1-2 僕の姉はどう考えても自殺だった。

 魔女はコンビニに入るとあんパンとコーヒー牛乳を買った。


 帆布はんぷのエコバックを腕に引っ掛けながら、彼女は僕を真横から見て言う。


「ここは、君がカッターを買った店だね。ごめんね、付き合わせて」


 唐突な謝罪の理由がわからず、首をかしげながらも、追いすがるように魔女について歩いていく。


 僕は魔女の名前を知らない。名刺さえも渡されていない。だから彼女を『探偵』とか『魔女』とか『女性』とか呼称するしかなかった。


 その中で、僕は彼女にもっともふさわしい呼び名を『魔女』だと判断した。


 職業は探偵で間違いない。

 なぜって、僕の依頼を遂行するべく、今、まさに探偵として行動しているから。


 無地のシャツに細いジーンズ、それにダウンジャケットを羽織っただけという格好はとうてい魔女には見えなかった。

 ただし、スタイルがよく、背が高い彼女は、無造作な大股でずんずん歩いているだけで、ランウェイを行くモデルを思わせる格好良さがある。


 不気味な髪が膝裏まであることと、瞳が虹色であることと、おおよそ人間らしくないほどの、芸術品みたいな美貌であることを除けば、まったくもって魔女らしからぬ存在なのだけれど……


 僕がそれらの要素を、彼女というものを判断する材料として除こうとしている――

 ――無意識に目を逸らそうとしていることこそ、僕が彼女の呼称を『魔女』に定めた要因だった。


 先ほどのオカルトめいた、僕の血を用い、魔法陣まで描いてみせた素行調査もそうだ。

 僕はあれを異常として受け止めていない。

 ……あれに現実的な解釈をして、なんらかの科学的理由を定めて、『なんでもないことだ』というラベルを貼り付けてフタをしようと、さっきから無意識につとめてしまっている。


 だから、彼女は、魔女なのだ。


 明らかに異常すぎて、脳がそれを現実的に解釈しようと勝手に働いてしまう。


 彼女をありのままに認めるのがおそろしくて、どうにかこうにか、現実的なラベルを貼り付けてフタをしてしまいたいと、本能が叫んでいる。


 だから彼女は、オカルトでありファンタジーな、魔女なのだ。

 令和の日本にはあまりにも似つかわしくない、魔女なのだ。


「ああ」彼女はなにかを思いついたように、「ほら、入ったばっかりのコンビニにまた入るのって、なんか嫌でしょう?」


「え? ……あ」僕は彼女に『ごめんね、付き合わせて』と謝罪されたことを思い出す。「いえ、別に、僕は気にしませんけど」


「君はそういうやつだよね」


「僕のなにを知って……いや、いいです。というか、僕のことをわかったように言うなら、その謝罪は必要ないものだって、最初からわかっていたでしょう?」


「君は気にしなくても、私は気にするからね。君は私じゃないけれど、君が私だったら嫌だから、君が私であるとして、謝ったんだよ」


「わけがわからない」


「正しく言えば、君のお姉さんは殺されていない」


「は?」


「君の依頼の話だよ?」


 あんパンとコーヒー牛乳。コンビニに二度入らせたことへの謝罪と謝罪の理由。

 それとまったく並列に、彼女は僕の依頼についての話を始めた。


「君のお姉さんは自殺だね。そして君は、その自殺が『自殺に偽装された他殺』だとは、ぜんぜん疑っていない」


「……まあ、そうですね。姉は自殺です。間違いない。間違いないというか、姉を他殺するのは不可能です。けれど……姉の死は、姉の意思で行われたことだけれど、その意思を生み出したのは、姉ではないと、僕は知っているんです」


 提示できる根拠がなにもなかった。


 本当に、ただ、知っているだけなのだ。


 けれど魔女は、僕が姉の死を自殺だと思う根拠も、その自殺の原因には他者の存在があるという根拠も、なんら求めず、


「君の定義だと、その『意思を生み出した人』が『姉を殺した犯人』ということになるわけだ。ところで君――ああ、これは興味本位の質問なのだけれど――なんで、私に犯人探しを……犯人を指し示してほしいと依頼したの?」


