第7話

「ふっふっふ、やはり私は天才のようだ」


 悪い笑みを浮かべながら倒れた少女を見る。時折動く気配を見せてはいるが、どうやら今の一撃はかなり効いたらしく気絶しているようだ。


「ふむ……」


 風の噂で聞いたことだが、冒険者と呼ばれる職業の者達の間では倒した魔物の素材を剥ぎ取るのが常識らしい。


 つまり今この瞬間、美少女モンスター(仮)の素材(髪の毛)はカールの手の中にあると言っても過言ではないだろう。


 もっともカールは錬金術師であって冒険者ではないが。


「自ら戦って勝ち取る素材というのも悪くはないな。うむ、悪くはない。くっくっく……」


 普段は直接モンスターと対峙することなどなく、専門店で素材を買い取っているカールだが、今この瞬間ばかりはそうではない。


 滅多にお目に掛かれないレア素材を前に、完全に悪人の笑みを浮かべながら一歩一歩少女に近づいていく。


 傍から見れば、この男の所業は正に外道と言うに他ならない。


 何せ偶然出会った少女に怪しい薬を飲ませ、理性を飛ばし、気絶させた所に少女の素材を剥ぎ取ろうと考えているのだ。


 文字にするとどこまでも犯罪的で、実際に行われた事自体すでに犯罪というより他にないだろう。


 もしここに目撃者の一人でもいれば、カールは生涯暗い牢屋で臭い飯を食べ続ける生活を送ることになっただろうが、これだけの騒ぎを起こしておいて目撃者はゼロ。


 やはり本日世界で一番幸せな男を自称するだけあり、天はカールの味方をしていたようだ。


「では少女よ。この髪、頂いていくぞ」


 腰から取り出した小さなナイフを構えたカールが、気絶した少女に覆いかぶさった瞬間――。


「ん、ん…………えっ?」

「おっ?」


 目覚めた少女と視線が交わる。腕は相変わらず醜悪に肥大化しているが、その瞳には先ほどまではなかった理性の光が見受けられた。


「……………………」

「……………………」


 二人の間で沈黙が続く。そして徐々に少女の表情が変化し始めた。


 最初は茫然と呆気に取られていた瞳が段々と不安げに彩られ、額からはだくだくと大量の汗が流れ始めていたのだ。


「き……き……き……キィャァァァァァァァ! 変態ィィィィィィ!」

「ヌゴバッハッ!?」


 まるで街全てに広がったのではないかと思わせるほど甲高い悲鳴が鳴り響き、恐ろしい衝撃がカールの体を貫き宙に浮かした。


 少女の固く握り込まれた拳が腹部に突き刺さり、吹き飛ばされたのだ。


 視界いっぱいに広がる青い空と白い雲。ああ、世界はこんなにも広いんだな、と思わずにはいられなかった。


「ブヘッ」


 そんな現実逃避も数秒後の背中を襲う衝撃には勝てず、潰れたカエルに似た情けない声を上げてしまう。


 そして唐突に薄れていく意識。まるで自分が世界から切り離されたような不思議な感覚に戸惑いながらも、カールの視界が黒一杯のものへと変貌していった。


 最後にその瞳に映ったのは、泣きそうな顔で心配している少女の姿だった。


 必死の形相で体をゆするその姿は、まるで劇で主人公と死に別れをしているヒロインのようで、ある種の輝きを放っている。


 ――何をそんなに泣きそうな顔をしているのだ? 私など、赤の他人でしかないというのに……


 すでにカールの耳は聞こえなくなっていた。瞼が重く、徐々に光も失われていく。


 いったい少女が何を求めて自分に縋っているのかは分からないが、一つだけ確信していることがある。それは少女が自分の心配をしているということだ。


 意識が朦朧としている中で、何故かカールの気分は良かった。長い人生の中で、こんな風に心配されることなど、今まであまりなかったからだ。


 ――こういうのも、悪くはないな……


 そして満足げに微笑むと、そのまま完全に意識を遠ざけてしまう。後に残るのは泣きそうな少女ただ一人だ。


「私の腕! ちょっと待って! 気絶してないで私の腕を治してください! ねえ、ねえってばぁ! ちょっと聞いてるんですか! 何満足気に気絶してるの起きて! 起きてよ! 起きてくださいよぉぉぉぉぉ!」


 残された少女――名前をトリス・メギストスという――がカールに必死に縋りつきながら泣いていた。


 それはもう盛大に。


 もちろんカールの心配など一切していない。するはずがない。何せ彼女からすればこの男は変な薬で自分の体を可笑しくし、しかも強姦未遂までされた相手だ。


 必死に揺するもカールは気絶から目覚める気配はなく、それどころかまるで揺り籠に揺すられて機嫌を良くしている赤子のように、安らかな眠りについていた。


 余程いい夢を見ているのだろう。時折見受けられる不気味な笑いがより一層少女の叫びを増長させていた。


「ふえええええん、なんでいつもこうなるのよー! もうやだー! 誰か私を幸せにしてよー!」

 そんな少女の心からの叫びを聞く者は、残念ながらこの広い街の中でさえ一人としていなかった。

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