第6話 恋の魔力(その②)


 一週間後、二宮は新居に引越した。単身者の、決して広いとは言えない寮の部屋からの転居だったので、午前中で終わった。

 彼女からは前もって手伝いの申し出があったのだけど、二宮はなぜか断り、一人で荷解きをした。そのことをネガティブに受け取ったかどうかは分からないけれど、彼女からはその日はもう連絡は来なかった。


 一通りの片付けを終え、他の住人に挨拶を済ませると、二宮は近所のコンビニに出かけた。弁当とスモークチーズ、缶ビールを二本買い、部屋に戻った。シャワーを済ませ、まだ殺風景な部屋の真ん中に置かれたソファセットのテーブルでスマホをいじりながら黙々と弁当を食べ、ビール片手にチーズをかじり、40インチのTVモニター画面でYouTubeを観た。

 そして、何組かのアーティストのMVを食い入るように見入っていたかと思ったら、突然画面を落とし、ソファの上で胡座をかいて何やら真剣な表情を浮かべてスマホを操作し始めた。

 三十分ほど経って、ようやく二宮はスマホを手から離し、洗面所で歯を磨いて顔を洗い、寝室に消えた。十五分ほどすると慌てたようにリビングに現れてテーブルのスマホを取り、再び寝室に戻った。そのあとはどうやら本当に眠ったみたいだった。


 いったい、二宮は何を考えてるんだろ。


 繋がりのあるあたしは何らかの口実を作ってちょっと探ってやりたいと思ったけど、やっぱりそれはやめといたよ。あたしはあくまで語り手。それに、どうやらそろそろこの話も終わりに近づいてるみたいだから、ここであたしが登場人物になると、さらにややこしくなるだけだからね。一応、女だし。



 で、その二日後。

 この日の二宮はまた夜勤明けだった。またこの前のように中華料理店で朝粥を食べ、新居に帰って眠った。昼過ぎに起きるとシャワーを浴び、コンビニに出かけてまた弁当と缶ビールとおつまみを買って戻る。ソファにもたれてビールを開け、ゲーム機の電源を入れてゲームを始めた。

 ……うーん。なんだか侘しいね。夜勤明けで疲れてるんだろうけど、明日も休日みたいだし、出掛けるとかすればいいのに。足りないものの買い物とか、近所の散策とかさ。まぁ、夕方から翌朝までの十五時間、夜を徹して働いたことなんてないあたしにはそのしんどさは分からないんだけど。


 するとそのとき、結構な音量でインターフォンが鳴った。引っ越してまだ三日目でインターフォンの音量調節にまで気の回らなかった二宮はびっくりしたようにゲームのコントローラーを膝に落とした。反射的に止めていた息をホッと短く吐いてゆっくり立ち上がり、キッチン脇のドアホンに近付いた。そして眼鏡の縁に手を添え、モニター画面を覗く。

 その直後、前屈みになって両膝に手を置き、今度はふうっと大きく息を吐くと小声で「……よかったぁ……」と呟いた。

 画面に映っていたのは彼女だった。

 二宮は緩々と身体を起こし、通話ボタンを押してはい、とだけ言うとエントランスの解錠ボタンを押した。ソファに戻ってゲームの電源を落とし、ビールの空缶をシンクまで運ぶと、申し訳程度に髪を撫でつけながら玄関に出た。

