命運を賭す

 騎士団本部の竜舎りゅうしゃは立派だ。

 針葉樹シダーの丸太を積み重ねた構造は、耐久性に優れている。

 天井はたかく、風通しはいい。

 日光浴を好む竜のため、屋根は魔術で開閉できる。


 竜の巨躯に合わせ、竜房りゅうぼうはゆったりとした造りだ。

 ここには清潔なわらと新鮮なエサが、豊富に用意されている。

 あかるくのどかな雰囲気のなか、竜はのんびりと寝て過ごす。


 厩務員きゅうむいんが雇われてはいるが、基本的に竜騎士たちは、自分の竜の世話をする。

 常日頃から信頼関係を築くことで、有事ゆうじの際に息の合った動きができるからだ。

 それでなくとも、竜騎士は竜好きだ。

 ひまさえあれば竜にかまいに来るものがおおく、ゼノもそのうちのひとりだった。


 陽射しがふりそそぐ竜舎を、ゼノはのんびりと歩く。

 日光で干されたわらは、いいにおいがする。

 それが竜の臭気と混じったにおいが、ゼノは好きだった。


「こむぎ、げんきか?」


 声をかけ、竜房りゅうぼうに入る。

 小麦色の竜が、よろこびいさんで、じゃれついてきた。

 首筋くびすじをたたいて落ち着かせ、耳の後ろをいてやる。

 こむぎは嬉しそうに、キュルリと喉を鳴らした。


「ゼノ、ようやく事務仕事が終わったのか」


 となりの竜房から、レスターが顔をのぞかせて笑う。

 揶揄やゆするような響きは、昨晩遅くまでレスターが手伝ったにもかかわらず、今日まで繰り越したからだ。


「そのせつは、おせわになりました」

「おまえは数字に弱いな」

「数字なんて十種類の記号のくせに、なんであんなに強敵なんでしょう」


 遠い目をしたゼノの顔を、こむぎが肉厚な舌で舐める。

 

「くすぐったいよ、こむぎ」


 こちらの感情を機敏きびんに察知する愛竜のかしこさと優しさに、ゼノはおもわず破顔した。


 蹴爪けづめの硬質な音に、ゼノはこむぎの足元を見る。

 わらが片寄り、石床が露出していた。

 

「こむぎ、おいで」


 竜房のすみにこむぎを誘導する。

 うきうきと着いてくる愛らしさに目を細め、首筋をたたいて褒めた。


 竜の動きで、藁はどうしても壁際かべぎわに寄りがちになる。

 丸い瞳が見つめるなか、ゼノはていねいに藁を中央に集める。

 こむぎの寝心地がいいように、分厚く均等にととのえ、ゼノは満足気にうなずいた。

 

 水を換えてやろう、とバケツを手にしたとき、あわただしい足音が聞こえた。

 通路に目をやると、エリオットが早足で歩いてくるところだった。

 聖剣の装備に、ただごとではないと声を張る。


「エリオット副団長! なにかありましたか!?」


 彼はゼノを横目に、真向いの竜房に入る。

 エリオットの竜――ベルが身を起こし、低く喉を鳴らした。

 手早く鞍を乗せ、乗騎したエリオットが、竜ごとゼノの方を向く。


「不審な通信を最後に、ギルバートと連絡が取れない。ブレイデン公爵家に確認に行く」


 かさねて問おうとしたゼノにかまわず、エリオットは竜を飛翔させた。

 風圧で、ゼノの手からバケツが飛ばされる。

 すがめた目で見上げた蒼天、竜影はみるみる遠ざかり、あっというまに消え失せた。


「ええ……」


 なにひとつ理解できず、立ち尽くすゼノの背中を、こむぎがつつく。

 振り返ったゼノが見たのは、ふきとんだわらにまみれた竜房だった。

 ゼノは唖然あぜんとする。

 レスターは笑いながら、竜房の入口をふさいだ棒をまたぐ。

 転がるバケツをひろったついでに、ゼノの首筋をたたいてなだめた。


 




 竜は蒼天を飛翔する。

 流れる綿雲わたぐもを追い越し、鳥の群れをよけながら、王都を東に翔けていく。

 エリオットは手綱を握りながら、通信術具に魔力を流す。


「――ギルバート団長、応答おうとう願います」


 幾度いくどとなく繰り返した科白せりふに、応える声はない。

 

