秋・第15話 初めてのお泊まり①サラミが破裂したぞぉお!

「なんでもひとつ、願いを聞こう」


 御伽噺や漫画の台詞ではない。日常のひとコマとして、許しを請うときの台詞である。

 しかし真心は今「そんなこと、言うんじゃなかった」と心底後悔している。

 なんでもと言いつつ、実際は


「空を自由に、飛びたいな」


 とか言われても


「無理だ。諦めろ」


 と返すしかない。努力では超えられない壁がある。どうにもならないことだってあるのだ。それを知らないほど、ゆしかは子どもではない。解った上で無理難題を押しつけた。


「この国の少子高齢化を食い止めてほしい」

「わたしをボンキュッボンの美女にしてほしい」

「ギャルのパンティおくれ」


 当然全て、真心は「不可能だ……っ」と答えるしかなかった。


「なんでもひとつ、願いを聞こう」


 と言っておきながら「不可能だ」と答えねばならない屈辱を甘く見ていた。無茶振りされていると解っていても真心の精神は消耗し、「なにか、叶えられることならなんでも叶えてやるのに」と、ゆしかのためではなく己のプライドのために思い始めた。

 そしてそれこそがゆしかの狙いだったのだ。


「そういえば来週の三連休さ、真心予定あるって言ってたよね?」

「ああ……関西に転勤してるダチに会いに行こうかと。そいつの家に泊まる」

「ちなみにそれって、女じゃないよね?」

「別にお前に関係ねーだろ」

「女なの!?」

「すまん、意味のない見栄張った。普通に同い年の野郎だ」

「よしよし。そんでさ……じゃあ、それをお願いにするよ」

「は?」


 ゆしかは将棋で王手をかけたかのような笑みを浮かべて言った。


「わたしを関西に連れてって」


 こうして一泊二日の関西旅行が幕を開けるのだった。




「んーで、そもそもお前なにやらかしたんだよ、真心?」


 その夜、真心の友人北きたの家で第一回アルコールを浴びる会が開催された。

 十畳程度の部屋の中心に置かれたローテーブルを北地、真心、ゆしかの三人で囲んでいる。

 北地は女子が羨むすべすべ卵肌の持ち主であり、頭も坊主で卵形、掛けている眼鏡も卵的丸眼鏡、胴体もこれまた流線型の卵形、といういわばリアルハンプティ・ダンプティもしくはエッグマンと言っても過言ではない人類である。

 先ほどからウイスキーをロックグラスに薄く注ぎ、ナッツをつまみにちびちびとやっている。


「それは言えねえ。極めてプライバシーに関わる話なんだ」


 真心は仏頂面で徳利から日本酒を直接飲んでいる。土産として持参したものだが、既に北地よりも真心のほうが多く飲んでいる。


「会食でべろべろに酔っ払って、帰る途中の川縁で力尽きて、わたしを真夜中に呼び付けて、肩を借して帰宅した途端ゲロぶっかけて、洗濯から二日酔いの介抱までさせたんです」

「言うなって言っといたよな!?」


 ゆしかの容赦なきカミングアウトに、真心が情けない声を出す。


「あーん? なんか文句言える立場なんでしたっけぇ? うら若き女性を真夜中に真っ暗な川に呼び付けるだけでも非難されるに十分な行為だと思われるのですがぁ?」

「なんでもありませんすいません申し訳ございません」


 この調子で最近全く頭が上がらない。治安は比較的良い町だが、確かに非常識だったと反省している。もっとも、真心にはゆしかを呼んだ記憶も、吐いた記憶もないのだが。


「ほっほほ、確かに真心、そりゃ全面的にお前が悪い」


 男爵、と呼びたくなるような笑い方をして、北地が真心を指差す。


「すいません、キタさん。いきなりお邪魔してしまって」


 やや猫を被ったモードのゆしかが申し訳なさそうに首を引っ込める。


「いやいや全然オォーッケーェ。元々君の話を聞いてて、是非会ってみたいと思ってたんだ」

「わたしのこと、聞いてたんですか?」

「うん。なんでもね、とんでもなく」

「うわサラミが破裂したぁああ!」


 真心が突然個包装のミニカルパスの大袋を開き、中身を北地に向けて弾き飛ばした。


「北地! サラミが破裂したぞぉお!」

「何故二回言う……?」


 北地は怒ることもなく、床に散らばったミニカルパスを拾い集める。ゆしかも手伝いながら、


「迷惑だよ、真心」


 と、犬をしつけるような声を出す。


「すいません……」


 真心にとって、北地は数少ない幼馴染みの腐れ縁である。今でこそ居住地域が異なるが、十代のころから今に至るまでのあれこれを大まかに把握し合っている。

 そんな北地にしてみればゆしかは新たな情報源として興味深いものであろうとは、会わせる前から解っていた。そして真心の弱みならとりあえずなんでも把握しておきたいゆしかからすれば、北地が宝の山に見えてもおかしくなかろう。

 つまりこのふたりは、真心にとっては会わせてはならないふたりだった。


 幾度となく、「どうして俺はなんでも願いを聞くなどと言ってしまったんだ」と自分を責めたがもう手遅れである。酒が入る前からゆしかと北地は旧友と再会したように「キタさん」「ゆしかちゃん」などと呼び合い、アイコンタクトで頷き合っていた。多分、


「あとで真心の情報交換をしよう」


 という視線だろうな……というのが真心にも読み取れた。

 そしてさっきから都合の悪い展開になりそうな度、真心はあらゆる手段を用いて会話を妨害してきた。結果、ふたりからは呆れられ、ウザがられている。

 そして時刻が二十三時を過ぎたころ、真心は(ああ、なんとか凌いだ)という思いで言った。


「おいゆしか。そろそろ宿に行ったほうがいいぞ」

「え? なんのこと?」

「俺はここに泊まるが、お前はそういうわけにいかないだろ。近くにホテルを取っておいたから、そっちに泊まるといい。送ってってやるから」

「そんなの聞いてないよ!?」

「大丈夫。詫びを兼ねて連れてきたんだ。金は俺に出させてくれ」

「そーいうことを言ってるんじゃないもん。キタさん、わたし、ここで寝たら駄目かな?」

「んー、そのローソファで良かったら。ゆしかちゃんが男ふたりと一緒で気にしなければ」

「ありがと! 全然大丈夫」

「駄目だ!」


 真心は拳でテーブルを叩き、昭和の頑固親父の如き気迫で一喝する。


「……真心?」

「なにを言ってるんだ、ゆしか。お前は子どもじゃない。嫁入り前の成人女性だぞ? 男ふたりと同じ部屋で寝るなんて、道徳的に許されるわけないだろう?」

「……はあ」

「仮にお前が良くたって、男のほうが気にするんだ。一見なんでもないような顔をして、内心なにを考えていることか……おおおぞましい!」


 自分を抱いて震えてみせる。


「どした真心……?」


 ゆしかは「こいつ自分がなに言ってるか解ってんのかな?」みたいな目をする。


「キタさん、どう思う?」

「うーん、まあ、正論ではあるね。俺はゆしかちゃんと真心がいいなら気にしないけど」

「俺は気にする! 同じ部屋にゆしかが寝てるなんて……どきどきして眠れそうにない」


 真心は普段の死んだ目と比べて別人のような目力で語り、ゆしかは顔を引きつらせる。


「なんか、腹立ってきたな。今までわたしになに言ってきたか記憶喪失してんのかな」

「そうなんだ」


 北地が同情するような笑みを浮かべる。

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