フユノサムライ

きさまる

ふゆのさむらい

 その武士は、胸に大量の不満を抱えながら降りしきる雪の中を進んでいた。

 ふところに主君より預かった書状を持ちながら。

 今はまだ雪は積もっていないが、そのうちに景色を白く染め上げそうだ。


 主君からは、隣の国を治める豪族の元へ一刻も早く書状を届けよ、との厳命。

 だが、その武士の足取りは重い。


 彼はふと足を止めると、雪降る空を見上げた。

 早めにどこかで宿を取るべきだろう。

 積雪の中を進むのは自殺行為だ。

 たとえそれが急ぐ旅であったとしても。



 彼が使える主君の治める国は、小国だった。

 そして強大な勢力を誇る強国に挟まれていた。

 ならばこそ一方の国に服従して娘を差し出し、婚姻関係を結んで保護してもらう。

 どこでも見られる当たり前の行為。

 その事に対しては、特に武士には疑問も不満も無かった。


 問題は何故なにゆえ自分が、主君が服従することを選んだ相手の国に行く事になったか、だ。

 今まで自分の頭の中で、何度も繰り返し自問自答し続けた考えを、再び思い浮かべる武士。

 白くけぶる自分の吐息を手に吐きかけながら、彼は思い出す。

 それももう何度目なのか武士にも分からない。

 彼がこの雪中の強行軍をしている原因を。


──これが、自らのいた種の結果ならまだ納得出来るのに。




 主君が差し出す娘はまだ幼く、とつぎ先の豪族の息子もまた、まだ歳若かった。

 そして主君は娘を愛していた。子煩悩を通り越して親バカなまでに。

 そんな娘は、見事なまでに我儘わがままで高慢ちきな人間となってしまった。

 家臣すべてに、陰で忌み嫌われるぐらいに。


 そんな彼女が癇癪かんしゃくをおこして叫びまわった。

 家臣もいつもの事なので、心の中でうんざりしながら応対する。


 今回の癇癪の種は、嫁ぐのを嫌がる事。

 娘は、あのような醜い容姿の男と夫婦めおとになるなど死んでも嫌だと叫びまわった。

 主君も、その妻も、娘を叱りもいさめもせずに笑って、娘の叫びに追随した。

 確かにあのような醜男と一緒になったら幸せにはならぬな、と。


 家臣たちは内心では眉をひそめつつも、黙って仕えていた。

 親バカな部分以外は可もなく不可もない主君であったが、それ故に不満も少ない人間だったからだ。

 だからその日も「仕方ないな」で終わるはずだった。

 お忍びで遊びに来ていた、嫁ぎ先の豪族の息子がその場面に出くわさなければ。



 豪族の息子は性格も良く、質実剛健。

 武芸に通じて勉学にも明るく、若くして親の補佐も務めている。

 まさに後継ぎとして申し分のない男として、内外共に認められる人物だった。

 書状を運んでいる武士も、何度かその息子を目にする機会に恵まれたが、噂通りだと感心したものだ。

 これほどの者なら、見た目がどうだろうと関係ないだろうと。


 だがそれでも、やはり豪族の息子はまだ子供だったのだ。

 周囲の期待に応えようと、必死に背伸びをしていただけの。

 それは少なくとも、見た目を許嫁いいなずけに馬鹿にされて傷つくぐらいには。


 彼らが引き止めるいとまさえなく、その場に背を向けて帰国した豪族の息子。

 すぐに縁談破棄の知らせが届いた。

 豪族側からしたら、別に無理にその娘と婚姻する必要など無かったのだから、当然の結果。


 だから慌てたのは主君のほうだった。

 謝罪の書状をしたため、破棄された縁談の考え直しを求める書状もしたためる。

 だから武士は書状を懐に抱いて、この雪降る中を進んでいるのだ。

 だから武士は、今まで自分の頭の中で何度も繰り返し自問自答し続けた考えを、再び思い浮かべるのだ。


