第8話

「えー、この問題がわかる人はいますかー?」


 先生の優しい声が教室内に響く。

 しかし誰も手を挙げる人がいなかったからか、先生は私を見ながら「えー……じゃあ、雨宮。これを解いてください」と指名してきた。

 生憎この問題をやっておらず、つい口ごもってしまう。


 数十秒経っても答えなかったら、他の先生は基本急かしてくる。しかし、古谷先生は急かさずに待ってくれて、何かを察した様子で「じゃあ雨宮。ここはどういう内容かわかりますか?」と如何にも自然且つ、簡単な内容を質問してきた。普段は課題を出してくるが、こういうところはとても好きだ。


「これは、熊の親子が話しているところです」


 私が答えると、先生はニコッと笑いながら頷いた。


「はい、ありがとう。座ってください」


 先生に言われて座ると、先生は再びチョークを黒板上で滑らせ始めた。

 静かな教室に響く、板書している時のカツカツという音。


 そして乾季中に窓からたまに入ってくる、冬特有の冷たくて乾いた風。

 何気ないこの時間が嫌いじゃない。勿論、冬は嫌いだが。


 冬が嫌いなことは、私にとって決定事項なのである。


 ふとした時、私の肩に何かがぶつかった気がした。


 私の周辺を見渡してみると、私の肩上に小さい紙飛行機らしきものが乗っていた。


 こんな器用なことをするのは、きっと水稀しかしない。いや、水稀しか有り得ない。

 私は少し驚きながらも、飛んできたであろう方向を見てみた。しかしそこに水稀も、そして飛ばしたであろう人物もいなかった。


 やった人物を見つけてやるという勢いだったが、先生が他の人に問題を振っているのが聞こえ、板書を写さなければと焦る。


 私が前を向き、板書を写していると再び肩に何かがぶつかった。

私は板書どころではないと思い、急いで飛んできたであろう方向を向く。

私が向くと丁度、ドアが閉まったのが見えた。


 私は先生に「トイレに行ってきます」といい教室を出ると、そこには水稀が座っていた。


「やっぱりそこにいた。何をしてるの?」

「……」


 私は近くに行って問いかけたが、答えるどころか、こちらを向いてさえくれなかった。


「あのー。水稀さん? 聞こえてますか?」

「……」

「あのー。聞こえていたら返事をして欲しいのですが……。うんとかすんとか言ってほしい」


 私がほとんど密着するくらいの距離まで近付いていうと、水稀は顔を上げて私を見つめる。どうやら、話をする気になったようだ。


「すん」

「違う、そうじゃない。確かにうんとかすんとか言って、とは言ったけどさ」

「じゃあ、うんすん?」

「それも違う……。うんすんって何? そんな言葉あった?」

「いやないと思う。咄嗟に思い付いた単語だから」


 よく咄嗟に変な単語が思いつくな、と私が思っていると、突然教室のドアが開いた。


 後ろを振り向くと、そこには先生が立っていた。


「何をしているんだ? 授業中だぞ」

 先生は私たちに向かって、少し怒った様子で言う。

「いえ、腹痛が痛くてトイレに行く途中でして……」


 水稀は誤魔化そうとしたのだろう。しかし言い方が言い方なだけに、先生は険しい表情をする。


「腹痛が痛いってどういうことだ? そもそも相生は、今日の授業に一度も出てないよな? それは何故だ?」

「それは課題マンが、現実的に考えて食べ切れない量のバナナを渡してくるのが悪いと思います」

「なんだと? 受け取ったのは相生だろ?」


 私の目の前で修羅場が起きているが、私はどうしていいのかわからず立ち尽くしていた。


「確かに受け取りましたが……。ほとんど無理矢理ですが」

「無理矢理だと? 俺は厚意でやったつもりだがな。あーあ、残念だな。そう思っていたのか」

「そんなこと言ってないですよ?」

「そう思っているような言い方だったぞ?」


 私が立ち尽くしていると、低レベルの言い争いが始まっていた。


 まるで小学生みたいだな、と思いつつ見ていると突然、二人の視線が私のほうへ向いた。


「なあ、雨宮。どう思う? 俺が悪いように見えるか?」

「冬華。俺は悪くないよな?」


 二人は私に向かって言うと、再び睨み合いながら言い争っている。


 すると突然、教室のドアが開いた音がした。


 二人は音に驚いたのか、言い争うのをやめてドアの方へと向いた。

 私も振り向くと、そこにはクラスメイトが立っていた。


「先生、授業中ですよ。突然出て行ったかと思えば、廊下で呑気に喧嘩ですか?」


 クラスメイトは先生を見つめながら、強めの口調で言った。


 彼女の名前は晴山 秋野。クラスの委員長をしている人だ。

 彼女の愛称は委員長。そしてまたの名を……。

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