バックギャモン

「何でバックギャモンなの?」


 サチエが不思議そうに言った。


 今日は久しぶりに神田ヒロシとマヤコ、そして先行組の全員がナミヲの家へ集まっているのだ。


「何故かはわからない。この進行の全てを決定したのはハヤトを造ったホッチ博士という人なんだ。彼の考えていることは、理解できる部分と不可解なところがたくさんある。」


 神田ヒロシが答えた。


「それにしても、全員とゲームするのは無理がないか? 移行希望者はざっと40万人はいるよ。」


 ケントが現実的な話をはじめた。


「それに、どうしたってスタジアムに来れない人たちもいるだろう? 医療的な介助が必要な人とか、犯罪者とか? あとは意識のない人とか、幼児とか認知症のお年寄りとか… バックギャモンは無理じゃないか?」


 それを聞いて、マヤコと神田ヒロシはニヤリと笑い顔を見合わせた。


「それには、ホッチ博士のサプライズが用意されている。僕たちもぼんやりとしか理解してないんだけどね。当日のお楽しみだ。」


「私達は明日から、あちらの世界へ行くまでに、多くの奇跡を目にすると思う。この瞬間に立ち会えることを、ぜひみんな楽しんでね。」


 サチエとのぶよはそれを聞いて目を輝かせて微笑みあった。


「ところで、向こうに行ってからの住居とか病院とか大丈夫なの?」


 身重の彼女を心配するアタムが口を挟んだ。


「大丈夫よ。移動希望者の全体像が見えてきたころに、事前に向こうに必要な施設を言ってあるの。住居や病院などの必要最低限の施設は数年前から既に準備されていたみたい。実は…刑務所だけないみたいで。あの人たちに犯罪の概念を伝えるのに苦労したのよ…。とにかく悪さする人を閉じ込めておく場所を作ってお願いしたから、先生たち、いまごろ必死で用意してると思う。」


「なんで、犯罪者まで連れて行くんだよ。置いて行けばいいじゃん。」


 アタムは不服そうだった。


「そうはいかないよ。選択の自由は全員が持っている。例えば、君の大切な人がたまたま刑務所にいるからって、本人の意思とは関係なく残留が決定したらおかしいって思うだろう?」


 ケントの説明にアタムは何となく納得した様子だった。


「それに、服役中の犯罪者を全部置いて行ったら、誰か管理のために残らないといけないだろう? 実際、ほとんどが以降希望だったから内心ほっとしたんだよ。」


 この世界には生きていくためにどうしても人の手が必要な人たちがいる。わずかながらに、そういった人たちの中から残留を希望する者がいた。そんな問題が議論されていたころ、この世界に留まることを選択した「心中派」の面々が会議場に現れ、責任を持って彼らの対応をすることを約束してくれたのだった。


 当初はこの計画の妨げになると思われていた「心中派」であるが、そうではなかったのだ。

 彼らは必要不可欠な存在なのであった。


 その夜。マヤコは自室に戻ってベッドに入ってもなかなか寝付けなかった。明日のゲームのことを考えると気持ちが高ぶってしまうのだった。そして、この一連のおかしな儀式を終えたら再びハヤトの元に帰ることができる。


 マヤコは正直人類の存続は二の次だった。とにかくハヤトに早く会いたいのだった。


 空が白み始めることにマヤコはようやく眠りにつき、数時間後にはもう起きて準備をしていた。

 準備と言っても服を着替えるくらいだ。今日のゲームでは特に持ち物はないのだ。


 スタジアムに到着すると、神田ヒロシとナミヲが既に会場の準備を手伝っていた。客席だけでも5万人収容のスタジアムだ。フィールドもめいいっぱい使うのでざっと10万人近くは一度に入れるだろう。


