夏・第4話 違う時の中②暴走したのは真心の膀胱だったってわけだね

「喧嘩の仲裁?」


 ゆしかがおでんの大根を箸で四分の一に切りながらまばたきをした。

 國谷と遠江は同期公認の美男美女カップルである。入社当時から周囲は噂していたが、実際に恋人同士になったのはこの一年くらいだ。

 國谷はどちらかと言えばチャラいノリで、遠江はかっちりした雰囲気だから、なにかにつけて喧嘩になり、付き合う前からしょっちゅう真心が仲裁に入っていた。


「任せてください! わたしそういうの得意です。ついこないだも高校の後輩から、『カレシと別れたいけど納得してくれない』って相談されてズバッと解決したんです。ねっ真心?」


 ズバッとぶった斬ってきた、の間違いだろ? とはさすがに言わない。


「そういやあのとき、なんで俺を連れてったんだよ?」

「ああ。わたしが暴走しそうになったら止めてもらおうと思って。まあ肝心なとこでトイレ行くし、結局役に立たなかったけど。暴走したのは真心の膀胱だったってわけだね」

「なに上手いこと言ったみたいな顔してんの!?」


 ゆしかと真心のやり取りに、國谷と遠江が軽く笑う。


「仲いいんだね」

「どういう関係なの? ゆしかちゃん、まだ大分若いよね?」


 ゆしかは大根を頬張りながら答える。


「はあ。大学二年ですけど」

「女子大生かぁ、いいなあー……痛ぁっ」


 軽口を叩いた國谷の顔が苦痛に歪む。テーブルの下で、遠江がヒールのかかとを國谷のつま先に押し付けていた。ぐりぐりしながら遠江はゆしかに訊く。


「親戚、とかじゃないよね?」

「ああ、はい。真心って、オタクじゃないですか。その趣味繋がりで」

「え? 岩重ってそうなの?」


 國谷が痛みに耐えながら顔を向けると、真心は笑って目を逸らす。


「や……まあ、な。ハハ」

「え? 真心ごめん。職場では秘密にしてたの?」

「そ、そういうわけじゃねえよ。敢えて強調はしねえだけで……」

「ならよかった。アニメとか漫画とかゲームの趣味がですね、驚くほど合うんですよ。まあ、レビューし合って喧嘩するのもしょっちゅうですけどね」

(深掘りするんじゃねえよ。察しろ)


