討伐、おかわり!

 私室で昼食をとった国王は、執務室へとむかう。


 直通の廊下は、シンと静まりかえっている。

 人気ひとけがないのはいつものこと。

 ここには、かぎられた人間しか入れない。


 窓からの陽だまりが、年季ねんきのはいった絨毯じゅうたんに、ぽつぽつとおちている。

 その合間を縫って、ひかえめな調度品ちょうどひんと、せり出した柱が、等間隔とうかんかくにならぶ。


 昼下がり特有のぬるい風が、眠気をつれて、やってくる。

 だれもいないのをいいことに、国王はおおきなあくびをした。


「ご機嫌うるわしゅう、国王陛下」


 死角から声をかけられ、あやうく飛び上がるところだった。


 壁に背中をあずけていた青年が、ゆっくりと体を起こす。

 国王の御前であることに、頓着とんちゃくするようすはない。


 青年を見据えた国王は、平常心を装って、口を開く。

 

「なぜ、おぬしがここにいる」


 問われた青年――ギルバートは、ここでようやく、臣下の礼をとる。


「陛下からたまわった、通行手形がございます」

おどしとった、の間違いであろう」

「とてもおもしろい冗談です。――話を進めても?」


 にっこりとギルバートがわらう。

 初対面の人間がみれば、愛想のいい青年に見えるだろう。

 しかし国王は、彼の目の奥が、わらっていないことを知っている。


休暇きゅうかの申請にまいりました。期間は、来月の二十日から二十六日」

「来月下旬だと? そのような時期に――」

「陛下」


 ギルバートが、不意ふいに国王との距離をつめる。

 

「単身討伐だった理由を、お聞かせ願えますか?」

「聞いてどうする」

「なぜ、ブラットリー副所長が、私宛の命令書を持っていたのか」


 涼やかな碧眼が、おもしろそうに弧を描く。

 

密約みつやくでも交わされたのか――想像が、はかどります」

「くだらんことを、言うでない」


 国王がわらいぶくみに答える。

 そのふてぶてしい態度にも、ギルバートは笑顔をくずさなかった。


「魔獣対策費の横流し」


 国王が一瞬、ことばに詰まる。

 それを見逃すギルバートではなかった。


宰相閣下さいしょうかっかが聞いたら、どのように思われるでしょうか」


 追い打ちのように、たたみかける。

 のぞきこんだ国王の目は、わかりやすく泳いでいた。


 国のトップが情けない、とギルバートは胸中でため息をつく。

 おっさんをいじめて喜ぶ趣味はないので、早々に解決策を提示してやることにした。

 

「すべてが丸くおさまる方法を、ご存じですか?」

「……なんじゃ」

「この書類に、玉璽ぎょくじを押すことです。親愛なる国王陛下」


 ギルバートはひざをつき、休暇申請書をうやうやしく献上する。

 国王は、しばしギルバートと休暇申請書を見比べる。

 

 しぶしぶ手に取り、ざっと目を通して、国王は歩きだす。


「玉璽は執務室だ。押印後は、よきにはからえ」

「仰せのままに」


 年相応の笑顔を見せたギルバートに、国王はあきれたようなため息をついた。



 