 さすがに全員分のゲーム盤は準備できないので、手作りでもいいので各自持ってきてもらうことになっている。ゲーム機やスマホに入ってるものでも構わないと通達してある。

 忘れた人用にいくつかは用意しているが、街中のおもちゃ屋から「バックギャモン」が消え去っていた。

 ゲームが終わったら寄付してもらえるように住民にはお願いしている。


 フィールドには椅子も用意できないので、一面にブルーシートが敷かれ、区分けが進んでいた。


 時間が近づくと、神田ヒロシ、マヤコ、ナミヲはスタジアム全体が見渡せる聖火台まで登って来た。火は灯されていない。


「ナミヲ、例のもの、持ってきているか?」


「もちろんですよ。」


 神田ヒロシの問いにナミヲが答えて、手にしたノートサイズのアタッシュケースを恭しく開けた。

 そこには透明な液体が入った6本の注射器が入っていた。


 それはハヤトの体液からナミヲが何かしらして作った物質だった。あまり詳しくは知りたくなかったので、神田ヒロシとマヤコは黙ってそれを見つめた。


 ナミヲは再び恭しくアタッシュケースのフタを閉めて、大事そうに小脇に抱えた。


 約束の時間になり、ぞろぞろと人々が入って来た。

 今日2回、明日も2回これをやり、特別枠を最後にやれば、ゲームは完了する予定だった。


 ゲームは長くても10分間で終わりなので、アッとゆう間に終わるだろう。入場退場にはやたらと時間がかかるが、それでもなるべく一ヶ所に集まってもらった方が効率がよいのだった。


 住民は1時間かけてゆっくりと入場してきた。


 予定していた全員が来場したことが告げられると、神田ヒロシとマヤコは立ち上がり、会場を埋め尽くした住民たちを見下ろした。

 それまでお喋りしていた人々はしーんと静まり返り、聖火台の上で立ち上がった二人を見上げた。


 神田ヒロシがインカムを装着し、話始めた。


「みなさま。今日はお忙しい中、お集まりいただき大変感謝です。これから、我々はかの地へ向かうために一連の動作をしていく必要があります。これは我々を生み出したホッチ博士の意向であり、我々ではどうすることもできません。何の意味があるのか不可解なことに付き合ってもらうことになりますが、どうぞご勘弁を…」


 言い終わると、神田ヒロシは、用意されていた椅子に座った。マヤコもそれに続く。


「それでは、これから私たちは、かの地の驚くべき技術によって、このスタジアムにいる全員とバックギャモン大会を開始します。」


 神田ヒロシがナミヲに頷きかけると、ナミヲはアタッシュケースから注射器を取り出し、まずは神田ヒロシに注射した。

 そして、続けてマヤコにも。


 二人はハヤトの何かしらを注入されると、一瞬体をのけぞらせ、すぐにまっすぐに向き直った。

 その目はいずれも白目になっており、二人とも何か見えないものを見ているような表情をしていた。


 ナミヲは計画が成功したことを悟り、涙を流して喜びに震えた。


 ナミヲに注射されてすぐに、マヤコは今まで感じたことがない感覚に襲われていた。

 魂が体から突き抜けて上空に飛び出したような感覚だ。


 下を見ると、椅子の上でのけぞっている自分が見えた。

 さらに視線を下に向けると、じっとこちらを見上げている住民たちが見えた。


 その瞬間。マヤコの魂は複数に分裂し、同時に数万人の住民の前へと移動した。同時に数万か所に存在する感覚。

 すべてがくっきりと認識できた瞬間に、マヤコの姿がホログラムのように対戦する予定の各住民の前へと出現した。


 同様に神田ヒロシの姿も数万か所に現れていた。


 こうして、二人は、数万人と同時にバックギャモンを始めたのだ。


 全てのゲームがバラバラに進行しつつ、マヤコは全てを同時に把握していた。ゲームができない赤子や幼子とも来場している住民すべてと儀式的にゲームを行った。


 10分間はすぐに終了し、神田ヒロシとマヤコは再び一人の自分の肉体へと戻って来た。

 へとへとだった。午後にはまたこれをやらないといけないのだ。


 マヤコは今すぐにも眠りたい気持ちだった。隣を見ると神田ヒロシは既に寝息をたてていた。

 たまらずマヤコも聖火台におかれた椅子の上で深い眠りへと落ちて行った。


≪転送まで あと2日≫

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