変容

 たった二週間のうちに立て続けに五人もの生徒が行方をくらまし、集団下校が意味をなしていないとPTAに怒鳴り込まれた学校では、冬休みを前にした生徒たちのあいだで、いよいよ学級閉鎖かという話が持ち上がりはじめていた。帰宅時、通学路のあちこちで、制服警官の姿も頻繁に見かけるようになった。


「キクリン、ちょっと」


 放課後、教室で帰り支度をしていると、思い詰めたような顔をした村田に声を掛けられた。背後には川本の姿もある。


「なに?」


「あの……えっと、俺じゃなくて。その、川本が、聞きたいことがあるって」


「俺に? なにを? てか、用があるならおまえが自分で話せよ、川本」


 挑発されて怒ったのか、背の高い村田に隠れるように立っていた川本は、奴を押しのけて上半身を前に乗り出させると、「アンタがやったんでしょ」と親の仇でも見るような目で俺を睨んできた。


「なにが?」


「とぼけないでよ!」


 ほとんどの生徒がいなくなり、グラウンドに面した窓から茜色の残光が差し込む教室内に、川本のせきを切ったような怒声が響いた。


「話が見えないんだけど。とりま、落ち着いて話せないようなら、俺は帰るわ」


「わたし、見たんだから!」


「だから、なにをだって訊いてんじゃん。てか、委員長さ。俺になんか恨みでもあるわけ?」


「隠しても無駄なんだから!」


「話んなんないわ。ムラッチ、帰ろうぜ」


 川本を無視し、村田に声を掛けたが返事がない。見ると逆光のせいで顔がかげっており、その表情まではわからなかったが、なにやらブツブツと小声で呟いていることに気がついた。


「ムラ」


「聴きなさいよ!」


「ムラッチの様子が」


「誤魔化さないでよ!」


「聴けって」


「アンタが聴きなさいよッ!」


 大声と同時に服の襟元を横から川本にひねり上げられた。『ありえない』と『やりすぎだろ』という言葉が頭に浮かんだものの、どちらも声にはならなかった。


 川本は普段から何かと俺にはうるさいが、今日はいつもとは違った異質な感情、言うなれば、純粋な憎悪をぶつけられているような、言葉のあらゆる面にトゲが生えているような、そんなすさんだ印象を受ける。


「放せよ」


 襟元を掴んでいる川本の右手を振り払い、正面に向き直りながら村田に声を掛けようとした俺は、さっきまで視界の上方すれすれに入っていたはずの奴の顔が見えず、口を開きかけたままゆっくりと頭を動かして視線を上げていった。


 首だけが異様に伸びた村田の頭が、天井の蛍光灯に届かんばかりの高さに浮かんでいるのを見るなり、俺は頭をけ反らせた姿勢で背後へ倒れ、その拍子に右の脇腹を机の角にしたたか打ちつけた。


 こいつは何だ。


「川本!」


 叫んだつもりが上手く声が出てくれず、代わりに激しく咳き込んだ。立ち上がりたいのに、身体が思うように動いてくれない。こいつがみんなを襲ったのか。本物の村田はどうなった。


「川本! 誰か! 先生ッ!」


 尻を床につけた状態でじりじりと後退あとずさりながら、机の隙間から川本の姿を確認した俺は、ようやく自分がめられたのだと気がついた。


 土屋と中山が消えたあと、俺の胸の高さあたりまで大きく育っていた黒い人型が、さっきまで川本だと思っていた何かに頭からかじりつかれている。


「誰かッ!」


 かすれて声が出ない。こんな得体の知れない何かに、理由もわからないまま殺されるのか。俺は自分なりに、この黒い人型が何なのかを考えていた。こいつが現れたきっかけとなったのは、末永との喧嘩であったのはほぼ間違いない。


「来るな! ヤメロッ!」


 だから、信じられないことではあるが、俺の悪意のようなものが具現化したのかもしれない、などと思っていた。それに、俺の嫌いな人間を始末してくれる、便利で使えるヤツだとも。


 川本だった物体が、人型の首を齧り取ったのを見たのを最後に、俺の視界は唐突に暗転した。




「菊池。おい、菊池! しっかりしろ!」


 目を開けると、暗い空間の中に浮かぶ、俺の顔を逆さまに覗き込んでいるらしき何者かの影が見えた。名前を呼んでいるのもこの人物のようだ。


「菊池! 大丈夫か?」


「……だ、れ」


「先生だ! おまえの担任の宇都宮だ。どうした? 気分が悪いのか?」


 独特の埃っぽい匂いが鼻先で香り、自分がまだ学校の教室にいることを思い出した俺は、最後に見た村田と川本になりすましていた何かの姿が脳裏をよぎって「わぁ!」と叫び声を上げていた。