 しろいとびらを、ギルバートが開いておさえる。

 壁と調和する、ひかえめな扉だった。

 正面の扉より、ひとまわりちいさい。


 献身的な彼の態度を横目に、国王は執務室に入る。


 広い室内は、南向きの大きな窓がならぶおかげで、陽当たりがよく、明るい。

 廊下とくらべ、ぜいを凝らした造りになっている。


 壁のいたるところに金がほどこされ、豪奢な調度品が、絶妙な塩梅で配置されている。

 天井のシャンデリアは、大粒のクリスタルが幾重いくえにも連なり、うつくしい曲線を描く。


 暖炉の上には、天井まで届く、おおきな鏡がはめこまれている。

 それが映し出すのは、対面の壁のタペストリーだ。

 四百年前に織られたとされる、宗教画のタペストリーは、歴史的価値が高い。


 国王が執務をするのは、深い飴色あめいろのアンティークデスクだ。

 天板てんばんはルビーレッド、四方を金で縁取ふちどりし、引き出しをなぞるように装飾がつづく。

 はばは、大人が三人、ならんで座れるほどもある。


 めだつのは、四本の足に控える、金で高彫りされた兵士だ。

 かぶとをかぶった、勇ましい表情の兵士が、まるで守護神のように、にらみをきかせている。


 アンティークデスクをはさむように、イスが一脚と二脚に分かれて置いてある。

 政務の些細ささいな相談などは、ここで行われている。

 国王が使用しているのは、一脚の方で、背もたれはゆるやかな半円だ。


 部屋には、他にも、ローテーブルが二脚あった。

 いかにも座り心地がよさそうなソファやイスが、ローテーブルの周囲をかざる。

 ひじ掛けや足は金でつくられ、厚い座面は、白地に金糸で刺繍ししゅうがほどこされている。


 それだけ置かれていても、窮屈きゅうくつな感じは一切しない。

 これぐらいの家具がないと、殺風景になってしまうだろう。

 そう思わせるほどの広さが、この執務室にはあった。


 国王は、アンティークデスクに着席する。

 離れた場所で待機する、ギルバートの視線を、痛いほど感じる。


 玉璽ぎょくじは左の引き出しの中、特殊な魔術がかかっており、国王以外が開けることはできない。

 その取っ手に指をかけたとき、正面の扉がひらいた。


「いらっしゃいましたか。よかったです」


 安堵の色を前面に押し出した優男が、数枚の書類を持ってあらわれた。


宰相さいしょう! あ、いや、これはその」


 国王が言葉を探している間に、宰相がアンティークデスクにたどりつく。

 そうして、彼は、ゆっくりはっきりと発音した。


国立公園こくりつこうえんで、魔獣の大量発生が確認されました」

「なんじゃと!?」


 驚きのあまりイスから立ち上がった国王に、宰相はうなずく。


「至急、対策を講じましょう。まずはお座りください。――ギルバートくんも」


 そう言って、傍観者ぼうかんしゃよろしく、成り行きを見守っていたギルバートに、顔をむけた。




 指名されたギルバートが、宰相を見据みすえ、口角を上げる。


「けっこうです。用が済めば、すぐに退出いたします」


 視線を国王に移す。

 かちあったダークグレーの瞳が、余計なことをいうな、と訴えてきたが、無視をした。


「では、なおさら座りなさい。君の用は、今、済むことはない」

「どういうことでしょうか」

玉璽ぎょくじはメンテナンス中なので、ここには無いですよ」


 にっこりと宰相が笑う。

 その笑顔のまま、デスクの休暇申請書を手にとった。


「なるほど。時期以外じきいがいの、問題はありませんね」

「宰相閣下。玉璽のメンテナンスなど、聞いたことがございません」


 低い声のギルバートにも、宰相はからりと答える。


「それはそうでしょう。君は国王になったことがないのだから」

「陛下は玉璽ぎょくじを取り出そうとしていました。陛下以外が、玉璽を持ち出すのは不可能なはず」

「ええ。ですから今朝、陛下からお預かりいたしました。そうですよね、陛下」

「お、おお、そうじゃったな。すっかり忘れておったわ」


 安堵したように笑う国王に、ギルバートは侮蔑ぶべつの視線をむける。


「自身の行動を記憶していないとは、認知症ではございませんか? 病状が進行するまえに、臣下として、退位たいいをお勧めします」


 ギルバートは、威圧的に国王をにらむ。

 早くそこの引き出しを開けろと、目線でおどす。

 国王の額に、汗がにじむ。


 宰相が、パンッと手をたたいた。


「はいそこまで。魔獣対策会議まじゅうたいさくかいぎをはじめます。必要でしたら、本会議の招集命令書を作成しますが、どうしますか、ギルバートくん」

「……必要ありません。時間の無駄です。さっさと始めましょう」

 

 不遜ふそんな態度で着席するギルバートに、宰相がうなずく。

 その表情は、ものわかりのいい生徒を褒める、教師のようだった。


「『影』からの報告があったのは、本日昼前。わかっているだけで、牛型魔獣ヘビーモスが一頭と、狼型魔獣ダイアウルフが二十頭ほどの群れです」


 国立公園の地図を広げ、宰相がペン先でだいたいの位置を示す。


「ダイアウルフは、行動範囲がひろい。そこで、機動力の高い竜騎士団に、出撃していただきたい」

「了承いたしました」


 なげやりに快諾かいだくしたギルバートに、宰相がはかるような目を向ける。

 不審げに見返す彼に、決定事項を口にする。


「国立公園を立入禁止区画に指定しました。付近の住民の避難は完了しています。悪魔との融合も許可しますので、今日中に、殲滅せんめつしてください」

「今日中!?」


 身を乗り出したギルバートの、両肩を手で押さえる。

 彼が立ち上がるのを阻止しながら、宰相は、言い聞かせるように説明する。

 

