第4話 ミッドサマー・パーティ

「聖月祭〈ミッドサマー・イブ〉?」

 神殿の窓から向こう岸を眺めていた月夜が振り返った。

 ここは聖霊の国ヴァイスフィリア。

 緑と水が豊富で、一年中色とりどりの花の芳香が漂うこの国の神殿は、蒼く澄んだ湖の中央、小高い丘の上に建っている。

 周囲を囲む穏やかな湖面は、夕日に赤く乱反射して、神殿の中を炎のような揺らめきで彩っていた。

「ああ、この国では年に一度、太陽がもっとも高くなる前の日の真夜中に、聖なるお祭りが開かれるんだ。この国に住んでる聖霊は、みんなそのお祭りの日に生まれるんだよ」

 入国の挨拶をしに赴いていたウィンが、みんなに招待状を渡しながら言う。

「で、どうやら明日がそのミッドサマー・イブの日らしいんだ。ほら、オレたちこれでも一応、神官だからさ。聖月祭はこの国でもっとも神聖なお祭りだし、是非どうぞって」

「どうする?ユリウス」

 招待状を受け取って一瞥したシオンが尋ねる。

 ユリウスは少しの間考え込み、やがて軽く微笑んだ。

「……まあ、コトはお祭りですし、何よりここは聖霊たちの国ですから、問題はないでしょう。噂に聞けば聖月祭というのは、それは美しいお祭りだそうですよ。どちらにせよ、今日はここで一泊させていただくつもりでしたから、お言葉に甘えて参加させていただくとしましょう。……ウィン、すみませんが、もう一度行って、マスター達の同行も許可してもらってきてください」

「あ、それなら大丈夫。ほら」

 そう言って、ウィンは手にした招待状を見せる。

「最初っから月夜たちの分も貰ってきてるんだ。長老様がさ、偉大なる創造神様にも是非おいでいただきたい、って」

「彼らは知っていたのですか、マスターのことを?」

 途端に、ユリウスの目が鋭くなった。

 各地で騒ぎを巻き起こしているわけだから、彼らの旅は隠密行動、とは言い難い。

 しかしその目的である月夜の素性については、中央の長老たちでさえごく数人しか知らない、極秘事項〈トップ・シークレット〉である筈だった。

「ああ、それは」

 と、ウィンが笑って肩を竦める。

「無駄だよユリウス、聖霊相手に隠し事なんてさ。何たって人の良心から誕生する、この世で最も純粋な魂の持ち主なんだから。……どうも、オレたちがこの国に入った時から気づいてたみたいだよ。でも、遠慮してくれてたんだって。今回も、主賓はオレたちで、月夜たちはその連れ、ってことでいいってさ」

「そうですか……そうですね、ここは最も清らかな人々の住む聖霊の国。それほど神経質になる必要もありませんでしたね」

 そう言って、ユリウスは振り返る。

「どうしますか?大袈裟な歓迎は向こうも遠慮してくださるでしょうが、私たちは神官として招待されていますから、それなりの席を用意されているはずです。少々かた苦しい思いをなさるかもしれませんが……出席されますか?」

「もちろん」

 即座に頷いたのは陽南海だ。

「年に一度のお祭りじゃない。たまたまそんな日に通りかかるなんて、ラッキーだわ。きっと偶然の神様が、出席していきなさい、って言ってるのよ。わたし、行きたい!」

「では、お前は私がエスコートしよう。このような席はあまり好みではないが、お前が居れば退屈せずにすむ」

 いつものように表情のない顔でそう言うシオンに、陽南海は嬉しそうに頬を染めながら頷いた。

「え、と……僕は……」

「聖!」

 何か言いかけた聖の言葉を、キッドが遮った。

「絶対、来いよ!行かないなんて許さないからな!絶対だぞ!」

「キッド……」

「こら、キッド」

 ウィンが軽くキッドの頭をこづく。

「無理強いなんかするなよ、聖が困ってるだろ」

 そのウィンの手を邪険に振り払い、キッドはフン、と横を向く。

「お前に頼んでるわけじゃないんだから、関係ねーだろ。よけーな口出しすんじゃねーよ」

「なに!?」

「ああ、やめてよ二人とも」

 聖が慌てて間に割ってはいる。

「行くよ、行くからさ。もうやめてよ二人とも」

「ほんとか!?」

 にぱあっ、と、キッドが顔を輝かせた。

「ほんとにほんとだな?絶対だぞ!約束だからな!」

「はいはい。……どうせヒマを持て余してんだろ?キッド。お前、こーゆー堅苦しい席、苦手そうだもんな」

「わかってんじゃん。さすが聖、どっかの単純大王とは違うぜ」

「単純って、誰のことだよ、キッド!」

「ほ~、自覚してねえって怖ェなあ」

「キッド!」

 もちろん、二人とも本気なわけではない。

 ウィンはキッドを弟のように思うからこそ、他人相手なら聞き流してしまえるような言葉にもいちいち反応してしまうし、キッドはキッドで、普段なら無視してしまうものをわざわざウィンの神経を逆撫でして、その反応を楽しんでいる。

 ……要するに、年の離れた兄と弟の兄弟喧嘩のようなものだった。

「いいかげんにしなさい、二人とも」

 そして、それを止めるのが家長(笑)のユリウスの役目である。

「とにかく、聖も一緒に行くのですね?」

「うん。……桜華姉さんは?」

 聖が尋ねると、桜華は肩を竦めた。

「私は……」

 元々、祭りだとか式典だとか、大勢で集まって騒いだりすることを好まない桜華である。

 断ろうと口を開きかけた瞬間、彼女はユリウスの表情が僅かに変化したのに気づいた。

 長いまつげを微かに伏せ、悲しげに、少しだけ責めるように自分を見つめるユリウスの碧眼。

 その瞬間、桜華は自分でも気づかないうちに頷いていた。

「私も行くわ。……人混みはあまり好きじゃないけど……生命の誕生を祝うお祭りなんて、滅多に見られるものじゃないしね」

 ありがとうございます。

 そんな彼の胸のつぶやきが、聞こえたような気がした。

「……ユリウスくん。すまないが、私たちは遠慮させてもらっていいかい?」

 と、一年が口を開いた。

「この年になると、人混みは少し大儀でね。子供達をよろしく頼むよ」

「ごめんなさいね、せっかく招待していただいているのに……私たちの分まで、楽しんでらっしゃい」

 そう言って柔らかく微笑む二人に、ユリウスは頷いた。

「わかりました。では、後ほどお部屋の方へ食事を運ばせます。……あの、大丈夫なのですか?どこか具合でも悪いようなら……」

「ああ、心配はいらないよ。私も四季子も、元々こういう集まりは苦手なんだ。子供達には君たちがついていてくれるのだし、たまには二人で静かに過ごすのもいいかと思ってね」

「そうですね、地球にいた頃は家族はみんなそれぞれの生活があって、夕食なんかも二人っきりのことが多かったですけど。ここへ来てからはみんないつも一緒ですものね。たまには、こんな日があってもいいでしょう?」

 そう言って笑う四季子に、ユリウスも微笑んだ。

「そうですか、わかりました」

「月夜」

 と、ウィンが月夜に問いかける。

「君はどうする?一緒に行くかい?」

「え、だって……私は、行かないといけないんじゃないの?長老さんは、そう言ってたんでしょ?」

「うん、でも……無理する必要はないよ。別に創造神の力が必要なわけじゃないし、必要だとしても君が行く義務はないんだから。行きたくないなら、オレからうまく言っておくよ」

 ウィンはそう言って優しく微笑む。

 月夜は彼の気遣いに感謝しつつ、ゆっくりと頭を振った。

「私、行きたいウィン。だって、聖霊のお祭りでしょ?……聖霊ヴァイスピール。人の良心が結晶化した〈セイクリッド・コクーン〉から生まれる、最も神に近い存在……彼らを創り出したのは私だもん」

「えっ……」

 ウィンは驚いたような声を上げた。

「覚えているのかい?」

 月夜はこの世界のことをほとんど覚えていない。

 いや、覚えていないというより、知らないのだ。

 「創造神」としての立場から見れば、それは矛盾しているのかもしれない。

 が、今の幻地球は月夜の創造の中にあった二次元的な世界ではなく、現実に人や獣や魔物が暮らし、時が流れる三次元的な世界だ。

 故に、彼女がこの幻地球に迷い込み、一登場人物になってしまった時点で、この世界は月夜の創り出した想像上の幻地球とは違う世界になっている、と言えた。

 それでも一応、この世界の土台を創り出したのが月夜であることには間違いないし、現に彼女の「創造の力」は失われてはいないから、今でも彼女は「創造神」なのだが。

 心底びっくりしているウィンに頷き、月夜は笑った。

「本当はね、彼らを物語に登場させたことってほとんどないの。元々、良心から生まれた純粋な種族なんて、ストーリー的にメインに据えるにはちょっと具合が悪くって。でもほら、たまにはね、絶対裏表がありません、主人公ご一行様に協力します、ていう脇役がいると、話がスムーズに進むものだから……それで」

「ふうん、そうなのか……でも、全部知ってるんだったら、出席しても退屈なだけじゃないかい?」

「ううん、全部ってわけじゃないの。だって、私、聖霊たちが国を作って暮らしてるなんて知らなかったし、誕生の祭りも知らなかったんだもの。それにね、頭に思い浮かべただけの誕生の場面と、現実に目で見るのとは違うもの。自分で考えた誕生の方法が、実際に目で見るとどんな風なのか、私とっても興味あるわ。……だから、ね?」

 そう言って月夜が微笑むと、ウィンは輝くような笑顔を浮かべた。

「そうか、じゃあ一緒に行こう。もちろん、君はオレがエスコートさせて貰うよ」

「うん」

「それで?祭りは何時から始まるんだ?」

 旅の荷を解き、神官の礼装を取り出しながらシオンが尋ねる。

「ああ……えっと、誕生の儀式が始まるのは今日の真夜中、月がちょうど〈セイクリッド・コクーン〉の真上に来る頃だよ。祭りは……そろそろ準備が始まってるんじゃないかな。さっきから星屑草の花束を持った女の子とか楽士たちが森に向かって歩いてたから」

