがっていない。どうしても戦わなきゃいけなくなった時はヒジやヒザを使って相手の急所を狙うように」

「はい!」

 力強く返事をした。


 そして、いよいよ明日は別れの日。

 二人でのんびりと山道を散歩という流れに。

「実はな、卒業試験を受けさせたのは理由があったんだ。自分の身を自分で守れる力が必要になる時がきっと来る。もし卒業試験に落ちたら戦いから逃げる方法を教えようと思っていたんだが、合格してヤイト拳を編み出したから問題はなし。よかったよかった」

 師匠がしみじみと言った。

 後になってこの時の言葉の大事さに気付くけど、厳しい暑さのせいで深刻には受け止めていなかった。


「来週から二学期か。ケン坊はここに来てからすごい勢いで成長したな。叔父さんもビックリだ」

「はあ、でも正直あまり実感はわきません」

 素直に答えた。

 前と比べれば強くはなったがあまり強くなった気はしない。


「学校に行けばわかる。そして感じるだろう。クラスメイト、いや先生ですらバカに思える。規則やルールに従う意味が見いだせなくなる。学校という世界が小さく思えて窮屈でしょうがなくなる。他人からの評価なんかクソ喰らえ。これは急激に成長した人特有の副作用みたいなもんさ」

「ぼくもその副作用に?」

「叔父さんの見立てでは十中八九。学校では失敗したり衝突したりケガをしたりさせたりするだろうが、まあがんばれ」

「……はあ」

 いつの間にか河原に来ていた。

「なんか説教臭くなっちまったな。少し涼んでから帰るか」

「はい」

 しばらく川で遊んでから治療院に帰った。


 別れの日にひと悶着あった。

 お父さんとお母さんを出迎える時、うっかり両手を地面につけてジャンプをしてしまったのだ。

 おまけに、

「ウキーッ」

 と叫びながら。


「ケンがサルになってしまった!?」

 驚くお父さんとお母さんに事情を説明した。

 納得はしていなかったようだけどぼくの変わりようには満足していたみたいだ。


「向こうでも站椿は続けるように」

「ウキキ、ウキ、ウキーっ!」

 師匠と石松が手を振っている。

 ぼくも車の窓を開けて手を振り続けた。


 それから涙をグイッとぬぐった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る