「は?」


「いや、理由は知ってるんだけど、君がどう弁明するかに興味があって」


 知っているはずがない、とは、もう、言う気がなかった。

 知っていて、それでも僕の依頼を遂行すると決めて、行動している。それが彼女のなのだろう。


 そして僕のことをなんでも知っている様子の彼女は、『弁明』という表現を使った。

 ……つまり、僕は、確実に真の理由を語らないだろうと思われているということだ。


 だから、


「犯人を殺すために、依頼しました」


 真実を語ることにした。


 魔女は楽しそうな顔をしている。

 僕の返答が予想通りだったのか、それとも、予想外だったのか……その微妙にニヤけた表情からは、どんな感情もうかがえない。


 ともあれ黙って聞く腹づもりのようだ。

 ……ああ、うん。たぶんこれは、洗いざらい吐いてしまっても、こっちになんのメリットもない。というか普通にデメリットしかない。


 でも、この魔女に対しては、いかなる意味においても『背中を向ける』ことが忌避された。

 きびすを返すのも、嘘をつくのも、本音を隠すのも、してはいけない。

 そんなことをしたが最後、決していい方向には事態が転がらないだろうという確信めいたものがある。


 ……深呼吸して、


「僕は姉を殺した……姉の自殺の原因になった人物を見せしめにして、殺したいと考えています。けれど、それが理由でもしも万が一、なにかの間違いで逮捕されて、牢屋で長い時間を過ごすようになるのは、さすがにあんまりだ。だから……」


 だから、まともじゃないことをした。


『魔女の探偵事務所だなんていう怪しいところにすがるしかないほど、精神的に追い詰められている』


『しかも、そこで行われた謎の儀式に迷いなく参加してしまうぐらいに、常軌を逸している』


 つまり――


「僕は狂気に陥っているとみなされる必要があった。そのために、正気ではまずしない行動をしているんです」


「ひどい男だなあ、君は。私を減刑のために使おうとするだなんて」


 と言う魔女の顔はなぜだか幸せそうで、僕の発言が彼女の中でどういう反応を起こしたのかは一切うかがい知れなかった。


 悔しいので、こちらもつとめて無表情を作る。


「……それで、あなたがもし、本当に僕のことをすべてわかっているなら、僕の殺意も、僕があなたを利用しようとしていることも、わかった上で、こうして依頼達成のために手を貸しているということ、ですよね?」


「共犯の意思の確認かな? いいよ。幇助ほうじょといこうじゃあないか! わくわくするなあ。誰かと協力してなにかを成し遂げようとするだなんて、久しくなかったものだから」


「……僕が本当はやらないつもりだとか、思ってないですよね?」


「実際にその時になって君が二の足を踏む可能性は考慮しているけれど、まあ、君はやるだろうね。そういう子じゃなきゃ、私の事務所にはたどり着けないんだ」


「スマホで地図を見ながらたどり着いただけなんですが」


「そうだねえ、オートパイロットの飛行機で私の事務所に突っ込んできたとか、目隠しをされてなにかに乗せられた状態でわけもわからず連れ込まれたとかならその限りではないけれど、君が君の足で――意思でたどり着いたならば、君には資格があった、ということで間違いないよ。資格がなければ認識できないから。ああ、いや、認識できないというよりは、直視できないという感じかな?」


 直視できない。


 ……わけのわからないことをたくさん言われて、一つたりとも腑に落ちることはなかったけれど、その表現だけは、ストンと胸に落ちるものがあった。


 まぶしいものを見た時に、ほとんど無意識に目を細め、手でひさしを作ってしまうあの感じというか。

 ……あるいは排水溝の掃除の際に、その汚さをなるべく見たくなくて顔を逸らしたくなる感じというか。


 彼女が見えにくいのではなく、こちらが本能的に見ないようにしているのだと言われると、なるほど、納得できるものがあった。


「……それで、資格ってなんなんですか? 僕にはなにがあったから、あなたのところにたどり着けたと?」


「それは、まとめるのがちょっと難しいな。複合的な要素なんだ。ただ、そうだね、勘違いを恐れずに一言に押し込めてしまうなら……」


「……」


「依頼料」


「…………えっ…………と…………」


「君は私に支払う依頼料を持っていたから、私のところにたどり着けたと、そういうわけなんだよ」

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