第3話 友と兄貴と恋人と

 オレ、秋川和人(あきかわ かずと)。十五。

 二年前、両親が仕事先の海外で死んじまって、天下の大財閥『秋川コンツェルン』を受け継いだ。

 一人息子とは言え、未成年のオレがいきなり当主に、ってのは周囲から相当な反感を買ったらしい。

 当然のことのように、就任直後から不審な事故や誘拐未遂がオレの周りで相次いだ。

 そんなオレを、危険や醜い覇権争いから全身全霊で護ってくれたのが、執事の北村唯樹(きたむら いつき)。二十八。

 北村の存在は、秋川家の中ではちょっと特殊だ。 

 ずっと昔、まだオレが生まれる前、子供が出来なくて悩んでたオレの両親は、事故で両親を亡くして孤児院にいた北村を養子にする為に引き取った。

 何でも、北村の親父さんは元々、秋川コンツェルン傘下の企業の跡取りで、オレの親父とは学生時代に親友だったんだそうだ。

 ところが、卒業と同時に親父さんは家族の猛反対を押し切って駆け落ち。

 相続権のすべてを放棄して、行方不明になってたらしい。

 それが、事故で一人息子の北村だけが生き残って施設にいるところを、偶然、親父達が見つけたってわけだ。

 けど、北村を養子にしようとした親父達は、財閥当主の座を狙う周囲の人間から『血の繋がらない人間を後継者にするわけにはいかない』と猛反対を受けた。

 そして、その説得をしているうちにオレが誕生。

 誰に恥じることもない、正統な血筋の後継者であるオレの誕生に、ますます北村の後継者としての椅子は遠のいた。

 親父達は最初、それでも北村を養子にしようとしたらしい。

 元々、血筋だとか家柄だとか、そういうことに関しては一切頓着しない二人だったし、その頃にはもう、戸籍の上ではともかく、気持ちの上では本当の親子みたいに暮らしてたから。

 結局それは、北村本人の断固とした拒否で諦めたらしいんだけど。

 でも、だからって親父達は北村を孤児院に戻すような真似はしなかった。

 だから、オレと北村はオレが生まれた時からずっと一緒だ。

 二年前までは『唯兄ぃ』って呼んでたし、小さい頃は本当の兄貴だと思ってたぐらい、一番身近な存在だった。

 頭が良くて、礼儀正しくて、腕っ節も強くて。

 本人がどうしてもって言うから、肩書きは未だに『執事』のままだけど、実際にコンツェルンのすべてを取りしきってるのは、オレの後見人も兼任してる北村だ。

 優秀で、完璧で、非の打ち所なんてどこにもなくて、何より、オレのことを世界中の誰よりも――オレ自身よりも想ってくれてる、最高の執事。

 そして。

 そんなスーパーマンみてーな北村が。

 実は、オレの恋人、だったりする――。


 ★


 ……なんだよ。

 なんなんだよッ、この空気はっ!

 執務室のでかい机に頬杖を付いたオレは、イライラもやもやした気分そのままに、特大のため息をついた。

「なー、北村ぁー」

「……なんですか」

「さっきから、何怒ってンの、お前」

 目の前の補助机で当社比200%の仏頂面を見せてるのは執事の北村。

 普段から滅多に表情崩さない北村のことだから、他の連中が見たらきっと『いつもと同じだ』って言うんだろーけど、オレにはわかる。

 顔には出さないけど、そのオーラが。

 めっちゃくちゃ『怒ってます』って言ってるっ。

 けど、何度聞いても答えは同じ。

「別に怒ってなどいませんが」

 ……こっちに目線も寄越さずに即答する辺りが怒ってるっつーの!

 くそ。頑固者め。

「はぁぁ」

 さっきから、こんなやり取りが繰り返されること恐らく一時間強。

 も、いー加減どーにかしてくれ。重いンだよ空気。

 てか、オレ何かしたかぁ?せめてワケ教えて、北村。

「なー。北村ー」

「……」

 あぁっ、ついにシカトかよっ。

 勘弁してくれよー。ワケもわかんねーのに一時間もこの空気に耐えたんだぞ。

 何でオレがこんな目に遭わなきゃなんねーんだよー。

「あーもー。今日は奈雄サンにも遊んでもらったし、いい一日だと思ったのになー…」

 何気なく呟いた瞬間だった。

 ひくんっ。

 ……お?