「国立公園は王都のとなり。城壁で区切られているとはいえ、魔獣が王都に入って来ないとは限りません。早急な討伐が必要なことぐらい、竜騎士団長のあなたが、わからないはずはありませんよね」


 ギルバートが、奥歯をかみしめる。


「さきほど、グリズリーを討伐したばかりです」


 うなるような声音に、宰相は同意する。


「すばらしい手際てぎわだったと、聞き及んでいます。その調子で、いちはやく国民に安心をもたらしてください」


 お願いのていで言っているが、竜騎士団に王命が下れば、ギルバートが従うよりほかはない。

 この会議で決定したことは、すぐに王命として発令されるだろう。

 それは、ここにいる全員が、わかっていることだ。


 耐えるように目を伏せるギルバートを見て、宰相はわずかに良心が痛むのを感じる。

 昨夜の褒章授与式に加え、午前中の単身討伐。

 その直前で、一度倒れたとの報告も上がってきている。

 それなのに単身討伐の王命を下したのか、と竜騎士団から抗議がきていた。

 そこまで酷使こくしされる彼が、少々不憫ふびんに思えた。


 宰相は、わざと明るい声を出す。

 

「ねえ、陛下。今日中に達成できたら、認めてあげてもいいんじゃないですか? 彼の長期休暇」

「そ、そうじゃな」


 いきなり振られた国王が、どもりながら答える。

 肯定にとれる返事にも、ギルバートの顔が晴れることは無かった。


「宰相閣下。さきほど国王の私室に、こころよく通していただいた理由がわかりました。結局は、あなたの手の内だ」


 仄暗い瞳を向けられ、相互理解がなしえなかったことに、宰相にはすこしばかり残念な気分が残る。

 だがすぐに、気持ちを切り替える。

 はなから他人とは、わかりあえるとは思っていない。

 かるく息を吐いて、いつも通りにほほえんだ。


「そのようなつもりは」

「どのようなつもりだろうと、かまいません。休暇を確約していただけるなら、派手に踊ってみせましょう」


 彼の碧眼が、スッと細まる。

 宰相は、それをながめるにとどめた。


「頼もしいことです。では、仮に陛下が渋っても、私がなんとかするとお約束いたします」


 ギルバートがイスから立ち上がる。

 こんどは、それを止めなかった。


「国王陛下ならびに宰相閣下。御前を失礼いたします」


 見惚れるような優美な礼をとって、ギルバートは振り返らずに退室した。

 



