冬・第26話 今年もよろしく②すごすご帰るくらいなら、留置場で年越すほうがましだ

 酒は飲まないつもりだったから車で来ていた。家に戻った真心がそのまま向かったのは、道路の反対側の三軒隣にあるアパートだ。個人情報保護のためなのか、ポストにも部屋の前にも表札はない。だが二階の一番隅の部屋だと知っていた。


(……そういえば、ここに来るのは初めてだ)


 意図したわけではないが、意外な気がした。あんなに数え切れないほど、毎日のようにゆしかは真心の家へ入り浸っていたのに、逆は一度もなかった。

 考えてみれば、ゆしかが来なかったら、そのまま途絶えていてもおかしくなかったのだ。


 カメラもマイクもない、音が鳴るだけのインターホンを鳴らす。

 しばらく待つが、なんの反応もなかった。立て続けに何度か繰り返すも、同じだった。

 真心はスマホを取り出してゆしかにメッセージを打った。


TH「今、お前の家の前にいる。いるか?」


 無視されるかもしれないと思ったが、意外とすぐに既読になって返ってくる。


鹿「……いるよ」


 何故か真心はそれを読んでまるで命が助かったかのように安堵した。


TH「話したいことがあるんだ。どうしても、直接お前に話したいんだ」

鹿「こんな夜にひとり暮らしの女性の家に押しかけるなんて、非常識です」


 時刻を確認すると、二十一時を回っていた。


(確かに夜だがそこまでの時間か? つーかお前、そんなキャラじゃねえだろ!)


 と思ったことを返すのはこの状況だとさすがにはばかられ、数秒考えて返事を打つ。


TH「なら、朝までここにいる。めっちゃ寒いぞ。凍死したら恨むぞ」

鹿「……警察呼ぶよ? ストーカーがいますって」

TH「呼べよ。すごすご帰るくらいなら、留置場で年越すほうがましだ」


 そのメッセージに既読のマークが付いてから、返事がなくなった。


(まさか本当に警察呼んだんじゃねえだろうな……)


 はったりで言ったわけではないが、実際連れて行かれてしまったら目的を果たせない。

 しかし考えても仕方がないので、真心はドアの横に体育座りをして、少しでも体温が下がるのを防ぐように自分の身体を抱きかかえた。身体の芯まで響く、頬が痛むような寒さだ。


 なにをやってるんだ俺は、と思った。すぐそこに家があるんだから、せめて毛布やカイロでも持ってくればいいんじゃないのか。手袋だってマフラーだってダウンジャケットだって持ってる。温かいスープでも飲みながら……って違うだろう。なにかは解らないが、違う気がした。


 別に根性を見せたいわけじゃない。寒さに凍える姿を見せれば、ゆしかが心を開いてくれるとも思ってない。むしろ恐らく気温と同じ冷たさで「馬鹿じゃないの?」と罵るだろう。


(ああでも。そうだな……罵ってくれてもいいから、声が聞きたい)


 クリスマスからたった数日しか経っていないのに、随分ゆしかの声を聞いていない気がした。

 どれくらい経ったか、半分寒さで意識が混濁している真心の手に、振動があった。


鹿「まさか、まだいないよね?」

TH「いるよ。嘘だと思うならドアを開けてみろ」

鹿「……いないよ」

TH「いるって。いいから開けろ」

鹿「いないの。わたし、家には。探されたくないから、嘘ついた」

(なんだそりゃ!)


 しかしよくよく考えれば、もう少し頭を使うべきだった。裏手に回って家の中の電気が点いているか確認すれば……いや、まあ在宅で電気を消しているケースもあるか。

 真心はかじかむ指で、ひと文字ずつ時間をかけてメッセージを返した。


TH「じゃあ、どこにいる?」


 ゆしかが伝えてきた場所を見て、真心は立ち上がる。

 関節が固まってて妙な音を立てた。腰と尻が痛い。冷え切った身体は思うように動かない。

 それなのに、横隔膜の奥のあたりから、熱いものがせり上がってくる。


 外に出て、真心は街の方角へ走り出す。車を使ったほうが早いかもしれないが、渋滞や駐車場が見つからないリスクが頭をかすめたし、なによりさっきと同じく「それはなにかが違う」と思った。規則正しく息を吐き、吸い、腕を、脚を振る。


 二十歳のころと違って、イメージどおりに身体は動かない。

 それでも、いやだからこそ今は身体を動かしたかった。自分の身体で行かねばならぬ、と確信していた。自己満足だとしても、そうしたかった。


 そして二十分以上走り続け、寒いままなのに額や首から汗が噴き出す、という状態になって真心が着いたのは街中の神社だった。こぢんまりとした規模だが建物に一部洋のテイストが入っているのが珍しく、地元の人間なら誰でも知っている場所だ。


TH「どこにいる?」


 中腰になって息を整えながらメッセージを送った。

 鳥居から参道が続き、石段で上がる先には門がある。初詣目当てか、防寒装備の人々が列をなし、その両脇には薄明るい篝火が並んでいた。


 その列から、ひとり、はぐれるのが見えた。

 暗くて顔は見えないのに、真心にはそれがゆしかだとすぐに解った。スマホが鳴る。


鹿「せっかく並んでたのに。どうしてくれるんだ」


 ゆしかが歩いてくるのを待たず、真心は息を整えることも忘れて駆け寄った。

 ぼさぼさの頭、色気のないダウンコートにジーンズとマウンテンブーツ。毛糸の分厚いマフラーとニットの手袋。背中にはいつものリュックで、目元にも口元にも化粧気はない。


「ゆしか」

「……まさか、走ってきたの?」


 顔の汗と荒い息遣いに気付き、ゆしかが目を丸くして、眉をひそめる。


「馬鹿じゃないの?」


 あまりにもさっき想像したとおりの台詞で、真心は思わず口を押さえた。あろうことか、意図せず、涙が出そうになって嗚咽を堪える。

 なにを勘違いしたのか、ゆしかは


「……ほ、本気で馬鹿にしたわけじゃないよ。そんなに傷付かなくても」


 と一段優しい声になる。

 きっと、同じ顔をしてると真心は思った。暗くても解る。ゆしかの目は潤んでいた。

 真心は乱暴に目元を腕で拭う。そのとき腕時計の表示が目に入って、ゆしかに言った。


「ア、ハッピーニューイヤー」


 時刻はちょうど、零時を回っていた。


「……まさか、どうしても話したいことって、それじゃないよね?」


 もしそうなら怒るよ、と言わんばかりの目に、真心は慌てて「ち、違う違う! 今のは挨拶じゃねえか!」と両手を振った。

 改めて目が合って、微かにふたりで笑って……ゆしかが


「あけましておめでとう」


 と言い返した。それから無言で、どちらともなく列に並び直す。



 ふたりとも、「今年もよろしく」とは続けなかった。

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