「では、私たちも急がなければなりませんね。ウィン、清めの泉の場所は聞いてありますね?」

「ああ」

「それでは」

 そう言って、ユリウスは振り返った。

「申し訳ありませんが、私たちは〈禊ぎ〉をしなければなりません。侍女達に言いつけておきますので、皆さんはしばらくここで待っていてください」

「……ウィン、どこ行くの?禊ぎって?」

「オレたち神官は、国の祭事に招待された場合、神殿内にある〈清めの泉〉に入って体の汚れを落とし、精神を清めて、神官職の礼装を着て出席しなければならないんだ。礼装っていうのはほら、スタルト神殿を旅立つ前、中央の最長老様方から月夜の護衛神官としての命を受けた時にみんなが着ていた、あの服さ。……今は旅をしやすいように各自ラフな格好してるけど、こういう時の為に礼装はちゃんと持ち歩いてるんだよ」

 そう言ってウィンが取り出したのは、確かにあの時彼らが身につけていた、絹で出来た長い丈の聖衣〈ローブ〉だった。

 本来、神を護って戦うことを任務とする彼ら神官戦士は、動きやすい短めの服とブーツ、という略装が神殿内での正装とされている。

 しかし今回のように国の祭事に出席する場合、大抵は彼ら以外に屈強な戦士、あるいは優秀な魔導師が主賓達の護衛にあたっているので、神官戦士たちはこのような場合においてのみ、本来の神官の礼装を身につけるのだった。

「オレ嫌いなんだよなぁ、この礼装……動きにくいったらねぇよ」

 盛んにぶつぶつ言いながら、キッドはそれでも準備を始めている。

「いいか、聖。お前が来るって約束したから、オレだって行くんだかんな。来なかったら、承知しねぇぞ!」

「わかったわかった。ほら、早く行って来いよ。ユリウスさんたちはもう行っちゃったよ」

「!あっ……おい!ちょっと待てよ!」

「やれやれ」

 キッドが慌てて彼らの後を追い、聖がそう言って首を振ると、桜華と月夜はなぜかくすくす笑い声をたてた。

「?なに?桜華姉さんも月夜姉さんも」

「あ、ううん、あの……」

「何でもないわよ」

 そうは言うものの、二人とも笑うのをやめようとはしない。

 首を傾げる聖に、四季子が言った。

「お姉ちゃんもつーちゃんも、ひぃくんがとってもいいお兄ちゃんだから笑ってるのよ」

「え?僕が?」

 あんまりそういう自覚のない聖は、盛んに首をひねっている。

 月夜はまだ笑いながら口を開いた。

「だって、ひぃちゃん、子供の頃言ってたじゃない。僕も弟か妹がほしいって。最近は言わなくなってたけど、やっぱり忘れてなかったんだなぁって思って」

「えっ……そんなこと言ったっけ?僕」

「言った言った。小学低学年の頃でしょ。泣きつかれて母さん、困ってたもんね」

「ああ、そんなこともあったわねぇ」

 そう言って四季子が目を細める。

「お姉ちゃんにも月夜姉ちゃんにもひな姉ェにも弟か妹がいるのに、なんで僕だけいないの、お母さん、僕のこと嫌いなの、って……あの時はほんと、困ったわ」

「うげ……恥ずかしいヤツぅ~」

 陽南海がからかう。

「な、なんだよ!僕、覚えてないもんそんなの!」

 途端に、聖はいつもの「末っ子」の顔に戻って叫んだ。

 鈴原家はいつもこんな風である。

 生まれた時からみんなのアイドル的存在だった末っ子は、こうしてみんなのおもちゃにされながら、誰よりも一番の愛情を注がれながら育ってきたのだ。

 「お兄ちゃん」になんて、なれるもんか。

 ふと、聖は表情を翳らせた。

 あいつは僕なんかよりずっと、寂しくて辛い人生を生きてきたんだから……。

 だから、そばにいてやりたいと思った。

 自分は、いつだって愛情に包まれて、気が付けば必ず誰かがそばにいてくれた。

 それが疎ましいなんて、贅沢なことを思ったりするほど、みんなに愛されてきたんだ。

 同情?

 かもしれない。でも、たぶん、今は違うと……思う。

 あいつのそばにいてやりたいんだ。

 寂しそうで、傷だらけで、いつも虚勢を張って……。

 あいつがどうして僕なんかを慕ってくれるのかはわからない。

 でも、唯一本音を見せてくれるのが僕なら、僕はそれに応えてやらなきゃいけないと思うんだ。

 生まれた時からたくさんもらってきた、家族の愛。その家族愛を、あいつに少しでもわけてやりたいから……。

 ふと黙り込んでしまった聖の顔は、優しく強く……少し大人びて見えた。

 誰かを大切だと思ったその瞬間から、人は大人への階段を上り始めるのかもしれない。

 そんな彼の様子を、他の家族たちは微笑みながら見つめていた……。

「わあ、姉さん綺麗……!」

 月夜は歓声を上げた。

「何言ってんの、あんただって綺麗なの着てるじゃない」

 桜華はそう言いながら、月夜の全身を上から下まで眺める。

 極薄の絹をたっぷりと使った、つま先が辛うじて見えるほど長い丈の白いローブ。ノースリーブで、肩口から下がる同色の紗〈うすぎぬ〉のショールが、手首に蔦のようにからみつく銀のバングルにつながり、胸には水晶のペンダント、腰には透かし模様の金細工のベルトが巻かれている。

 形こそ、この国の年若い娘達が祭りの時に着る伝統的な衣装だったが、〈白〉と胸元に下げた〈水晶〉の二色は、この国では大神官にのみ着用を許された神聖な色だった。

「ううん、姉さんの方がずっと綺麗。すてき……」

 桜華が着ているのも、基本的には月夜と同じ形のローブだった。

 色は紅色。胸元には水晶のペンダントではなく、金細工に縁取られたラピスラズリのブローチをしている。

 ショールは肩口から下げているのではなく左肩から二の腕くらいまで覆うようにかけ、腰のベルトに通して、胸元で先ほどのブローチで止めていた。

「ねえねえ、あたしのは?あたしも綺麗?お姉ちゃん、月夜姉ちゃん」

 と、隣の部屋から出てきた陽南海が声をかけた。

 振り返った月夜と桜華は、まさに「らしい」着方をしている陽南海に苦笑する。

「なに、それ。あんた、わざわざ仕立て直してもらったの?」

 基本的に、彼女が着ているのも二人と同じ型のローブだった。

 しかし長い丈は動きにくいらしく、彼女のローブは丈が膝上10㎝くらいまでしかない。

 ノースリーブの肩からはショールの代わりにシフォンの透けるマントをまとい、腕は肘から手首までを同じシフォン素材が覆っていた。膝から足首までも、同じ要領で絹が覆っている。

 アクセサリーはルビーが埋め込まれたチョーカーをしていた。

 ちなみに色は蜜柑色。陽南海が好んで着る色である。

 陽南海は桜華の言葉に首を振った。

「ううん、前からあったやつだって。長いローブは歩きにくいなぁ、って言ったら、持ってきてくれたの」

「くすくす……そうよね、ひなちゃん、こんな長いローブ着たら、あっちこっちで転びまくっちゃうわよね」

 実際、向こうの世界でも殆どロングスカートははいたことのない陽南海である。

 彼女はぷうっ、と膨れながら言った。

「何よぅ、月夜姉ちゃんなんか、何着てたって転びまくってるくせに!」

「あ、ひどぉい」

「うん、そりゃ言えてるわね」

「もう!お姉ちゃんまで!」

「姉さん達、着替え出来たの?そろそろ行くよ?」

 三人がきゃあきゃあ言いながら騒いでいると、部屋の外から躊躇いがちに聖の声がかかった。

「もうユリウスさんたちはあっちで待ってる頃だよ?準備できたんなら、急いで」

「だそうよ。ほら、二人とも行くわよ」

「はあーい」

 そう言って、三人は部屋を出た。

 外では聖がちょっとだけ不機嫌そうにしながら待っていた。

「あれ?あんたは着替えなかったの?」

 桜華の言葉に、聖は目を見開く。

「冗談はやめてよ桜華姉さん。僕にもそんなの着ろっていうの?……確かに勧められはしたんだけど。丁重に断ったよ。あんなの着たら、キッドにいい笑い者にされるのがオチだしね」

「えー、つまんない。せっかくのお祭りなんだから、ひぃくんも着ればいいのに」

「……月夜姉さん。怒るよ?」

「ぶー」

 本気でつまらなそうに頬を膨らます月夜に、聖は困ったような笑みを浮かべた。

「僕なんかにかまわなくったって、姉さんはウィンと一緒なんだからいいだろう?……すっごい綺麗だよ、姉さん。きっと、ウィンがそれ見たら固まっちゃうよ」

「!……ひぃくんてば」

 月夜は真っ赤になってうつむいてしまう。

 きっと、こーゆーのに弱いんだろうなー、ウィンの奴。

 聖は弟の言葉にまで素直に反応してしまう月夜に半ば呆れながら、なんだか妙にくすぐったい気分で月夜を眺めていた。

 忘れたんじゃないんだよなー、きっと。

 ふと、聖はさっきの話題を思い出す。

 お兄ちゃんになりたい。弟か妹がほしい。

 それは、末っ子や一人っ子が必ず一度は思う願望なのではないだろうか。

 そう、多分、聖もそう思った時があったのだ。

 けれど、それを覚えていないのは、忘れてしまったのではなく、おそらく自覚する前にその必要がなくなってしまったのだろう。

 ……聖にとって、月夜は「姉さん」というより「妹」のようなものだったから。

「ところで、聖。あんた、お祭りの場所聞いてあるんでしょうね?」

 桜華に尋ねられた聖は、心外、とでも言いたげな顔で頷いた。

「当然だろう?じゃなきゃ先に行ってくれなんて言うもんか」

「えーっ、じゃ、シオンたち本当は待っててくれる筈だったのぉ?」

「くれる筈じゃなくて、実際に30分も待っててくれたんだよ、ここで。ひな姉ェたちがあんまり遅いから、長老さんたちに遅れるって言いに行ってくれたんだよ。……大体、僕がそう言わなかったら、みんなきっと遅刻しても最後まで待ってたよ。――神官が祭事に遅刻したらシャレになんないだろ」

「そんなこと言われたってー……」

 不本意そうに頬を膨らませながら、それでも少しは後ろめたいのか、陽南海はそれきり黙り込む。

「ごめんね、ひぃくん。わざとゆっくりしてたわけじゃないのよ……」

 月夜がそう言うのを、聖は苦笑しながら遮った。

「わかってるよ、月夜姉さん。きっとみんなだってわかってるって。……それに、遅刻するからって言いに行っただけで、そしたら戻ってくるって言ってたから。きっと途中で会えるさ」

