安上がりな脳

「脳は60ワットのエネルギーで済む。それが問題の根本です」


【ニュージーランド 西太平洋海軍シンポジウムにて】


「我々の脳には860億のニューロンがあり、それぞれが1万の結合を備え、1000兆もの脳細胞間の組み合わせからなる情報が我々ひとりひとりを形作っています。たった1300gの塊の中にこれだけのシステムが詰まっている。それは驚異と言っていいでしょう。

これだけの情報を詰め込めるだけの計算資源は、かつて人類が有していたコンピュータ全てに匹敵します」

都築博士は会場内を見渡した。四年前まで自分には縁のなかった世界。今は違う。世界各国より集まった、軍高官らが注視するのはおのれの一挙手一投足。

「現在でもこれに匹敵するものを、生物の自己組織化メカニズムに頼らず作るのは困難です。我々は先の戦争で得た科学技術への理解を深めつつありますが、それをもってしても工学的な電子計算技術によって実現するのは難しいというのが解析に従事した科学者のおおむね一致した見解です。

そして、これこそが、先の戦争———遺伝子戦争が勃発した根本的な理由のひとつなのです」

ここで喉を潤した都築博士は、聴衆へ語り掛けた。

「想像してみてください。荒廃した故郷を後にし、困難な旅の果て、故郷をよみがえらせるに足る素晴らしい生態系と、非常に強力で長寿命な計算資源がいくらでも採集し放題な、実り豊かな大地を発見した探検隊の姿を。

彼らが、これら生態系の遺伝子資源を用いて故郷を蘇らせようとする姿を。

そして、野生化した計算資源を連れ帰り、飼いならして繁殖させようと考える様子を。

この探検隊こそが神々であり、そして彼らにとっての計算資源こそが我々人類なのです」

用意していた資料をめくる。

「"神々"はヒューマノイドタイプの生物です。優れた知能を持ち、四肢があり、頭部を備え、鼻腔と二つの眼球があり、口から食物を摂取し、人間同様の胎生で、同種のアミノ酸からできている。

違う部分もあります。

全身に羽毛を備え、クチバシを持ち、骨格の形状はやや異なる。外見だけなら、かつて想像されていた恐竜人類にも似ています。

しかし違いはそれくらいと言っていい。彼ら神々は人類と極めて近しい構造を持っています。生物学的にはチンパンジーより人類に近い生き物です。少なくとも、お互いにカーテンで姿を隠した状況で言葉を交わせば、我々は互いに相手を同族と勘違いするでしょう。もちろん、同じ言語で当たり障りのない内容を話せばという条件は付きますが。ひいきのベースボールのチームの話題に差し掛かった瞬間、カーテンを破り捨てて殴り合うということも考えられます」

ジョークに聴衆の緊張がやや緩む。

都築博士は話を続けた。

「彼らも社会性を持ち、家族を愛し、年長者を敬い、子供を守り、時に種族のために生命すら投げ出します。

調査されたサンプル、そして彼ら自身のデータベースから得られた情報の双方が、彼らと我々人類の脳の間に差異がほとんどないことを示しているのです。

神々と人類が大々的に接触したのは四年前、彼らが地球を偵察していた期間はこの百数十年間でしかないことを鑑みれば、これは収斂進化。すなわち酷似した生態系で似たように進化したために生じた、偶然の結果と言ってよいと考えられます。

どれだけ似ていても異なる生物です。だから家畜にしても、彼らの心は痛まない。どころか、似ているからこそその利用価値は極めて高い。一例を挙げれば人格のデジタル化、コンピュータへのアップロードによる不死化は神々のテクノロジーを持ってすらコスト的に不可能です。少数の個体だけなら可能でしょうが。

しかし幾らでも増やせる肉体へのアップロードは問題をずっと簡単にします。彼らは人類という、安価に乗り換えられる新たな肉体を発見したのです。

そして、彼らは我々についてよく知っていた。社会的な生物としての人類は神々自身の姿でもあったからです。

だから彼らは人類に―――に似せて神格を作った。“神々”は人類の神話を簒奪したのです」

ようやく本題に差し掛かった。

「この、神々自身にとっても傑作と言える兵器は本来、文明再建用の拡張身体として開発されたテクノロジーを流用して建造されたと判明しています。実態としてはマクロな量子論的不確定性を備えた自己増殖型の分子機械で、平均的なものは1万トンの質量と五十メートルの巨体、金属とセラミックと液体の性質を備え、見かけ上第二種永久機関として振る舞い、周囲のエネルギーを吸収して稼働する流体です。その威力については皆さんの方がよくご存知でしょう」