 何か今、北村の肩が動いたっぽくね?

 なんで?

 あ。

「オレ、今日、奈雄サンに遊んでもらったって、北村に言ったっけ……?」

 奈雄サン。フルネームは桜庭奈雄(さくらば なお)。歳は二十三だって言ってた。

 詳しいことは良く知らないケド、北村の昔の知り合いで、今は某有名ヘアサロンで人気美容師やってるらしい。

 明るくて人なつこくて、太陽みてーな匂いがする優しいヒト。

 茶髪でピアスとかもしてて、外見クールな北村とは正反対な感じだけど、でも北村に負けず劣らずの超絶キレイなおにーさんだ。

 その奈雄サンに誘われて、放課後、たまたま一緒にいた夏木と三人で遊んできた。

 本当は、まっすぐ家に帰る筈、だったんだけど。

 連絡。連絡は――一応、した。いや、してもらったんだった。登下校の間、オレを護衛してるSPの一人に。

 恐る恐る北村の方を見ると、北村は数秒の沈黙のあと、ひっくぅい声で呟いた。

「……確か、人づてには伺ったような気がしますね」

 あぁぁ。

 もしかして、もしかしなくても、北村が怒ってんのって、そのせいデスか?

「……わり」

「……」

 うぅ、その沈黙イタいです、北村サン。

 てか、オレちゃんと連絡入れたんだぜ。何でこんな後ろめたい思いしなくちゃなんねーんだよー。

 とか言いつつ、一生懸命、言い訳探してるオレって、もしかしてカッコわりぃ?

 いいけど。背に腹は代えられねーし。

「あ、あのさ、でも、突然だったんだよ。約束とかしてたんならソッコーで言うんだったんだけどさ。いきなり校門前に待ち伏せてンだぜ、奈雄サン」

 なーんか、女子どもが校門付近に集まってンなーとは、思ってたんだ。

 けど、オンナってなんでもねーのに良くたむろったりしてんじゃん?

 ツルんでんのはいつものことだし。

 だからオレにはカンケーねぇと思ってたんだよ。

 したら、校門トコで女子がやたら騒いでやがって、その中心にいたのが奈雄サンだったってワケ。

 そりゃーなー。あんな美形が何の前触れもなく現れたら、そりゃ騒ぐだろーよ。

 隣にいた夏木も、ぽかん、とした顔してたし。

 ……わかるぞ夏木。オレも奈雄サン初めて見た時はそんな心境だった。

「で、さー。思わず遠巻きに見てたら、奈雄サンこっちに気づいて手ぇ振ってきてさー。オレたち注目の的だぜ?女子どもなんか、きゃー、とか、うそー、とか、いやー、とか変な声だしやがるし。もー、恥ずかしいのなんのって」

 その瞬間のことを思い出したら、なんか遠い目になっちまった。

 いやホント恥ずかしかったんだよマジで……。

「……」

 ちらっと北村を盗み見たら、さっきまでの黒いオーラが若干ナリを潜めてた。

 相変わらず目線は机の上だし、手に持った万年筆はよどみなく動いてるけど、オレの話は聞いてるらしい。

 黙ったまんまで相づちも打たない北村はなんかヤだけど、さっきまでの空気よかマシだ。

 オレは取りあえず話を続けることにした。

「んで、慌てて奈雄サンとこ駆け寄ったら、奈雄サン、遊びに行こうってんだよ。今日は夏木がウチ来たいって言うからダメだって言ったんだけど、そしたら夏木も一緒でいいからってゆーし。それに、奈雄サン、セーブランドの無料招待券持っててさー」

 セーブランド、っていうのは最近出来たばっかりのテーマパークだ。

 敷地面積は大して広かないんだけど、ゆったり楽しんで欲しいっていうオーナーの運営方針で入場制限されてて、数あるアトラクションは殆ど待たずに乗れる代わりに、前売り予約オンリーの入場券自体がプラチナ――いや、ダイヤモンドチケット化してる。

 まあ、オレの場合はコネ使えば幾らでも好きな時に行けるんだろうけど。でも何か、そーゆーのってヤじゃん。北村だってイイ顔しねーだろうし。

 だから諦めてたんだよな、実際。それが、いきなり無料招待券だぜ。断ったらバカだろ?

