3-6 猫はしゃべらない。

 放課後になって探偵事務所に着けば、そこにはケージにおさめられた猫の姿があった。


 テーブルの上にはすでに依頼猫がお越しで、魔女はやっぱり事務所にいない。


 仕方なく所定の位置であるパイプ椅子に座ると、唐突に正面に魔女が発生・・した。


「やあ、早かったね」


 魔女は虹色の瞳を細めて笑う。


 ……開け放たれた窓からは目に痛いほど真っ赤な夕日が差し込んでいた。


 魔女の姿は逆光になって、その異常な瞳以外はシルエットぐらいしか見えない。


 それは、初めてこの探偵事務所……と呼ぶにはあまりにも住居くさい、靴を脱いで上がるタイプの、たぶんペット禁止の、いかにも壁が薄そうな、エレベーターもない古い五階建て建造物に来た時のことを思い出させる。


 ……しばし、魅入られたように沈黙してしまった。


 僕は慌てて、言葉を継ぐ。


「ま、まあ、きちんと猫を確保しているか、不安だったもので。……ところで、依頼者の捜し猫はこちらのケージにおさまっている方で間違いないんですか?」


 魔女が着いているテーブルは、そこにちらばっていたあらゆるものが僕から見て左に除けられていて、空いたスペースに猫入りのケージがずどんと置かれている。


 青みがかった灰色の毛。しっぽは長く、首輪をつけている。

 毛と同じような色の瞳が特徴的らしいのだが、瞳の色はわからなかった。


 猫、寝てる。


 目を閉じて体を丸めて、リラックスしたように寝ているのだ。

 自ら望んでケージに入ったのだと言われても疑いようがないほどの堂々とした寝入りっぷりは、これから『行った犯罪』についてつまびらかに語らせられようとしている暫定殺人猫とはとうてい思えない。


 もしくは猫にとって人の死など、そんなものなのだろうか……

 依頼者も、そもそも友人であったはずの人間の復讐などを望んでいるのではなく、興味本位で殺害の件についてあれこれ聞きたがっていただけ、という様子だったし。


 ともあれ、これから依頼者が捜し猫に詰問をするのを、僕はちょっと楽しみに待っていた。

 なにせ猫から猫への事情聴取など、生きていてそう何度も見聞きできるものではない。ていうか一生ない。興味がわいてしまうのも、仕方ないことだろう。


 だけれど依頼者はまったくしゃべらず、僕に見られるとしっぽを左右に揺らし、すぐそこにいるケージの中の同胞をながめるだけだ。


「あの、すいません、聞こえてます?」


 僕が問いかけると、依頼猫はこのように応じた。


「なあーお」


 それはあまりにも、猫みたいな声だった。


 例の、人間を見下した、なんともこまっしゃくれた小難しいおしゃべりを開陳してはくれそうもないのだ。


「あの」


「君、猫に話しかける趣味が?」


 述べたのは、魔女だ。


 ……少年のようにも聞こえる、女性の声。


 猫の声と魔女の声はなんだか似ているな、とぼんやり思った。


「趣味というか、依頼を達成できたかたずねるべきなのでは?」


「だから言ってるじゃないか。猫はしゃべらないんだよ」


「いやいや……だから、まともなことを言わないでくださいよ。あなたにまともなことを言われたら、僕はどうすればいいんですか」


「私はまともなことしか言わないけれどねえ」


 存在がまともじゃない人に言われた『まともなこと』は、『まとも』にカウントしてしまっていいのだろうか?


 ともあれ、魔女に『まともなこと』を言われて、僕が納得しかけているのは、どうしようもなく、事実だった。


 猫はしゃべらない。当たり前だ。


 猫は殺人を犯さない。これも、当たり前だ。

 少なくとも殺意をもって人間に襲いかかるというのは、人間の方から害意を持って接しない限りにおいては、ありえないだろう。


 ましてや『猫に襲われた痕跡』もないような、猫の殺人を立証しがたくする狙いを持った殺人方法など、とりようはずもない。


 なるほど、まともなら、そう判断する。

 そして僕はまともだ。


 でも。


「いいんですか?」


「ん?」


 魔女は僕の発言の意図をつかみかねるような声を出した。


 僕のことならなんでもわかると思われた魔女は、実のところ、そう万能でもないのかもしれない。


 あるいは。

 僕が、僕の喉を震わせ、僕の口から説明することが必要な儀式だから、そうさせようとしているのか――


「あなたは、まともなことを言って、僕をまともにした。猫はしゃべらないっていう、当たり前のことを僕に再認識させた。それでいいんですか? と聞いているんですよ」


「どういう意味かな?」


「あなたは、僕を魔女にしようとしていたはずだ」


「……」


「その僕が、まともに――魔女から遠い存在になるように先導するのは、あなたの本意なんですか、と聞いているんです」


「君は魔女になりたいの?」


「なりたくはないですよ。そんな履歴書にも書けない資格はいりません。……でも、それが、僕があなたに支払うべきものでしょう?」


「……」


「姉の死にまつわる事件について、僕があなたに依頼した時、その依頼料として提示されたのが『魔女になること』だったはずでしょう? それとも、あなたが僕を正気に引き戻そうとするのは、なにかの試練なんですか?」