 ちょうどそのタイミングで部屋のインターフォンが鳴って、二宮はドアを開けた。

 ボックスチェックのゆったりしたワンピースに厚底のサンダル姿の彼女が、大きなエコバッグを提げて立っていた。

「……こんにちわ」

「いらっしゃい」

 二宮は一歩下がって彼女を招き入れた。表情に安堵の色が窺える。


 部屋に入ると、彼女はちょっと瞳を輝かせ、くるくると首を回して全体を見渡した。そしてキッチンに振り返って、シンクに置いたビールの缶を見て言った。

「あ、お酒飲んでる」

「ちょっとだけだよ」

 ふうん、と言うと彼女はエコバッグを肩から下ろし、カウンターを手で示して「置いていい?」と訊いた。

 二宮はどうぞと言う。彼女はゆっくりとカウンターに荷物を下ろし、後ろに振り返ってキッチンを眺めた。

「……ホントだ。綺麗だね」

「うん。使ってないから。せいぜいグラスやマグカップを洗うくらいで」

 そう言うと二宮は俯いて鼻を掻いた。「……最初の料理は、奈那ちゃんと一緒にって決めてた」

 ――あ、そうかなるほど。だからずっとコンビニ弁当ばかり買ってたんだ。

「いっぱい買ってきたよ。冷蔵庫、新しく買ったって言ってたし」

 二宮は「弁当が一個しか入ってない」と笑った。

 そして彼女は二宮に向き直ると言った。

「LINE、ありがとうね」

「……ごめん。独りよがりで」

「そんなことない。それはわたし」今度は彼女が俯く。「わがままばっかり言ってる」

 二宮は首を振った。

「だから、しーくんの昨日のLINEで、安心したの。しーくんが気持ち、まっすぐに伝えてくれてて。奈那みたいにただのわがままじゃない、素直な気持ち」

「……言わないと、って思って」

「嬉しかったよ。『会いたいよ、寂しいよ』って。『大好きなんだ』って――」

「あ、ごめん、恥ずかしい」

 二宮は右手で顔を覆った。分かる。聞いてるこっちも恥ずかしい。

 彼女はふふっと笑った。「それからね、これが一番素敵。『触りたい』って」

「あーホントごめん、許して」二宮は左手も添える。

「キュンとしちゃった。で、居ても立っても居られなくなって、でもしーくんが夜勤って知ってたから一日我慢して、それで来たの」

 そう言うと彼女ははっとした顔でカウンターに振り返り、「しまった。買ってきたもの、冷蔵庫に入れないと」とエコバッグに駆け寄った。

「手伝うよ――その前にこっち、片付けないと」二宮はソファに向かった。

「ゲームしてたんだ」

 彼女は食材を冷蔵庫に入れながら言った。

「うん。暇だから」

「まだ荷物片付けきれてないのに?」

「そんな気、起こらなくて」二宮はコントローラーをかざした。「これは没頭できるから」

「指が勝手に動くもんね」

「まぁね。あんまり褒められたもんじゃないのかもだけど」

 そして二宮はキッチンに入って手を洗った。「何から手伝う?」

「手伝うんじゃなくて、一緒に作るんでしょ」

 そうだった、と二宮は肩をすくめた。「メニューは何?」

「ハンバーグ。あとカルパッチョ。マグロの」

「楽しみだな」

「でもその前に」

 彼女はハンガーのタオルを取って二宮に渡した。二宮は手を拭きながら首を傾げて彼女の言葉を待つ。

「触ってくれないの?」

「え」

「だって、まだ触ってくれてないよ。言ってたのに」

 彼女はちょっと不満そうに二宮を見た。「ハグすらしてない」

 二宮は耳を赤くして、彼女の手を取って引き寄せた。しっかりと抱き締める。

 するとその胸の中で彼女が言う。

「……キスも」

 二宮はゆっくりと身体を離し、それから眼鏡を外してカウンターに置くと、彼女の顔を覗き込むように近付く。彼女が目を閉じ、二宮も。


 あ、ひゃー、悪いけどこれ以上はちょっとあたし、見てらんないわ! あの無機質でまるで面白味のない二宮のラブシーンとか、無理無理! でももう、この続きは分かるよね? 


 で、ま、これでよかったんじゃないかなぁ? つまりは、少しでも長く彼女との時間を過ごしたいって考えた二宮が、途中ちょっとやらかしちゃったけど、恋の魔力で克服して乗り越えて、無事に王道のハッピーエンドを迎えたってハナシ!


 以上、ホワイトの中継レポートでした! 拙くてごめん! バイバイ!





          ――《第二章:夏〜二宮瞬の場合〜 終わり》――

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春夏秋冬 /引越しにまつわるエトセトラ〜FOUR SEASONS/Etosetra related to moving〜 みはる @ninninhttr

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