「それにさ、せっかくの奈雄サンのお誘いだし。夏木も行きたいってゆーしさ。だから、予定変更して遊びに行ったんだ」

 正直言って、セーブランドの招待券なんかなくても、もし夏木との先約がなかったら、ソッコーで付いてったと思う。

 ――初対面でいきなり襲われたケド。

 けど、あれってばむしろオレと北村を仲直りさせよーとしてくれたわけだろ?

 てことは、奈雄サンは親切でやってくれたんだし。悪気なかったってことだし。

 それに、やっぱオレ、奈雄サンって好きなんだよな。

 あの太陽みてーな笑い顔とか、声とか、頭がしがし撫でてくれる手とか。

 こんな兄ちゃんがいたらなぁ、って本気で思う。

 奈雄サンにそう言ったら、奈雄サンはちょっと詰まって、少しだけ目を細めて、そんで、そっか。って、それだけ言って、また、にぱって笑ったけど。

 なんでかな。なんか、あん時の奈雄サン、ちょっと寂しそうに見えた。

「奈雄サンて、ほんと面倒見いいよなー。ずーっとさりげなくリードしてくれてさー。次はあっち、その次はむこうって案内してくれんだけど、その間、ずっと背中に手ぇ当てて誘導してくれたりとか、手ぇ引いてくれたりしたんだー」

 きっと、奈雄サンってスキンシップが好きなタイプなんだと思う。

 ほら、よくいるじゃん。友達とかにもやたらべたべた触るヤツ。

 他のヤツにされたんだったら、なれなれしいとか、気味悪ぃとか思うのかもしんねーけど、奈雄サンは別。

 だって奈雄サンだし。

「……」

 気づいたら、北村の手が止まってた。

 目線は相変わらず、机の上だけど。

 どうやら、意識は全部こっちに向いたらしい。

 ……けど、眉間のしわが更に増えてる気がする。

 なんでだ?

「北村はさー、そーゆーことしねーじゃん。昔っから。あぁ、違うか。オレがまだちっちゃかった頃は、たまに手ぇつないでくれたっけ。でも、大体は後ろで見てたよな」

 北村は、いつもオレの自由にさせてくれてた。

 あ、奈雄サンが束縛したとか、そーゆーんじゃないぜ。

 ただ北村は、どんな時でもまずオレのやりたいようにやらせてくれて、自分はそのフォローに回るって感じだった。

 いつもいつもそんなだったから、何があっても北村が何とかしてくれるって安心感があった反面、ちょっと寂しかったのも事実だ。

 たまには北村の好きなようにやっていいのに、って思ったりさ。

 手ぇつないだりも、したかったし。

「オレも結構、スキンシップとか好きみてーでさー。自分でも知らなかったんだけど。奈雄サンのそばにいると安心するんだよな」

 誰かに憧れる、ってのは、こんな感じなんかな。

 一緒にいると、何か楽しいことがありそうでわくわくする。

 けど、やっぱどっか安心してて。

 北村とは違う方法で、でもやっぱ奈雄サンもオレのこと気にかけてくれてんだなー、と思ったら、すげー嬉しくてくすぐったくて。

「あと夏木にもさ、気づいたらオレ、結構べたべた触ってんのな。夏木に聞いたら、今頃何言ってんだとか言われるしさ。どうも、それなりに仲良いダチには触ってるらしーんだよ。いや、無意識って怖ぇよなー。あ、あと奈雄サンがさ――」