 魔女の行動には、ブレがある。


 たしかに魔女は嘘をついていない。

 本人の行動とか、彼女が常識をきちんと知っているかとかをさしおいてみれば、魔女の発言はすべてまともなのだ。


 死者の声が夢に出る人を精神科にやろうとしてみたり、猫はしゃべらないのだと言ってみたり、間違いなく、まともなことしか言っていない。


 だからおかしい。


 魔女の言う通りにしていたら、僕は魔女になれない。


 なりたくはないけれど、支払わせる側の魔女が、支払う側の僕に、支払いができないようにするというのは……


 ……そうだ。恐ろしい。


 僕が魔女にそそのかされて、魔女というものから遠ざかり切ったあと、こいつは僕にどんな代償を払わせる気なんだ、という不安がつきまとう。


 僕は魔女に感謝しているし、彼女の生活がよりまともで人間らしいものになったらいいなと思っている。

 けれど、感謝をしつつも、信用はしていないのだ。


 なにせ、魔女だし。


 看板を掲げるレベルで堂々と魔女と名乗っているほどの、魔女なわけだし。


 彼女にそそのかされたあと支払わされるのが金銭とか労働程度におさまるとは、どうしたって思えない。


「なるほどね」


 と魔女が述べた時、窓の外の夕暮れがスゥッとかげった。

 宵闇を背負った魔女は、室内照明に照らされて、その姿を明確にした。


 背の高い美女。

 触手のような髪。

 そして、虹色の瞳。


 Tシャツとジーンズというシンプルな服装のそいつが、椅子の上で脚を組み直した。


「ところで助手くん、君、魔女をなんだと思っているんだい?」


 いつかされたことのある問いかけだ。

 その時は『逆になんだと思えばいいんですか?』と質問で返したが、今度の問いかけは、そういうわけにもいかなさそうだった。


 だから相手が回答受け付けを締め切るギリギリぐらいまで考え込んで、


「神様に救われない人を、救うものだと思ってますよ」


「……君は、そういうふうに定義しちゃったんだね」


 あーあ、と魔女は肩をすくめた。

 いかにも僕が回答を間違えたふうの反応だけれど、気にしてはいけない。

 魔女はいたずらに人の不安を煽るのだ。それに踊らされると、疲弊するばかりでなにも進まない。


「猫はしゃべります。僕の常識はそれを拒否するけど、だから僕はあなたへの支払いとして、猫はしゃべるものだと思い込みましょう」


「それは傲慢だね」


 ……一瞬、魔女の声に聞こえた。


 けれど、その発言は、テーブルの上で体を丸める黒猫のものだった。


「人間。君は猫がしゃべると思い込むことをいかにも一大決心のように語るが、君だけではなく、世の中の人間どもは、おしなべて猫がしゃべるのを聞いたことがあるはずだ。我々は言語などという低次でコストがかかる情報伝達手段を選ばなかったため、低俗な君たちには我々の『言語』を理解できないというだけの話だ。我々はいつでもあらゆる手段で自己表現をし、情報伝達をしている。耳目を開けない人間のを、さも我々の責任であるかのように思い込まれるのは甚だ迷惑だよ」


 猫は不機嫌そうにしっぽを揺らしながらまくしたてた。


 僕はその人間を見下しきった発言にどこか安堵を覚えながら、


「すみません。ともあれ、依頼は達成した、ということでよろしいですか?」


「そうだね。君は下僕の中では使える方だと認めてやろう。次に私が来る時までには、私用の椅子を用意しておきなさい。そうすれば、もう一段階だけ評価を上げてやろう」


 ……暖房の入った室内とはいえ、この季節のテーブルは冷たく、そして、通年、上に座るには硬い。


 というか、また来るつもりなのか、猫。


 ……まあ、その問題については先送りしよう。今はそれよりも聞きたいことがある。


「それで、僕はこの場で、事件の真相についてつまびらかにされるのを拝聴してもいいんですか?」


「構わんよ。長居するには快適と言い難い足回りではあるが、ここは暖かい。ちょっとした立ち話程度になら利用してやらんこともない」


「ありがとうございます」


 僕は猫との会話の中で、心の籠らない感謝の言葉を、さも心からのものであるように偽装する技術を身につけていた。


「では」


 と猫は前おきして、黄金の瞳をケージ内の猫に向けた。


 視線を向けられた方の猫は、相変わらずケージの中で我が家のようにリラックスした様子を見せている。


 これから殺人罪について明かそうという態度ではないが、ここからいったいどうやって詰問できる状態に持っていくのだろう……?


 そう思って依頼猫を見ていると、そいつも僕の方を見ていた。


 目が合うと、彼女はこう述べた。


「君、気が利かないな。ここは飲み物の一つも黙って持ってくるべきところだよ。喉が潤っていなければ回る舌も回らないだろう?」


 ……。


 どうやら餌付けによって猫を話したい気持ちにさせるまでが、僕の役割のようだった。


 魔女はいつの間にかいない。


 正面には魔女がいつも背負っている窓などがあって、ただ、僕の姿が映るのみだった。

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