情けは人のためならず

 本日二度目の転移室に入ったギルバートは、薄暗い室内にまばたきをして目を慣らす。

 いつもより騒がしい室内を見渡すと、大柄な騎士が、モリスにつっかかっているところだった。


 その巨体はいわおのようで、はなれて見ると、大人と子供のようだ。

 モリスが小柄で童顔なため、よけいにそう見える。


 騎士はものすごい剣幕だが、モリスはいつもどおり事務的な態度を貫いている。

 それが相手の神経を逆なでするだけだと、当の本人は気づいていない。


 彼がからまれているのは、よくある光景だ。

 しかしモリスには、まったく気にするようすがない。

 今も、激昂している騎士を、顔色ひとつ変えずに見上げている。


 あれは、きもわっているのか、それとも鈍感なだけか。


 そう思いながら周囲を見ると、ほかの転移術士たちが、あわてふためいている。

 ギルバートはクツクツと笑うと、壁際かべぎわで途方に暮れたようにふたりを見比べている、年かさの術士に近寄った。


「よお、ビルゴ」

「あ、ギルバート団長! 大変なんです。あの騎士が――」


 ギルバートは、壁によりかかると、ゆったりと腕を組んだ。


「どちらが勝つと思う?」

「は?」


 ギルバートの視線は騎士とモリスに注がれたまま、にやりと口角を上げて続ける。


「あれは第二騎士団か。体はでかいが、頭が悪い」

「しかし体格差が。騎士に殴られれば、モリスがケガをします」

「俺は――モリスに十万」

「騎士でしょう。騎士に三万」

「三万?」

「今月きつくて」

「転移術士も大変だな」

「わかってもらえます?」


「そこ! 賭けてんじゃねーよ!!」


 騎士に怒鳴られ、ギルバートは肩をすくめる。


「見苦しいな」

「ギルバート団長!?」

「弱い犬ほど、よく吠える」 


 ギルバートの存在にたじろいでいた騎士が、ピクリと頬を引きつらせた。


「――弱い? 俺がか?」

「理解できないのか? 頭まで弱いとは、哀れだな」

「なんだと!?」


 それに怖気づいたのは、ビルゴだった。

 ギルバートの服を引っ張り、小声で話す。


「やめましょうよ、団長」

「なぜだ? ――俺が勝つ方に、一億だ」

「勝負になりませんって。私も団長に一億ですもん」


「いい加減にしろっつてんだろ!!」


 騎士の大声が、空気をビリビリとふるわせた。

 ひえっと短い悲鳴をあげて、ビルゴがその場から逃げるように離れた。

 

 ギルバートが壁から背中を浮かせると、騎士が不躾ぶしつけにちかづく。


「なぁ団長さん。あんた、ここが魔術を使えない場所だと、お忘れじゃないか?」 

「忘れる? 第二の騎士じゃあるまいし」

「んだと!? ……なにが稀代きだい魔人まじんだ。魔術が無ければ、ただの役立たずのくせに。そのおキレイな面を、二度と見れなくしてやろうか?」

「ご自由に。――できるものなら」


 あごを上げて挑発するギルバートに、騎士が殴りかかる。

 ワァとうわついた歓声が上がり、転移室の熱気が増す。


 ギルバートは、騎士の手首をはじいて攻撃の軌道を変える。

 騎士は目を見開くが、体重を乗せた攻撃だったために、すぐには止まれない。


 身を反転させたギルバートが、騎士の二の腕を両手でつかむ。

 彼の攻撃の勢いを利用して、自分の肩を支点に、相手を背中から地面にたたき落とした。


 ダンッと小気味いい音がして、周りの幾人かが痛そうに目をつぶる。


「どうした? 俺はまだ無傷だぞ」

 