「え!?そうなの?……なんだぁ、それを早く言いなさいよねぇっ」

 途端に機嫌を直した陽南海が、にこにこしながら聖の背をバンッ!と叩いた。

「ってー……もー乱暴なんだからひな姉ェは……シオンもよく我慢してるよなあ」

「何よぅ!シオンはそんなこと、気にしないもんっ」

「あ?何だ、自覚してるんだ、乱暴だって」

「!聖~っ!!」

 ちなみに、聖は決してトロい方ではない。気の優しい性格からか、そう思われないことの方が多いが、体を動かすのは好きだし、学校の授業だって部活だって、それなりに頑張っている。

 ……が、陽南海の運動神経は弟のそれを遙かに上回っていた。

 あっと言う間に飛び上がった陽南海は自分より背の高い弟の首を片腕で抱き込み、そのまま地面に片膝をついて弟の体を曲げさせる。

 そして聖が体勢を立て直せずにいる間に、首を抱き込んでいる腕の手首にもう片方の腕を添え、ふんっ、という軽いかけ声とともに一気に締め上げた。

「……!!」

 じたばたじたばた。

 聖が声も上げられずに暴れている。

 が、二人の姉は彼を助けようともせず、ただ呆れたようにため息をついていた。

「まったく……19歳にもなって、弟とプロレスごっこ?ほんとにもう、陽南海は……」

「ひぃくんも、こうなるのがわかってて、ひなちゃんをからかうんだもの。……絶対に反撃できないのに」

 そう、聖は決して陽南海に反撃しなかった。

 「出来ない」のではなくて、「しない」のだ。

 聖が本気を出せば、女である陽南海の力など些細なものだろうに、いや、だからなのか、聖はいつも、陽南海にされるがままになっていた。

 2つしか年齢の離れていない、一番身近なこの「姉」とのこんな遊びを、聖は楽しんでいるのかもしれない。

 こうしてじゃれている間は、自分がまだ子供のままで居られるような気がして。

「聖ーっ!!」

 とそこへ、聞き慣れた幼い声が響いた。

 見ると、キッドが顔を真っ赤にしながら走ってくる。

 やばい!

 完全に勘違いしているらしいキッドを制止しようと、聖が顔を上げる。

 ……が、遅かった。

「聖に何すんだよ陽南海!!」

 そう叫んで、キッドは思いっきり陽南海を突き飛ばした。

「きゃあっ!」

 後ろ向きに吹っ飛んだ陽南海を、シオンが抱き止める。

 陽南海は一瞬、何が起きたのかわからないようだったが、息を付いて立ち上がると、いきなり叫んだ。

「何すんのよキッド!!」

「それはこっちの言う台詞だ!聖に何すんだよ、この乱ボー女!」

「何ですってぇ!?」

 この二人。

 仲がいいんだか悪いんだか、口を開くと喧嘩ばかり。まともな会話になった試しがない。

 慌てて、聖がキッドの前に立ちはだかった。

「やめろキッド。僕なら大丈夫、当たり前だろ?」

「だ、だけど……」

「陽南海。祭事が始まる。行くぞ」

「あっ、でもシオン……!!」

「……キッド」

「……陽南海」

 それぞれ有無を言わせぬ口調で言われて、二人とも渋々黙り込む。

「さて」

 と、ユリウスがのんびり微笑んだ。

「それでは、行きましょうか」

 森の奥深くに作られた祭壇。

 鬱蒼とした森の中で、そこだけ円形に開け、広場のようになっている場所のちょうど中央に、巨大な繭のような岩がある。

 それを取り囲むように建つ、ストーンサークルのような石柱。

 更にそれを取り囲むように聖霊たちの輪が出来、周囲の木々には、夜になると美しい光を放つ「星屑草」がクリスマスツリーのように飾り付けられている。

 空は既に深い夜の色に染まり、星々がその輝きで華やかに彩っている。

 月は未だ、森の木々の上に辛うじて見える程度だ。

 誕生の儀式が始まるまであと数時間を残し、「聖月祭」の準備は着々と進んでいた。


「……は?」

 祭壇の脇、巨大な繭岩〈セイクリッド・コクーン〉が一番よく見える場所にしつらえられた主賓席に座り、勧められるままにグラスを傾けていたユリウスが微かに眉を上げながら聞き返した。

「ですから」

 自分より遙かに年若いこの神官に、嫌みではなく心底尊敬の眼差しと態度を示す長老は、にこにこと子供のような笑顔を浮かべて繰り返す。

「我々、聖霊は、人々の良心を集めるこの繭岩から誕生します。しかし、誕生した直後の聖霊に意識はありません。その間に……つまり、自我が芽生える前に我々以外の種族を目にすると、その聖霊は生涯自我を持たぬ、忠実な下僕となるのです」

「ええ、それは、伺いました。それで?」

「はい、ですから、その聖霊を偉大なる創造神様と、そのご家族の方々、それに創造神様を護衛なさっているダルス隊の皆様方に、一人ずつ捧げたいと……」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 ユリウスは長老の言葉を制し、苦笑を浮かべた。

「我々は別に、そんなことをしていただく為にご招待に応じたわけではありません。いくら目覚めた直後は自我がないとは言え、それも時間の問題でいずれは芽生えてくるもの。それを途中で下僕にしてしまうなどと……」

「いえいえ、お気になさることはないのです。元々、我らは創造神様の下僕として生まれた存在。それが長い年月を経て今に至っているだけのことで、創造神様のお役に立てるのでしたら、これほど幸いなことはありません」

「ですが……」

「こう申し上げては何ですが、我らの力は必ずや創造神様のお役に立てると自負いたしております。何しろ我らはこの世で最も純粋な魂を持つ者。癒しの力では誰にも劣りはしません」

「それは十分、存じております。しかし……」

「本当ならば、我ら全員、創造神様のお供をさせていただきたいのです。しかし一度人として覚醒してしまった聖霊は、下僕となった聖霊のように姿形を変え、小瓶に入るというような芸当は出来ません。聞けば創造神様はお忍びの旅の途中だとか。それに我らがぞろぞろついて行っては、お邪魔になるだけかと」

「え、ええ、それは、まあ……」

「ですから、せめて人となる前の聖霊を、我ら全員の代表としてつれて行っていただきたい。創造神様のお役に立つことこそ、我ら種族の変わらぬ願いなのです」

「ですが、聖霊の持つ癒しの力は、己の生命を削って成される自己犠牲の力。自我を持たぬ聖霊が使えば、やがては己の命さえも失ってしまうと聞き及んでおります。そのような力、マスターが望まれるとお思いですか?」

「それは……」

 初めて、長老の顔に動揺の色が浮かんだ。

 しかし彼はすぐにそれを押し込め、再び説得にかかる。

「しかし、自我を持たぬ聖霊のことです。たとえ命を失おうと、お気になさることはないのです。そう、自我を持たぬ聖霊は、言わば癒しの力を備えた道具のようなものとお考えいただければ……」

 ガタンッ!!

 その時、祭壇の中央で、椅子が大きな音を立てて後ろへ倒れた。

「つ、月夜……」

 すぐ隣で月夜を護るように控えていたウィンが心配そうに彼女を見やる。

「マスター……」

 長老の言葉に、真っ青になって体をふるわせている月夜を、ユリウスも心配げに見つめた。

「創造神様?いかがなさいました?」

 彼女の様子に驚いてはいるものの、自分が言ったことについて何も思ってはいないらしい長老の言葉に、月夜は伏せていた顔をキッ、とあげた。

 その瞳には、今にも流れ落ちんばかりの涙が溢れている。

「創……」

「道具なんかじゃ、ありません!!」

 月夜は拳を固く握りしめながら叫んだ。

「道具なんかじゃ……道具なんかじゃない……私は……私はそんなつもりであなた方を創り出したわけじゃない……!!」

「月夜……」

 人前、しかも公の場、ということもあって自らが護るべき「創造神」の肩を抱くに抱けないウィンは心配そうに声をかけるだけだ。

「私……私は、確かに、話に行き詰まった時の手段として、あなた方を創り出した。それは確かに、道具のように思えるかもしれない。実際、主人公や重要キャラじゃないあなた方は、それほど深くキャラクターを起こしたこともなかった。……だけど!!だけど、だからと言って、私は一度だってあなた方をいい加減に扱ったことなんてない!あなた方だけじゃない、どんな人だって……どんなキャラクターだって、例えどんな悪者でも、どんな脇役だとしたって、ちゃんと生きてるんだもの。頭の中で……この幻地球の世界で、きちんと生きてるんだもの!そんな人を……そんな人たちの命を例え自我があろうとなかろうと、軽く扱うことなんて出来ない、出来ません!」

「創造神様……」

「お願いです、長老さん。お願いだから、そんなに自分たちを軽んじないでください。例え私が誰でも、誰だって、あなた方の命と引き替えに出来るわけないんだから」

「し、しかし……」

「あー、もう、うるっせえなあ」

 と、キッドが大きな声を上げた。

「おい、ちょっとキッド……」

 聖が慌てて制そうとするのを振り払い、キッドはイライラした調子で続けた。

「いーじゃねぇかよ、いらねえっつってんだからよ。大体なぁ、自分の為に喜んで犠牲になりましょう、なんて言われて誰が喜ぶんだよ。そーゆーのはな、てめぇのエゴっていうんだよ。自分の為に誰かが犠牲になる。そんな辛い思いを、お前はお前の尊敬する創造神様にさせるつもりなのかよ」

「あ……その……それは」

 痛いところ。まさに、それは痛いところだったのだろう。

 長老はそう言ったきり、黙り込んでしまった。

 ユリウスはウィンに目配せし、月夜に大丈夫ですよ、というように微笑んでみせると、長老に言った。

「……どうか、お気を悪くなさらないでください。我々は、決してあなたの申し出を疎ましく思っているわけではないのです。ただ、マスターは……創造神様はお優しいお方ですから。ご自分の生み出された生命を、本当に慈しんでおられるのです。……わかっていただけますよね?」

「はい……はい……」

 そう言って、長老は涙ぐんだ顔を上げた。

「しかし、私はあなた方がうらやましいのです。我らは創造神様のお役に立つために生まれてきた。それなのに、こんな時にちっともお役に立てない……それが情けなくて……悔しくて」

