第3話

 その内に立ち直って、俺は何年か後に新しい恋愛をして結婚した。それでまったく新しい新居を借りたが、そこへ母が、「自分も引っ越ししたいから、数日牛男を預かってくれ」と持ってきた。嫁が牛男の世話をしてくれた。仕事から帰ると、嫁は、「掃除していると牛男が私の後を着いてきて、足の周りをグルグルと回る」と嬉しそうに話した。

 この頃には物を囓ることも無くなっていて、若い時と比べると、随分おとなしくなっていた。ダッシュはもう出来なさそうに見えるほどには老いていた。

 母が牛男を引き取りにきた後、嫁は少し寂しそうだった。後日なにかの拍子で隙間から牛男のフンが出てくるということが何度かあって、その度に俺もコロコロのウサギのフンを見ながら、感傷的な気持ちになった。


 母は山賊のような笑い方をする男と比喩ではなく、実際に殴り合いをしながら十五年以上も付き合っていたが、男の体が持たなくなって、ある日別れた。その頃には俺を含め、三人いる子供たちはそれぞれの家庭なり生活があって、誰も母と住もうとはしなかった。

「男の子っていうのは、いずれ親よりも彼女や嫁を大事にするようになる。いずれあなた達は私を捨てるんだから、私はあなた達より、ずっと一緒にいてくれる彼を大切にする」

 山賊の前にも何人か居た母の彼氏たちと、俺たち兄弟の誰かが揉めると、決まって母はそう言って彼氏の味方をした。その言葉は悪いところだけ本当になった。

 母はモテて、俺が物心ついたときからずっと彼氏がいた。子供も三人も産んだが、六十を過ぎて側にいるのはウサギ一羽だけになった。たちが悪いのは、俺たち兄弟は愛されなかった訳ではない。それはみんなわかっている。俺もキャロルも牛男も、不器用な愛を受け取っていた。


 それでやっぱり、完全には放っておけなくて、たまに様子を見る。母の家へ行くたびに、帰る前には牛男に挨拶をした。ここ数年はほんとうにお爺ちゃんという感じで、開けっ放しにされたケージから出てくることもなく、いつもじっとしていた。目はキツさが無くなり、白く濁ってほとんど見えていないようだった。「ケージの外へ出ると、すぐに頭をぶつけるから、あまり出たがらない」と母は言っていた。


 生命力至上主義だった母は、自身の衰えと共に、病院は必要だということを認識したのか、お腹を壊す程度のことでも、何かあればすぐに動物病院へ牛男を連れて行ったが、食欲がないのも、あまり動かないのも、目が濁るのも、歳だからしかたがないことなのだそうだ。「寂しいから私よりは長生きして欲しい」と母は自身の不調を訴えながら、言っていた。


 唐突だが、牛男は童貞ではない。彼が壮年の時に、近所に小動物を多く扱うペットショップが出来て、そこが母の行きつけになった。ペット同士のふれあいイベントをやっていて、モテるウサギはそこで飼い主同士話をつけるが、ネザーランドドワーフだとかロップイヤーだとかそういう品種が居る中でニーキュッパの牛男はモテなかった。おまけに粗暴で、どのウサギが飼い主の所まで早く行けるかなんてほんわかした競争をする中で、牛男は母に目もくれず、他のオスウサギにマウンティングをとった。


 ウサギのマウンティングというのは、自分より下だと思うもの相手に、乗っかって腰を振る。母は、「牛男はホモだ」となぜか嬉しそうに言っていたが、他の飼い主達からは当然嫌われた。


 お見合いなり恋愛なりで結婚することは諦めて、店で売られていた灰色のメスを母は買ってきた。ねずみ色なので、有名なねずみのメスから名前を取って、「ミニー」と名付けられた嫁はすぐに妊娠した。新婚なのに別々は寂しいだろうという理由で、出産間近まで同じケージに入れていた。俺たちは誰も、ウサギが妊娠中も追加で妊娠できるということを知らなかった。


 別のケージで子供を産んだあと、数日後さらに追加で子ウサギが生れているのを見て、母は驚きの余り叫んでいた。第一子たちの引き取り手は母の友人のつてを頼り決まっていたが、一回の出産で四、五羽生れるウサギを第二子達までとなると、見当がつかない。母の理想は牛男とミニーに子供一羽の核家族構成で、実際にそれ以上となると、手に負えそうにない。


 仕方がないので、俺の友人たちにも引き取り手探しを拡大したが、それでも捌ききれないので、ジモティーに、「ウサギ貰ってください」という募集を掲載した。これはかなり効果があって、ウサギたちは順調に引き取り手が見つかっていった。大体家の近所の公園でウサギを引き渡すのだが、貰いに来てくれるのは大抵、大きなファミリータイプの車に乗った、お父さんお母さんと子供の三人組で、幸せそうに、どの子を向かえるか悩みながら決めていた。こっちからしてみたら、「貰ってくれてありがとう」だが、向こうは向こうで、「無料でお譲りいただいてありがとうございます。大切に育てます」というような感じで御丁寧な礼を言ってくれる。そして子供が大切そうに子ウサギを抱えて車に乗り込む。そんなやり取りを何回かしている内に、母は、「私なんだか良いことしているような気になってきちゃった」とふざけたことを言っていた。

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