 不敵に笑うギルバートを見て、騎士の目の色が変わった。


「ぶっ殺してやる!!」


 跳ね起きた騎士が抜刀ばっとうし、転移室に非難をふくんだ悲鳴があがる。


 ギルバートは、一瞬で騎士のふところに入り込む。

 その早業に、相手が目を見開くのをわらいながら、剣のはらめがけて、帰還の腕輪をたたきつけた。


 にぶく反響する金属音が、全員の耳に届く。

 折れた刃先が、勢いよく床に突き刺さった。


 驚愕する騎士の足を、ギルバートがかかとで払う。

 騎士の手から剣が抜け、飛んでくるのを難なくつかみ取る。

 同時に、巨体があおむけに倒れた。


「あーあ。おまえこれ備品だろ」


 騎士の腹を、左足で押さえつける。

 体重をかけて靴底をめりこませると、騎士が苦しそうにうめいた。


 それを見下ろし、ギルバートはにっこりと笑う。


「破損理由に、ちゃんと書いとけよ。『ギルバート団長にケンカを売って、折られました』って」


 騎士の上に、折れた剣を投げ捨て、ようやく足をどけてやる。

 騎士はくやしそうに起きあがり、剣を拾って逃げるようにとびらにむかう。


「おーい、わすれもの」


 床に刺さった剣先を、靴底ソールで蹴り飛ばす。

 騎士の背中に命中し、バチンと痛そうな音がした。


 騎士は、ギリギリと歯をかみしめながらそれを拾い、こんどこそ転移室を出て行った。


「人助けは、最高の気分だな」


 ギルバートが、不遜ふそんな笑みを浮かべる。

 転移術士たちから、指笛と拍手がわきおこった。






「転移の準備が整うまで、お茶でもどうぞ」


 ビルゴにうながされ、すみのテーブルに腰を下ろす。

 テーブルには、何に使うかわからない雑貨が隙間なく積みあがっていたが、ビルゴはそれを一顧だにせずに、腕で払いおとした。


 似たような光景を自分の執務室で見たことを思いだし、ギルバートはあきれたように問う。


「術士といい、研究者といい、必要なものではないのか、それは」 

「落としたぐらいじゃ壊れません」

「合理性を突きつめすぎだ」

「いわゆる職業病です。――よろしければ、お食べください」


 ギルバートの前に、地味な包装紙で密閉された食品が、どさりと置かれる。

 形は、平べったいか細長いかの違いはあるが、どれも四角だ。

 見覚えがありすぎるそれを、ギルバートはまみあげて、表裏を見やる。


「茶菓子に、騎士団の携行食けいこうしょくは無いだろ」

「栄養バランスは完璧です」


 ビルゴがあたりまえのように言うから、あたりまえの事実を教えてやる。


あじに重大な欠陥けっかんありだ」


 つまり、死ぬほどクソまずい。

 味を思い出し、げんなりするギルバートに、ビルゴは首をかたむけた。


「皆、よろこんで食べていますよ」

「よろこんで……!? おまえらだいじょうぶか? 味覚と気が狂ってるぞ」

「ベストパフォーマンスを発揮するのに、これ以上最適な食品はありません」

「騎士団にも合理主義者が何人かいるが……好んで食べるところは、見たことがない」


 食べることの意義と必要性を正しく理解している騎士ですら、携行食は苦行くぎょうの域だ。

 味と質の改善を求めて、毎年、全騎士団から強い要望が寄せられている。


 珍獣を見るようなギルバートの視線を、ビルゴはさらりと受けながす。

 携行食のひとつを開封して、躊躇ちゅうちょなくかじりついた。


 咀嚼そしゃくし、さらにもう一口。

 顔色を変えずに、一個まるまるきれいに食べ終えたビルゴは、携行食の山をギルバートの方へと押しやった。


「こんなもんでしょ。というかこれ、竜騎士団からの差し入れですよ」

「……は?」

「ギルバート団長が、いつも転移室を利用させてもらってるお礼だとか。定期的に、エリオット副団長が持ってきてくれるんです。なんでも、気が向いたら団長に食べさせてくれって……あ」


 ビルゴが小さな声をあげて、口をおさえる。


「後半、ないしょでした。忘れてください」


 まったく悪びれない態度で微笑みながら、蒸らしおわった紅茶をカップに注ぐ。

 上質な香りから推測するに、一介の転移術士が手に入れられる価格帯ではない。


「その紅茶で買収されたか」

「私、紅茶派ですから」

「俺は、珈琲派だ」

「知っています。上質な豆もいただいたんですが、コーヒーミルが迷子です」

「この部屋じゃなぁ」

「転移術士は、いそがしいんです」


 ギルバートの前に、紅茶が置かれる。

 琥珀色の液体が揺れるのをながめながら、あきらめて携行食を開封した。

 覚悟してかじるが、クソまずいことこの上ない。

 まずいのをごまかそうとして、へんな甘味がついているのが、ほんとうに最悪だ。


「どいつもこいつも、人をダシにしやがって」


 ギルバートは咀嚼そしゃくもそこそこに、口内に広がる人工的な甘味を、上質な紅茶で流しこんだ。


「お待たせしました。転移魔術陣の上にお乗りください」


 モリスに呼ばれ、ギルバートは立ちあがる。


「ちゃんと食ったからな。エリオットが破産するほどの高級茶葉をねだってこい」

「ええ、もちろん。いってらっしゃいませ、ギルバート団長」


 ギルバートの背中を見送り、ビルゴは笑いをかみ殺す。


「あれでけっこう、根は素直」


 好戦的で口は悪いが、権力を振りかざすこともなく、話してみれば案外気さく。

 なんだかんだ言いながら、クソまずい携行食を食べていくところなど、好感が持てる。

 

 モリスとはよく言い合いをしているが――なんなら今も、なにかを言い合っているが、彼が転移術士に危害を加えたことは一度も無い。

 