「そんなことありません」

 と、落ち着いたらしい月夜が微笑みながら下りてきた。

「そ、創造神様」

 間近に見る畏れ多き至上の神に、長老は声もうわずっている。

 月夜はいつものほわん、とした声で言った。

「私は、あなた方が今のままでいてくれれば、それだけで嬉しいんです。この世で最も純粋な存在。それは、生きていくだけで大変なことなんですよ?ちゃんと自覚してます?」

 くすくすと笑いながら、月夜は続ける。

「私、いい加減だからいつも話が途中で行き詰まっちゃって。だから、いつもあなた方に助けてもらってるんです。本当は、あなた方ほど私を助けてくれている人たちはいないんですよ」

「……!!ほ、本当ですか?創造神様」

「ええ。だから、もう犠牲になってもいいなんて、思わないで。私のために誰かが不幸になったら、それが一番、私にとっては辛いことなんですから」

「創造神様……ありがとうございます、ありがとうございます……我らは幸せ者です、創造神様にこんなお優しいお言葉をかけていただけるなんて……我ら、創造神様の御為ならこの命など……」

「あっ、ほら、また言ってる。駄目ですってば、そんなこと言っちゃ。……ね?」

 そう言って柔らかく微笑む月夜に、長老は感極まったように幾度も幾度も頷いた。

「あの~、ちょっと、いい?」

 いきなりのシリアス展開に戸惑っていた陽南海が、おそるおそる声を上げた。

「どうかしたか?」

 シオンが応える。

 頷いて、陽南海が疑問を口にした。

「あのさあ……生まればかりの聖霊って、私たちを見ると下僕になっちゃうんでしょ?」

「ああ、そうらしいな」

「んで、お姉ちゃんは、それがいやだって言ってるんでしょ?」

「?ええ、そうだけど?」

 怪訝そうな顔をしながら月夜が答える。

 と、陽南海はここからよく見える繭岩〈セイクリッド・コクーン〉を指さした。

「でも……ここからだと、生まれたばかりの聖霊さん、否応なく私たちを見ることになっちゃわない?」

「あ……」

 陽南海の言う通りだった。

 この主賓席は、ちょうど繭岩を真正面に見ることが出来る場所につくられている。その上、席の前は聖霊達が遠慮してスペースを空けているので、何をどうしたって、生まれたばかりの聖霊は彼らを見ることになっていた。

「どう……しよう」

 月夜が困ったように呟く。

 月はもう、後僅かで真上に来るところまで昇っていて、今から主賓席を移している時間はなかった。

 と、その時、それまでは黙っていた桜華が口を開いた。

「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」

 いきなり声をかけられて、長老は戸惑いながら振り返った。

「何でしょうか?」

「その、聖霊が自分たち以外の種族を見ると……ってやつなんだけど。それって、ほんの一瞬でも見ると、そうなっちゃうわけ?例えば、真っ暗な中の影しか見えないとか、遠すぎてぼんやりとしか見えないとかでも?」

「あ……いえ、それはさすがに……一応、聖霊は見たものを主とするわけですので、その姿をはっきり見ないことには……」

「なんだ、じゃあ話は簡単なんじゃない」

「どういうこと?お姉ちゃん」

 陽南海がきょとんとした顔で尋ねる。

 彼女に肩を竦めて、桜華は言った。

「この主賓席の前に、半透明の……そうね、陽南海、あんたのそのシフォンのマントみたいに、透ける布をかけちゃえばいいのよ。それで、私たちのいる方を暗くして、外側を明るくすれば、外からは私たちは影ぐらいにしか見えないはずよ」

「ああ……なるほど」

 即座に、ユリウスが頷いた。

 他の面々も時間差はあるものの、ゆっくり納得したように頷いていく。

「そうとなったら急いで準備しないと。長老様、オレ手伝います。急ぎましょう」

 ウィンが今にも腕まくりしそうな勢いで立ち上がる。

 長老は慌てて首を振った。

「い、いえいえ、それくらいのことでしたら神官様のお手を煩わせるまでもありません、我らだけで十分です」

「でも……」

「いいんですよ、ウィン。私たちは招待されている身。あなたが手伝ったりしたら、却って失礼です。……では、お願いいたします」

「はい、承知いたしました」

 ユリウスの言葉に力強く頷くと、長老は大急ぎで立ち去っていった。

「取り敢えず、これで一安心ですね」

「そうね。……それにしても、相変わらず凄い威力ねえ、あんたの威光は。感心しちゃうわ」

 桜華の言葉に、月夜は顔を曇らせる。

「私だって、好きでこんなことしてるんじゃないわ。私だって本当はみんなと一緒にいたいのに……一人だけこんな席で。つまんない」

「ほんとだよなあ、最初は大袈裟なことはしないって約束してくれたのに……きっと、本物の君に会って、我慢できなくなっちゃったんだよ。何しろ、長老様の創造神様熱、は相当なものみたいだから」

 やっといつもの面々だけになり、ウィンは肩の力を抜く。

「今日はお祭りなのに、一言口きくだけでも緊張するよ。……さっき森の中で君を見た時からずっと、席に着いたら言おうって思ってたのに」

「?なにを?」

 不思議そうに問い返した月夜は、ウィンの瞳に浮かぶ真剣な表情に思わず息を詰めた。

「……綺麗だよ、月夜。――本当に、綺麗だ」

「ウィ、ウィン……」

「考えてみれば、月夜がそういう服を着るのって初めてなんだよな。今まではずっと旅から旅で、ドレスなんかも着せてあげられなかったし、おしゃれもさせてあげられないもんな。……ごめんよ、今の君を見てると、つくづくすまないと思う。君だって女の子なんだから、もっと綺麗な格好したいだろう?なのに、オレにはどうしてやることもできないんだな……」

「ウィンは……私におしゃれ、してほしいの?」

 月夜が呟いた。

「お化粧したり、ヘアスタイルに気を使ったりしてほしい?もっとアクセサリーつけたり、綺麗な服、着ててほしい?その方が、そういう私の方が、いい?」

「月夜……?」

 急に口調が固くなった月夜に戸惑いながら、それでもウィンは首を振る。

「いいや、オレはどっちでもかまわないよ。……だって、どっちも月夜じゃないか。綺麗におしゃれした月夜は綺麗だと思うし、そうじゃなくても、いつものままの月夜でも、君はすてきな女の子だよ。おしゃれをしていようと、していなかろうと、月夜が月夜であることに、変わりはないんだから」

 その瞬間、月夜がほっ、と息を吐いたような気がした。

 ウィンは眉をひそめて月夜を見る。

 が、彼女はさっと顔を上げ、にっこりと微笑んだ。

「ありがとう、ウィン。ほめてくれて、とっても嬉しい。……あのね、これね、私、こんな服着るの、生まれて初めてなの。絹って、こんなに肌触りの気持ちいい布地なのね。なんだか凄く贅沢してる気分で、凄く楽しいの」

「月夜……」

「でもね、私ね、別に今までの旅で、おしゃれ出来なくていやだなあ、なんて思ったことないのよ。そりゃあ、綺麗な服を見れば、着たいなって思うし、着せてもらえたら嬉しいけど……でも、それだけなの。着れないから辛いとか、悲しいとか、そんな風に思ったことなんてないの。だって、綺麗な服を着るより、おしゃれをするより、ウィン達と旅を続けることの方が、ずっとずっと、何倍も楽しいんだもの。だからね、あんまり気にしないで。たまにこんな服を着る機会があって、その時にまた、ウィンがほめてくれたら、それでいい。私、それだけで十分、幸せだから」

「月夜……綺麗だよ。本当に……綺麗だ。誓いを破っちゃいそうになるくらいにね……」

「え?」

 誓い?なんのこと?

 そう聞き返そうとした月夜は、ウィンの顔に浮かぶ表情に、ハッと息をのんだ。

 いつもと違う、暗い顔。苦しそうで、切なそうで……なんだか、今までに見たことがないような、見ているだけで金縛りにあってしまいそうな顔。

「ウィン……?」

 そっ、と、月夜はウィンの顔に手を伸ばす。

 しかし彼はその手を途中で取り、一瞬だけ辛そうに顔を歪めると、何かを思いきるように掌に軽く口づけた。

「早く始まるといいね、儀式」

 そしてウィンは、その想いを心の奥深くに封じ込め、再びいつもの彼へと戻っていったのだった。


「ありがとうございました、桜華」

 祭りの賑わいを避けるように、主賓席の少し奥まったところに座っている桜華に、ユリウスはグラスを二つ持ってきながら声をかけた。

「……何のこと?」

 鮮やかで深みのある赤ワインを受け取りながら、桜華が聞き返す。

 ユリウスは何のてらいもなく、そのすぐ脇に腰掛けて微笑んだ。

「この席へ来てくださったことです。……嫌いなのでしょう?本当は」

 もうすっかり慣れてしまった、居心地のいい温もりに寄り添いながら、桜華は肩を竦める。

「別に……嫌いってほどじゃないわ。ただ、あんまり好きじゃないだけ。……こうやって二人で静かに飲めるんだから、それも悪くないわ」

 そう言って微笑みながらワイングラスを傾けた拍子に、桜華のセミロングの髪がサラッと後ろへなびき、その耳元から首筋までが露わになる。

 うっすらと上気した白い首筋に一瞬見とれてから、ユリウスはふとその耳に触れた。

「イヤリングはしていないのですか?」

「……え?」

 その手の感触にピクン、と反応し、僅かに体をこわばらせた桜華が聞き返した。

「イヤリング?」

「ええ。これはこの国の伝統衣装でしょう?この国の娘達は、聖月祭の夜、この衣装を身にまとい、イヤリング、ペンダント、ブレスレットのいずれかを身につけるのが習わしだと聞いています。マスターも陽南海もいずれかを着けているようでしたから、あなたもそうだろうと……」

「いいえ、私は何も着けてないわ。この服も侍女の人に渡されたから着てるだけだし……さすがにお化粧ぐらいは自分でやったけど」

 そう言って、桜華はくすっと笑う。

「こっちへ来てからは殆どお化粧ってしなかったのに、やっぱり習慣て怖いわね。あっちにいた頃と殆ど同じ時間で出来ちゃったの。体が覚えてる、ってとこかしら。元々、あんまりお化粧に時間かける方じゃなかったけど、思わず笑っちゃったわ」

 そう言って笑う桜華に、ユリウスは首を振った。

「とても綺麗ですよ、桜華。私は人を……特に女性を外見で判断したりはしませんが、それでも、美しい物は美しいと思いますし、輝いている人は素晴らしいと思います。……正直、森であなたを見た時は心臓が止まりました。確かに、そのような姿のあなたを見たのは初めてでしたから」

