不穏な歓待

 その日の午後、ディビットの執務室において、家族会議がひらかれた。

 モノトーンでまとめられたインテリアは、おちついた雰囲気で、話し合いの舞台としては最適だ。

 センターテーブルをかこむ黒いソファのひとつに、ディビットは腰をおろす。

 となりには妻のクリスティーナが、おだやかな微笑みをたたえて、うつくしく座っている。


「――さて、アンジェリカ。ギルバートから概要は聞いたとおもうが、おまえの婚約者を決めることになった」


 対面にすわる愛娘まなむすめが、ひかえめにうなずく。

 となりにすわるギルバートは、気づかわしげに彼女を見つめている。


 かれらはずっと仲がいい。

 アンジェリカが生まれたときから、ギルバートは彼女をいつくしんできた。

 暇さえあればくっついているふたりに、ほほえましい目を向けながら、年頃になればおのずと離れるだろうと自由にさせていた。

 しかし年が離れているせいか、ギルバートの思春期にもふたりの距離に変化はなく、アンジェリカの思春期に、距離を置かれたのはディビットだけだった。

 

 その痛ましい出来事を乗り越え、今日の日がある。

 アンジェリカにも、いよいよ婚約者ができる。

 娘の成長を嬉しくもさびしく思いながら、ディビットはつづける。


「アンジェリカ、おまえの考えを聞こう」


 ふわりと立ちあがったアンジェリカが、うつくしい淑女の礼をとる。


「――エリオット様とのご婚約、よろこんでお受けいたします」


 顔をあげた彼女は、頬をバラ色に染めてほほえむ。

 そのうつくしさに、ディビットはことばに詰まる。

 あのちいさかったアンジェリカが、よくぞここまで成長した。

 感慨深い気持ちでクリスティーナを見ると、彼女もまた感極まったような表情でディビットを見つめかえした。


 ディビットはうなずく。

 月日の流れは早いな。

 そんな思いでクリスティーナに微笑みかえすと、なぜかがっかりしたような顔をされた。


 首をかしげたとき、ふと視界に黒いものがうつった。

 ギルバートから漆黒のもやが立ちのぼっている。

 ギルバートが感情をおさえきれないときによくやるやつで、耐魔性が高い魔獣革まじゅうがわのソファでなければ、秒で灰になっていたところだ。


「……ギルバート。魔力をおさえなさい」

「無理です」

「……私も心苦しいのだ」

「――娘を道具にできなくて? 残念でしたね、父上」

「もともと王家にやるつもりはない」

「それはそうでしょう。すでに王家には、稀代の魔人を献上・・し、貴方の地位は安泰だ。――これ以上の強欲は、身を滅ぼしますよ」


 吐き捨て、ギルバートが立ちあがる。

 ディビットは眉をひそめた。


「座りなさい、ギルバート」

「気遣いには及びません。会議は大団円で幕を閉じたようなので、用済みの役者は退出します」


 ギルバートは、不安げに立ちつくすアンジェリカのまえにひざまずく。

 アンジェリカの手をすくい、キスを落としてほほえむ。


「――愛しい俺の唯一ゆいいつ。どうかわらって?」

「あの……なにかお兄様の気に障ることが……」


 ギルバートはゆっくりと首を横にふる。


「……まだ傷が癒えていないだけだ。そのうち治るよ」


 ギルバートは立ちあがり、アンジェリカの頭を撫で、もういちどほほえむ。

 アンジェリカに、ようやく笑顔がもどった。


「お兄様、お大事にしてください」

「ありがとう、アンジェリカ」


 うるわしい兄妹愛きょうだいあいだが、扉にむかうギルバートは、ディビットを一顧だにしない。

 息子の反抗期が長いな、とディビットが遠い目をしたとき、ふいにギルバートがふりむいた。


「ああ、父上」

「何だ?」


 ギルバートがにっこりとほほえむ。


「ローガン侯爵家とのきずなが深まった僥倖ぎょうこうをお慶び申し上げます。記念にローガン卿と酒でも酌み交わしてきたらどうですか? ――くれぐれも、夜道にはお気をつけて」


