第26話

 そして、僕の姉は続けてこう言った。

「今度、パパとママに内緒で彼氏を家に入れるけど、ばらさないでよね」ってね。


 当時の僕は全くなぜ秘密にするのかいまいちよくわからないかったけれど、とにかく、とりあえず了承した。

 否定したら、また何かされてしまうかもしれないし。

 何って、殴られたりとか?そりゃ嫌だよね。


 そんなことがあって平日のある日、姉の彼氏が来ることになった。僕は自分の部屋にいろって言われたから、その言いつけ通り、僕は学校から下校してすぐに部屋に隠れていた。


静かに、自分の部屋で姉の彼氏が来て、帰るのを待っていた。

物音ひとつ立てないように、細心の注意をはらいながらね。


 僕は全く、悪いことは何もしていなかった。

 中学生よりも小学生のほうがやっぱり帰ってくるのは遅いから、僕が学校から帰ってきて、部屋に入ってから大体三十分ぐらいしてようやく姉と姉の彼氏が来た音が聞こえた。


 生まれて初めて聞くような媚びるような姉の声と、聴いたことがない、若そうな、でも声変わりはしている男の人の声が聞こえた。

 自分の姉の気持ち悪い声に鳥肌が立ったのと、いつもの家の中で一つだけ聞きなれない声があるという違和感に、僕は苛まれていた。


 その日はそのまま帰った。僕と姉は部屋が隣なうえ、そんなに分厚い壁でもない、っていうか薄い壁だから声がよく聞こえてくるのだが、他愛のない話を三十分ぐらいして彼氏のほうは帰ったみたいだった。


 それから、大体一週間に一回ぐらいのペースで彼氏がうちに来るようになった。

 彼氏が来ると決まった週は決まって下校後すぐ部屋にこもり、トイレ以外では出ずに過ごしていた。


 そのまま、あの彼氏に合わなければどれだけよかったことか。

 何回きたか、覚えていないぐらいの時に、ついに僕は彼氏と出会ってしまった。

 といっても、僕がトイレ帰りで部屋に入る直前だったところを彼氏が部屋から出てきただけだから、会話もなければ目も合わなかったわけなんだけれどね。


 その日の夜、姉は僕の部屋にきて、詰問といっても差し支えないような質問をされた。

 その目は確かに独占欲に満ちた、どろどろとした――暴力に走るときのいつものものだった。


「今日さ、妹がいるの?って聞かれたんだけどさ――銀ちゃん、もしかして私の彼氏とあった?」

「え、う、うん。廊下で、一瞬だけ」

「私の彼氏かっこいいでしょ?」

「そ、そうだね!」

「もしかして、取ろうとか、思って、ないよね?」


 確かに姉の彼氏はそこそこかっこよかった。優しそうなたれ目にきゅっとした鼻、さらさらとした髪の、いかにも好青年って感じの男だった。

 とはいえ僕はゲイではないし、普通に女の子が好きだ――当時、好きだった女の子も、いたし。


 でも、かわいい恰好をしている僕のことを姉は敵かもしれないと思ったようだった。

 もちろんそんなはずがない。僕はそれに気が付くと慌てて否定した。


「そんなわけないじゃん!とっても、お似合いだと思うよ?仲もよさそうだし」

「やっぱりそうかな?これってうんめーなのかも!」


 一言フォローすると、すぐに機嫌を持ち直して陽気になった。

 こうやってコロコロ機嫌が変わるのも、僕の姉の苦手なところだ。でも、口にはしなかった。

 当時はそんなことがわかるほど、人への好きな感情や嫌いな感情への理由など、考えたことがなかったからだ。

 小四だったしね。今の精神年齢もあれから動き出したわけじゃないんだけど。

ただ、色んなことを知っただけで、精神はまだ小四のまんまなんだ。


話を戻すね?姉との会話のところからだったっけ。


「もー、次は会わないように気を付けてトイレ行ってよ?妹って嘘つくの心苦しかったんだから!」

「うん、わかったよ。ごめんね?」

「じゃあ、それだけ。おっやすみー!」


 嵐というか、危険度でいえば竜巻のような姉が部屋から出たことでほっと一息つく。

 姉はまだ声が聞き足りないのか、隣の部屋で彼氏と電話をして、騒がしくしていた。


 そして次の週、トイレに行くといって彼氏が姉の部屋から出て、しばらくしてから、僕の部屋の扉が開いた。

 言っていることがわかるだろうか?

 彼氏が姉の部屋をでる、廊下を歩く音が聞こえる、僕の部屋の扉が開く。


 要は、彼氏が僕の部屋に突入してきたのだ。

 もちろん僕は驚いて、何も言えなくなってしまっていた。


 すると、ずかずかと僕の部屋に彼氏が入り近くに来ると僕に話しかけてきた。


「ああ、怖がらないで。別に怖い人じゃないよ?君のお姉ちゃんの、お友達さ」

「おとも、だち?彼氏じゃ、ないんです、か……?」

「彼氏?ああ、勘違いしないでくれよ。僕はんだ。じゃなきゃ、僕があんな喧しい女、相手にするはずないじゃないか」


 これを聞いた瞬間に、まずい、と思った。

きっと部屋の向こうの姉にはこの声は聞こえていないとでも思ったのだろう。でも、違う。


 僕と姉の部屋の壁は、薄い。今までの姉と彼氏との普通の会話の音ですら容易に聞き取れてしまうぐらいに。

 だから今、彼氏が言ったあの発言も、……!


 僕は、絶望した。

 ああ、姉がもし彼氏を取られたらどんなことをするかと考えていたが、その矛先が僕に来るなんて、とね。

血を見るな……って考えてはいたけど、まさか自分とは、思わないよね。


「……」

「覚えているかい?僕が君と初めて出会った日」

「え、先週、廊下で……」

「違うよ?妹ちゃん」



 そんなはずはない。確か、先週のが初めてのニアミスのはずだ。

 この男、おかしい。僕は心のどこかであの時そう確信した。


「半年前に、帰り道で赤いランドセルを背負った君と、出会ったじゃないか」

「はん、年前?」


 半年前にこの男と出会った?まったく記憶にない。

 でも、一つだけわかった。


 そう、姉の彼氏は僕のストーカーだった。

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