タケルくんの携帯番号

朝倉亜空

第1話

 会社帰りに立ち寄った家電量販店でスマートフォンを買ってしまった。いや、買わされた、というべきか。何気なく陳列棚を眺めていたら、販売員が寄り添い来て、気が付けばいろんな書類にサイン、クレジットカード払いと完全自動で事が進んでいったのだ。最新式のスマートフォンらしい。

 この通りに、自己主張が出来ず、人に流されやすい性格のぼくに友達などいる筈もなく、掛ける相手も掛かってくる相手もいないのにこんなものを買ってしまうとは。バカだ。

 ぼくはその無駄に高級なスマホを、一人住まいの部屋の本棚の端っこに、充電器にセットしたまま置きっぱなしにしていた。

 ところが、ある晩突然、プルルルン……、とそれは着信音を響かせた。どうせ間違い電話に違いないと無視していたのだが、あまりにもしつこく鳴り続けるものだから、ぼくは仕方なくスマホを取り上げ、耳に当てた。「はい、もしもし……」

「もしもし、タケルくん?」女の子の声が聞こえてきた。

「えっ、あの……」

「タケルくん、携帯番号変えてなかったんだ。あのね、この前あんなひどいこと言ってごめんなさい。最後に見送りにも行かないで」

「き、きみは…」

「優子だよ」

「ゆ、優子、さん…」

「そうだよ。何よ、さん付けなんて水くさい。いつも呼び捨てだったじゃない。」

「そ、そうだったか、そうだよ。ゆ、優子」

 うやむやに流されようとする、ぼくの悪い癖が発揮されていた。間違い電話ですよ、の一言が言えない。

「とにかく、ごめんなさいね。優子、タケルくんのこと、すごく傷つけたよね。怒ってるよね?」

「な、なんだよ。ちっとも傷ついてないし、全然、怒ってもないよ。」何のことか分からないが、この女の子が何かを気にして辛そうにしていると感じたので、そういうことにしておこう。「だーいじょうぶ、へーきへーき」

「よかったー。優子はタケルくんのこと、ずーっと好きなままだよ。タケルくんは?」

「ぼ、ぼくも、す、好きだよ」ほんまかい。

「嬉しいー。ゴメンね、急な電話で。でも、すっきりした。それじゃ、おやすみなさい。また電話するね」通話が切れた。

「え、また?」

 その後も何度か、ぼくはタケルくんとして彼女と通話をしなければならなくなった。その中で二人の関係が見えてきた。

同じ大学の恋人同士で、一年先輩の彼が地方都市に就職と決まったのだが、彼女はそれを嫌がった。遠距離恋愛は分かれるもとになるから、と。しかし、彼は自分より就職を選んだ。それでつい、「タケルくんなんか大っ嫌い」と言ってしまい、それを最後に、出発の日も高速バスの見送りに行かなかったとのことだった。おそらく彼は新生活の始まりを機にスマホを機種替えし、ナンバーも新しくしたのだろう。その空きナンバーをぼくが今、使っているという訳だ。

 そして今日、ぼくは都内の某緑地公園にいる。ここへはデートでよく来たのだという。この公園のことをよく知っておかないと、話のつじつまをうまく合わせられないので、日曜の午後に来たのだ。休日に相応しい澄み切った快晴で、とても気持ちいい。

 彼女の言葉通り、綺麗な池があり、淵の貸しボート屋の近くには、キャンピングカー風のサンドイッチの屋台があった。好きな人と食べると、日本一おいしいのだとか。店員の女の子が一押ししてくれたミックスサンドとホワイトサワードリンクを選ぶと、店員さんはそれらをトレーに乗せて渡してくれた。支払いを済ませ、ぼくはそれを店から少し離れたところにあるベンチまで運んだ。さて、いよいよ味見だ。トマト系のドレッシングに適度な甘みが乗っかっていて、軽くペッパーが散りばめられている。それがレタスと少し厚めのハムにぴったりなのだ。美味ーい。同じく、おすすめドリンクも甘すぎず、酸っぱすぎずで、絶妙にいい感じだ。サンドを食べ終えた時、スマホが鳴った。彼女以外にはあり得ない着信だ。

「もしもし、優子ちゃん……」

「あーっ、また、ちゃんなんて言って。さんとか、ちゃんとか水くさいよ。……でも、水くさくて当たり前だよね。タケルくんじゃないんだから、あなたは」

「えっ! なっ、なんで……」思ってもいなかった突然の一言に、ぼくは慌てた。「タケルだっ……、ぼ、く……」

「いいのよ、ごまかさなくって。それにしても、今日はいい天気ね。今、バイト中なんだけど、こんな気持ちも晴れやかになる奇麗な青空の日じゃないと言い出しにくくて、それで、電話を掛けました。職場の先輩も少しなら大目に見てあげるって言ってくれて」