 涼やかな碧眼は、氷のようだった。

 ディビットが返答しあぐねているあいだに、彼はさっさと退室する。

 あいかわらずの冷たい態度に、ディビットはなすすべもなく、おおきなためいきをついた。





 

 イブリースは上機嫌じょうきげんで、ブレイデン公爵家の廊下をあるいていた。

 ここの食事は種類が豊富ほうふで、どれも完成されたすばらしい味だ。

 満たされた腹をさすり、鼻歌をうたいながら角をまがると、最愛の主が廊下に出てくるところで、イブリースはうきうきと駆け寄った。


『ギル! ――すごく機嫌がわるいね。こどもみたい』


 悪魔にとって心地よい空気を胸いっぱいに吸いこみ、笑顔であおる。

 もっと怒りを見せてほしい。なんなら怒鳴ってくれてもかまわない。

 彼が怒れば怒る分、その魔力は煮詰められて、どろりと濃密になっていく。


「……おまえは単純でいいな」


 予想外のちいさな声に、イブリースはまたたく。


『ギル?』

「すこし出てくる。スイーツバイキングでもして待っていろ」


 エントランスホールにむかう背中を、イブリースは追いかける。


『いまランチビュッフェしてきたところ。腹ごなしに、僕も行こうかな』

「……好きにしろ」


 めずらしく同行が許可され、イブリースは内心おどろく。

 瘴気しょうきをおさえて、人間に擬態ぎたいするのはたやすい。

 しかし気まぐれなイブリースは、とつぜん飽きて悪魔にもどることが多々あるために、人の多い場所には連れていってもらえない――イブリースも、ただの人には興味がないうえに、ちょっとしたことで叱られるから、人が多い場所は嫌いだ。


