第9話 長野県川上村でのレタス収穫のバイトとうつと

 夜ギターを練習し、昼の授業は寝る。これが、パターン化されていた。しかし、衝撃的な出来事が、またあった。テレビで放映されていた特捜刑事マイアミ・バイスを知ったのである。


 このドラマは、特にドラッグ・ディーラーとの死闘が繰り広げられるのだが、従来にはない細部に至ったポリス・アクションが展開されていた。主演はドン・ジョンソンとフィリップ・マイケル・トーマス。そして、主任を務めるエドワード・ジェイムス・オルモス。私は、特に寡黙なエドワード・ジェイムス・オルモスの演技に魅かれた。


 このドラマには、イーグルスのグレン・フライ、カントリーの大御所ウィーリー・ネルソン、音楽界の鬼才フランク・ザッパ、そしてジャズの帝王マイルス・デイビス、ソウルのゴッド・ファーザー、ジェイムス・ブラウンなども出演している。そして、音楽は、グラミー賞を数回受賞しているヤン・ハマー。


 私は、このドラマをすべてDVDで見ているが、私の中のベストは娼婦連続殺人事件の謎。話のメインの役は、マイケル・ライト扮する心に傷を負ったベトナム帰還兵が、次々と娼婦を殺害する話である。また、カンボジア内戦の映画、「キリング・フィールド」に出演し、アジア人として、初めてアカデミー助演賞を取った医師でもあるハイン・S・ニョールも出演している。


 特捜刑事マイアミ・バイスの概要を少し、省略して再再度、Wikipediaから引用する。


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 マイアミを舞台に、ヴェルサーチやアルマーニのスーツを着てフェラーリ・テスタロッサに乗り、毎回ビルボード上位にランクされるようなメジャーなナンバーが流れるというスタイリッシュな刑事ドラマとして話題になった。


 製作にあたったマイケル・マンは本質的に細部にわたって「リアリティ」に拘る映像作家であり、過去に自身が監督した映画『ザ・キープ』などでは劇中で登場する軍装品の時代考証などかなりのものであった。それは当然TVドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』においても徹底されている。


 このドラマがひとつのムーブメントとなりえたのは、脚本においてしっかりと「リアリティ」にこだわったからである。『マイアミ・バイス』以前の刑事ドラマは、おおよその作品が犯人逮捕こそが解決という予定調和のもとに物語が成立していた。


 しかし本作では逮捕しても、何でもないような手続き上のミスを「デュー・プロセス・オブ・ローに反する」と弁護士に突かれて不当逮捕として釈放されたり、苦労して立件したにもかかわらず証人保護プログラム適用者で連邦捜査局(フロリダ支局)からの申し入れにより放免となるなど、“事件が解決して次の話へ”といった流れではない。


 事件への「捜査」を物語の起点として、そこからはじまる、新たなストーリーを大事にしている。解決しない事件もあるということ、捜査のプロセス、つまり主人公たちの「俺達は何のためにこんなことをやってるんだろう」といったある種閉塞感を抱きながらも決して萎えることなく、それぞれの信義のもとに行動する刑事達を描いている。


 刑事ドラマでありながら当時ではめずらしく離婚や再婚といった人間関係や日常の生活にもしっかりと焦点を当てている。一話完結という形式をとりながらもそれらをサイドストーリーとして織り交ぜながら、きちんと時系列の中で関連性を持たせて描いている。


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 また、この頃ボズ・スキャッグスが来日して、後に恋人となる簿記の学校の女教師と見に行った。あまり、印象はない。さらに、ピンク・フロイドも来日したのだが、これは一人で見に行った。意外だったのは、ギターのデイブ・ギルモアより、ドラムのニック・メイソンのリズムキープに心を打たれたという事だった。


 二回生の夏は、仕事がハードで自給が安いビアガーデンで働く気にはなれなかった。家でゴロゴロしていたが、大阪はとにかく暑い。涼しいところがいい。そう言えば、韓国のユース・ホステルで出会った近畿大学の学生に教えてもらった、長野県のレタスの収穫の仕事があった。