──これが、自らの蒔いた種の結果ならまだ納得出来るのに。





 どうやらこの様子だと、宿場町に辿り着く前に雪に閉ざされそうだ。

 武士はついにそう観念した。


 この雪の中を野宿することだけは避けたい。

 次に人が住む家があれば、どんな荒屋あばらやでも泊めてもらおう。

 そう考えながら峠に続く道を突き進む。


 やがて見えてきたのは、本当にみすぼらしい荒屋のような小さな屋敷。

 建物の周囲にめぐらされた堀が無ければ、物置小屋かと見間違えるぐらいだ。

 取り囲む塀も無く、ましてや門も存在しない。

 武士は少し迷ったが、敷地に侵入すると建物の戸をほとほとと叩いた。


 しばらくすると顔を出した、貧相な顔の男。

 あちこちがほつれ古ぼけてはいるが、元はしっかりとしたころもだったのだろう着物をまとっている。

 おそらくこの人物が、この建物の主なのだろう。

 武士は顔を出した男に話しかける。


「突然に申し訳ないが、一晩だけこちらに泊めて頂けないだろうか?」


 貧相な男は目だけで武士を上から下まで素早く見定める。

 その後、自分の服装を一瞬ちらりと見た。

 それから申し訳なさそうに武士に答える。


「あいにくとご覧の通りの荒家でしてな。ここに住む者も今となっては拙者一人。まともな持てなしが出来ぬゆえ、遠慮させてもらえませぬか」


 武士はすぐに食い下がって何とか頼み込もうと考えた。

 しかし気乗りしない書状を届けるおのれの行為に、交渉を粘る気持ちがえる。

 がっくりと肩を落とし、「左様か、失礼した」とだけ家主に言い残してその場に背を向ける武士。

 その姿に一瞬何かを考えた貧相な顔の家主は、今度は反対に自分から声をかけた。


「もし。この雪の中を進むのは、いくら武士もののふといえども少々無謀というもの。雪と風をしのぐ程度でよければ中に入りませい」


 その言葉に、思わず破顔して振り向いた武士。

 雪中行軍の憂鬱ゆううつさを覚悟した直後だったために、申し出に素直に喜べる。

 武士は家主に心の底から礼を述べた。


「もちろんその申し出、有り難く受け取らせてもらう。礼を言うぞ」



*****



 家主は、囲炉裏いろりへ招いた客人を案内する。

 武士をそこへ座らせるとたきぎをくべて火を起こした。

 その火の上に茶瓶を吊るし、お湯を沸かす。

 やがて水が温まると、それでお茶をれた。


 正直、冷静にお茶として見れば大して美味い部類のモノではない。

 だが雪中を進んでいて身体の冷えた武士には、何よりのご馳走となった。


へりくだり抜きの、本当の粗茶だが勘弁つかまつるぞ」


 そう家主が武士にこぼす。

 だが客人となった武士は相好そうこうを崩して答える。


「いやなんの。この温もりこそが最も有り難い」


 そのとき武士の目に、部屋の隅に飾られた古ぼけた鎧具足が見えた。

 しかし薄暗い中を目を凝らして見てみると、古いながらも手入れはキチンと行き届いているのが分かる。

 武士の視線に気付いた家主が、問われる前に話を始めた。


それがしは昔とある領主に使える身でしたがな。そこの姫君の我儘わがままに耐え切れず癇癪をぜさせてしもうた。その後は、某の有り様を見れば言わずとも分かろうものでござろう」


 まさに同じく、主君の娘が癇癪の尻拭いを申しつけられている武士は、思わず表情が僅かにこわばる。

 家主は、その小さな表情の変化を目ざとく見つけた。


「ふむ。どうやら貴君もまた某と何か相通あいつうじる物があるご様子。……いや、これ以上は立ち入りますまい。某も、いまだ武士の端くれとして矜持きょうじを保っておるゆえにな」


