夏・第3話 違う時の中①あれはまだわたしが、物心ついて間もないときであった

 どうしてこうなった。

 真心は大衆居酒屋のテーブルに両肘をつき、頭を抱えていた。


 正方形のテーブルに向かい合って座るのは、くにかついえとおとうみあさ。ふたりは真心の同期入社で、恋人同士だ。今日はふたりから相談を受けて、三人で食事をする予定だった。


 問題は真心の正面に座る少年のような見た目の成人女性だ。


「はじめまして、如月きさらぎゆしかです! 真心のマブダチです!」


 どうしてゆしかがここにいるのか。


「やー偶然だなあ。ひとり寂しく飲んでたところに、真心がいるなんて!」


 わざとらしさを隠そうともしないゆしかの台詞は、当然真っ赤な嘘である。




 時間は少し遡る。


「ご飯食べよう」


 真心が家を出る直前、インターホンに呼ばれて出ると、ゆしかが笑顔で立っていた。


「残念だが今から出掛ける」

「じゃ、一緒に行く」

「ひとと会うんだ」

「そっかそっか」


 真心が鍵を掛けて歩き出すと、ゆしかは隣に並ぶ。真心は立ち止まる。


「聞こえなかったか? ひとと会うから、お前と飯は食えない」

「どうしてそこに因果関係があるのさ。真心はひとと会う。わたしは一緒に行く。わたしと真心は一緒にご飯を食べる。きっと、なにも切り捨てずに済む方法が見つかるよ」

「なにかを捨てずに得られるものなど、たかが知れている」

「それでもぎりぎりまで諦めない道を模索せねば、未来は見えぬわぁ!」

「た、確かに……っ!」納得しかけて、真心は我に返る。「て馬鹿」


 真心はまた歩き出し、ゆしかも続く。


「ねえ、誰と会うの? わたしより大事な用事なんてある?」

「どっからそんな自信が湧くんだ、お前は」

「よくぞ訊いてくれた。あれはまだわたしが、物心ついて間もないときであった」

「誰が回想に入れと!?」

「なんだよ、せっかく『今明かされしゆしかの過去とは!? 刮目して待て次回』だったのに」

「あのな。望まれない昔語りは、意識高い系の自撮り投稿くらい害だと思うぞ」


 突然ゆしかの足が止まる。

 そのまま置き去りにすれば良かった。そのつもりで歩き、言い返していたのだ。

 だが真心は訝しげに振り返ってしまった。下唇を噛んで両拳を握るゆしかの顔を、覗き込むように前屈みになった瞬間、


「真心の馬鹿! そこまで言うことないじゃないかぁ!」


 迎え撃つようにゆしかの額が真心の頭頂部を打つ。


「痛ってぇ!」


 目の前に星が瞬き、真心がふらついてる間にゆしかはどこかへ駆けていった。


(意識高い系と比べられたの、そんなショック?)


 と突っ込む間もない。今度会ったときを思うと非常に面倒だったが、仕方ない。気を取り直して真心はバスで街に向かった。


 居酒屋には活気が溢れていた。漁師の関係者の店で「大漁」のフラッグや浮き、魚拓などが所狭しと飾られ、客席同士の仕切りもそこそこに、雑多な盛り上がりが連鎖していた。

 真心は先に来ていた國谷、遠江と合流し、とりあえずビールで乾杯した。刺身をつまみながら近況などの世間話から入ると、不意に背中へなにかがぶつかった。


「あ、ごめんなさい」


 どうやら後ろのひとが席を引いた勢いで接触したらしい。


「あ、いや、大丈夫です」

「……真心?」


 声のほうに顔を向け、固まった。

 驚いた目を作って立っていたのは、ついさっき走り去ったはずのゆしかだ。


「おまっ、なんでここに!?」

「やー偶然だなあ。ひとり寂しく飲んでたところに、真心がいるなんて!」


(嘘つけぇえ!)


 そのときになって、真心は自分が既にゆしかの術中にハマっていたのだと気付いた。


 ゆしかの手口はこうである。

 一緒に行くと言って、真心がすんなり承諾しないと見るや、拗ねたふりをして走り去る。

 いなくなったと油断させて尾行。乗ったバスの行き先を確認後、愛車のマウンテンバイクでショートカットを駆使し、先回りする。

 予測どおり街のバス停で降りた真心をさらに尾け、店に入った後、おひとり様として時間差で入店。視界に入らない真後ろの席を確保し、偶然を装って話しかける。


(ふっ。油断したな真心。あの程度でわたしが諦めるわけないだろ)


 無言のドヤ顔で、ゆしかは真心に語りかける。

 基本は直情的なくせに、時折このようなしたたかさも披露する。そんなゆしかに真心は心底、


(こいつめんどくせえぇええ)


 と呆れを剥き出しにした。

 しかしもう手遅れだ。気が乗らなければどんな場面、相手でも愛想笑いのひとつもしないが、目的のためなら無邪気な学生だろうがツンデレだろうがメイドだろうが演じきってみせるゆしかにとって、ここで真心たちのテーブルに合流することなど、取れたワイシャツのボタンを繕うより簡単である(手先が不器用)。


「なんだ? 岩重の知り合い? よかったらここ座る?」


 早速、女性に対する愛想は抜群な國谷が、真心の正面の椅子を引いた。少年に間違えられることも多いゆしかだが、國谷の目はこと女性を判別する機能に於いては軍事スペック並である。


「えっ、でも……お邪魔じゃないですかぁ?」


 真心が見たことないほど、ゆしかは愁傷で遠慮がちな上目遣いをしている。


「全然。いいよいいよ」男女問わず表面の良さでは同期ナンバーワンの遠江も、当然拒否しない。「岩重君のプライベートな交友関係とか、面白そうだし」


「はじめまして、如月ゆしかです! 真心のマブダチです!」


 こうしてゆしかはまんまと席を確保し、真心は頭を抱えることになった。

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