 周囲の術士にさとされ、ギルバートがむくれる。

 しばらくして、彼がしぶしぶ転移魔術陣に入り、おとなしく転移していくのを見て、ビルゴは耐え切れずにふきだした。






 ギルバートが転移したのは、足場から三十センチほど上空だった。

 固い下草が生えた場所に着地すると、地面が揺れてバランスをくずす。

 こんなときに地震か、と手をついた地面が、なぜか生温かい。

 直後、地響きのような野太い咆哮ほうこうが、真下から聞こえた。


「またかよ……!」


 牛型魔獣ヘビーモスの背中で、ギルバートは天をあおぐ。

 一面に広がるすがすがしい青空は、絶好の乗馬日和だ。

 乗っているのは、ヘビーモスだけど。

 

 遠い目をするギルバートの下で、ヘビーモスが身震いをする。

 背中に乗る、ギルバートの存在に気付いたようだ。


 現実逃避をしている場合ではないことを思い出し、ギルバートはちらりと地面までの距離をはかる。


 高い。

 

 おっさんの頭どころではない。

 騎士団本部三階の、執務室から見える高さに、近いような気がする。


「しかたない。イブリースを召喚して――」


 ふと目をやった先に、子供がいた。


「は!? なぜ人がいる!」


 おもわず叫ぶ。

 大声にヘビーモスが興奮し、あばれだした。

 魔獣の足が子供に向いて、考える間もなく抜刀した。


 かざす剣に、一気に魔力をそそぐ。

 魔術剣は、実体よりはるかに巨大で、凶悪な形状に変わる。


 角のあいだ、ヘビーモスのひたいをめがけて、勢いよく剣を突き立てた。


ぜろ!」


 くぐもった爆発音がひびき、ヘビーモスの体がかしぐ。

 角につかまり、ヘビーモスが横倒しになる直前、地面に飛びおりた。


 土埃つちぼこりをあげて、巨体が地面にたおれる。

 その額から生えたつかをにぎり、ギルバートは魔術剣を引き抜いた。


 魔力を放出し切ったことで、いまは通常の剣だ。

 刃には、脂ぎった血肉がこびりついている。

 その臭気と気味悪さに、ギルバートは顔をしかめた。


「あとで丸洗いだな」

「ギルバート様!」


 名を呼ばれ、ギルバートは駆け寄ってくる子供を見やる。


「おまえは……庭師のアルデ」

「はい。まだ見習いですが。助けていただき、ありがとうございます」

「ここは立入禁止区画だ。ロベルトにバレる前に帰れ」

「……ふっ、ははは、そ、そうですね」


 笑うアルデに、ケガが無いことを見て、ギルバートの表情がやわらぐ。


「そうだ。腕輪の外しかたを知らないか」


 ギルバートは、剣を左手に持ち替える。

 アルデに向けて、右手の腕輪を差し出した。


「触ってもいいですか?」

「ああ」


 指一本分ぐらいの余裕はあるが、つなぎ目のない金の腕輪は固い。

 

「せっけんや油など、ぬめりのある液体を使えば、取れると聞いたことがあります」

「ぬめり……」


 ギルバートは、抜き身のままの剣を見やる。

 その刃は光を反射し、いかにもギトギトでヌメヌメだ。


「ためしてみるか」


 腕輪に刃をすべらせ、あぶらりこむ。

 引っ張ってみると、外れそうな気配はするが、それだけだった。

 自分でやるより、人にやってもらった方が、上手くいくような気がした。


「アルデ。おまえが抜いてくれ」


 右腕を差し出すが、反応がない。

 アルデを見ると、あっけにとられたように、ポカンとしていた。


「金の腕輪が……魔獣の脂まみれに……」

牛脂ぎゅうしのようなものだろ」

「牛脂でも、問題ありですよ」


 正気に戻ったアルデが、帰還の腕輪に指をかける。

 そのとき、ギルバートの背後で、ヘビーモスが目を開けた。


「ギルバート様、後ろ!!」


 振りかえるギルバートの前で、ヘビーモスが体を起こす。

 舌打ちをしたギルバートが、左手のまま、剣を構えた。


「アルデ! 腕輪をはやく抜け!」


 ギルバートは、背後のアルデに右手をつきだす。

 説明をするひまが無かったが、アルデは素直に従った。


 ギルバートの手首をつかみ、腕輪を回しながら抜いていく。

 ぬめりに助けられ、するりと外れた。


「腕にはめろ」


 ギルバートが、右手首をふって、脂を飛ばす。


「はめました!」


 利き手で剣を構えなおすと同時に、ヘビーモスが前足を高くかかげた。


「くりかえせ。『帰還する』」

「き、『帰還する』」


 フッと後方の気配が消え、ギルバートは笑う。

 うまく逃がせた――これで、遠慮なく戦える。


 魔術剣に一気に魔力を注ぐ。

 色は漆黒、巨大で凶悪な形状に変化する。


 ギルバートは、飛び込んでくる太い前足を、ギリギリでかわす。

 お返しとばかりに、渾身の力で魔術剣を振り払った。

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