 真心の念が通じたわけではないだろうが、もとより國谷たちの興味はそこにはない。


「ところでふたりは付き合ってるわけじゃないの?」


 真心の目が見開き、笑顔が引きつる。そっちのほうがさらに触れられたくない話題だった。


「な、なに言ってんだ。一体幾つ歳の差が」

「わたしは好きですよ」


 おでんのちくわを半分口に突っ込みながら、ゆしかは照れの欠片もなく言い放った。


「まあ、なかなか落ちてくれないですけど」


 しつこい油汚れについて語るような平然とした口調に、遠江は自らの理解を疑った。


「あの……好きって、もしかしてちくわのこと?」

「なに言ってるんですか、ちくわは好きなら一方的に食べちゃえばいいですけど、真心は……や、そういうことですか?」

「そういうことですか? じゃねーよ」


 具体的に検討する顔になったゆしかに、真心はすかさず突っ込む。


「え? なに? 岩重はゆしかちゃんの気持ちを知ってて友達として一緒にいるの?」

「女子大生の純心をもてあそんでるの?」


 一気に雲行きが怪しくなってきた。特に遠江の目が怖い。


「いやいやいやいや待て待て待て待て!」

「酷いよ真心!」


 ゆしかはわざとらしく片手で顔を覆い、それでもなおちくわを頬張りながら、さらにはんぺんに箸を伸ばしている。


「泣き真似するか食うかどっちかにしろ!」


 ここぞとばかりに真心はテーブルを叩き、声を荒げる。


「いいか、今日は喧嘩の仲裁に来たんだ。俺をいじるのに意気投合してんなら、解決済みと認識して帰るぞ!」


 とりあえず力押しはしてみるものだ。三人とも「まあまあ」と宥める顔になる。


「じゃあ……話すけどさ」遠江が若干膨れ面で切り出す。「國谷が酷いのよ」

「酷いって、なにが?」


 真心の問いに、國谷が眉毛をハの字にする。


「それを言わないんだよ。いくら訊いても『自分で考えて』って」


 遠江はさらに剣呑に目を細めた。


「だって! 気付いてくれないから怒ってるのに、言ったら意味ないじゃない」

「なんだ? 誕生日忘れてたとか?」「もしくは付き合った記念日?」


 真心とゆしかの回答に、遠江は首をふるふると横に振る。動きに合わせて軽く毛先も揺れる。


「俺もひととおりのことは言ってみたけど、駄目だった」國谷は弱り果てた様子だ。

「うーん。じゃあ」ゆしかがはんぺんを丸呑みする。「三十路前に結婚したいのにプロポーズしてこない、とか?」


 空気が凍る。

 ように、真心は感じた。心なしか周囲が一瞬、静かになった気すらする。


(アラサー女性に恋人の前で、『結婚』て。完全なるデリケートゾーン……ッ!)


 遠江のほうからどす黒いオーラが流れるのを感じた。なのにおそるおそる見てみると、完璧な笑顔を浮かべている。逆に怖い。


「ごめんねゆしかちゃん。私、既に三十になったの。ついこないだ」

「そうなんですか!」


(そうなんですかじゃねえよ! お前にはこの笑ってるけど笑ってない目が見えねえの!?)


 怒鳴り付けてやりたかったが、本人の手前そういうわけにもいかない。そこに、


「え? なら結婚する?」


 と極めて軽いノリで、國谷が言ってのけた。怒るかと思いきや、途端に遠江は頬を赤らめ、


「えっ……ほ、本気? そっ、そんな、勢いで言われても……う、嬉しくなんか」


 と絵に描いたようなツンデレぶりを発揮し始めた。


「いや勢いじゃなくて、俺はずっと一緒にいたいから。もしあーちゃんが俺なんかでいいと思ってくれてるなら……いつでも結婚したいって、ずっと思ってた」

「……ほんとう?」


 真心の目は点である。眼前の超展開についていけない。

 ゆしかは車麩を頬張って「からし付け過ぎた」と舌を出している。

 ふたりの存在を忘れたように、國谷と遠江は潤んだ瞳で見つめ合う。どちらともなく手が伸び、卓上で指がしっかりと絡み合った。

 ゆしかはその手の下にあるもつ煮の器を「あ、すいません」と言って取り、汁まですする。それから器を置いて、おもむろに言った。


「で、結局喧嘩の原因ってなんだったんです?」


 その声で我に返ったふたりは、手を離す。顔を赤らめながら遠江が言った。


「あの……大したことじゃなくて恥ずかしいんだけど」

「でしょうね」

「この前髪型、変えたの」

「……そうか?」


 呟きは真心のものだ。記憶では、元々肩口までのショートカットだった。


「ほら、少しだけ毛先を軽くして、ウエーブ入れたんだけど」


 指で示されるが、全く解らない。しかし國谷は身を乗り出し、


「それなら気付いてたよ! けど、可愛くて、どきどきして言い出せなかった」


 いけしゃあしゃあとそんなことを言い出す。


「うそ……」

(嘘だろ)


 真心の呆れ顔など見えていないのだろう。遠江は口元を押さえ瞼を震わせている。


「本当だ。俺が君に嘘をついたことがあるかい?」

(いや絶対あるだろお前)


 真心だけならともかく、初対面のゆしかまで呆れた目で見ている。しかし恋する乙女補正がかかった遠江は正常な判断力を失っている。


「信じてくれるね?」


 と言う國谷に、こくん、と少女漫画のヒロインばりの純粋さで頷いた。


「あのさ、真心」

「なんだ」


 焼き鳥に取りかかったゆしかにならい、真心も枝豆を口元に持っていく。


「こんな茶番に付き合うために、さっきわたしの誘いを断ったんだね?」

「……すまん。なんか、マジですまん」


 ふたりの世界に入った國谷と遠江には、もはや互いの姿と声しか知覚できていない。


(ああ、これはあれだ。同じ場所にいるってのに……まるで)


 覚えのある感覚に、真心はビールで枝豆を噛まずに流し込みながら思った。


(違う時の中にいる)

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