第6話 違和感

「そういえば、マサさんは現場に来る前はどこに行ってたんですか?」

 椚木は捜査中にしばしば単独捜査を行う。コンビを組んだ最初の頃は、突然姿を消す椚木に、井上は愚痴をこぼしていたが、その行動が事件解決につながることが多いので、最近は文句も言われなくなってきた。

「今回の事件は、全てテレビでの発言が引き金になっているだろう。テレビ局は第二の現場と言っていい。だから現場確認のひとつとして、東都テレビに行ってきたんだ」

 椚木は何か収穫があったのか、言葉に力強さがあった。

「何か手掛かりがあったんですね」

「気になる男がいた」

 そう言って、椚木は記憶を反芻するように目を閉じた。井上は椚木が何らかの手応えを感じていると察したのか、自身も口を閉ざした。捜査一課のナンバーワンと呼ばれるこの男の脳細胞が、今この難事件の解決に向けてフル回転している。


「明日もう一度東都テレビに行って見よう。俺だけではなく義人にも直に見て判断して欲しい」

「怪しい男がいたんですね」

「被害者が続出しているせいか、東都テレビの現場は異様な雰囲気だった。誰もがこの視聴率アップのチャンスを逃したくない、しかしいつ自分達の仲間が標的になるかもしれない。被害者の条件から外れたタワーマンションに住んでいないスタッフたちも、この緊張感から逃れられないでいた」

「まあ、そりゃそうでしょうね」

「そんな中で一人だけ、周りと違う雰囲気の男がいたんだ。その男は淡々と仕事をこなしていたが、常に周囲に観察者としての視線を放っていた。ああいう目は犯人か、事件の関係者しかできない目だ」

「了解です。明日は私にもその男を教えてください」

 やる気満々の井上を横目に、椚木はもう一度その男のことを考え始めた。


 東都テレビの正面玄関はいつにも増して厳重な警備がしかれていた。テレビ関係者がこれだけ殺されたのだ。厳重な警備と成っても無理はない

 椚木は東都テレビの正門の前で井上を待ちながら考えた。動機は依然として見えてこないこの事件だが、殺人は三段階のステップを経て行われている。

 一つ目は被害者候補の選抜だ。被害者は殺された当日または前日の夜に、必ず問題発言をしている。その対象と成った番組は、圧倒的に東都テレビの朝の情報番組だ。単純に考えれば、犯人はこの番組を最もよく視聴している人間だ。

 次に犯人は、候補と成った人間がタワーマンションの住人か、当日ホテルの高層階に泊まっているかを調べる。候補者として選んだ人間がこの条件に該当すれば、自動的に殺人の対象と成る。ただ普通の視聴者には、この情報を得るのは難しい。

 そして殺人でフィニッシュとなる。


 最後のステップは、警察が総力を挙げても方法が分からない。まるで透明人間のように警備網を潜り抜け、理屈では不可能な殺し方で目的を達成し、また警備網に潜り抜けて去っていく。

 ここから手掛かりを掴むには、まだ当分時間がかかるだろう。それならば今のうちに、第一ステップと第二ステップが同時に満たせる場所を調べればよい。テレビ局の情報番組の収録スタジオ、もしくは番組関係者が集まる場所がその対象だ

 もちろん捜査一課では、既にテレビ関係者のチェックを一通り済ませている。ただ、番組の関係者はあまりにも数が多く、十分に調べているとはいい難い。


 椚木には捜査にあたって彼自身が決めている一つの儀式があった。それは他の者がどんなに完璧な捜査をした後でも、必ず自分の足で現場に行き、自分の目で確認することだった。その儀式はこれまで、危うく冤罪にされそうな者を救い、迷宮入りになりかけた事件を解決に導いてきた。不思議なことに犯罪現場に立つと、椚木だけが感じる違和感が存在した。なぜそれを感じるのかは椚木にも説明できない。


 昨日、東都テレビの収録スタジオに入った時、椚木は湿っているけど冷たい不思議な空気を感じた。例えるならば真夏に鍾乳洞に入った時のあの感覚だ。実際には完璧な空調管理をされているこの建物で、こんな感じ方をするのは不自然だった。