 ぼくはただ、スマホを耳に当てている。

「タケルくんはね、本当はもう、死んじゃって、いないの。……タケルくんが就職で街を離れる日、タケルくんはわたしが見送りに来るのを待って、何台も高速バスを逃したの。でも、わたしは行かず、それで、タケルくんは最終のバスに乗ったんだけど、それが真夜中に横転事故を起こして、大勢の人が犠牲になり、……。当然、タケルくんも……」

そういえば、春先にそのことをテレビのニュースでやってたっけ。あの事故か。「……」

「全部、わたしのせい。わたしがつまらない意地なんか張らずに、ちゃんと見送りに行っていたら、タケルくんはあんなことには……。どうしても、タケルくんに謝りたくて、思わず、タケルくんの携帯番号に電話して、間違い電話を装い、ひと息に、タケルくん、ごめんなさいって言おうとした。びっくりしたわ、そっくりで。まるで、本当にタケルくんがもしもしって、出てきたのかと思っちゃった。それで、つい、話し込んじゃって。その時、タケルくんとそっくりなあなたの声が、傷ついてない、大丈夫だよって優しく言ってくれた。おかげで救われました。ありがとう。その後も、わたしは自分が癒されたくって、何度も電話を掛けました。迷惑だったでしょう? ごめんなさい、わたしの身勝手に付き合わせてしまって」彼女の声は微かに震えているようだった。

「い、いや、うん、別に、……」得意のうやむや、しどろもどろが口をついて出た。

「でも、いつまでもこんな関係、良くないよね。わざと人をだましてるみたいな、ううん、はっきりだましてる、わたしのやり方は、きっとまた、あなたを傷つけてしまう。ちゃんとした出会いがあって、お互い知り合った訳でもないのに……」

「そ。そう、だね」優柔不断なぼくは、本当はこういいたかった、じゃあ、今度どこかで待ち合わせしようよ、と。

「短い間だったけど、本当に楽しかったです。タケルくんのように優しくて、話しているだけで安らいで、でも、それはもちろん、あなた自身のオリジナルな優しさで、あなた自身の楽しさで、別にわたしはあなたの彼女さんでもないのに……」

「……彼女なんて、いないけど……」押しが弱いぼくが続けて言いたかったのは、じゃあ、彼女になってよ。

 その後、暫し彼女は黙っていた。ぼくからの言葉を待っているようにも思えた。ふたり、無言の数秒間。

「いつかは終わりにしなきゃ、ね。お互い、いい出会いがあるといいね。ハイ、オシマイ!」無理に明るくふるまった声を最後に、プツリと通話が切れた。

 寂しい、そう感じた。

 あっけない、そう思った。

 情けない、 ぼくのいつも通り。

 まあ、食べたサンドは美味しかったなと、サンドの包み紙と空になったドリンクカップを載せたトレーを持ち上げ、それを返しにとぼとぼとぼくはキャンピングカーまで歩いて行った。

「ごちそうさま……」そう言って、ぼくはカウンターにトレーを置いた。

 だが、店員さんがそれを片付けるような気配がない。普通、「またどうぞー」とか、「ありがとうございましたー」とか声を掛けてくれながら、トレーを下げに来るだろうに、店の女の子は少し奥まったところで立ったままだった。よく見ると、その子は肩を震わせ、少しうつむき、両手で目を抑えている。泣いていたのだ。その左手にはピンク色したスマホが握られている。

(ああ、彼女のバイト先って!)

 ぼくはおもむろに自分のスマホを取り出し、リダイヤルボタンをタップした。

 ほどなくして、そのピンクのスマホが着信音を鳴らした。

「……もし、もし……?」彼女がスマホを耳に当て、言った。少し、涙声だが、いつもの声だ。

「本当、凄く美味しいね」ぼくは言った。その声がスマホからだけではない、ごく近くからのものでもあることに気づき、彼女はパッと、こちらを向いた。セミロングが似合っているその女の子は、ぼくの目にはとてもかわいく見えた。ほんのちょっとだけ、両目が赤く充血していたとしても。

「それとさ、今、ぼくたち、ちゃんとした出会いをしたよ」オクテのぼくだが、これは言えた。そして一度、ニコッ、と笑った。

 彼女の目に映っているぼくは、彼女に気に入ってもらえるだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タケルくんの携帯番号 朝倉亜空 @detteiu_com

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説