 とその時、北村がいきなり立ち上がった。

 ガタッ。

 思いっきり後ろに倒れた椅子が派手な音を立てる。

 けど、そんなことはお構いなしって感じに、両手を机の上に置いて、俯いて。

 北村は、深く息を吸った。

「……北村?」

 沈着冷静な北村が、こんな風に騒がしい音を立てることなんて殆どない。

 コンツェルンのわからず屋連中を相手にした時は、たまーにそうやって相手を萎縮させるらしいけど。

 そうそう、北村、誰彼かまわず脅すのやめろよな。

 この間あたらしく入ったばかりの庭師が、庭で泣いてたぞ。

 せっかく話が合うヤツが入ってきたと思ったのに、お前のおかげでオレまで怖がられて、次の日から目もまともに合わせてくんねーし。

 ……って、そうじゃなくて。

 あまりにも普段と違う行動を目の当たりにして、思わず現実逃避しかかったオレは、我に返ると北村の方へ歩み寄ろうとした。

 けど北村は、それを遮るように深く息を吐いて、静かに言う。

「そろそろお茶にしましょう」

「きたむ…」

 まるで、オレになにも言わせまいとしてるようだった。

 いつもオレといる時だけは解かれる、人を寄せ付けないバリアーみたいな空気が、今は目に見えそうなぐらいはっきりと感じられる。

 ――だよ、これ……。

 オレは、その空気に自分でも呆れっちまうくらい狼狽えた。

 だって、だってこんなの変だ。

 こんなの変だよ。ありえねって。

 なんでだよ。なんで?

 北村は、オレといる時は優しいんだ。

 いつだって、何があったって、いつもオレのことが一番で、自分のこととかは全部あとまわしで、そんでオレがそれを心配すると、北村はそのことで自分を責めて、だけど最後は嬉しそうに抱きしめてくれるんだ。

 そうさ。いつだって、北村はそうやって、オレのことだけは受け入れてくれた。

 ――なのに。

 なのに、なんでだよ?

 なんで……どうして、オレを閉め出そうとするんだよ……っ!

「北村っ!」

 たまんなくなって叫んだら、北村が立ち止まった。

 だけど、顔が見えない。

 くるりと背を向けて、部屋の隅に設えられたカウンターコーナーの方を見ている。

 その背中が、肩が。

 オレを拒絶しているようだった。

「やだよ……」

 知らず知らずのうちに、言葉がこぼれ出ていた。

「そんなの、やだよ、北村……」

 涙は出なかった。

 怖いとも思わなかった。

 多分、きっと。

 ――そんなこと感じてる余裕もなかったんだ。

「何か言えよ。怒ったって、怒鳴ったって良い。だから、シカトすんなよ。オレを――」

 オレを、閉め出さないでくれ。

 他の連中にやるのと同じように、お前の中から閉め出さないで。

「北村……」

 ゆっくり近寄った。

 その背中は相変わらず黙ったまんまで、沈黙が痛くて、どうして良いかわかんなくなりそうだったけど。

 だけど少しでも近づきたくて、感じたくて。

 その背中に、ぎゅっと抱きついた。

「……ぼっちゃま」

 はぁ、とため息が聞こえた。

 ――いや。

 それは、ため息っていうより、嘆息って言った方が合ってるかも。

 なぁ。

 オレの何がお前をそんなに嘆かせる?

「オレ、わかんないんだ。ほんとにわかんないんだよ。どうしてお前がそんなに怒ってんのか。……ごめん。ごめんな。わかってやれなくてごめん。怒らせてごめん。あやまるから。いっぱい、いっぱい、あやまるから。だから、そんな風にすんなよ。――オレを、お前ん中から、閉め出さないでくれ」

