第40話 クアドラ -5-
「え? ここで降りるんですか?」とジェイが眉をひそめた。
僕はねじまき村の大分手前で馬車を止めると、馭者に明日改めてここに来るよう言った。そして、立ち尽くす三人に向かって命ずる。
「これより一切の私語を禁ずる。ぼくについてこい」
灰色の鎧を身に纏った僕は盾を担ぎ、山中に分け入ってゆく。
残りの3人も僕に続く。
僕はさっきのジェイの言葉に半ば呆れていた。
敵に気取られないために、目的地より離れたところで馬車を降りるのは当たり前のことだ。
それに相手はあのクアドラだ。
細心の注意を払うに越したことはない。
急こう配の斜面を僕らは登ってゆく。
地面には、落ち葉や、折れた細い枝が散乱し、トウヒ林が行く手を阻むが、僕らはこれを軽々と避け、鹿のように俊敏に山中を駆ける。
戦いは何事もその地理に深く精通する者に優位に働く。
こう言っちゃあなんだが、僕はねじまき村を舞台に戦うなら、誰を相手に戦っても負ける気がしなかった。
何故なら僕はほとんど一方的に相手より優位に立てる場所を知っているからだ。
ねじまき村は四方を山に囲まれた村で、特にあるところからは、ねじまき村を一望できる。しかも、こちらの姿は絶対に見つかることなく。
僕は、不満顔であとに続くジェイと、無表情のまま巨体を揺らすレディ・バルムントと険しい顔つきをするジーンを引き連れ、山の中の最も林が深いところに分け入ってゆく。
彼らはきっとそれを疑問に思ったに違いないが、当然理由はある。
敵からの発見をさけるためだ。
そのためにわざわざこの山中の深い木々に分け入ったのだ。
僕らは、ねじまき村から見て、西の山から北の山に辿り着くと、沢山の切り株が斜面にむき出しになっている場所にいきついた。
ここはちょうど昔、父さんが担当していた斜面だった。
だから、ここのことはよく知っていた。
僕は深い雑木林の中から出てこないよう3人に合図を送ると、独り切り株の陰に滑り込み、身を隠した。
ここが例の場所だった。
北の山の斜面の途中で、遠くからねじまき村を一望でき、一方的に相手の姿を確認できる場所。
戦場において、相手の位置を自分たちだけが知る効果はとても大きい。
自分たちの位置が把握されていなければ、最初の一撃を敵に与える確率が格段に跳ね上がるからだ。
たぶん、戦闘はほとんどこの最初の一撃で決着がつく。
そこで上手くいかなければ、戦闘は長引き、そして今度は逆に死ぬ確率がグンと跳ね上がる。マリアさんもそうだった。
僕は切り株の平らな部分から覗き見るようにねじまき村を観察した。
すると、僕の瞳に、ねじまき村の今の姿が飛び込んできた。
指先が意図せず震えた。
村のあちこちで乱雑に雑草が伸び、以前はなかった背の低い木々や木の根が田畑や家の中にまで入り込んでいた。
真っ黒に焼け落ちた家々の残骸が今もそのままの形で残っており、村の周りには太い円を描くように黒い染みが出来ていた。
誰かが運んでくれたのか、動物にでも食べられたのか分からないが、消し炭のような死体はすでになく、風の吹きすさぶ音が悲しく響く。
ただ、そんな中で、螺旋を描くねじまき水路だけが、皮肉のように当時と変わらず穏やかな流れで村の中央を流れていた。
気づくと、激しい動悸を感じ、胸が苦しくなってゆくのがわかった。
六年という歳月を経たにも関わらず、その黒は痛々しいまでにその色を残し、この村がすでに死んだ事実を僕に突きつけていた。
――静まれ。静まれよ僕の胸。
早い鼓動に押し出され、胸が大きく上下した。
――ゆっくり……、ゆっくり呼吸するんだ。
僕は震える手を自分の胸にあて、ゆっくりと鼻から息をとりこむ。
ジェイが深いトウヒ林の中から目を皿のように大きく見開いて、どうしたんですか隊長? という顔をした。
僕は視線だけで、大丈夫だ、と伝えた。
なにも大丈夫じゃないのに。
とにかく、任務に集中することが大切だった。
よし、もう大丈夫、と僕は自分に言い聞かせ、改めて、ねじまき村をのぞく。
視線が村のいろんな場所をさまよう。
ねじまき水路。西の共同畑。黒々した家。黒の館。
おかしい。
ねじまき村には誰もいなかった。
クアドラの姿は影も形もなかった。
僕は一度切り株の陰に頭を隠し考える。
見渡せる範囲に彼女の姿はなかった。
可能性が残っているのは、黒ずんだ倒壊した家屋の中か、黒の館の中。
黒の館はあの時燃えてしまったとはいえ、外観にほとんど傷はなく、元々黒かったので燃えたのかどうかもよく分からないほど、あの建物だけは気持ち悪いほど当時のままの姿を保っていた。
――待てよ。クアドラもこの山の中に潜んでいるかもしれないのか?