「大丈夫だ、落ち着け! 怪我や痛むところはないか?」


 言われて手足の感覚を確認するが、痛むのは右の脇腹だけだった。他には怪我もないようで、アレに喰われたり齧られたりした様子もない。


 自分の身が無事であるとわかった俺は、床の上に身を起こして背後を振り返り、暗闇でも濃いシミのように見える人型に向かって「先生!」と呼び掛けた。夕陽は完全に沈んでしまったというのに、教室内に明かりが灯っていないせいで、眼前にいるのが本当に宇都宮なのかどうか判別できない。


「ムラ……村田くんと川本、さんが」


「村田と川本がどうした?」


「二人が、二人ともバケモノで、バケモノになって、それで!」


「落ち着け、菊池。なにを言っている? バケモノなんているわけないだろう」


 バケモノなんているわけがない。その通りだ。でもそれなら、土屋の兄や中山にも見えていたと思われる、あの育ってゆく人型は一体何なのだ。


「先生、でも、俺」


「とにかく、今日はもう遅い。先生が車で送ってやるから、職員室の前で少し待っていなさい。親御さんには先生から連絡しておくから心配するな」




 家へと送ってもらう車中でいくら説明しても、宇都宮は俺の話をまともに取り合ってはくれなかった。それはそうだろう。村田が轆轤首ろくろくびになり、川本が口裂け女になって黒いバケモノを食ったなどと、自分でさえ話している最中に馬鹿らしくなったのだから他人が聴いても信じないのは当然だ。


 自宅前で俺を降ろして帰ってくれるかと思っていた宇都宮は、親御さんに挨拶するからと担任らしいことを言って後についてきた。


 インターホンを押そうとする宇都宮を自分の家だからと押しとどめたものの、俺が玄関ドアをわずかに開けるなり、すかさず「ごめんください。誠くんの担任の宇都宮です」という声を奥に向かって放っていた。


 返事がない。奇妙なことに屋内の明かりも一つも灯っていない。


「こんば」


「先生!」


 袖を引きつつ、俺は押し殺した声で宇都宮の注意を引いた。


「おかしいな。さっき電話には」


「先生、なにか変です」


 宇都宮はふふっと軽く笑い、「なにか変ですっておまえ、先生はそういう遊びには乗らないぞ」と呆れたように言ったところで、「あら、先生」という母親の声が中から聴こえてきた。明かりが点いていないせいで姿が見えない。


「ああ、こんばんは。すいません、遅くなりまして」


「いいえぇ、こちらこそお手数お掛けしてすみません」


「とんでもないです。最近はなにかと物騒なので。あの、差し出がましいことをお訊ねしますが、明かりはどうなさったんですか?」


「それがブレーカーの異常らしくて」


 近所の明かりが点いていることからも、母親の言う通り一帯の停電ではなく我が家だけで起きている問題のようだ。


「大変ですね」


「まぁ、不便ですけど、業者の方がすぐに来てくださるそうなんで」


「そうですか。では、私はそろそろ失礼します。車も路上に停めっぱなしなので。それじゃあ、誠。また明日、学校でな。それではごめんください」


 我がクラスから出た五人の行方不明者の話を避けたのも、母親と宇都宮の会話がどことなくぎこちなかったのも、それらが故意に行われたことなのだと、二人の雰囲気から俺にはなんとなくわかってしまっていた。




「あなた、あなたッ!」


 翌朝、俺は母親の父親を呼ぶ金切り声で目が覚めた。


「朝から騒がしいな。指でも切ったのか?」


 父親の間延びした声が廊下の奥から聴こえてくる。


「あれッ! あの角のとこッ!」


「なにを指してるんだ? 柱?」


 二人の声が俺のいる居間に響く。どうやら昨夜は部屋へ戻らずにここで眠ってしまったらしい。


「なにか、黒いのがッ! ほら!」


「なにもいないじゃないか。眼科で診てもらえよ。緑内障かもしれないぞ」


「違うわよ! 誠も言ってたのッ! 黒い人の形がどうとかって」


「そういえば、誠は起こさなくていいのか?」


 なにを言っているんだよ、お父さん。俺はここにいるじゃないか。しっかり起きていて二人のやり取りをこうして見ている。


「ほら、ほらほらッ! あなたッ! あれあれッ! アレ見てよッ! あの大型犬みたいな!」


「いい加減にしなさい! 頼むからそういうのは勘弁してくれよ」


「そういうの? そういうのってなによ! あなた、私の頭がおかしいみたいに言わないでよッ!」


「そんなこと言っていないだろう! 朝からおかしなことを言うなと」


「おかしいって言わないでよッ!」


 二人が始めた口論を聴きながら俺は、己が母親の視界にだけ映る、例の黒い人型へと変容してしまったことに気がついた。末永たち五人は俺の想像と違い、喰われたのではなく人型そのものへと変容していたようだ。どうしてという疑問は尽きないが、もうそんなことを考えても意味はない。ただ結果を、そのまま受け入れればそれでいいのだ。




                               了

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