 言いながら、ユリウスはゆっくりと花を愛でるように、桜華の全身に目を走らせる。

 その視線に、桜華は再び、ぴくん、と体を震わせた。

「寒いですか?」

 真夏にそんなことはあり得ないと承知の上で、ユリウスは尋ねる。

「……意地悪ね」

 そう言って軽くにらむ桜華にそしらぬ顔をして微笑み返すと、ユリウスはその頬を両手で包み込んだ。

「ユリウス?」

「あなたを……森の中で見た時の、あの感情は忘れられそうにありません。私は初めて……公務を放り出したいと思いました。あなたのその姿を人目に晒すくらいなら……このままあなたをどこかへ連れ去ってしまいたい、と」

 そう言って頬をなでるユリウスの手をそっと外し、桜華は悪戯っぽく微笑んだ。

「まだ、チャンスはあるわよ?」

「えっ?」

 驚くユリウスの耳元に口を寄せ、桜華は何事か呟いた。

 ユリウスの顔に笑みが広がっていく。

「まったく、あなたという人は……」

「いい女、でしょ?」

 赤ワインを手に、微笑む桜華。

 その彼女の肩を抱き寄せ、頬にそっと口づけると、ユリウスは言った。

「では、また後で……」

 月が昇りきるまで、あと30分――。


「ねえねえ、綺麗?わたし、可愛い?ねえ、シオンっ」

 シオンの腕にぶらさがり、無邪気に尋ねる陽南海。

 瞳をキラキラと輝かせながら自分を見上げる彼女の笑顔に、シオンもつられたように微笑んだ。

「ああ、そうだな」

 そう言ったきり黙り込んでしまった、言葉数の少ないシオンに、陽南海はぷうっと頬を膨らませる。

「他には?他にないの?わたし、シオンに褒めてもらいたくて着てるのに、この服」

「本当はいやなのか?」

 陽南海の想いを知ってか知らずか、とぼけた質問を口にするシオン。

 陽南海はぶんぶん、と首を振った。

「違う!そんなこと言ってるんじゃないの!わたしは、シオンに褒めてもらいたいのっ」

 真剣な表情で言葉をねだる陽南海に、シオンは戸惑う。

「……褒めてほしいなら、他の連中に聞けばいいだろう?」

 その言葉は、どうやら陽南海を完全に怒らせたらしい。

「もうっ!シオンの馬鹿っ。わたしは……わたしはシオンに褒めてほしいの。シオン以外の人に褒められたって、何の意味もないの!」

 陽南海はそう言って、目に涙を浮かべる。

「ずっと、ずっと我慢してたんだよ。きっとシオン、みんながいるところじゃ言えないだろうって思ったから。なのに、誰もいないのに何も言ってくれないんだもん。わたし……シオンに褒めてもらいたくて、おしゃれしたのに……」

「陽南海……」

 顔を伏せてしまった陽南海に慌てて、シオンは腕を伸ばす。

 と、いきなり陽南海がバッ、と上を向いた。

「陽南……」

「褒めてくれなきゃ、泣いてやるっ」

 陽南海の思わぬ言葉に、シオンは絶句した。

 彼女はどうやら、シオンの褒め言葉をもらうまで、徹底抗戦の構えをとったらしい。

 そこまでして自分の言葉を求める陽南海の姿を、心底いとおしいと思いながら、シオンは彼女の頭をなでた。

「シオン?」

「……そのまま神殿に送り返そうかと思った」

「え?」

「森の中で、その服を着たお前を見た時……このまま神殿にとって返して、着替えさせようと思った。正直言ってな」

「え、それって……」

 似合わない、ってこと?

 不安げに顔を曇らせる陽南海に、シオンは首を振る。

「基本的に、他人の着る服に頓着するつもりはない。誰が何を着ようと関係ないし、それはそいつの自由だ。だが、お前のその服は……その……」

 そのまま口ごもってしまったシオンに、陽南海は首をひねる。

 と、シオンは思い切ったように続けた。

「その……丈がちょっと……短すぎると思うんだが……」

「丈?」

 陽南海は、やっとシオンの言わんとしていることを悟った。

 その顔に満面の笑みが浮かぶ。

「……ヤキモチ焼いたんだ」

 からかうような口調の陽南海に、シオンはぐっ、と黙り込む。

 当然、図星なのだろう。その目が泳いでいる。

「いや、オレはその……」

「だぁめっ、ごまかしても駄目だもん、私わかっちゃったもん。てことは、綺麗だって、思ってくれてるってことだよね?そうだよね?シオン」

 くすくすと笑いながら、本当に幸せそうな顔をして腕にしがみついてくる陽南海を、シオンは愛しげに見つめる。

「もう二度と、こんな服を人前で着るんじゃないぞ、陽南海」

 そう言って、シオンは自分にしがみつく陽南海の腕を半ば強引にほどき、その体を背後からぎゅっ、と抱きしめる。

「シ、シオ……」

「いいな、陽南海。そういう服は、もう二度と人前で着るな。そういうのを着てもいいのは、オレの前でだけだ」

「……シオンのヤキモチ焼き」

 恥ずかしそうに顔を伏せ、ぽそっと呟く陽南海に、シオンは更に腕に力を込め、耳元で囁く。

「――返事は?」

 こくん、と、陽南海の頭が振れた。

「いい子だ」

 陽南海を腕に抱いたまま、シオンはふと空を見上げる。

「月が高いな――そろそろ儀式が始まる。行くぞ、陽南海」

「うん」

 頷いてシオンの腕の中から抜け出ると、陽南海は再びその腕に自分の腕を絡めた。

「やっぱり、こっちの方が落ち着く」

 そう言って微笑む陽南海に何も言わず、シオンは歩き出す。

 儀式が始まるまで、あと15分――。


「なあなあ、聖っ」

 主賓席の前に幕をかけ始めた聖霊達の邪魔にならないように、ちょっと後ろへ下がって〈セイクリッド・コクーン〉を眺めていた聖は、その声に振り返った。

「なんだい?キッド」

「お前、どうして普段着なんだ?桜華も月夜も陽南海も着替えてたのに。用意してもらえなかったのか?」

「いや、用意はされてたよ、一応。僕が断っただけさ」

「なんで!?なんでだよ、せっかく聖もこーゆーの着るんだと思って楽しみにしてたのに」

 キッドはそう言いながら自分の聖衣をつまむ。

「今日はお祭りだぜ?いつもと同じかっこじゃつまんねーじゃねーか」

「……キッド」

 聖はため息を付く。

「頼むから、僕に同じ格好させようなんて思わないでくれよ。そんなことしたら、僕、速攻で神殿に帰るからね」

「えー」

 ぶぅ、と膨れるキッド。

 その姿があんまりにも月夜にそっくりだったので思わず苦笑すると、聖はそっ、とキッドの髪に触れた。

「……聖?」

「お前が髪ほどいてるとこ、初めて見た。当たり前だけど、お前の髪って結構長いんだな。いつも後ろでくくってるから、何かいつもと全然違って見えるよ」

 サラサラッと指の隙間からこぼれていく、素直で滑らかなシルバー・ブロンド。腰まであるその髪は月明かりに照らされて、神秘的な光を放っているように見える。

「そりゃあ、一応公式の祭事だからな。結ぶ場合はきちんと梳かして編まなきゃなんねぇんだ。けど、オレの髪って滑りやすくってよ、結ぶとすぐほどけてきちまうんだ。だから正装する時はほどいとくんだよ。結ぶよりは楽だからな」

「ふうん……でも、綺麗な髪だよなぁ。別段、特別な手入れしてるわけでもないのにさ。ずっとこうしてればいいのに」

「してたよ、昔は」

「そうなの?」

「ああ。でも長い髪ってやたらと邪魔でよ。ちょっと動くとバサバサになるし、顔に張り尽くし。いい加減キレかけたんで結んでるんだ」

「じゃあ、切っちゃえばいいじゃないか」

「それがさ」

 フッとキッドは苦笑する。

「オレの髪、こう見えて結構頑固でよ。一度寝癖とかつくと丸一日、絶対なおんねーんだ。だから短くしとくと次の日えらい騒ぎになるんだよ。……だからって、さすがにナイトキャップとかってのかぶる気にはなんねーし」

「ああ、そりゃな」

 聖はキッドが女の子よろしくナイトキャップをかぶって眠っているところを想像し、思わず吹き出す。

「……あ、想像しやがったな。てめー」

「ご、ごめんごめん、つい……ね。でも、本当に綺麗な髪だよな。触ってて凄い気持ちいいんだ。地球なら、世の女の子全員、大枚払ってでも、って欲しがるような髪だよ」

「ふうん……でも、お前だってその髪」

 そう言って、キッドは聖の頭をわしゃわしゃっ、と引っかき回す。

「わっ」

「これ、猫っ毛てゆーんだろ?月夜に教えてもらったんだ。これも気持ちいーよな、柔らかくて、ふわふわしてて。ほんとに猫みてー」

「男にとってはあんまりいい髪質じゃないらしいけどね。ハ○るってゆーし……」

「ん?何か言ったか?」

「あ、いや、何でも。……ん、そろそろ始まるんじゃないか?何だか広場が騒がしくなってきた」

「お、そうみてーだな。んじゃ、そろそろ席につかねーとマズいな。……行こーぜ、聖」

「ああ」

 そう言って二人が席に戻ると、それを待っていたかのように長老が祭壇に姿を現した。

「皆の者!」

 澄んだ夜空に朗々と響く長老の声。

 広場のざわめきが一瞬、静まり返る。

「……今宵は、ありがたくも畏れ多いことに、神官戦士ダルスの皆様方が聖月祭にご同席くださっている。滅多にお会いすることの出来ぬ他国の神官戦士様と共に祝える喜びを胸に、今宵は清らかなるこの祭りを、思う存分楽しむがよい!」

 長老がそう言い終わると、聖霊達の間からドッと歓声がわき起こった。

 口々にダルスの神官戦士達を褒めそやす聖霊達の声。混じりけのない純粋な彼らの言葉に、ユリウスはひとつ息をついて立ち上がった。

「ユリウス?」

 隣の桜華が見上げる。

 微笑んで、ユリウスは肩を竦めた。

「仕方ありません、これほど私たちを歓迎してくださっている彼らに、素知らぬふりは出来ませんから」

 そう言って、ユリウスは主賓席を出た。

 彼の姿を認めた瞬間、聖霊達の声は更に高まった。

 その歓声に手をあげて応えると、ユリウスはすっ、と息を吸い込んだ。

「今宵は、この聖なる儀式にお招きいただけましたこと、心よりありがたく思っております。この世で最も清らかな魂を持つ聖霊達に、そしてこれから生まれ来る清らかな魂達に、我らが神マルドゥク様と、偉大なる創造神様のご加護のあらんことを」

