第25話 決着

「覚悟しろ」


アーロンが大きく剣を振り上げ、レイモンドに向けて強く振り下ろす。


これで、決着がついた。


私がそう思った次の瞬間、レイモンドの口元に歪んだ笑みが浮かぶ。血が凍るとはこういうことなのだろう。彼の意図に気付いて、私は大きく目を見開いた。


「しまった」


アーロンも、レイモンドの次の動きを見た瞬間、彼が何をしようとしているのか、すぐに察したのだろう。レイモンドのフェイントに、アーロンがまんまと引っかかってしまったのである。


アーロンが決着をつけようと、レイモンドとの間合いを詰めて剣を振り上げた瞬間、レイモンドは隠し持っていた短剣をすらりと引き抜いた。剣を振り上げたアーロンの腕の下に出来た隙から、彼の心臓を狙う。


確か、彼は暗殺者としての訓練も受けていたはずだったということを思い出した。


「アーロン、あぶない!」


顔からさっと血の気が引いていくのが自分でもわかる。


「油断したな。小僧」


レイモンドはにやりと笑い、彼の心臓目掛けて、その刃を真っ直ぐに突き立てようとした瞬間。


ごんっ。


鈍い音が響きわたる。そして、次の瞬間、レイモンドがアーロンの目の前で、ゆっくりと崩れ落ちるように地面に沈んでいく。


「エレーヌ……」


アーロンがレイモンドの後ろに立つ私へと視線を向けた。彼の目に映ったのは、木の棒をレイモンドの後頭部目掛けて振り下ろした私の姿だった。


「や、やった…‥」


恐怖と興奮で、私は木の棒を強く握りしめたまま、ぶるぶると震える。


それはもう、咄嗟の判断としか言いようがない。


レイモンドがアーロンの胸目掛けて、刃を突き立てようとするのを見た瞬間、私は近くに落ちていた木の棒を拾い上げ、レイモンドの後頭部から思い切り振り下ろしたのだ。


地下牢に閉じ込められている間に、アーロンに剣の素振りを教えてもらっていてよかった。


しかし、女の力では、レイモンドに致命的な打撃を与えるに至らず、レイモンドにはまだ意識がかすかに残っていたのだ。


「エ…レーヌ…」


半ば朦朧としながら、地面に倒れ込んだレイモンドに私は駆け寄った。乙女ゲームの中の大切な情報を思い出したせいだ。


意識が次第に薄れていく彼の耳元で、私は小さな声でそっと囁く。


「貴方に聖エリウスのご加護がありますように」


それは嗜虐癖で歪んだレイモンドを、まっとうな人間に戻すための呪文であった。


聖エリウス。それは遠い昔、無罪の罪を着せられ処刑された聖人の名前である。


ゲームの記憶をよりはっきりと思い出したのは、ほんの数日前のことだ。


レイモンドは、まだ小さな頃に母を失くし、子供心にもまだショックが癒えない間に、なんと彼の父は後妻を迎えた。その女が慈愛に満ちた女性であれば、レイモンドはこんなに歪みはしなかっただろう。


その義母は、まだ小さかった彼をことあるごとに虐待した。その暗い生い立ちが彼の性癖を醜くく歪めてしまったのだ。その歪んだ彼の心を、普通の人間に戻す呪文が、聖マリウス。それは、彼の母親の記憶でもある。


彼の産みの母は、聖エリウスを強く信仰しており、その気高い精神は、子供であったレイモンドにもしっかり受け継がれていたはずだった。


私はその言葉を知っている。そして、今、その言葉をレイモンドに伝えたのだ。


「聖エリウス……」


レイモンドは焦点が定まらないまま私を見つめて、ぼんやりとその言葉を繰り返した。


「そう。聖エリウスよ。レイモンド、おやすみなさい」


彼の母親がそうしたように、意識を失いつつある彼の髪を優しく撫でたやる。


これで、きっと彼は大切な母親のことを思い出すだろう。気高く優しい母の姿を。


その後、彼はすぐに気を失ったが、その直前、レイモンドの顔の上に、一瞬だが、柔らかな笑みが通り過ぎていった。きっと、夢の中で彼は本当のお母さまのことを思い出すのだろう。優しく慈愛に満ちた正しい母の顔を。


そして、ふと見上げると、自分の前にアーロンが立っていた。


「助かった。エレーヌ。礼を言う」


そういえば、今は戦いの真っ最中だったことを思い出して周囲を見渡してみると、あたりは静まり返っていた。背後の看守の建物が燃えていて、その向こう側からは消火活動にあたる男たちの叫び声が響いていた。


レイモンドの部下たちはどうしたのかと、不思議に思いながら振り返ると、すでにノワイエが他の騎士達を全員のしてしまっていた。あちこちに転がる騎士達を眺めながら、私も急いで地面から立ち上がる。


次の追手が来る前に、ここから逃げなくてはならないのだ。


ノワイエが剣を片手に、こちらに近づいてきた。その剣は、当然ながら、血で塗れている。


「この男も始末しておきましょうか?」


剣から血をしたたり落としながら、ノワイエが聞くが、私はいい顔をしなかった。意識を失って倒れている人を殺めるのは、いくら何でも道理に反する。


アーロンはすぐに私の考えを察してくれたようだ。


「ノワイエ、無駄な殺生はするな。意識を失っているんだ。放っておこう」


「はい。閣……、いえ、アーロン様、わかりました」


「馬はどこだ」


「あの森の中です。急ぎましょう」


ノワイエの後ろに続いて、私たちが森の中に入り、少し進んだ先には、馬が三頭、木につながれていた。


どれも質のよいサラブレッドだ。


「ダル、お前か」


ダルと呼ばれた馬は、アーロンの持ち馬なのだろう。馬は持ち主を認識して、アーロンが近づくと、嬉しそうに尻尾を揺らす。


「元気だったか」


アーロンも、自分の馬を見て、嬉しそうに馬の首を撫でてやった。


その間に、ノワイエがもう一頭の馬の手綱を掴み、私に渡してくれた。


「エレーヌ様はこちらをお使いください」


アーロンが私を馬の上に押し上げると、彼も急いで自分の馬に乗る。馬の上から手綱を引くと、馬はすんなりと言うことを聞いてくれた。


市井では滅多に見かけないほど、上質の馬だ。貴族でもない限り、こんなにいい馬は手に入らないはずなのだが、アーロンはかなり商売上手なのだろうか。


そんなことを考えていると、馬に乗ったアーロンが近づいてきた。


「エレーヌ、俺についてこい。馬は大丈夫か?」


「ええ、もちろん。この私を誰だとお思い?」


「よし、じゃあ、出発だ」


アーロンの掛け声と共に、私たちは馬の腹を蹴ると、馬は勢いよく駆け出す。そして、夜通し馬を走らせ、少し離れた地方の村へと到着したのだった。

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