頭を横に振り考え直す。
その可能性はほとんど無いはずだ。
隠れる、ということはこちらの動きを察知している、ということだ。
いつ、どこで察知されたというのか。
そうだ。クアドラが僕の追跡を察知しているなんて、ありえない。
視線を少し上にずらすと、青々とした空と眩しいほどの太陽の光が僕らに照り付けていた。最悪の場合夜まで粘ることになるかもな、と思った。
夜になればクアドラは火を使うに違いない。
それで場所を特定してやる、と思い、もう一度ねじまき村の様子を観察した。
すると、黒の館から誰かが出てきた姿が遠目に見えた。
その誰かは、雑草が生い茂った道を歩き、村の広場に近づいてきた。
僕はその様子を切り株の陰から黙って伺っていると、その人物は村の中央広場のねじまき水路のあたりで止まった。
僕の目が大きく見開かれ、自然と口も開かれていった。
それはまるで、そこだけ別の世界のように光り輝いているような感じがして、浮世離れした絵画のように見えた。
黒いコートを羽織り、フードを肩にかけ、美しい銀色の髪をなびかせる一人の女性がそこに立っていた。
色白の肌に、長いまつ毛、すっと伸びた鼻に卵のような頬。
遠目でもその姿がハッキリとわかった。
クアドラだった。
それは完全にどこからどう見てもクアドラだった。
その姿を見るのは実に六年ぶりだった。
でも、六年という歳月が経過したようにはとても思えなかった。
それほどまでに、彼女はあの頃のまま、何も変わっていなかった。
そして、相変わらず美しかった。
これだけ遠くに離れているにも関わらず、その美しさが手に取るように分かった。
彼女の前髪は一本だけが頬の横を通るように流れ、後ろ髪は腰のあたりまで伸び、そよ風に吹かれてゆらゆらと揺れていた。
やっと追いついたのだ、と思った。
やっとここまできたのだ。
唾が喉を通り抜ける。
しかし、疑問がよぎる。
一体クアドラは何をしているのだろう?
クアドラは特に何をするでもなく、ボーっとねじまき村の水路を見つめていた。
本当にただそれだけだった。
彼女は水路を見つめ、首を傾げたかと思うと、顎に手をあて、ゆっくりと螺旋状の水路の周りをまわっていた。
無防備だった。
それはどこからどう見ても無防備な姿だった。
彼女がなんのためにそのようなことを行っているのかさっぱり分からなかったが、彼女が生まれたての赤ちゃんのように無防備なことだけは確かだった。
馬車を遠くに置き、山側からひっそりと近づいたのがよかったのだろう。
おかげでクアドラは完全に僕を認識していなかった。
たぶん、追跡されていることすら思慮の他に違いない。
さきほどとは違った感情の波が体に広がってゆくのが分かった。
これはチャンスなのだ。
たぶん、最初で最後の。
僕は、絶対に音をたてるな、という合図を味方に送ると、クアドラの死角からそっとねじまき村に降りていった。
恐らく、上手くいけば戦いは一瞬で終わると信じて。
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