 不審な通信があったのは本日昼過ぎ。

 騎士団本部で書類をかたづけていると、とつぜん左の鼓膜がふるえた。

 ここ最近で慣れた感覚は、通信術具だ。


 聞こえたのは、人の息遣い。

 とおくかすかに別人の声。


 耳を澄ますうちに途切れて、エリオットは眉をひそめる。

 すぐに通信術具に魔力を流すが、応答はなかった。

 エリオットは書類を置いて立ちあがる。


 あつらえたばかりのピアスが、多少のことで落ちるはずはない。つまり――。


「あいつ……なぜ問題ばかり起こす!」


 確信を抱き、竜を飛翔させ、今に至る。




 王都特有の、無味乾燥な建物群を飛び越すと、見下ろす景色はがらりと変わる。

 緑豊かな巨大庭園が、空からの来訪者をもてなす。

 上からの眺めはみごとだが、鑑賞しているひまはない。


「ベル、えろ」


 大気をゆるがす竜の咆哮に、地上の人間が一斉にこちらを見上げた。

 彼が庭園内にいるならば、すぐに何らかの反応があるはずだ。

 滑空し、屋敷の真正面に竜を着地させる。

 周囲を見渡し、怒声も攻撃も飛んでこないことに眉をひそめながら、エリオットは屋敷に足を踏み入れた。




 なにかが聞こえた気がした。

 書斎しょさいにいたアンジェリカは、文字から目を離し、首をかしげる。

 壁一面が本棚になっているこの部屋は、本好きのディビットが収集した希少本がずらりとならぶ。

 座りごこちの良いソファとちいさなテーブル。家具はそれだけで、この部屋の主役は本であった。


 アンジェリカはながめていた詩集『会えない時間が愛を育てる』を閉じる。

 別段、熱心に読んでいたわけではない。

 大人の恋愛観を綴った内容は、アンジェリカにはすこし難しい。

 背伸びをしたのは、すばらしい婚約者ができた高揚感からだ。


 ただ目をすべらせて気持ちにひたっていただけ。

 だからすぐに異変に気付いた――なにやら屋敷が騒がしい。


 本を置いて、席を立つ。

 屋敷の中であろうと無防備になってはいけない、と兄から言われていたので、扉をわずかに開けて耳を澄ます。


 喧騒けんそうは、遠くから聞こえた。

 もうすこしだけ扉をあけ、顔をだして左右を確認する。

 廊下に人気ひとけはない。騒ぎは階下で起きているようだ。


 好奇心が頭をもたげる。 

 アンジェリカは暇だった。

 両親は忙しく、やさしい兄は姿が見えない――傷が痛むといっていたから、私室でやすんでいるのだろう。


 ちょっとだけ、とアンジェリカは書斎を出る。

 廊下から、エントラスホールを見下ろすことができた。

 手すりにちかづき、そっとのぞきこむと、騎士服を着た男性が階段に足をかけたところだった。


「エリオット様!?」


 はしたなく大声をあげたのは、来訪者がくだんの婚約者だからだ。

 エリオットは顔を上げる。

 理知的な翠瞳すいがんが、アンジェリカをとらえた。


「――アンジェリカ!」


 エリオットはすぐに階段をのぼり、アンジェリカに駆け寄る。

 アンジェリカは信じられない気持ちで彼を見つめた。

 エリオットはアンジェリカの背後をのぞきみる。


「一緒ではないのか」

「あの……?」

「アンジェリカ。ギルバートを知らないか」


 エリオットにつめよられ、アンジェリカは息をのむ。

 騎士団の制服が良く似合う、大柄な体躯。

 精悍せいかんで凛々しい顔つき。

 真摯しんしな翠瞳が、アンジェリカをじっと見つめる。

 彼につかまれた二の腕が、燃えるように熱い。


「お、お兄様でしたら、私室にいらっしゃるかと……」 

「そうか。ありがとう」 

 

 パッと手を離し、エリオットはアンジェリカとすれ違う。

 清涼な香りに、アンジェリカはひざの力が抜けた。

 壁にすがりつき、ぼうっとしたまま、彼の背中を見送る。

 ドクドクと心臓は早く、頬に熱が溜まる。


「――お嬢様!」


 使用人メイドが、顔色を変えて駆け寄ってくる。

 彼女の手に支えられ、アンジェリカはなんとか座り込まずに済んだ。


「どうなさいました!?」

「……か」

「はい?」

「かっこいい……」


 使用人が何事かを言っていたが、アンジェリカの耳には届かない。

 二の腕に、彼の温度が残っている。

 五感はしばらくほうけたまま、エリオットの手の余韻に、熱いためいきをついた。






 エリオットは廊下を突きすすみ、ギルバートの私室にたどりつく。

 飴色あめいろの扉を開け放ち、するどく室内を見渡す。

 いない。

 きびすを返そうとして、異様な気配にとっさに振りかえる。


『――エリオット!』


 エリオットは目を見開く。

 空間転移したイブリース。その腕の中。


「ギルバート!!」


 エリオットは駆けよる。

 血まみれで横たわる彼はぐったりとしていて、青白い顔に息をのんだ。

 頬をさわり、首筋の脈をたしかめる。

 傷を検分する手がふるえるほど、彼は重傷だった。

 