 この空間の中だけにある異質な空気に、椚木は手掛りの予感がした。そして今朝も再び同じ空気を感じる。


 収録スタジオは三十分後に始まる本番に備えて、かなり慌ただしい動きに入っている。そこはプロの現場であり、何かを創る人間が集まった時の特有の雰囲気が流れていた。

「マサさんどいつですか、ピンときた奴は?」

 今日は同行した井上が、昨日とは打って変わり性急な動作で確認をとろうとする。

「まだいない。今日現れる保証もない。それよりも、この現場の雰囲気を十分に感じてみろ。奴が現れるとかすかに現場との不協和音を感じるはずだ」

 椚木の言葉に大きく頷いて、井上は五感で現場の雰囲気を掴むことに集中し始めた。

 元々素質があったのか、井上もこうした感覚を持ち始めている。今や井上は自分の直感の裏取りの役目を担っていた。


「あいつだ?」

 椚木が目で指した先には、三十前後の少し小太りの長髪の男が、ディレクターの指示に従って、搬入物をセットし始めている。

「まだ何も感じません」

「そうか俺は奴から、かすかだが破壊者の気配を感じる。よく見ていろ。厳しい発言が出た時、わずかだが周りの人間もやつに反応する」

 九時になって、朝のニュース番組が終わると、問題の情報番組が始まる。今日は、三人のコメンテーターが出演していた。

 一人は弁護士で、当り前のことを多少嘘も交えながら、視聴者に分かり易く話すので人気がある男だ。

 二人目は中年の女性で、フードコーディネーターという怪しげな職業を本業とし、言ってることはあまり意味がないが、優しそうな雰囲気で場を和ませる。

 三人目は本格的な時事評論をする若い男で、名は葉山和明はやまかずあきと言う。

 葉山の評論は殺された大牧とは違い、一切感情が入ることなく終始一貫して論理的だ。しかし決してクールなわけではなくその語り口は熱い。視聴者にしてみれば、中途半端な反論を圧倒する厳しさに魅力を感じるのだろう。

 椚木は、今日のターゲットになる可能性は、葉山が一番あると思った。決して国民感情に迎合しない姿勢は立派ではあるが、これまでも度々、感情的なネット住民の標的になっている。


 番組が進むに連れて、辛口評論家の葉山がついに本領を発揮し始めた。与党の消費税延期についてである。理屈だけで攻めたら政府はみんな馬鹿者になる。それはしょうがないことでもあった。

 なぜなら日本は独裁国家ではなく民主国家であり、国民の多くから嫌われれば政治という舞台に立つことさえできないからだ。

 しかし、葉山はそれでも今増税することの意義を熱く述べる。みんなが我慢して進んでいかなければこの国は駄目になる。他の二人のコメンテーターだけでなく、人当たりがいいだけの司会者もどうファシリテートしていいか分からず困っていた。


 井上が器用にネット掲示板をチェックしている。ネットも盛り上がっていた。賛否両論だが、生活を考えろという否定派の意見がやや強いか。

 一瞬、マークしている男から強い気配が発せられすぐに消えた。隣の井上もその瞬間を逃さず捉えたようだ。連動してスタジオのスタッフにも緊張感が走る。もう十分だった。二人は目で合図してスタジオを出た。


「あの男の名は阪口明文さかぐちあきふみ。情報番組を専門に扱う制作会社から派遣されたアシスタントディレクターだ。年は二九歳、独身で大学は英国の名門校の姉妹校であるSLJCを出ている」

 椚木は井上に昨日調べた情報を伝えた。

「SLJC! 名門校じゃないですか。そんなエリートがなんであんな仕事を?」

「どうも大学時代のアルバイトでテレビの世界にはまったらしい。夢のために地道な未来をかなぐり捨てるのは、苦労せずにSLJCに入る頭があったからだろう。しかし就職試験は全滅して、今じゃ派遣社員として雑用をする毎日だ」

「世の中の方がおかしいと異常者になるパターンですか?」

 井上は感覚は鋭いが思考は単純だ。椚木は苦笑しながら否定した。

「いや、昨日聞き込んだ限りではその兆候はなかった。それどころかコミュニケーションが取れて思慮深いと、仲間からは信頼されているようだ」

「まるっきり白の感じですね」

 井上は椚木と目を合わせてニヤッと笑った。今までの経験からは、新しいパターンの犯罪は捜査上まるっきり白の人間が犯人のケースが多かった。


「もう一つ興味深い話がある。さすがに将来に向けて悲観したのか、阪口は一月ほど前に少し神経を患ったそうだ。そのとき大学時代の友人に会って相談している。その後すぐに復帰し、元の仕事のできる男に復活した。いや、前以上になったと評判だ」

「なるほど、見えなかったピースが揃ってきましたね。この勢いでその友人にアタックしますか」

 椚木は大きくうなづいて言った。

「友人の名は上杉、SLJCの心理学の講師をやっている」

 椚木の言葉に井上は急いで、スマホを取り出しSLJCを検索し始めた。SLJCは三鷹駅から南に二キロ下った場所にあった。隣には太宰治の墓がある禅林寺が位置している。二人はとりあえず首都高速に乗って、調布から三鷹に向かった。

 SLJCに着くと、椚木と井上は受付で上杉への面会を頼んだ。ノンアポにも関わらず応接に案内される。五分ばかりすると、痩身の男が応接に現れた。

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