暁光

清野勝寛

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暁光



「兄ちゃん……大丈夫? 疲れて……ない?」

 後ろから息も絶え絶えにそんな声を掛けられる。本当は自分が一番しんどいのだろう。俺は一度立ちどまり、腰を大きく仰け反らせた後、そこらの倒木に腰を下ろした。

「あぁいやダメだ、一旦休憩。兄ちゃんもうおじさんだから、山登りはしんどいわ」

「も、もう。しっかりしてよね、普段から運動してないからこういうことになるのよ。仕方ないから、あたしも一緒に休憩してあげる」

 そう言ってから嬉々として俺の隣に腰を下ろし、優月は俺の太ももを小さな手で揉んでくる。マッサージのつもりなのだろう。

「はっはっは、二人とも、根性ないなぁ。見ろ、おじさんなんてまだまだ走って登れるくらいだぞ!」

 優月の父…つまり俺にとっての叔父に当たるその人は胡散臭い顎ひげを一度撫で上げてから、数メートル先まで山道を走って登り、俺達のところまで戻ってきた。餓鬼の時分から、俺はこの人が苦手だ。少しは空気を読んでほしい。

「ちょっとあんた、うるさいよ。少し黙ってなさい。……はい優月。拓海君も、お茶飲むかい?」

「すみません、頂きます」

 叔母さんは叔父さんを窘めた後、持ってきた水筒からカップにお茶を注ぎ、優月に手渡す。促され、俺もそれをありがたく頂戴する。

 お茶から溢れる白い煙は山の頂上へ向かって流れていく。少しだけ口に含み飲み込むと、少しだけ気分が落ち着いた気になる。温かい。

「あちっ」

 一気に口に含んだからか、優月は小さく叫んだ後、舌先を外気に突き出して瞳に涙を浮かべた。こういうところはきっと叔父さんに似てしまったのだろう。折角顔は叔母さんに似て凛としてクールな雰囲気があるというのに、あべこべだ。



「兄ちゃん。今年の年末も、帰ってこないの?」

 久しぶりに実家から電話が来たので出てみると、相手は父でも母でも姉でもなく、従妹の優月からだった。そういえば、大学に通い始めてからは一度も顔を合わせていない。いや、高校受験の年も、勉強に集中したいとか言って親戚の集まりには参加しなかったから、そこから会っていないか。

 十個も年の離れた従兄の俺と会ったって別に楽しくないだろうと思ったが、小さい頃は一緒に川に遊びにいったり、テレビゲームの対戦相手をしてやったりしていたからか、優月は俺にとても良く懐いていた、と思う。

「え、うーんそうだなぁ……」

 あれだけ住みやすいと思っていた実家も、一度離れてしまえば帰るのは億劫になっていく。ましてや金欠の貧乏学生だ。帰りの交通費も、家への手土産も、優月へのお年玉さえ用意出来ない。考えれば考えるほど、帰省する気が失せていく。

「……あ! そうだ、今年は初日の出見に行くって! 兄ちゃんも一緒に行こうよ!」

 なんとか俺をこっちに帰って来させようと、優月はそんなことを言った。大学に通い始めてからは彼女はおろか、友人もろくにいない生活をしていた俺を、会いたいと求めてくれるのが、なんだか少し嬉しくて、俺はつい、そりゃあいいねぇ、なんて返してしまったのだ。

「それじゃ約束ね! 楽しみだなぁ! 絶対帰って来てよ!」



 そんなやりとりがあったことを思いだす。地元に帰って数日は旧友と飲みに出たりしたが、すぐにやることもなくなり、家でダラダラと過ごしていたら、今度は優月が家に来て、遊ぼう遊ぼうとテレビゲームやらボードゲームやらを大きな鞄をひっくり返して部屋に広げた。

