最終話 エピローグ



 どうして僕は人の姿に戻ることができたんだろう、とよく思う。

 あの時のクアドラの封印の術が成功していたのかもしれないし、奇跡でもおこったのかもしれない。分からない。



 僕に分かっていることと言えば、あれからあの悪夢を見なくなったことぐらいだ。


 あの炎の中でクアドラが掌を広げる悪夢……、あれがそのまま違う夢に差し替わった。

 ねじまき水路の中心で僕を見上げ、ユーリ、ごめんなさい……、と謝るクアドラの夢に……



 だから僕は相変わらず彼女のことばかりを考えていた。

 彼女の苦痛、彼女の想いをずっと考えているのだ……


 今なら分かる。

 彼女がどんな思いで未来からやってきたか。



 地上に憧れ、地上を愛し、そしてこの地上を取り戻したかったのだ。

 人の手に……


 そして、結果的にその通りとなった。

 地上を取り戻したのだ……彼女は……



 僕は狂人エウケソンの言葉を思い返していた。

 あいつはたしか、時の流れは止めることができない、と言っていた。

 そして、魔法学校のゾビグラネも、未来は変わらない、と思い、それを見越して彼女をこの時代に呼び寄せたんだろう。


 だけど……クアドラの不屈の魂が、たぶん時の流れを変えたのだ。


 定まっていたはずの時の流れを強固な意志の力をもって捻じ曲げたのだ……



 僕をはじめとする皆は、そのおかげで昨日と変わらない日常を暮らすことができている。きっと、そのおかげで……




 ここは黒の館を囲む庭。


 僕はその庭におかれたロングチェアーに寝そべり、日の光をあび、本を読んでいたはずだったのだが、……どうやらぽかぽかの陽気に包まれ、うたた寝してしまったようだ。


 不意に強い風が吹きつけ、本のページがパラパラとめくれあがり、影をさす木々がそよそよと葉擦れの音をたてる。


 視線を少しずらすと、林の隙間から洗濯物のロングコートが風にたなびく姿が見え、子供たちの声が聞こえた。

 元気に遊ぶ子供たちの声だ。



 時間がゆっくり流れているような感覚だった。

 何もかもが穏やかで、優しさに包まれているような感じがした。




 僕は異端審問官をやめた。

 そして、一神父に降格してもらい、ねじまき村に赴任し、村の再建に取り組むこととなった。

 ほとんど僕が無理を言いそうしてもらったのだ。

 ゼノン司教も、きみほど功績のある人間の頼みを聞かないわけにはいないでしょう? と言い納得してもらえた。



 僕が今やっていることは村おこしだ。


 再びねじまき村を元のような村に戻したいのだ。

 あの事件が起きる前のような村に。


 子供が僕に駆け寄ってきた。



「ねぇ神父さまも一緒に水路で水浴びしましょう?」

「僕かい? 僕はいいよ」

「いいから、はやく、はやく」



 僕は幼いカミラに手を引っ張られ彼女に続く。

 目の前には水路があった。

 どこまでも真っすぐに伸びた水路が。



「ねぇこの水路を神父さま独りで作ったって本当?」とカミラは僕に聞いた。

「作ったというよりは、作り直した、という方が正解かもしれないね」と僕は言った。「昔ね。ここの水路はとっても悪い水路だったんだ。

 そのせいで多くの人が死んだ。

 だから僕はね。

 もう二度とそんなことが起こってほしくないから、ここを真っすぐ伸びる水路にしたんだよ」



「真っすぐだと悪いことはおきないの?」

「そうだよ。水路の形が大事だと、ある女性が教えてくれたんだ」



 すると、背後で誰かが微笑んだ気がした。

 僕は誰もいないそこに向かって振り返る。



 木の葉が舞っていた……、まるでそこを銀髪の美しい女性が歩いたように……

 僕は心の中で呼びかける。



 クアドラ……僕は生きてゆくよ。

 この村で……、人の姿で……。

 未だに整理できていないこともあるけれど……、命を懸けてまで君が取り戻してくれたものを……、大きな時間の流れに逆らってまで取り戻してくれたこの地上というゆりかごを……僕は大切にしたいんだ……



 柔らかい風が頬を撫で、僕はまた前を向く。

 カミラの柔らかな手にひかれ、僕は足を前へ前へと運ぶ。


 誰よりもそうすることをきっとクアドラは望んでいるだろうから……



 ねぇそうでしょう? クアドラ。

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ユーリとリリア 如月弥生 @tairanomasakado

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