第2話 辞める男

 それから一週間。

 キミタカはアカネの姿を、ただの一度も見かけなかった。


 アカネの到着から数日ほど遅れて、大量の荷物が馬車便で送られてきたのを見たものがいたが、手伝いを申し出る隊員は一人もいなかったという。

 無理もなかった。《人形》の荷物には大抵、金属が含まれている。人によっては、金属のこすれる音だけで”例の病”を発症するものもいるのだ。

 井戸から汲み上げた冷たい水で歯を磨きながら、キミタカは白んでいく空を眺める。

 ぼんやりと、楕円形のシルエットを頭に思い浮かべて。


(でももう、何もかもどうでもいい話だ)


 なげやりにそう思った。

 そして、ポケットに潜めた一枚の封筒を、爆弾でも抱え込むみたいに触れる。

 今朝は、普段より少しだけ早起きだった。


「……(ごくり)」


 封筒の表紙には、たった二文字、「辞表」とだけ書かれている。

 隊長は早起きだから、もうこの時間には起きて、自室で書き物をしているところだろう。


(下手にことを荒立てて、世話になった人たちを嫌な気持ちにさせることだけは避けなければならない)


 悩みに悩んで決めたことだ。


(帰ろう。実家に。再就職だ)


 深呼吸して、思い切って隊長室に向かおうと振り向く。

 すると、すぐ目の前に煙草をふかしている島田一士がいた。


「よう」


 コミカルな漫画なら、口から心臓が飛び出していたところだ。


「ど、どどどどどど。どもっす」

「なんだその面白い顔は」

「い、いえ……」


 背中から冷や汗が出るのを感じながら、曖昧に応える。

 島田は井戸の水でうがいをした後、こう言った。


「ああ、そうだった。――今朝は朝のランニングは中止。マルナナマルマルには正門前に集合。新昭和湖へ出発する。用意しとけ」

「出動ですか?」

「まあな。……重要任務だ」


 ニヤリと笑う島田。


「重要……?」

「ウム。お前にも仕事がある。もちろん掃き掃除以外のな」


(なるほど、任務か)


 それなら、……辞表を出すのは後回しにしてもいいか。

 我ながら調子のいいヤツだと思いつつも、島田一士に一礼。

 そして、慌てて自室へと駆け出す。

 装備の点検が必要だと思ったのだ。



 新昭和湖は、数十年前の洪水で地形が大きく変わった窪地に大量の水が流れ込んで出来た、淡路島でも最も大きい湖だ。

 噂では、この湖の底には大昔に作られた鉄筋の建物が沈んでいるという。

 だからか知らないが、地元の人間はほとんどこの湖に立ち寄らないことで有名だった。


「で……、」


 キミタカは先輩を恨みがましく見る。


「これのどこが、……重要任務なんです?」


 手渡されたのは、ずいぶん年季の入った釣り竿と木桶だ。


「分かるだろ。我が国民保護隊は“自給自足”が信条だ」


 島田無行は、たばこを咥えたまま応える。


「どおりで、道中やたらとミミズを集めさせられる訳だ……」

「なんだお前? 気づいてなかったのか?」

「薄々感づいてはいました。……いましたけども!」


 ぎりぎりまで認めたくなかったのだ。

 分隊となった隊員十数名は今、時折思い出したようにひくひく動く葦になって、夕食のおかずはなんだとか、この前見かけた女が色っぽかったとか、そういう類の話を繰り返す。

 キミタカにはそれが、罪もないのに罰を受けている囚人のように見えた。


「ほれっ、さっさと行け。釣果芳しくない者は罰ゲームだからな。気合いいれろよ」


 こんなの、幼年学校の子供が思いつく遊びじゃないか。

 厄介なのは、思考は幼稚なのに罰ゲームだけは一級のものを思いつく先輩方である。


 女装して軍歌を歌いながら麓の村を練り歩くだとか。

 逆立ちでしばらく生活するとか。

 ボディペイントで一日過ごすとか。

 ねりわさびを鼻に突っ込むとか。

 みんなが入った風呂の水を飲むとか。


 耳を傾けていると、そんな話題で盛り上がっている。

 まったく、冗談じゃない。


(最低でも、最下位を避ける程度の努力はしなければ)


 なんとなく笑い声の大きいところに行く気にはなれず、鬱々とした気分で座り込む。

 餌を付けて、釣り針を湖に放り投げると、途端に手持ちぶさたになった。


 それから、三十分も経ったあたりだろうか。


 キミタカの視界に、見慣れぬチカチカした色が映る。

 何やら、ふさふさした赤い生き物が、薪に火をおこしているらしい。

 一瞬だけ何か未確認の生命体かと思ったが、――よくよく見てみると、それは《人形》であった。一週間前に顔合わせして、確か「アカネ」とか名乗ったやつだ。


(ふうん。基地で見かけないと思ったら、こんなところにいたのか)


 特にそれ以上の感慨も沸かず、キミタカは三匹目になるフナを釣り上げる。


 ……と、その時。

 ぱんっ、という、妙に耳に残る音が聞こえた。


 ぱん、ぱん、ぱん。


 合わせて四度ほど、音が鳴る。

 見ると、アカネが一週間前にも見た鉄の塊を湖に向けていた。

 一瞬、頭の中が真っ白になりかける……が、距離的にかなり離れているのもあって、“例の病”の発症には到らない。

 だとしても、危ないことこの上なかった。


(たまたま誰かが近くを通りがかったらどうするつもりだ)


 ”例の病”の発症には個人差はある。……が、およそ五十メートルより近くの金属を視野に入れると発症してしまうのが普通だ。


 ぱん、ぱん、ぱん。


 アカネは続けざまに音を鳴らすと、半ば自棄を起こすみたいに、「ちくしょーっ」と、鉄の塊を水面へと投げつけた。


(本で読んだのと少し違うが、あれは魚を獲る道具なのか)


 だが、使い方はまるでなっていないようだ。

 アカネは一匹の釣果も得られずに、力なくその場にへたりこむ。


(大昔の科学力で作られた道具でも、使いようによっては、こんなぼろっちい竿に劣るらしい)


 ひょっとすると、失われた技術ってのは案外、見かけだけややこしくて、中身の伴わないものなのかも知れないな。

 キミタカの竿に、四匹目のフナがかかった。


(やれやれ……)


 嘆息する。


(一匹ぐらい、恵んでやるか)

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