「すまぬ」


「気に病むことは無い」


 家主は厚みの薄い寝具を持ってくると、囲炉裏の側に敷く。

 そして申し訳なさそうに武士に言った。


「この家にはこの寝具しかもう残っておらぬ。しかも某の普段使っているものであるが……」


「いや、かたじけない。その気持ちが一番のもてなし。痛み入る」


「なんのなんの。その寝具でも火のそばでなら、いくらかましと言うもの。火の番は某がする故、横になって休まれよ」


「その申し出、有り難く受けさせてもらおう」


 武士は素直に寝具に包まり、横になった。

 ただし腕はしっかりと組み、懐の書状は肌身離さずに。





 ガツッ。ガツッ。


 武士の耳にその妙な音が聞こえてきて、彼の意識は覚醒した。

 パチパチと僅かに上がる囲炉裏の火の手。

 そのあかりというには心許こころもとない光源では、武士の目には部屋の隅でうごめく影しか分からない。


「おおすまぬ、起こしてしもうたか」


 その蠢く影からの声で、それが家主なのだと判明する。

 武士はいぶかしんで身体を起こすと、家主の元へ視線を飛ばす。

 目を凝らすと、家主が手になたを持って床の何かに振り下ろしている。

 さらによく見ると、家主の周囲に立派な枝ぶりの盆栽の鉢が並べられていた。


「主殿、いったい何を……」


「貴君は、明日早く出立しゅったつせねばならぬのであろう? 気にせず横になられよ」


 そう言いながら家主は囲炉裏の側に戻ると、何かを放り込んだ。

 盆栽、鉈、ガツガツという音、そして今まさに火の中にくべた物。

 武士の頭の中でそれらの点が繋がり、家主の行為に気がつくと、がば、と一気に跳ね起きた。


「主殿! いったい何の真似をしておられるのか!?」


「火にくべる物が無くなってしまったのでな。なるべく離れてやっておったが、起こしてしもうて申し訳ない」


 そう顔色ひとつ変えず家主は答える。

 そうしてまた、火に先ほどと同じ物をくべる。

 立派な枝ぶりの盆栽を断ち折って作ったまきを。


「主殿! それは仕えていた上様よりたまわったものではないのか!?」


 しかし隠す必要が無くなったと見たのか、家主は別の盆栽を手元に引き寄せると、再び鉈を振るう。

 おそらく家主の宝というべき物だったのだろう盆栽が、瞬く間に薪に変わってゆく。

 そうしながら家主は武士に語りかける。


所詮しょせん、この世は諸行無常。この鉢木とて、いつかは枯れる。ならば某が一人の満足で終わらせるよりは、客人のために終わらせる方が世の為になるというもの」


 火に照り返された家主の顔は、最初に見た貧相な印象が無くなっている。

 武士は、まるで崇高なこころざしを持つ修行僧のようだと思った。


「だが落ちぶれても某は武士。この賜り物は惜しくは無いが、鎧具足だけは手放さぬ。我ら武士もののふの忠義は、幕府の征夷大将軍に捧げているからだ」


 武士は、その言葉にハッとなる。

 そうだ、自分は何を小さな事で不満を抱いていたのだろう。

 彼は自分の心根の矮小さを恥じた。


「我ら武士は、いざという時に鎌倉の大将軍の元へ駆け付けるための鎧具足さえあれば良いのだ。だからもう何も気に病まずに英気を養いなされ」


 人は見た目によらない。

 頭では分かっていたのに。

 これからおもむく豪族の、その息子などその典型だったではないか。

 彼は、家主が武士もののふとして自分よりも遥かな高みに立っていると感じた。


 家主の心にうたれた武士は、目から知らず涙がこぼれる事など気にもならなかった。

 彼は居住まいを正して床に座ると、家主に向かって頭を下げる。


「主殿。まことに……まことに忝い。拙者、知らず武士の矜持を忘れかけていた。いかに小さな事でも、どのような立場に落ちようとも、鎌倉へ駆け付ける栄誉があるならば、それこそが我ら武士の無上の喜びであるのだ」


 家主は優しげな目で武士を見つめる。

 そしてもう一度、先ほどと同じ言葉を今度は優しげにさとすように語る。


「明日は早く出立せねばならぬのであろう。もう気に病まずにゆっくりと英気を養いなされ」


「まことに……まことに忝い。今こそ心よりその申し出を受けさせていただこう」


「火の番は、先ほど言った通り某が引き受け申す。ささ、早く横になりなされ」


 今こそ家主に心を許し切った武士は、何も考える事なく安らかに眠りに落ちた。



*****



 家主の男は、自分の見窄みすぼらしい屋敷の外に出た。

 降雪こそ止まっていたが、辺り一面は積もった雪が月光に照らされて銀世界となっている。


 男は振り向く。

 客人の武士はぐっすりと眠り込んで、身じろぎ一つしない。


 男は静かに戸を閉める。

 そして何処からか書状を取り出した。

 それはまさしく、あの武士が大事に懐に抱えていたもの。

 中身をうなずきながらあらためると、たたんで自分の懐にしまい込む。

 そして誰聞くともなしにひとちる。


「まさか、姫君の嫁ぎ先から来た者だったとはな」


 男の顔が歪む。

 その表情は、先ほどの崇高な修行僧とは真逆の醜いもの。

 男はそのまま、最後にぼそりとつぶやく。


「儂の武士の矜持は今日この場をもって捨てさせてもらう」




 男は、ニヤリと笑うと闇夜に消えた。


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