わずかに会場の雰囲気が変わる。当然だろう。ここにいる軍事関係者らの大半は、実際に神々と砲火を交えたのだ。

「そしてその制御を担当する機械生命体。ごく小さなこれこそが“神格”です。

この高度な機械は知的生命体の脳に寄生し、その機能をほぼ維持したまま思考力を利用します。

人間を生きたまま乗っ取るのです。

神格は自らの保護と獲得した身体の性能向上のため、各種の微生物群―――マイクロマシンからレトロウイルスまで様々な微小機械の混合体によって乗っ取った肉体をまるごと改造します。

その驚異的な身体能力は、3メートル先から発射された銃弾を、視認してから回避可能なほどです」

都築博士も自衛隊の施設で行われた実験を見たことがある。もちろん、安全には入念に気を配った上でのことだが。志織が―――あの物静かな少女が、いとも容易く銃弾を回避する様はまるで映画か何かを見ているかのようだった。

「神格は乗っ取った脳の思考力を用いて流体を制御します。その機能を最大限発揮できるよう、流体は人の形。いえ、巨大な神像の形を取ります。巨神の完成です。

こうして十全に機能を発揮するようになった神格は、神々に忠実な眷属として人類の脅威となりました。

緒戦での神々による奇襲は、単に軍事的な脅威だけではありません。五十メートルの宙に浮かぶ神像。その心理的、宗教的な攻撃に対抗するための戦いでもありました。開戦がもし百年早ければ、人類は戦わずして降伏していたでしょう。

いえ、先の戦争でもそうなっていた可能性は十分にあった。そうならなかったのは、これら初期に投入された眷属の思考制御に欠陥があったからです。

神格は人間の脳を利用します。極度のストレスにさらされたこの器官は、何らかの要因によって本来持っていた意識を取り戻すのです。こうして自我を蘇えらせた二十三名の人々の勇敢な行為がなければ、人類は何が起きたかいまだに把握していなかった可能性すらあります。

その場合でも人類は絶滅はしていなかったでしょう。神々の目的は略奪であって人類滅亡ではなかった。必要な個体数の人類と、故郷を蘇らせるのに十分なだけの遺伝子資源を獲得した時点で引き上げていた可能性は高い。しかし我々の文明は大打撃を受け、立ち直れないほどのダメージとなっていたであろうことは想像に難くありません。もちろん、正体も分からぬ“神々”の、来るかどうかも分からぬ再来に怯えて生きながらえる、というおまけつきで。

我々は備えなければならない。それ故の神格建造計画であり、知性強化動物です。

我々の作る神格は脳を乗っ取る機能を持ちません。肉体を強化し、その強力な拡張身体としての機能を宿主である知性強化動物に提供するだけです。我々は野蛮人ではない。神々とは違うのです」

聴衆から得られたのは同意であり好感。これがこの場所限りのものではなく、全人類の総意であることを、都築博士は願い、祈った。

あの偽物の神々ではなく、地球古来の神仏へと。

「知性強化動物は我々の新たなる同胞であり、生まれたばかりの幼い種族です。彼女らは我々を守るでしょう。物理的、軍事的に。

同様に我々人類も、彼女らを守らねばならない。今回の計画が成功すれば、多くの知性強化動物が生まれることになるでしょう。その知的生命体としての権利と尊厳を守らずして、我々人類が知的生命体を名乗る資格はあるでしょうか?」

聴衆へ。いや。と問いかけた都築博士は、知性強化動物の技術的説明へと移った。

この日の彼の講演は、概ね好意的に受け止められた。



―――西暦二〇二〇年。ニュージーランドにて。知性強化動物に関する国際権利条約が制定される一年、人類製神格完成の二年前の出来事。






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