 ユリウスがそう言って軽く頭を下げると、わーっという歓声が上がった。

 中には目を潤ませ、頬を紅潮させながらうっとりと彼を見上げる聖霊達も見える。

「どうかしましたか?」

 戻ってみると何故だか機嫌の芳しくない桜華に、ユリウスは首を傾げた。

「……別に」

 あの娘たちの気持ちもわかるけどね。

 そう思いながら桜華は再びグラスに口を付ける。

「桜華。あまり飲み過ぎないでくださいね、おあずけは嫌ですよ?」

 さっと耳元に口を寄せ、そう囁いたユリウスに、桜華は思わず顔をほころばせた。

 ……悪いわね。

 未だ広場の方から主賓席をちらちら見ている聖霊達に、桜華は肩を竦める。

 この人は、予約済みなの。

 そんな桜華を、ユリウスは微笑みながら見つめていた。

「……おっ、いよいよみたいだぜ」

 キッドの声に、主賓席のすべての視線が〈セイクリッド・コクーン〉に集中した。

 フッ……フッ……と、周囲の灯りが消されていく。

 やがてすべての照明が消え、周囲が闇に覆われると、天上の月明かりがうっすらと〈セイクリッド・コクーン〉を照らし出した。

「聖なる月の光に導かれし我が子らよ。人々の清らかなる心の内に眠りし聖なる魂たちよ。今こそ目覚めの時、来たれり。創造神〈はは〉と神々〈こ〉と、聖霊ヴァイスピールの名に於いて、我、月女神〈ルナー〉に願わん。その聖なる月の力もて、今こそ我らに新たな子らを与えたまえ!」

 長老が繭岩の前に立ち、大きく両手を広げてそう詔を唱えた。

 次の瞬間。

 月の光が途絶え、すべてが闇に包まれた。

「な……なんだ!?」

「しっ。――大丈夫よ、ウィン」

 慌てるウィンの腕に手をかけ、月夜が声をかける。

「儀式が始まったのよ」

「えっ?」

 月夜の言葉を肯定するように、再び明るい光が周囲を照らした。

 咄嗟に光源を目で追ったウィンは、その神秘的な光景に目を見張る。

「うわ……」

 月明かりが、まるで一筋の光の束〈スポット・ライト〉のように繭岩を照らしていた。

 その光は一直線に繭岩に射し込み、繭岩はそれを吸収するように静かに受け止めている。

 しばらくして、周囲にも変化が起こった。

 繭岩の周囲に円形に立ち並んでいた石柱に、光が灯り始めたのだ。

 一つ、また一つと、まるでバースデーケーキの蝋燭のように光が灯っていく石柱。

 やがてすべての石柱に光が満ちると、その頂点からも一筋の細く、しかし力強い光が放たれ、その光の筋は繭岩に差し込む月明かりに合流した。

 天上からの光と、石柱からの光がすべて繭岩の上で重なり、一つに溶け合って繭岩に注がれていく。

 その光景は、神秘を通り越して、鳥肌が立つほど荘厳な雰囲気に満ちあふれていた。

「すげえ……」

 いつもなら軽口をたたいてばかりのキッドも、今日ばかりは素直に感動している。

 他の面々は、言葉を紡ぐことも、息をすることすら忘れて、その光景に見入っていた。

「……いよいよね」

 一人、彼らとは違う何かを感じ取っているらしい月夜が呟く。

 と同時に、繭岩に注がれていた光がすぅっ、と消えてしまった。

 代わりに、繭岩そのものが美しく淡い白光を放ち始める。

「いよいよって何だい?月夜」

「ヴァイスピール達の誕生よ。――見て」

 月夜が指さした方を見たウィンは、あっ、と息をのんだ。

 繭岩……〈セイクリッド・コクーン〉からは、今まさにヴァイスピール達が誕生しようとしていた。

 淡い白光を放つ繭岩から、まるで分裂するかのようにポゥッ、と、いくつもの白い影がわき出してくる。

 最初の内、おぼろげな影でしかなかったそれらの白い光は、やがて時間が経つごとにしっかりとした輪郭を持ち始め、とうとう完全な人型へと変化――進化を遂げた。

「これが……聖霊ヴァイスピール……」

 普段は決して我を忘れたりはしないシオンの、珍しく興奮したような声に、しかし月夜は首を振る。

「いいえ、まだよ。アレはまだ完全なヴァイスピールじゃない。今の彼らには未だ意識がないわ」

「そうなのか?」

 何だか突然、雰囲気の変わってしまった月夜に、ウィンは戸惑いが隠せない。

「何か……すごいな月夜。いつもと全然違って、何でもわかってるみたいに聞こえるよ。そんなことまで覚えているのかい?」

「……えっ?」

 そこで初めて、月夜は我に返ったようだった。

「あれ……?そう言えば、なんで私、こんなことわかるんだろう……ただ、何となくそんな気がして……変ね、そんなこと創った覚えもないのに……」

「まあ、いいではないですか、マスター。とにかく、今の彼らはまだ完全体ではないと。そういうことですね?」

「え?え、ええ、はい。彼らの瞳を見て下さい、まだ何かを探しているでしょう?」

 月夜の言葉に、全員が再び聖霊達を見やった。

 なるほど、確かに生まれたばかりの聖霊達は、周囲にいる仲間達になど目もくれず、まるで子供が母を捜すようにきょろきょろと周囲を見回している。

「アレ、多分、主を捜しているんだと思います。ヴァイスピールたちは潜在意識の中に私への……て言うより創造神への絶対的な服従心があります。だから、彼らは生まれてからまず一番最初に、本来の主たるべき私……創造神を探すんだと思います」

「なるほど。それが長い時間を経て、自我が芽生える前に異種族を見ると下僕になる……という風に変化したんですね」

「ええ、多分」

「てことは、今この幕をとっぱらっちまったら、アイツら全部、オレらの下僕になるってことなんだな?」

「だ、駄目だよキッド、そんなことしちゃ……」

 聖が慌てて止める。

 と、キッドは少し拗ねたように頬を膨らませた。

「わかってるよ、んなこと。オレがそんなことするわけねーだろ。いつかはここにいる他の聖霊たちみたいになる奴を、いくら生まれたてだからって下僕にするなんざ、悪趣味な奴のすることだよ。第一、月夜がいやだってのに、出来るわけねーよ。一応、オレたちは月夜を護る神官なんだからよ」

「キッド……」

「ありがとう、キッド」

 嬉しそうに微笑む月夜に、そして感動しているらしい聖に、キッドは慌ててそっぽ向く。

「べ、別に、お前の為にやってんじゃねーからな。オレはただ、あいつらを下僕になんかしなくったって、十分一人で戦えるから……」

「うん。でもやっぱり、ありがとう」

「……チッ。礼を言われる覚えはねーって言ってるだろ。相変わらずトロい奴だな」

 そう言いながら、キッドの顔は誰が見ても明らかに嬉しそうだ。

 何だかんだ言って、結局こいつっておだてに弱いタイプなんだな……。

 ダルスの面々のそんな思いも知らず、キッドはそれで、と月夜に話しかけた。

「あいつら、あとどれくらいで完全体になるんだ?オレ、早くこっから出てーんだ。誕生の儀式が終わると祭りになるんだろ?そしたら食いモンとかも一杯出るんだろ?なあ、まだなのかよ?」

 まるで子供のおねだりのようなキッドの言葉にくすくす笑いながら、月夜はもうちょっとよ、と聖霊達を指さす。

「ほら、あの子たちもうキョロキョロしてないでしょ?そろそろ意識が覚醒し始めているのよ。意識が覚醒すれば自分の存在も認識するから、今みたいに白い影みたいな状態じゃなく、他の聖霊達と同じ肌の色を持ち、個々に表情の違う完全体としての聖霊になるわ」

「ふうん……てことは、あいつらが他の聖霊達と同じになったら、もうこっから出てもいいってことだな?」

「ええ」

 月夜が頷くと、キッドは腕まくりする。

「おっし、早く完全体になれよ聖霊。お前らが早く覚醒してくんねーと、こっから出られねーんだからよ」

「お前なあ……」

 聖が呆れたように肩を竦める。

 が、他の面々もキッドとほぼ同じ想いだったのではないだろうか。

 何しろ、聖霊達が覚醒しないことには、彼らは自由行動すら取れないのだから。

 月夜達一行、そして全ての聖霊たちが見守る中、生まれたばかりの聖霊たちは、ゆっくりと、少しずつ覚醒の時を迎えていった。

 そして。

 それから更に30分の時が流れた。

「聖霊達の……覚醒よ――!!」

 月夜のその言葉を合図にしたかのように、周囲の灯りが一斉に灯った。

「きゃっ」

「わっ」

 暗闇に目が慣れていた月夜達は、突然明るくなった周囲に目をしばたく。

「さあ、誕生の宴を!今宵は歌い、踊り、祈りを捧げるのだ!我らが母なるセイクリッド・コクーンに永久の輝きがあらんことを!」

 長老のその一声に、全ての聖霊がわき返った。

 どこからかにぎやかな音楽が流れてくる。

「祭りだ祭りだ!聖っ、オレたちも行こうぜ!」

 キッドが真っ先に主賓席を飛び出し、続いて陽南海・シオン、ユリウス・桜華が祭りの輪の中にとけ込んでいく。

 ウィンも月夜を誘ったが、彼女はなぜか首を振った。

「月夜?」

「ごめんねウィン、一人で行って来て。私、ここで見てるから」

「何言ってんだよ、君がいないのに行ったって仕方ないだろ。……どうしてだい?このお祭り、あんなに楽しみにしてたのに。具合でも悪い?なら長老に行ってすぐ神殿に……」

「ううん、違うのウィン。そうじゃないの」

「?」

 納得がいかなそうなウィンに、月夜は微笑む。

「私、人混み苦手なの。すぐに頭がボーッとなっちゃって……それでなくても方向音痴だし、これだけ人の多い場所だと、絶対迷子になっちゃうから。だから、ここで見てるだけのほうがいいの」