「ぼっちゃま……」

 北村の声が、少しだけ優しさを帯びた。

 だけどそれは切なさをも滲ませていて。

「なぁ。教えてくれよ。一体、オレの何がお前を怒らせた?どうして、そんな――」

「怒ってなど、いません」

「北村……!」

「いいえ、ぼっちゃま。本当に、私は怒ってなどいないのです。ただ――」

 そう言った瞬間、北村がいきなり振り向いた。

 背後から回していた腕が解かれ、逆に北村の懐深くに引き寄せられる。

「きたむ――」

 驚いて顔を上げたオレの首に手を回し、後頭部を強くつかんで、北村は強引に口付けて来た。

「ん……」

 身長差のせいでつま先立ちになり、殆ど抱え上げられた格好で、オレは北村の肩越しに手を宙へと彷徨わせる。

 だけど北村は、自分の唇を強く押しつけるだけで、それ以上は何もしようとしなかった。

 ただ、ひたすら。

 何かに耐えるみたいに、そうやってじっとしてた。

 やがて、北村は唇を離し、今度はすっぽりとオレを腕の中に抱き込んでしまう。

「……北村、ちょっと腕ゆるめろ。苦しい」

 くぐもった声で言うオレの言葉が聞こえないのか――いや、んなわけねぇだろうけど――北村は動かない。

「きーたーむーらー。苦しいって」

「ぼっちゃま」

「うん?」

「ぼっちゃま」

「なんだよ」

「ぼっちゃま……」

「だから、なんだって。いいから腕ゆるめ……わっ!?」

 いきなり、抱き上げられた。

 と思う間もなく机に座らせられる。

「き、北村……?」

 腰に北村の腕が回っていた。

 至近距離の顔を見上げて、自然、上半身がのけぞる格好になる。

 北村の体が、オレの脚の間にあって。

 ――え、と……。

 この体勢、ちょっとヤバくないですか?

「あの……北村?」

 もちろん、あのカタブツで融通きかなくて『超』が付くぐらい真面目な北村のことだから、それはきっとオレの取り越し苦労で、っていうかナニ考えてんだよオレ、ってなもんなんだろーけど。

 けど……北村?

 なんか、顔がどんどん近づいてきてるような気がするんだけど。

 ……気のせい、じゃない、よな?

「きたむ……」

「自重はしました」

「へっ?」

 いきなり何いいだすんだ?

「自重?」

「理性も総動員しましたし、出来る限りの手段は取りました。――すべて片端からぶち壊したのは、ぼっちゃまの方ですからね」

「…………はい?」

 な、なんか……すごーくイヤぁな空気が漂っているような気がするのはオレだけですか?

 っていうか、さっきまでの違う意味でのイヤな空気はどこ行ったオイ!?

「ちょ、冗談はやめ……」

「ぼっちゃま。私もそれなりに感情というものは持ち合わせているんです。ご存じですか?」

 だからどうしてそう突拍子もないことを突然……。

「何言い出すんだよ、もー……いいから、この手、放せ?な?」

「愛しい恋人が別の男と楽しい時間を過ごしたなどと言うことを、嬉々として語るのを聞いて、平常心を保てると思いますか?」

 私はそこまで達観した人間ではないつもりなんですが。

 そう言った北村の目は――

 ……今まで見た中で、一番怖かったかもしれない。

「あ、あのさ?落ち……落ち着け?な、北村。落ち着こう。ほら深呼吸――」

「さっきしました。付け加えるならば、気を静めようとお茶の提案もしました。どちらも、邪魔をしたのはぼっちゃまでしたが?」

 今更それはないでしょう?