 ギルバートは庭に出ると、西に向かう。

 おだやかな昼下がり、太陽はやわらかく、風はやさしい。

 新芽の香りがつよい生垣いけがきをぬけ、湖の遊歩道をつっきり、森に入るギルバートに、イブリースは首をかしげた。


『ギル、どこに行くの?』

「魔術剣のつかを取りにいく。――ここまで来ればだいじょうぶか」


 ふとい木々に囲まれた人気ひとけのない場所で、ギルバートは足を止めた。


『もしかして、転移魔術?』

「ああ。魔術剣を座標ざひょうに指定すれば、かんたんに飛べる。国立公園中を探して歩くより効率的だ」

『そういえば、魔鳥に刺したままだったね。アンジェリカの件がひと段落ついて、ようやく思い出したんだ』


 クスクス笑うイブリースに、ギルバートはムッとした顔をする。


「アンジェリカより重要なことなど、この世の中には存在しない」

『はいはい。で? 僕はどうすればいいの?』

「俺の魔力を追えるだろ。来たければ後から来い」


 ギルバートは目をとじて集中する。

 しかしすぐに目をあけ、首をかしげた。


「――これのせいか。イブリース、俺の部屋に置いてきてくれ」


 ギルバートが腕輪を外して投げる。

 うけとったイブリースは、それを光にかざした。


『これ、なに?』

術具じゅつぐだ。座標指定の術式が組んであるから、意識がひっぱられる」

『なるほど。ギルは座標指定が苦手だからね』

「べつに苦手なわけじゃ――」

『うけたまわりました、御主人様。ギルの部屋に置いたら、僕もギルを追うね』


 にっこりと笑えば、ギルバートが息を吐いた。


 気を取りなおし、ギルバートが目を伏せる。

 ゆるい風が逆巻き、ギルバートの足元に黄金の魔術陣があらわれる。

 彼が幻想的な輝きにつつまれるのを、イブリースはうっとりとながめる。

 ギルバートの姿が掻き消えて、あとには魔力の甘い残滓ざんしが残った。






 ギルバートが転移したのは、緑豊かな国立公園――ではなく、うすぐらい石壁の部屋だった。

 わけがわからず、周囲に目をやりながら着地する。

 靴底ソールが床についた瞬間、いきなり足首がひっぱられた。


「うわっ!」


 転びかけて、両手を床につく。

 目に飛びこんできたのは、床に描かれた白い古代文字――。


「――魔術陣まじゅつじん!?」


 身を起こし、床を見回す。

 ギルバートがいるのは二重円の真ん中で、そこから生えた黒い触手しょくしゅが、足首をギチギチと締め上げている。


 ギルバートはすぐさま魔力を練る。


「――構築、風の刃。指定範囲、触手の根元」


 根元を切断すれば、解放されるはずだ。

 

「術式展開――!?」


 ひらいた術式が、床の魔術陣に吸いこまれる。

 みひらく目に、あらたな触手が突きだすのが見えた。

 身をよじるが、足首を拘束された状態では逃げ切れない。

 あっというまに四肢をらわれ、受け身も取れずに倒される。


 衝撃をこらえて目を開けると、古代文字の一部がキラキラと輝いている。

 なんらかの条件が満たされ、発動した証拠だ。 

 ギルバートはそこを目でなぞり、舌打ちした。

 

「――魔力を吸収して転換……くそ!」


 さいしょに魔術陣を読み解くべきだった。

 安易に魔術で攻撃したために、このような状態に――。


「ぐっ……」


 四肢の関節を絞めあげられ、苦痛の声がもれる。

 体は床にぬいつけられたまま、目だけを動かし、続きを解読していく。


――魔力の強さが捕獲ほかくの強度に……魔獣まじゅうの四肢を拘束。誰が魔獣だ! 


 感知した魔力が強いほど、捕獲の強度が上がるようだ。

 よく考えてある、と皮肉げに笑ったところで、触手のうごきが止まった。


 もがいても抜けだせそうにはないが、ひとまず絞殺はまぬがれたらしい。

 

 ギルバートは床に転がったまま、浅い息をはいて視線をめぐらせる。

 みえる範囲に窓は無く、冷えたカビ臭い空気から地下であると予想する。

 壁にぽつぽつとかかげられた明かりが、この部屋の異様な光景をうかびあがらせている。


 石壁に等間隔に打ち込まれたくさび、そこにはさまざまな手枷てかせ足枷あしかせが、ずらりと掛かっている。

 くさりが巻きついた椅子に、工具がつっこまれた木箱。

 木の寝台には拘束具がついており、かたわらには錆びた武器が放置されている。

 壁や天井からも手枷てかせが垂れ下がっており、内側に小さなとげがびっしり生えているのが見えた。


拷問部屋ごうもんべや……」


 ふと横をみたギルバートはぎくりと動きを止めた。

 部屋の一角、石壁に誰かがつながれている。

 

「――おい! 生きてるか!?」


 大声で呼びかけるが、返事がない。

 ちからなく目を閉じているのは大柄な男で、汚れた着衣は騎士服のように見える。

 どこかで見た気がするが、すくなくとも竜騎士団員ではない。

 男の足元には血の跡がひろがっており、生きているのかさえ判別がつかない。


 ちかくの壁に、ギルバートの魔術剣の柄がかけられている。

 そこにも魔術陣が描かれ、床の魔術陣とつながっている。

 そこから導き出される結論とは――。


「……俺がねらいか。だとしても、あの男は何だ?」


 ギルバートが首をひねったとき、きしんだ音をたてて扉がひらいた。


「――ずいぶん、のんびりだったねぇ」


 聞き覚えのある声に、ギルバートは首をもたげて、相手をにらむ。


「――ブラットリー」

「このまま取りに来なかったら、どうしようかと思ったよ、ギルくん」


 白衣に猫背の青年が、ずれた黒ぶちめがねを上げながら、にっこりと笑った。

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