 国王が、待っていたかのようにため息をつく。


「宰相。あのような時期の休暇を確約するとは、いささか悪手ではないのか」

「なにをおっしゃいます。魔獣に国を荒らされれば、建国記念祭どころではございませんよ」


 そういって、数枚の書類を差し出す。

 それは、いまから国王が作成すべき、魔獣討伐命令書だった。


「さあ陛下。口ではなく手を動かしましょう。今日中に終わらないと困るのは、私ではなく陛下です」

「おぬしまさか、明日はそのまま休むつもりか!?」

「あたりまえじゃないですか」

「こんな大変なときにか!?」

「おおげさな。魔獣は今日中に殲滅されるのですから、問題はありません」


 国王は、あっけにとられて、絶句する。

 そんな彼にかまわず、宰相はすらすらと言葉をならべる。


「今の時代、ワークライフバランスを整えるのは基本ですよ。貴重な人材を、過労で失うのは、惜しいと思いませんか?」

「言いたいことは、わかるがな」


 不服そうな国王に、宰相は首をかしげた。


「どうなさいました? まだなにか?」

「よりにもよって、あやつを、私室に通すことはなかろう」


 ぼやいた国王に、宰相は明朗な笑い声をあげる。

 彼に脅されたことが、よっぽどのストレスだったらしい。

 だが宰相には、その苦情を受け付けるつもりはない。


「勘違いなさいますな。彼を通したのは、玉璽のある通行手形――陛下のご威光の、賜物ではございませんか」


 一片の曇りもない笑顔で告げられ、国王は、降参するように羽ペンを手に取った。








「アルデじゃないか! ひさしぶりだな!」


 病院を出たところで名前を呼ばれ、アルデはふりかえる。


「おまえ、どうしてたんだよ! だまって引っ越すなんて、みずくさいじゃないか」


 駆け寄ってくるのは、おさななじみの少年だった。


「リネ、ひさしぶり」


 名を呼ぶと、リネは歯をみせて笑った。


「時間あるか? ちょっと話そうぜ」

「うん。午後から休みだから、だいじょうぶ」

「やすみ……? 働いてんのか?」


 声のトーンを落としたリネに、アルデはわらってみせる。

 ちょうど昼時でもあったため、屋台で軽食を買って、ちかくの公園のベンチに座ることにした。


 肉増しのラップサンドをかじりながら、だいたいのあらましを話しおえる。

 リネを見ると、まばたきも忘れて、こちらを凝視していた。


「いや、おまえ、それって……」

「うん。前よりいいもの食ってるわ。ブレイデン公爵家のまかない、すげーうまいよ」

「え、うらやまし……くはない、こともないけど」

「どっちだよ」


 リネの態度に、アルデが笑う。

 破産したとはいえ、穏やかな日々をすごしている。

 

「庭師もやりがいあるし。まだ見習いだけど」


 最近では、人目に付きにくい場所の、花壇や樹木の選定を任されるようになった。

 あるていど好きにしてもいいので、自分の作品が形になっていく高揚感がある。


「ただ、まあ」

「なんだ?」

「金が足りない」


 さきほど病院から発行された、請求書の金額をおもいだす。

 支払期限はまだ先だとはいえ、一か月の給金よりも入院費のほうが高い。

 

「ふたりぶんの入院費は、子供が稼げる額じゃないしな」


 アルデは自分に言い聞かせる。

 軽く吐いたはずの息が、ため息になった。


 父親は、意識不明のまま。

 母親は、意識をとりもどしたが、精神を病んで精神病棟に移った。


 なんとかしなくてはいけないが、どうすればいいのかわからない。

 

「帰りに職業斡旋所しょくぎょうあっせんじょに寄って、単発バイトでも探してみる」


 勤務に影響がでない範囲で、休日に働くことは、許可をもらっている。

 できることをやるしかない、と肩をすくめると、リネが真剣な顔をしていた。


「あのさ、国立公園で、魔獣が目撃されたの、知ってるか?」

「しらない。そうなんだ」


 国立公園は、王都のすぐそばだ。

 しかし王都は、城壁で囲まれており、魔獣が侵入してくる心配はない。


「俺のにーちゃん、薬師やくしなんだ。国立公園って、薬草の群生地らしくて。立入禁止令が出たから、薬草の値段が軒並みあがったって、愚痴ってて」

「ふうん。たいへんだね」


 アルデは、おもいっきり他人事ひとごと相槌あいづちをうつ。

 そんなアルデを、リネがちらりと見た。

 なにかを言いよどんでいるようすに、アルデは軽く笑う。


「なに?」

「いや、その……」

「なんなの? 言ってよ」

「うん……薬草があったら、高値で買い取るって」

「ん? それ、俺と関係ある?」


 意味がわからなくて、聞きかえす。

 すると、リネが意を決したように、顔をあげた。


「薬草、取りに行ってみたらいいんじゃね?」

「取りに行く? え、国立公園に?」

「そう」

「だって、立入禁止だろ?」

「そうだけど……それってさ、魔獣に会う可能性があるからだろ? でも、会う可能性なんて、めちゃくちゃ低くないか?」

「俺に聞かれても」

「パッと取ってパッと帰ってくればいいんだよ。短時間で稼げるぜ」


 アルデは、しばし考える。

 リネは、よかれと思って提案してくれている。

 危険はともなうが、たしかに、魔獣なんてめずらしいものに会う確率は、たかが知れている。

 

 脳裏のうりをよぎるのは、高額の医療費の請求書。

 薬草が手に入れば、支払えるかもしれない。


 さいわいなことに、アルデは庭師の見習いだ。

 薬草の形状や生息地、採取方法は頭に入っている。


「もし取れたら、リネの家にもっていけばいい?」


 リネが、うれしそうにうなずいた。

 それから、すこしばかりバツの悪そうな顔をする。

 

「たきつけといてなんだけど。無理はするなよ、アルデ」

「わかってる。行ってみて、みつからなかったら、すぐ帰るよ」


 こぶしを軽くぶつけて、リネに別れを告げる。

 アルデは、散歩に行くような軽い気持ちで、国立公園にむかって歩きだした。 

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