「なぜ……」


 右腕と右足に、深い刺し傷がある。

 彼の右足首に、白い輪がはまっているのを見つけた。

 無理に断ち切ったくさりの残片――これは。


「白銀!」


 この大怪我に白銀の枷は、まずい。

 生命維持にかかせない体内の魔力を、相殺してしまう。


 エリオットは抜刀する。

 祝福を受けた聖剣、その切っ先を白銀に当て、自身の魔力を同調させる。


「――くだけろ」


 聖騎士に命じられた白銀は、その身を粉々に散らせた。


『エリオット! はやくギルを治して!』


 イブリースの懇願に、エリオットは首をかすかに横に振る。

 

「いまのギルバートに、俺の治癒魔術は猛毒もうどくだ」

『――泣き言をいうな! 僕が聖魔術の残滓ざんしを取りのぞく。はやくしろ!!』


 強硬たるイブリースに、エリオットは迷っているひまがないことを悟る。

 返事のかわりにギルバートの傷に手を当て、治癒魔術を発動させた。 




 聖騎士の治癒魔術は特級とっきゅうだ。

 深手の傷はあっというまに完治し――魔人の生命力は大幅に削られた。


 イブリースが取り除けるのは、聖魔術の残滓・・

 いったんギルバートの体内を経由しなければ、消すことはできない。

 いくら迅速に行ったところで、いまのギルバートにはこくでしかない。


『ギルの魔力が弱い! このままじゃ……』


 さきほどエリオットを叱咤しったした口で、イブリースは泣き言をいう。

 

「何か無いのか。ギルバートの魔力を上げる方法は!」

『そんなこと言ったって――ギル!』


 ギルバートがむせて、朱い液体を吐瀉としゃする。


 エリオットは目を見開く。

 もはや自分にできることは、なにもない。

 あとはギルバートの生命力しだい、だがあまりに希望は薄い。

 これではもう、奇跡でも起きないかぎり彼は――。


「俺が聖騎士なばかりに、おまえを殺してしまうのか……」

『ちょっとこんな時に闇堕やみおちしないでよ!? めんどくさい!』

「だが他人の手ではなく、俺の手で終わらせたことは僥倖ぎょうこう……」

『あー! ほら別の悪魔が来ちゃったじゃん! だめだめ、お帰りくださーい! この聖騎士は僕の獲物でーす! ……って興味も執着もないけど』


 イブリースはシッシッと手をふりはらう。

 異空間から現れた中位悪魔が、肩を落として帰って行った。


「――お兄様!」


 金の風が吹いた。

 ギルバートに駆けよる少女が、周囲の空気を浄化する。

 アンジェリカはひざをつき、投げ出されたギルバートの手をすくって、両手で握りしめる。


 ギルバートのまぶたが震える。

 うっすらと開いた目は、もうろうとしながら、アンジェリカをとらえた。


「ア……ジェ……」

「お兄様! どうか、お気をたしかに」


 ギルバートはおおきく息をはく。

 愛おしげにアンジェリカを見つめ、頬をゆるめた。


「わら、って……おれの、ゆいいつ……」

「お兄様……」


 アンジェリカの声がふるえる。

 目に涙をため、アンジェリカは笑顔をつくる。

 イブリースはあわてて兄妹のあいだに割り込んだ。


『だめだよ、アンジェリカ! ギルの心残りは、むしろ作っていかないと! 死んだら嫌いになるとか、不幸になってやるとか、なんかこう……とにかくおどそう!』


 アンジェリカに顔をちかづけ、必死で言いつのる。

 イブリースの腕を、ガシリとつかむ手があった。


「ち……かい……ぞ」


 死にかけていたギルバートが、わずかに身を起こしている。

 怒りをたたえた碧眼へきがんに、イブリースは唐突とうとつにひらめいた。

 

『エリオット! アンジェリカにキスをして!』

「――は?」

「――え!?」


 ふたりの声がかぶる。


『ギルを怒らせるんだ! はやく!』


 イブリースの腕をつかむ手に、力が増した。


「ふざ……け……」

『ほらほらほら! ギルが元気になってきた!』

「いや、しかし」

『別の方法をさがす猶予ゆうよが無いことぐらい、わかっているだろ!』


 イブリースは燃える目をエリオットにぶつける。

 エリオットは息をのみ、覚悟を決めた顔でうなずいた。


「――すまない、アンジェリカ!」

「エリオット様!?」


 エリオットはアンジェリカをひきよせる。

 宝石のような碧眼を見開いた少女に、エリオットは顔をよせて――。




 その日、ブレイデン公爵家の邸宅から、漆黒の魔力が噴きだした。

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