「そんな、せっかく来たのに……」

「うん、だからウィン、一人で行ってきて。私は見てるだけで楽しいから」

 月夜のその言葉に、ウィンは頭を振った。

 そんなの嘘だ。

 広場を見ると、それぞれ鮮やかに発光する星屑草で着飾った娘達がセイクリッド・コクーンを丸く取り囲み、音楽に合わせて楽しそうに踊っている。

 あんなににぎやかで熱気に溢れたお祭りを、見てるだけで楽しいなんて。それなら、参加すればもっと楽しいに決まってる。

 ウィンは無理矢理月夜の腕をとり、強引に席から連れ出した。

「待ってウィン、本当にダメだってば。私、絶対に迷子になっちゃう……!」

「その時はその時。大丈夫、絶対にオレが見つけてあげるよ。大体、このオレが君を見失うと思う?こんなに目が離せないでいるのに」

「ウィ……ウィンってば……」

 その甘い言葉と爽やかな笑みに、月夜が思わず顔を伏せると、ウィンは彼女の小さな手をしっかりと大きな手で包み込んだ。

「ほら、行こう月夜。せっかく来たんだから、思いっきり楽しもうよ」

「……うんっ」

 生まれて初めて、月夜はこの感覚を楽しいと思った。

 頭の中が真っ白で、まるで雲の上を歩いているようなぼんやりとした感覚。

 周囲の全てが認識する間もなく過ぎ去っていく中、自分の手に感じる、暖かな温もり、しっかりとした感触。時々うしろを振り返って優しい笑みを投げかけてくれる、前を歩くこの男性〈ひと〉に導かれているんだというそれだけで、その他の全てが霞んでいく安心感。

 この人と一緒なら平気。きっと、何があっても護ってくれるから。

 そう信じることが出来る自分が嬉しくて、そう感じさせてくれるこの人が愛しくて。

 月夜はふんわりと、しかし輝いた笑みを浮かべながら、自分の手を包む大きなその手を、そっと握り返した。


 彼女は気づいているのだろうか。

 今、自分が浮かべているその笑顔が、どれだけオレを引きつけているのか。

 こんな笑顔を浮かべてくれたら、そしてそれがオレだけに向けられているのだとしたら、それだけで、オレは報われる。

 自分の手に感じる、小さな手の柔らかな感触。

 ほんの指先一つ動かすのさえが躊躇われてしまうほど、怖くなるくらいの絶対的な信頼。

 オレは、そんな無条件の信頼を、想いを受け止められるだけの人間なんだろうか。

 彼女といると、今までの自分がとてつもなく小さな、とるに足らない人間のように思えてくる。そしてわき起こる強い感情……誰にも傷つけさせはしない。誰にも渡しはしない。

 彼女を護るのも、幸せにするのも、笑みも、涙も、全てオレだけの物。

 狂おしいほどの独占欲。暗く、激しい熱情。

 そんな物があるとさえ思わなかった激情を持て余す自分。

 そんなオレの心を、彼女の柔らかい笑みが癒し、なだめてゆく。

 オレは、本当はつまらない人間なのかもしれない。

 でも。

 彼女といれば、オレは強くなれる。いや、彼女がいてくれるからこそ……強くなれるんだ。

 離しはしない。決して、見失いなどしない。

 目を合わせていなくても、視界に彼女が居なくても、オレの意識は全て、彼女に向けられているんだから。

「これは神官戦士様!どうぞ、どうぞこちらへ!」

 ウィン達が輪の中へ入っていくと、いち早く彼らを認めた聖霊達がさーっと脇へ退いた。

「あ、ありがとう。でも気を使わなくていいよ。オレたち勝手に楽しんでるから。な?月夜」

「うん」

「おや、これは戦士様のお連れの方ですか?お美しいお嬢様、どうぞこちらへ。さあ、どうぞこちらの方へ」

 主賓席には幕が掛けられ、月夜達が席に着いたときは既に夜のとばりが降りていたと言うこともあって、彼女の正体を知っているのは聖霊の長老と、その側役たちだけだ。

 他の聖霊は神官たちの連れ、という表向きの素性を信じ、月夜を輪の中へ導いた。

「聖月祭の日に他国の神官戦士様や人間の方がおいでになることはとても珍しいのです。どうぞこちらへ。お嬢さん、あなたはこちらへどうぞ。珍しいお客様がいらっしゃった記念に、あなたに我らの踊りと歌を捧げましょう」

「え、でもそんな……きゃあっ」

 躊躇っているうちに、月夜は聖霊数人の手によって担ぎ上げられてしまった。

「月夜!」

 心配げに駆け寄ろうとするウィンを抑え、聖霊は言う。

「ご心配には及びません、戦士様。お連れ様は我らが責任を持って、セイクリッド・コクーンの上へお連れしますので」

「セ、セイクリッド・コクーンの上ぇ?」

「はい。我らの歌と踊りはこの聖なる繭岩に捧げられる物。ですから、その上に乗っていただければ、歌も踊りも一番良く見ることが出来ます」

「で、でもそんな……」

 しかし聖霊達は有無を言わせず、月夜を繭岩の上に運び上げてしまった。

「さあ!我らが新しい仲間の誕生を祝って、歌と踊りを!」

 聖霊の一人がそう叫ぶと、それに呼応して一際にぎやかな演奏が始まった。

 合わせて、聖霊の娘達が踊り出す。

「……」

 ウィンは遙か上まで運ばれてしまった月夜を心配そうに見やったが、どうやら彼女が脅えては居ないようなのでホッと息を付いた。

「あ、あの……オレもあそこまで行っていいかな?やっぱりちょっと心配だし……」

 その言葉に、聖霊は頷く。

「どうぞどうぞ!今宵は生命を祝うおめでたい祭りの日です。どうか戦士様も楽しんでいってください!」

「ありがとう」

 そう言って、ウィンはハッ、という軽いかけ声と共に繭岩を駆け上がった。

「ウィン!」

 月夜は、トントントン、と二、三歩でここまで上がってきたウィンに、輝くばかりの笑顔を見せる。

「ねえウィン、連れてきてくれてありがとう、私……楽しい!」

「うん、君が楽しんでくれたら、オレも楽しいよ。……凄いね、聖霊達。とっても綺麗な心を持った人たちだってのは聞いていたけど、こんなに陽気な人たちだとは知らなかったよ」

「みんないい人たちばっかり。私、彼らを作り出せたこと、誇りに思うわ」

 月夜はそう言って、再び踊りの輪へ目を向けた。

 赤、紫、オレンジ。

 電飾のように、蛍のように、瞬きながら、或いは細い残光を引きながらあたりを飛び交う美しい星屑草の花束。

 たいまつの炎に彩られ、揺らめく影の中で踊る聖霊達。

 それは確かに幻想的な光景なのだが、どこか懐かしさを呼び起こす、暖かな祭りだった。

「不思議だなあ……」

 ふと、ウィンが呟いた。

「聖月祭には確かに初めて参加したのに、何だか凄く懐かしい……子供の頃、そう、もう記憶さえ残っていないくらい幼い頃、こんなお祭りに来たことがあるような気がする。オレは絶対に、そんなこと出来るはずがなかったのに……」

 王子として過ごしていた窮屈な生活を思い出したのか、ウィンは少しだけ寂しげな表情を浮かべた。

 子供なら、誰でもが一度は通っているはずの、通ってくる権利がある筈の人とのふれあい、にぎやかな熱気。

 祭りはおろか、同年代の子供とすら思うように遊べなかった昔の彼は、普通の子供が持っているはずの懐かしい記憶を、殆ど有していなかった。

「これが、歴史を生きるってことなのかな。多分、オレのずっとずっと前のご先祖様の記憶が、ほんの一瞬の偶然で蘇って来るんだ。だとしたら、例え個人の人生がつまらなくても、オレの記憶を受け継ぐ誰かがいるなら、オレの人生も無駄じゃないんだろうな……」

 そう言った後、ウィンはあっと息をのんだ。

 そして慌てて月夜を振り向く。

「あ、いやその、別に今がつまらないって言ってる訳じゃないんだ。それにオレの人生、これでそんなに悪かなかったと思ってるし。第一、今まで生きてきたおかげで、この人生を生きてきたおかげで、今きみに会えたんだから……」