 あそこなら、涼しい。私は、さっそくアルバイト求人誌を買いに行き、レタス収穫の仕事があるかどうか調べた。求人はあった。掲載されていた長野県の川上村の農協に電話して、仕事を決めた。明日駅に着けば迎えに行くと言う。


 弟は柔道の稽古のため中学校に行っており、また母親は出かけていた。すぐさまカバンに着替えを入れて、両親あてに長野で農業の仕事をしてくると書いたメモをテーブルの上に置き、女教師に電話を入れて家を出た。夜行列車で着いた長野の朝は、涼しいどころか寒かった。私は、農協に電話を入れた。


 「昨日、アルバイトを申し込んだ者です。駅に着いたので、迎えに来てくれませんか?」

 

 しかし、対応した職員が、「もう、求人なんかしてないんだけど」とふざけたことを言う。頭にきた、私は、「何、言ってるんですか!昨日ちゃんと申し込んだでしょ!」語気を強めて言った。


 そうすると、職員は迎えに来た。今になって思えば、大阪人のせかせかした性格と、長野の田舎の人ののんびりした性格の違いだったのかもしれない。しかし、この川上村は、夏の一時期、日本のレタスのシェアの80%を占めるという猛烈なビジネスをやっているのだ。職員に連れて行ってもらったのは、駅と農家の中間にあるバス停であった。ここで、農家の人が、また車で迎えに来るからと言われた。


 車で迎えに来たのは、カッコいいお爺さんで、車中で「これからの一か月は何があっても休めないぞ。できるか?」と聞かれた。ここまで来て、後には戻れない。「できます」と答えた。


 さて、レタス農家での私の仕事は、おじさんと先にアルバイトに来ていた人たちが、刈り取ったレタスを箱に詰めて、トラックに詰込み農協に運んで行って降ろすというものであった。


 朝の5時から始まって夕方の5時に終わる。朝の5時から大汗をかいて働くというのは、初体験で体は大丈夫かと不安になった。しかし、仕事の合間に、定期的に休憩時間が取られて、お茶、お菓子、そして一緒に働きにきていた果樹農家のおばさんたちが、持ってきてくれた美味しいブドウなどがテーブルにあがる。


 ご飯は、三食、無農薬の野菜のおいしい料理を食べさせてもらった。動物性たんぱく質は、ちくわや、はんぺんなど。また、夕食は日本酒がコップ一杯ふるまわれ、おじさんに自衛隊についてどう思うか、など聞かれた。


 また、おじさんには、畑に日商岩井(現・双日)から、地獄の特訓として新入社員が、この農園に送り込まれてきている事を教えてもらった。そして、「カックン君は、よくやってくれているから、推薦してあげることもできるよ」という話も頂いたが、商社なんか何やってるか分からないので辞退した。


 就寝する部屋はちょうど、アルバイト用に新築された和室で40才のケーキ職人とシェアし、彼に色々な話を教えてもらった。アルバイトが、一か月終わり私は帰ることにしたのだが、おじさんにはまだ仕事があるからもう少し残ってくれないかと頼まれた。しかし、私は、固辞した。レタスを運ぶための段ボールに開いた穴に入れて引っかける両手の指の第二関節の痛みがひどかったのである。


 それで、大学のゼミの研修があると嘘をついて、大阪に帰ってきた。アルバイトの給料は、15万円だった。その後、女教師に付き合ってほしいと言って承諾を得た。


 また、このバイトの後にも、私は一人で渡韓している。ソウルに行って繁華街を見たり、朝、郊外も見てみようとバスを待っていたら、ある男に因縁をつけられて羽交い絞めにされて、ビルとビルの間に引きずり込まれたりした。振りほどいて怒鳴り足早に立ち去ったのだが、やっぱり、反日感情キツイなと思って帰ってきた。そして、このバイト期間中も旅行中も、私はうつ病を引きずっていた。


 この年は、昭和天皇が崩御し、昭和から平成に年号が変わった。また、中国では、天安門事件が起きた。

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