 北村……だから、怖いってその笑顔……。

「き、北村、仕事っ、仕事がまだ終わってな――」

「かまいません」

「かまいません、っておま――」

「そんなもの、あとでどうとでもなります。それより――」

 ずいっ、とドアップで迫ってくる北村の――その目がオレを射抜く。

 少しだけ笑いを含んで、だけど、すごく真っ直ぐで。そして――熱い。

「痕跡を消しましょう。私といる間は、他のことなど思い出さないように――念入りに。時間をかけて……たっぷりと」

「……嫉妬したって素直に言――ん…」

 やっと、わかった。

 北村が、どうして怒ってたのか。

 オレが、奈雄サンと遊んだこと、楽しげに話したから。

 自分が見てないとこで、見られないとこで、奈雄サンと遊んでたから。

 だから北村は、嫉妬したんだ。

 鈍いかな?そうかもしんねぇ。

 けど……。

「ぼっちゃま……」

「和人。こーゆー時は名前で呼べって、言ってるだろ」

「――和人。和人……っ」

「オレ、奈雄サン、好きだよ」

 またキスしようとしてきた北村に、オレは静かにそう言った。

「っ」

 北村が体を強ばらせる。

 だけどオレは首を振った。

 あぁ、確かに好きだよ。――だけど。

「オレには、お前しか見えてねーよ。奈雄サンも、夏木も好きだけど。でも、オレにはお前しかいないから。――お前が、オレのこと恋人にしてくれた、あの日から」

 両親が死んで、数日経って。

 パニックが治まるに連れて膨れあがる悲しみに、押しつぶされそうになっていた時。

 北村は、オレを抱きしめてくれた。

 遺体を引き取りに行った時も、通夜の時も、葬式の時も。

 ずっと、ずっとそばにいて、混乱で何も出来ないオレの代わりに全部取りしきってくれて。

 そして、キスしてくれた。

 ――初めてだった。

「ずっと片思いだって思ってたんだ。男同士だし、子供の頃から一緒だし。オレきっと頭がおかしいんだって、そう思ってた。気づかれたらダメだって。きっと嫌われる。気持ち悪いヤツだと思われるって。――だから、ほんとに嬉しかった。気が狂うかと思うくらい、嬉しかったんだ」

「……あの事故がなければ、ずっと黙っているつもりでした。この想いは、和人の重荷にしかならない。例え伝えることが出来なくても、そばで見ていることが出来るなら、それで良いと……」

 夢を見た。

 誕生日のケーキを、両親とオレと北村で取り囲んで、幸せそうに笑ってる夢だった。

 けど、突然そこから両親が消えて。

 そして、北村まで。

 ゆっくりと遠ざかっていく。必死に伸ばす手も全然届かなくて。オレ一人だけ取り残されて。――そんな夢。

 自分の悲鳴で飛び起きて。だけど未だはっきりとは覚醒出来なくて、何が現実かもわからなくて。

 そんな時、北村が部屋に飛び込んできた。

 その姿を見た瞬間、夢が現実に覆い被さって、オレはまた悲鳴を上げた。

 そんなオレを、北村は抱きしめてくれて。

 そして。

 ――オレは、叫んでいた。

 ずっと押し隠してきた、自分の気持ちを。

「和人の気持ちは嬉しかった。本当に、天に昇るというのはこういうことかというぐらいに。けれど、それでも、抵抗がありました。こんな風に弱みにつけ込むようなやり方であなたを――恋人に、するのは」

「だけどそうしてくれたから、今のオレがいる。約束しただろ。オレはもう、お前を『唯兄ぃ』とは呼ばない。当主として、お前を使用人として扱う。そうしなきゃいけないって、お前が言うなら、望むなら、そうする。だけどその代わり――」

「偽りの主従関係を保つ代わりに、真実の想いから逃げ出さない。――そう、約束しました」

 唯兄ぃ、と呼ぶ必要がないくらい近くに居て。

 他人行儀な呼び名を用いても不安にならないぐらい、抱きしめて。

 必死に伝えた条件を、北村は優しいキスで受け止めてくれた。

「あんなに何もかもめちゃくちゃに壊してでも手に入れたいと思ったのは、お前だけだ。それまでも、その後も、あんなに必死になったのは、あれ一度きりだよ。――だから、お前が心配するようなことは一つもないんだ」

「和人。……でも私は」

「お前からオレを奪えるヤツなんか、どこにもいないよ。奈雄サンのことだって。――オレは、本当はお前と一緒に行きたかったんだからな」

「和人――」

「それでも信じられないんなら、いいぜ。お前の好きなようにすればいい。オレは、いつだって、どこでだって、お前が望むなら大歓迎だよ」

 そう言って、オレは北村に抱きついた。

 背中に回った手に、力がこもる。

「和人……」

 ため息と一緒に、唇が首筋に押し当てられて。

「――明日、ガッコ休んでもいい?」

「ダメです」

 カミサマ。

 この頑固頭を柔らかくするクスリ、ありませんか――?


 ★


「……ぁ。そう言えば。な、北村?」

「なんですか?」

「奈雄サンから、伝言」

「奈雄から?」

「ん。――正面から正々堂々行きますんで、夜討ち朝駆け厳禁デス。――だってさ。どーいう意味かなぁ」

「……なるほど。宣戦布告、ですか。……奈雄も随分と度胸が付いたものですね……」

「北村?なぁ、どーいう意味?」

「和人は知らなくて良いんですよ。――それより」

「や、どこ触……きたむ……んぅ」

「――伝言のお礼、ですよ」

「このっ……変態エロ魔王っ……」

 都内某所にある秋川家豪邸にて。

 今日も今日とて、御曹司と執事の熱い夜は更けていくのでした――。

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ぼくの執事 樹 星亜 @Rildear

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