 そこで、ウィンはふと言葉を切った。

「月夜……?」

 何だか、様子が変だった。

 いつもなら微笑みながら、ぼーっとはしていても必ず微笑みながらきちんと彼の話を聞いてくれている筈の月夜が、何故だか今は微動だにしない。

 それは何か別の物に集中しているとか、彼を無視しているとか、そんなことじゃなくて、そう……まるで魂が抜けてしまったかのように虚ろで……

「つ、月夜!?」

 ウィンは慌てて月夜の目の前で手のひらをヒラヒラさせた。

 が、月夜はそれでも反応しない。というより、目の前にあるすべてが、今の彼女の視界には入っていないようだ。いや……もしかしたら、何も見ては居ないのかもしれない。

「月夜……!!」

 彼女のただならぬ気配を察したウィンは、すぐさま真剣な顔つきになり、彼女を下におろそうと肩を抱きかけた。

 と、いきなり月夜が立ち上がる。

「わっ!?」

 突然のことで思わずひっくり返りそうになり、辛うじて体勢を立て直したウィンは、再び月夜に目をやって息をのんだ。

「これは……!!」

 淡い光。

 さっきこの〈セイクリッド・コクーン〉が聖霊達を生み出した時より、さらに淡く、優しく……柔らかな光。

 見ているだけで癒され、触れるだけで慰められるような暖かい光が、今、月夜の体を包み込んでいた。

 うつろな表情のまま――その目に何も映さないまま、月夜はすうっ、と息を吸った。

 と同時に、彼女の体がフゥッ、と浮かび上がる。

「月夜……」

「しっ」

 とその時、いつの間にここまで上がってきたのか、ユリウスと長老がウィンを静かに制した。

「ユリウス……?」

「今はしばらく様子を見ましょう。無理矢理マスターを覚醒させるのは危険です」

「あ、ああ」

 頷いて、ウィンは再び月夜を見やった。

 いつも的確な判断で、ダルスの面々を導いてきたユリウスである。

 その彼が様子を見る、と判断したのなら、ウィンに逆らうつもりはなかった。

「……」

 月夜は未だ、虚ろな目をしたままだ。が、その表情は少しずつ変化していた。

 今までの無表情な表情が、次第に暖かく……慈愛に満ちた高貴な女性のそれに変わってゆく。

 まるで全てを……そう、例えそれが悪夢の王だとしても……全ての生命を愛し、受け入れてしまいそうなほどゆったりとした表情を浮かべ、月夜は両腕をそっと前に上げた。

 手のひらを上にし、胸の高さまでまっすぐに上げたその腕を、滑らかな動作で横に伸ばす。

 その瞬間、天上から月の光が月夜に降り注いだ。

「これは……!!」

 ユリウスが驚いた声を上げる。

 ウィンは言葉を紡ぐことすら出来ず、息を詰めている。

 月夜は降り注ぐ月の光を一身に浴び、上を向いていたが、やがてその背中に、新たな光源が現れた。

「あれは……翼!?」

 金色の、大きな四枚の翼。

 その端々から金色の光を滴らせ、翼がゆっくりと開いていく。

「おお……!!」

 長老が、感極まった声を上げた。

「これは……これこそは創造神様の本来のお姿……!!」

「何だって!?」

 ウィンは驚いて、月夜をまじまじと見つめた。

「あ、あれは……」

 確かに、月夜の額には、いつも彼女が創造神の「力」を使うときの不可思議な紋章が浮かび上がっている。

 しかし……

「しかし、彼女はいつもの彼女ではありませんね。普段、彼女が力を使うときはもっとこう……せっぱ詰まった表情を浮かべていますが」

「うん……」

 ウィンが頷くと、長老は頭を振った。

「私には創造神様の普段のお姿などわかりませんが……これだけは、わかります。あれは、あれこそは創造神様の真なるお姿。傲慢を承知で言うなら、おそらく我らの気が、創造神様に影響したのかと」

「どういうことです?」

 月夜から目を離さず、ユリウスが尋ねる。

「はい、我らの魂はこの世で最も純粋なものとされています。ですから、うぬぼれではなく、我ら種族は、この世で最も聖なるもの……神の属に近い種族なのです。そしてこの聖月祭は、我らの力が一際強く増幅される日、ましてやここは聖霊の力の源となる結晶〈セイクリッド・コクーン〉の真上です。恐らく、創造神様はここにおわす間に少しずつ我らの気を吸い込み、その気が、創造神様の真なるお姿を引き出すきっかけになったのかと」

「それは……では、マスターは、真の創造神の姿とは、これほど優しい光を持っているのですか……」

「あっ、月夜!?」

 と、ウィンが声を上げた。

 月夜は……いや、今は創造神としての力に目覚めている彼女は、黄金の翼を開き、空中にゆったりと浮かびながら、祭りを静かに見下ろしている。

 やがてすべての聖霊が彼女に気づき、惚けたように彼女に見とれると、月夜はふわっ、と花のような微笑みを浮かべた。

 そして、広げたままだった腕をゆっくりを胸の前で組み、再びすっ、と広げる。

 と、どこからか、星屑草の光より美しく清らかな……そう、本物の星屑のような光のかけらが周囲一体に降り注いだ。

 月夜の……女神のこの贈り物に、聖霊達は歓声を上げる。

 どうやら彼女の中の創造神は、今しばらく覚醒していることに決めたらしい。

 慈愛の表情を浮かべながら空中に浮かんでいる月夜を残し、そしてそれを恨めしげに眺めているウィンを飲み込み、聖なる月の祭りは、更に一層盛り上がっていく。

 今宵誕生した新たな生命と、そして彼らをこの世に生み出した偉大なる神への祈りを込めて……。

「いやーっっ、夕べはおもしろかったなあ、聖っ」

 ――その言葉に、周囲が一瞬、凍り付いた。

 翌日。

 いくら聖なる国での出来事とはいえ、結構な騒ぎを起こしてしまった彼らは、早朝、未だ暗いうちにヴァイスフィリアを旅立っていた。

 森の中、木漏れ日がやっと差し込むようになった頃、キッドは他意もなくそう言って、聖に笑いかける。

 が……聖はもちろん、他の全員が、一瞬、月夜の方を見やった。

「……」

 当の本人は、何の表情も浮かべないまま、いつもの彼女では考えられないようなさくさくとした足取りで前を進んでいく。

「あ……あのさ、月夜」

 彼女の周りに漂う「オーラ」にひるみながら、それでもウィンが果敢にアタックした。

「き、気にすることないよ、うん。あの後は、別に変わったことが起きた訳じゃないしさ。うん、そう、そうだよ。別に何を見逃したってわけじゃないし、大丈夫だよ、月夜」

 何が大丈夫なんだろう、と、自分で言っておきながら首をひねり、それでもウィンは必死に月夜をなだめる。

 結局、あれから月夜は夜が明けるまで意識を取り戻すことはなかった。

 聖月祭の宴が終わると同時に彼女は意識を失い、ウィンに抱きかかえられて神殿に戻った後は、ひたすら、そう朝が来るまでひたすら眠り続けていたのだ。

 ちなみに、その彼女を心配してウィンも結局徹夜してしまったのだが、それを知るのは本人だけである。

 ふと、月夜が足を止めた。

「月夜?」

「ウィンはいーわよ」

「へ?」

「ウィンは、そりゃあウィンはいいわよ。私が気を失っている間中ずっと、私が何してるのか見ていられたんだもの。どうせ、一人でお祭り楽しんでたんでしょ?人が無理矢理、半覚醒させられて、一人でふよふよふよふよ浮かんでた時に」

「あ、いや……」

 そうじゃないのである。

 実を言えば、あれからウィンは、ずっと月夜を見続けていた。

 いくら彼女が創造神として半覚醒しているからと言って、それでも彼にとっての彼女は月夜本人に代わりはない。

 ウィンは、月夜と祭りを楽しみたかったのだ。その月夜が意識を失っているのでは、楽しみようがないではないか。

 だが、ウィンはその言葉を口にしようとせず、ただ黙って微笑んだ。

 どんな理由があるにせよ、彼女を一人にしてしまったのは、確かだから。

 何もできなかったのは、事実だから。

 どんなに彼女に言われようと、なじられようと、受け止めてみせる。

 それが、創造神としての彼女にしてやれる、数少ない事の一つ。

 そんなウィンの想いを察したのか、桜華が助け船を出した。

「違うわよ、月夜」

「?」

「ウィンは、少なくともウィンだけは、あの夜ずっとあんたを見続けていたわ。私たちがそれぞれお祭りを楽しんでる間中、あの繭岩の上に座って。お菓子の一つ、飲み物の一滴も手を付けずに、ただひたすら。それは、決して、あんたが創造神だからとか、そういうんじゃないと思うけど?」

「お姉ちゃん……」

 すると、今度は聖が……こちらは少しだけからかい気味に口を挟む。

「そうだよ、月夜姉さん。だってウィン、すっごく恨めしそうな顔してたもん。姉さんは意識を失ってから目が覚めるまで、ずっと眠ってたからいいけど。ウィンはその間中、ずっと姉さんが目覚めるのを待ってたんだよ?少しはウィンの気持ちも分かってあげなよ。本当に寂しかったのは、ウィンの方じゃないの?」

「聖……」

「あ、ちょっと止めてくれよ聖。何かオレ、無茶苦茶キザな奴みたいじゃないか」

 ウィンが耳たぶまで赤く染めながら……加えて後ろで憮然としている一年を気にしながら手を振る。

 と、聖はしらっとした顔で付け加えた。

「大丈夫、キザなんかに見えやしなかったよウィン。何しろ、あん時のウィンは月夜姉さんにしっかり見とれてたもんね」

「なっ……」

「あー、そー言えば、すっげーかったなー、あん時の月夜。こう、でっけえ羽が四枚も生えててよ、しかもそれが全部金色だぜ。周りの聖霊達、全員お前に見ほれてたよ。ウィンと同じ顔して」

「ちょ、止めてくれよ!」

 と、突然、ウィンが不機嫌な声を出した。

「あれは、驚いただけだよ。……そりゃあ……確かに、あのときの月夜は、綺麗だったけど。……でも!でも、関係ないじゃないか、女神でも、人間でも。オレは……月夜が神様になったからって、何も変わらないよ」

「ウィン……」

 ちょっと驚いたように自分を見上げる月夜に、彼女だけに聞こえるように、ウィンはぽそっと呟いた。

 いや、それは本当は誰にも聞かせたくなかったのかもしれない。

「……オレは、オレが見てるのは、いつもの月夜なんだ。たとえ神の力が覚醒しても……オレが見てるのは、普通の女の子の月夜なんだから」

 彼は、気づいているだろうか。

 いつでも自分を、一人の女の子として扱い、普通の人間として接してくれる彼の存在が、どれだけ彼女の「創造神」としてのプレッシャーを和らげてくれているかを。

 月夜は、気づいている。

 自分の中に眠る「力」の片鱗を。

 いつだって脅えている。

 この「力」が、この世界その物を破壊しかねないほど強力だから。

 本当は、向き合わなければならないのかもしれない。

 この「力」に、「創造神」としての自分に、正面から向き合い、受け入れて、いつかその「力」を使いこなせるようにならなければいけないのかもしれない。

 そう、そうすれば。

 きっと、ウィン達を護ることができる。

 それほど、この「力」は強大なのだから。

 でも、今だけは。

 こうして、彼が自分をふつうの女の子として扱ってくれる、今だけは。

 「力」のことも「創造神」のことも忘れて、普通の、頼りなくて、おっちょこちょいで、ちょっとぼーっとしている(ちょっと?)、ただの月夜でいたかった。

 いや、そう在れる気がした。

「……?」

 突然雰囲気が変わり、くすくすと笑い声をたてる月夜に、ウィンはきょとんとしている。

 そんな彼の様子がおかしくて、さらにくすくす笑いながら、月夜は彼の腕をとった。

「つ……月夜!?」

「ねえ、ほんとに綺麗だった?私」

「え、あ……う……うん」

 みんなの見てる前で腕を組むなんて、初めてである。

 しかも、月夜の方からそうしてくるなんて。

 驚いて目を白黒させながらウィンが頷くと、月夜は嬉しそうに頬を染めた。

「じゃあ、悪くない、かな」

「えっ?」

 そう聞き返すウィンの腕を引っ張り、顔を引き寄せると、月夜はその耳元でそっと囁いた。

「創造神になるのも。……ウィンが、綺麗だって、言ってくれるから」

 鈴原 月夜、21歳。

 この世界の「創造神」は、未だ「覚醒」の兆しすら見せてはいない……。

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