 それから、延々遊びに付き合わされた。そして今日。明日は他の親戚のところにお年玉をせびりにもとい、ご挨拶に伺い、その次の日には帰宅、翌日からのバイトに備えるということで、優月と遊ぶというイベントは今日が実質最後となる。子どもの遊びに対する体力というのは恐ろしいもので、本当に、本当に一日中、遊び続けるんだ。外だろうが中だろうが、関係ない。正直、かなりしんどかった。しかし、それは優月も同じだったようで。今日はいつもより元気がない。だというのに、今日までで一番体力の使うイベントだ。ようやく体力も尽きたのだろう。

「嘘だろ……寝やがった」

「拓海君遊んでくれてよっぽど嬉しかったのね……ちょっとあんた、この子背負いなさい」

「えぇ、こっちだって荷物一杯あるのに……」

「さっき無駄に体力消費してたでしょ」

 二人の口論を聞きながら、優月の様子を見る。俺の肩にもたれ掛かり、すやすやと寝息を立てている優月の顔を見て、俺はなんだかとても懐かしい気持ちになった。もしかしなくても俺は、少しずつ忘れていっているのかもしれない。何かに全力になることも、それを全身で、受け止めたりすることを。

 これが、大人になるってことなのだろうか。

「大丈夫ですよ叔母さん。俺、運ぶんで」

「あらそう? 結構重いわよこの子」

「叔父さんの荷物よりは軽いでしょ」

「そうだな! じゃあ悪いけど拓海君、優月の運搬、宜しくね!」

 ずっしりと背中に重みを感じる。子どもは体温が高いというのは本当らしい。持参していたカイロよりも、優月の方が温かった。正直俺自身体力や筋力がある方じゃないから、どこまで持つかわからない。とはいえ所詮地元の学校の裏山だ、たいした距離ではないだろう。



 ようやく開けたところに出る。本来なら車でも来れるらしいが、冬の間は路面が凍結して危ないということで車両は通行止めらしい。それでも、家族連れが複数組、既にいた。なんとか一時間後の日の出には間に合った。

「おーい起きろぉ優月。着いたぞ」

「……ぐぅぐぅぐぅ」

「いやいや、起きてんでしょその反応は! 落とすぞ!」

 そう叫ぶと笑い声を上げながら優月は背中から飛び降りる。すっかり元気になったらしい。

「ありがとう兄ちゃん、運んでくれて」

「中々……体力、あるみたいだね……拓海君……」

 さんざんはしゃいでいたおじさんは先ほどの優月のように息も絶え絶えだった。その様子を見て叔母さんと優月、俺の三人で笑う。

「初日の出なんて、初めて見るなぁ」

「そーなんだ? 兄ちゃん陰キャだもんね」

 どこで覚えたそんな言葉。違うと大声で否定出来ないところは悲しいが……。

「私達も、家族で来るのは初めてねぇ。だから優月も初めて見る筈だけど」

「いやいや、赤ん坊の頃に一回三人で来ただろう? あの時はこの山じゃなくて……あれ、どこか旅行にでも行ってたんじゃなかったかい?」

 叔父叔母夫妻はかつての記憶を思い返すようにうんうんと唸っている。しかし、

その表情はどこか柔和だ。一方、優月の方は少しむくれているようだった。

「そんな小さい時のこと、覚えてないもん。だからあたしも、今日が初めてだよ兄ちゃん! 一緒だね!」

「……え、おぉ。うん、そうだな」


――やがて、水平線の向こうから、空を割り。雲を割り。暁色に空が染まる。天気予報では雲が多いかもなどと言っていたが、きちんとその形を見ることが出来る。遠くに見える球体は時間を掛けてゆっくりとその全容を露わにする。眩しくて目を細めると、その光は視界全体を橙に変えていく。

「キレイだね、兄ちゃん」

「……そーだな」

 優月を見て見ると、両目を大きく見開いて、その光を全身で受け止めていた。優月の眼球に反射したその暁光は、自分の目で直接見たものよりも美しく思えて、何故だろうと、優月かこちらに笑顔を向けるまで、そればかりを考えていた。


「また来年も来ようね、兄ちゃん!」

「暇だったら、な」

「来年も暇だよきっと! 兄ちゃんボッチなんでしょ」

 誰だ、優月にこんな言葉を教えたのは。




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暁光 清野勝寛 @seino_katsuhiro

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